つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=yEkZWxJ9OLY

 昨日のNHKの三回シリーズの経済危機の最終回の録画をみた。
これまで出てなかった富士通の名前も、このところ出始めてきた。
安部効果の円安もあり、リンゲル効果か、少し元気に見えるが、それは表面的なこと。
最期の段階を少し引き伸ばしただけ。色いろな現象が出てくる。
 何時も、考えているのは、「10年前から今まで起きた地震と、経済的震災と危機、
北アフリカなどのドミノ倒しの独裁国家の崩壊と、更なるIT機器の進歩と普及と、
今後10年先の変化を想定すると、本当の危機は、これからの方が遥かに大きくなる」
ということ。日本の世界に冠たるソニーパナソニックとシャープと、富士通が、この事態。
10年前に、最も悲観的に考えても、ここまでとは、誰一人思ってもみない事態。
そういう自分の事態も、同じである。まさか、まさか、である。でも、別に生活は、そのまま。
三食、食べるに困らず、以前と殆ど同じ。会社に行く代わりに、スポーツジムと、
書斎で読書かパソコン。以前の方が良かったなど、全く感じない。
要は、変化を受けいれているだけ。 結果として、年齢からくる一線からの退去の一現象。
一歩も二歩も退いて見えてくるのは、自分にかかっていたバイアス。これも、人間、いや
生物として当然のことだが、外してみれば、「何てこった!」でしかない。
 しかし、バイアスは実は外れてないのではないか。 それが気づきだしてきた!だけか。 


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2004年02月10日(火)
1042, 随筆はプロが書くもの! -2
文章術の千本ノック」 -読書日記ー2

この要点を目次に書き込みながらまとめてみる。品格もあるようだから心して文章を書かなくてはならない。
(ー>が要約である)
序ー文字を惜しめ
->お金と文章はケチなほど良い.その為には最小限に書く心がけが必要だ。
 書き直しと添削を繰り返すことが重要である。 文章は明らかに芸術的な営為である。
 簡単なデッサンではない。

1-文章の第一要件は[客観性」にあり
ー>客観的な「批判」というプロセスを通過したものでないと、他人が読む場合には耐えられない。
エッセイは常に書こうとする「外」にいて、外からこの「世界」を描写するのをエッセイとはいわない。
 エッセイは一度内側から書いて、それを外側の眼で眺めかえさなくてはならない。
 エッセイ(随想)と随筆は、明らかに違う。エッセイは、一言で言うと「論理的文章」と定義したらいい。
 論理のない文章はエッセイではない。 見てきたこと、生きてきていてこう思うとか、文化論だとか、
 その中にある論理を読んでもらうのがエッセイである。
 「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」「これが天下の真実というもので、功なり
名を遂げたプロの作家が、趣味で書くものです。あるいは松平定信のようなお殿様が、日ごろの
生活の中で心に浮かぶ『よしなごと』をぼつぼつと書き付けたというものが随筆であって、
 これはよほど文章力があるとか、その人の人生が面白いとか、 その人の観察力が鋭いとか、
描写力が秀逸だとか、そういう経験と筆力が物を言う世界なんです、随筆は。」
 随筆は論理性より、プロがつれずれに書くもので論理性は逆に求められない。
 
2-エッセイと観察
 エッセイにはまずテーマがなくてはならない。
 そのテーマをどういうふうに論理を展開するかがエッセイの一番の醍醐味になる。
 エッセイは「あ、おもしろい」と思う切り口が必要である。
 我々は多くのものを雑にしか見ていない。 団子だったら団子という概念でしか見ていない。
 その団子を取り上げて面白おかしく描写をするのがエッセイである。
 人が見ないところまでよく観察して、人が読んでくれるような文章にするのが エッセイである。

3-論旨の方法
 論述には、難しくいえば帰納法演繹法がある。
 結論をまず出して、その要素を面白おかしく書く演繹法的手法と、謎を残しながらプロセスで
引っ張りながら、最後にひねった内容にする手法がある。私の場合は両方を使うことを心がけているが。
最後にヒネリを入れたニヤと笑わす手法である。 これは自然に出てくる? いや性格か?

4-文体の問題
 文体には敬体と常体とある。
 敬体とは「です・ます」調と言われています。
 常体とは「だ・である」調と言われている。
 何もいわないと男性は常体で書く。 敬体は形容詞がつかいにくくなる。
 従ってエッセイは常体で書くのは当然のことである。
 
5-テーマと寸法
 テーマにも、大きいテーマ、小さなテーマがある。
 テーマが小さければサイズを小さくしなくてはならない。
 大きなテーマは長い文章になってしまう。
 小さなテーマを小粋にまとめるのが随想の醍醐味である。
ー続く
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2003年02月10日(月)
677, イヤなやつ

