つれづれに

イメージ 1

 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=t55w3BlAzoM

 そろそろ桜の開花が発表されてくる。
吉野か京都か、隅田川の桜見のバスツアーも良さそうだ。
24時間時計からしても、あと数時間しか残されてない。
 
 円形のドーナツのように真ん中が穴の空いた低反発クッションを
椅子に置いて使い出したところ、これがいい。HCで980円だったが、
確か医者が開発したクッションとして広告で何度かみたことがある。
たしか三千円位だったと思うが・・・

 中小企業救済円滑法、今月で切れるが、あまり騒がれてない。
どうなるのだろう? ただ、シーンとしている。


/////
1444, 孤独について-5
2005年03月17日(木)
孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。絶望の果てに突詰められる心の状態は、
人生で何度もある。孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。
「孤独であるためのレッスン」NHKブックスー諸富 祥彦 (著)
の本の内容で考えさせられる部分を書き出して、更に考えてみる。
・「ひとり」と「孤独」について
ムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、さまざまな反論を受けました。
孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、
と言われ続けてきたのです。
彼によると、孤独の真の意味を理解できない人の多くは、
・ひとりでいる体験と、
・深い孤独との区別ができないゆえに誤解を生じているのです。

両者の区別について、いずれも大切なものだと断りながら、次のように言っている。
「孤独とは対照的に、ひとりの時には、私達は意識的なコントロールを働かせて、 意図し、
考え、決断している。ひとりでいると、私達は必要な休息を得られる。
 一方、孤独でいると、私達はギリギリの状態に追い込まれる。ひとりの時は、私達の体験に、
展開と継続性がもたされる。一方、孤独の時は、全体的、革新的な変化を私達にもたらしてくれる。
ひとりの時は人の中に帰っていく。孤独な時は自分に帰っていく道を開いてくれる。」
また、別の箇所では、「ひとりとは、たいてい過去や未来にまたがった中間的な状態であるが、
孤独とは、常に生命に直接、今、ここでかかわっている状態である。ひとりとは、自分に
没入していることである。孤独とは、自分とともにありながら、さらにそれを越えて、
新しい自己を創造しようと激しく一瞬に生きることである。」と説明を加えている。
 ムスガーカスのいう孤独な時とは、「人生の一大転機点の時であり、孤独に浸っている時、
人は、もっとこの激しさが続けばよいと願ったり、永久に離れたくないと思ったり、あるいは、
底なしの絶望感に捕らえられたり、信頼が裏切られたり、さんざんに打ち砕かれてしまうことがある。
このような強烈な驚きに震え、深いショックに身を砕かれた時に『私はひとりだ』と言っても、
その体験を伝えるには不十分である。それでは孤独の肯定的部分も否定的部分も伝えられない。
一方、『私は孤独だ』と言うと、独特のニュアンスが付け加えられ、引き裂かれた状態が示される。」
過去と未来を断ち切り、新たな自分に生まれ変わりを余儀なくする、有無を言わせぬ、
一瞬の体験を意味するのです。
次に、ムスターカスは「孤独に対する不安」と「実存的な不安」を区別します。
「孤独に対する不安」はー生と死の重要な問題に直面するのを避けるために、絶えず他人とかかわりを
求めて、忙しく立ち働いて、本質的な孤独を打ち消そうと防衛から生まれる。一方、「実存的な孤独」とは、
ー人間の本質に目ざめていることの証であり、生の動乱や悲劇、変転に直面していく際に育まれるものである。
この世に生まれて、激しく生き、ひとり死んでいくことの本質にある孤独が、実存的な孤独である」
さみしさは、しばしば、人と人とのつながりが拒否されたり、離れ離れになることによって
体験されているものである。一方、孤独とは、自然の静けさの中で無言で木や雲や波に語りかけたり、
静かに詩をひとり読んでみたり、音楽に聴き入ったり、芸術作品をひもといていたときに去来する。
孤独になる勇気を持つこと。孤独を楽しむ能力を持つこと。この二つを備えた人間にしか、
これからの時代、ほんとうのしあわせを獲得はできないはず、である。
ーーー
孤独は誰も何時も直面している問題である。だから教養とての知識の必要性が出てくる。
社会通念としての「孤独はさびしいもの、避けるもの」を、まず疑ってみることだ。
特に、携帯を持った猿にとって!「自覚のないゴミ」になり下がる前に。
去年の同日の、永六輔がいう「虚しさ」を知った孤独こそ
永遠への扉の「いま、ここ」を覗いていることになる。

