つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=Tv-3kA0z2LI
 昨日はシネマをみる曜日だったが、1日は、オール千円のため、込み合うので避けた。
最近、面白そうな映画が次々と来る。実際にみると面白いから困ったもの。週一では
見切れないが、これ以上だと見過ぎという感もする。

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1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇
2005年03月02日(水)
岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。
以前から、随想日記で書いてきた「中年クライシス」の暴発である。母親の痴呆と、長男の問題、
病気、職場の関係、犬の世話等々で、自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。
そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。
海外旅行と、精神療法系の本を読んでいたので何とかのりこえた。40代後半から60代前半は、
こういう問題が誰にも押し寄せる。見せているか見せていないかだけである。
その中で一人でする、スキップと鼻歌は、背中に大きな荷物がある為か演歌調になるが。
真面目な人ほど、ある日突然爆発する。その処理法の知識がない上に、気弱だと、尚のことである。
この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。
外的適応に疲れ果てた末路といえばそれまでだが、人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を
知らなかったのだろう。深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。
痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落とされてしまう。直接原因はこれだろう。
以前、読書日記にー『心』の出家ーの感想文を書いた。
後でコピーしておきますが、その一節の言葉が印象的である。
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自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面)を取りさることである。
神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公欣吾と従兄弟の会話で以下のことを語らせている。
 ー文雄がいった。
「俺、発見したんだ」「なにをさ」「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。
 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」「どうして」
「とにかく、そうなんだ。40前には、迷うことなんかないよ。
 夢中だよ。世の中に出たばかり、目がくらんでいるか解らない。
 あり合せの目標に突っ走る。 一段らくしたときが一番恐い。40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。 
今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。え、そうじゃないか。迷いが出てきただろう」
「そういえば、そうかな」「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。
 恐らく、死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」「迷わない奴だっているだろう」
「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。しあわせという言い方もあるだろうがね」
ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために
不可欠かもしれない。しかし、その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。
そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。ペルソナについて、ユングは、
外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか理由から生まれてきた一種の「機能コンプレックス」であるという。
それは個性というものとは違うものである。安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、
それを脅かす内的世界が存在している。ーーーー
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誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。タマタマ犬の調教で、
TVのニュースの映像が流されていた。真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面をしていた。
私の解釈では、
・真面目な、 ・気弱そうな、・善人面 ということが、問題全てを一人抱え込んでしまった。
誰に聞いても、優しい良い人だというところに問題があった。
それ故に、母親と長男の問題と、職場の配転とか、犬の調教の疲れなどの全てが、
長年にかけて山積になった。良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかができなかったのだ。
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2002/05/19
自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3
 それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。ライフワークをきっちりつかまえて、
その都度脱皮すればよい。「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。
ライフワークとは、一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。そして一生涯を通して脱皮の時期がある。
7年説、8年と10年という説がある、ライフサイクルというが。
・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。
・8年ー16、24、32、40歳・・
・10年ー20,30,40,50年歳と・・
またこういう説がある
1、児童期・青年期  0~22歳
2、成人前期     17~45歳
3、成人中期ー中年期  40~65歳
4、成人後期ー老年期   60歳以降
重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。これと7年説が私の一番納得できる。
その節目ごと、脱皮していく事をいう。「節目を叩け!」という諺があるが。自己実現という言葉がある。
たしかユングの言葉であった。自分のなりたいこと、したいことを実現することをいう。
それも一生涯を通してだが。それを自分の人生という事にならないか。子狐がここにきて、にわかに
それをつくろうとしている。やらないよりはいいが。やるなら10年~20年スパンで何をすべきか判断して、
それぞれ節目を作り、やり通すのがライフワークである。それをやり通すことが、結果として自分の人生という。
「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人
をいうのではないか。
 中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。中学の先生もそれだった。
 今度中年クライシスについて書いてみよう。周囲はその人たちで満ちている。
 一ヶ月前、近くの58歳の人が自殺したという。 家を新築したばかりなのに! それにしても、無知すぎる!
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2002/10/13
予定挫折
ミスマッチの組み合わせの言葉である。挫折は途中で断念してしまう事で、予定していれば挫折でない。
この組み合わせの意味は、挫折時期を予想しておいてその準備をしておく事である。私の場合、
大学受験失敗や他の挫折を人生の前半に重ねた為、挫折の痛みと、反面その必要性を実感をしていた。
必ず生きていくうえで変化と転進の必要性がある。大体が7年である。
その時期を読み、変化を積極的に自分で創らなければならない。
その時にそれまで続けてきた事を止める、これが予定挫折である。
スキーを子供のとき滑って失速した時、自分から前向きに倒れるコツを覚えた事があった。
その方が大事にならないで済むことを繰り返しの中で知った。柔道や合気道で、まず訓練をされるのが
受け身や倒れ方である。予定挫折を初めから組み込ん、その時期がきたら割り切って
しまう事が必要である。節を予定して積極的に創っていく事だ。
ある甥が大手の会社に7年在職後、さっさと辞めて漫画家になった。有名らしいが漫画を見たことがない。
曰く「入社前から、そう予定していた!デザインで社長賞を貰ったし、自分では為残した事はない。
漫画家は自分がなりたかった仕事。それで生きていけそうだし楽しい!」
私事だが、29歳の時に成り行きで実家の商売をみる事になった。五年を目安とその時の勘で思った。
勿論そう宣言をしていた。3年も経てば兄弟が一つ舟の舵取りは無理!と実感。
予定どうりに5年で今の事業に転進したが、少しは挫折感があった。
これが予定挫折というのかと苦笑をした。しかしすぐに次の仕事がたっぷり待っていた。
挫折時期はある程度読めるものだ。定年退職やリストラとかで、無知の為に中年クライシスに
なってしまうのは、ただ流されて生きているからだ。準備をする時間はあった筈である、たっぷりと!!
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2003年03月02日(日)
697, ルーツー2(縦人脈)
ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって富山から上越と逃れてきた。
そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある
「鮫ヶ尾城」という出城の城主であった。 謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、
小千谷の郊外の片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。
その時の先祖の名前が「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。
一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。その後、そこで百姓をしていたようだ。
ルーツというほどのものではないが、平家・上杉という流れと、関西ー富山ー新井ー小千谷
ー長岡の流れがある。また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって変わってきている。
金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。
その検査に富山に行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」であった。
その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。
上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。長岡は10あるかないかで、新潟市では数人しかいない。
20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。
車を止めて、そこから独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。
何か昔の記憶が沸き立ってくるようなフワ~という感覚で、何かオーラに包まれたような気分である。
この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。そこで亡くなったある
僧の墓を訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。
家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。
それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。
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2002年03月02日(土)
347,心の陰
人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。
人を非難するのは、結局自分の影を非難しているに過ぎないことを,いっているのだ。
「他者認識は不可知」という論がある。
ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく自分のそれを認識しているに過ぎないー
これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。
特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎないからである。
自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ているからだ。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。
私の嫌いな「教養のないオバサン」 結局教養のない現実志向も、自分のある一面である。