「ぶざまな人生」があるなら「イヤなやつ」のテーマが面白いだろうと調べたら有った有った
ーサブテーマだが。河盛好蔵が昭和33年に週間朝日にかいた「人とつき合う法」の第一章に
かいてあった「イヤなやつ」という文章があった。 一部を書き写してみる。
ーー「私自身のことを考えてみると、私まず人に快感を与える容貌の持ち主でない。
性質についていえば、他人の幸福より不幸を喜ぶ感情の悪さがある。自分ではできるだけ怠けて、
人をはたらかせ、その功を自分だけで独り占めをしたいというズルさと、欲の深さがある。
権力者にはなるべく逆らわないで、進んでその権力に媚びようとする卑しさがある。・・・・・
自分に寛大で、他人には厳しくって、エゴイストの部分が非常に多い。ケチで、感情高くって、
他人の不幸にそ知らぬ顔をし、・・・・ 考えてみると「イヤなやつ」要素・条件をことごとく持っている。
そしてそんな事を、あけすけに書いたほうが、かえって得になるとひそかに計算しているのであるから、
われながら謙悪にたえない」
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以上であるが、読んだ人はドキッとするはずだ、自分の事だからだ!
私など更に弱い相手には威張り、こすっからいし、馬鹿なくせにより馬鹿が大嫌いで、酒癖が悪いし、
書いていてイヤになる。しかし「人間はイヤな奴の程度が高いか低いかの差」の存在でしかないのも知っている。
仏教でいう四苦八苦の中にも「怨憎会苦(おんぞうえく)」:怨み憎む人と出会わなければならない苦ーがある。
人間誰でも持っている要素で、かつ何処かでいつも気にしている言葉でもある。男は一歩外に出れば7人の敵が
いるというがー8人の味方もいるが、敵から見たら「イヤなやつ」になる。私などいつも言われてきたし、
特にイヤなやつである。ところでそれが如何したという開き直りがある。私など言葉という凶器?があるから、
いらない敵までつくってしまう。
ところで「いい人」とはどういう人か考えた事があった。ある純朴な?居酒屋のママさんが人の好き嫌いが
ハッキリしていた。あの人はいい人だ、いやな人だと明け透けにいっていた。よく聞いていると
ー自分では気がついてないが、自分にとって今その時都合のよい人が「よい人」、不快の人や
都合の悪い人が「イヤなやつ」であった。
単純明快のところが大変面白いが、度が過ぎると問題だ。彼女いつもストレスの塊になっていた。
人間という奴は本当に面白い!「イヤなやつ」をやったり、「よい人」をやったりしながら
色いろ人生を過ごしていく。夫婦なんて、この両方の織りなす柄を創っていくようなものだ。
嫁姑の関係も、その際にある。

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2002年02月10日(日)
327,新幹線の乗り越しー4回!

通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。たて続きに3回乗り過ごした。
いまから10~15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。初めは湯沢で泊まった。
飲んでいた勢いで、ビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。10時半過ぎであった。
大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。湯沢の情緒が漂っていた!
その次は浦佐駅であった。やはり乗り過ごした2人と話し合い「割りかん」で帰ってきた。
長岡駅と思い歩いていて,何かが違うのでよく駅名を見ると[浦佐]であった。
3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。折り返しの新幹線で帰ってきた。
5年位前の乗り過ごしが面白かった。ウソみたいな本当の話である。正月の3日か4日であった。
乗り過ごした私と同年代の人と駅の改札で話し合い、どこかのホテルのツインを割り勘で
泊まることにした。そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい「値引を交渉!」
「自分には値引きの権限が無い,駄目!」酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。
たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。事情を話し、「もっと安いホテルが
無いか?」と聞いたら、ちょっと待てと電話をしてくれた。そして安くしてくれるホテルがあるといいう。
助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、何と初め値段交渉をしたホテルであった。
そしてその若い方がその社長であった。そして飲みに行こうという。それならばこちらも
乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。
但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。
その後、湯沢で一番の高級のクラブで2時間、正月という事もあって大騒ぎ。ー後で知人に話したら、
そのスナックを知っていたー
次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。だんだん恥のさらけ出し?
「気違い水ー酒」を飲んだドラマがいろいろある。

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 2月10日  1969年
昨夜のショックで、助手の横浜さんと会って話をする。自分の底の浅さを赤裸々に話すが、
普段は厳しい事をいう人が優しいのだ。誰もが持っている底を曝け出したことに理解をしたのだろう。
たまたま会った深井にも話すが彼も同じ反応だ。
この時期に誰もが持っていることでしかないのか。動揺をしているだけだ。それぞれが、
この時期精一杯なのだ。得たことより、得れなかったことに眼がいっているだけだ。
今日池袋駅で見た出来事が印象的であった。階段を手探りをしながら上っていた盲人に
女の人が手助けをしようとするが、拒否をしたのだ。見ていると、誰の手も借りずに歩くことを
自分に課しているようだ。その内面がそのまま出ているようだった。
いまの自分に、あの姿が必要である。