・・・・・・・
2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記

図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。

永六輔が、生々しい深い悲しみが直に伝わってくる。
ー「看取るのは感動的でした。ホントウに。こんな感動的なら、看取られたいと
思うくらい」1991年に父、99年に母、そして2002年に妻・晶子さんを見送った。
戒名、遺影、法名、棺はダンボールでいいと言い残した住職の父。
感謝の言葉をつづった遺言と、自ら縫った死に装束を用意した母。
余命3ヶ月と悟った妻は、死にまつわる要望を家族に伝えた。
家族に見守られる中、自宅のソファーで、安らかに息を引き取った。
「母の死の見事さに、ボクよりも女房のほうが感動したのですね。
母のように死にたいって。母とは状況は違いますけど、本人の思い通りに亡くなって。
看取り方は百点満点もらっても良いと思いますよ。

父を亡くしたときは『寂しい』、
母を亡くしたときは『つらい』、
女房を亡くしたときは『虚しい』。

寂しいのもつらいのも、我慢すればなんとかなる。
虚しい時の対処のしかたはちょっと・・・・。
何をもってすれば、虚しさを埋められるか。まだわかってないですね。
習慣だった旅先の電話は、死後一年でやめましたけれど、はがきは今も
出しています。女房あてに、はがきを書いて、ポストに出し、週末、自宅に
帰った僕が受け取る。無駄のように見えますが、はがきはやめないと思いますよ。
面白いから」

加藤登紀子永六輔の反対に近い。それぞれの立場があるものだ。
ー「コンサートでも、最後の一曲を何にするかは何よりも大事なプログラム。
お葬式は人生最後のアンコールみたいなものだわね。だからちゃんとやってほしいし、
いいお葬式でしたねって言われるものにって思いはあります」

「畳の上で娘や夫に看取られたいなんて、全然思いませんね。父が急死
したとき、ボキッと折れた人生もいいなと思ったんです。
ギザギザが出ているから、残された人はほうって置けないでしょう。
どうしてもその上をつながなくちゃならないから、現実を受け止めざるをえない。
完結しすぎない父の逝きかたを見て、上手くいったわねと思いましたよ」

佐高信も彼らしい内容である。
ー「死というものを、あまり大げさに考えたくない。淡々と、日常と同じ歩幅で
歩いて死んでいきたい。野垂れ死ぬより野垂れ生きるちゅう。
死を美化するのは、非常時の思想だと思う。」

「白蓮に純白という陰あり」という、この句が好きでね。結構、白が好きなんです。
白蓮の時期だったら、棺に入れてもらいますか。
行き先は善人たちのいる天国は避けて、魯迅の『天国には行きたくない。なぜなら
聖人君子と付き合いたくないからだ』っていうのがいいね。」

 ーー
この随想日記に「私の遺言」「死について」を書いてきた。
ラストメッセージにはチト早い気がしたが、死は直視し続けると逆に生がみえてくる。
私の場合、父が亡くなった時は喪失感
母が亡くなった時は自立感であった。
ただ、寂しさは無かった。二人とも自分の中でしっかり生きていたからだ。
母は今でも月に数回夢にリアルに出てくる。
二人から学んだことは、死ぬのは生きることと同様、そう簡単なことでないことだ。
「最後の言い分」も生きている内の戯言でしかない。
でも、戯言が死んだ後のシミにもなる。残すか残さないかはその人しだいである。

・・・・・
2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感
 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。
強引に営業に入れられてしまったが、それでもよかったと思えるようになった。
月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
電話代が一切かからないから、5~6千円あたりが適正プライスだろう。
ADSLでもよかったのではないかと疑問が今でも残っている。
今までの100倍、ADSLの10倍に近い速度だ。
時間が経つほど、その能力の凄みを実感している。
特にホームページが映像に移行しているしているのがよく解る。
古館伊知郎のホームページ「トーキングブルース」8本が3ヶ月間で5千円とか。
この普及はホームページだけでなく、IT電話など根こそぎ時代を変えるだろう。
実際どうなっていくか誰も解らない。先日も書いたが、本の読み方が全く変わってしまった。
1度目を通し後に、その本の題名をキーワードにいれて書評を読むのだ。
その後読んだ方が効率的になる。
たまたまネットウエーブで知った人の読書日記を読むと、今のベストセラーの概略と
書評を読むことができる。8割がたは?内容を把握できる。それができるのも瞬時に
ホームページが出てくるからだ。まだブロードバンドの入り口しか立ってないが、
想像すらできない時代に入ってしまったようだ。

  ・・・・・・・
ー以前に書いた文章をコピーしておきます。
2002年09月20日(金)
525,-光ファイバー
ー字数制限でカット 2013年3月17日ー

・・・・・・
2002年03月17日
旅行中につき書き込みなし
・・・・・・
<お笑い>
「どっちが父親?」
少年が慌てて警察官のところに来て
「大変だお父さんがトラブッテ、喧嘩してこのままでは死んでしまうよ!」
駆けつけた警官が少年に 「おいどっちが父親だ?」と聞いた。
「ぼくも解らないんだ!その件でけんかしてるんだ!