つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=VcvIQv2GIVI&NR=1&feature=endscreen
 ー つれづれに ー
 ここにきて、円安が進んでいる。アベノミックスとかいうためだろうが・・
問題は、この結果のハイパーインフレの可能性である。ユーロとドルに同調して
下げ比べになってきた。まずはガソリンと灯油。次に大豆とトウモロコシなどの農作物。 
ハイパーインフレになると、一番初めに影響を受けるのが、年金受給者。
生活困窮者が、まずは悲鳴を上げる。年金生活に入って、まず本を買わなくなった。
殆ど図書館か、アマゾンの立ち読みか、iPadのフリーブックでことが足りる。
そして、知らず知らずのうち、外食も減っていった。別に、意識的な節約はしていないが。
テレビにパソコンにシネマに、そして内食にシフトしているだけ。それとスポーツジム。
物理的に欲しいが我慢しているものは一切ない。そろそろ5年間使っているパソコンの
買換え時期だが、iPadがあるので、別に買うこともない。 
 家にいる時間が圧倒的に増えたこともあり、TVを見る時間が増えている。
で、面白いのは昔のドラマの再放送。 特に洋ものも和ものも刑事者が多い。
筋たてが凝っていて、どんなにもても飽きない。腰痛もあり、家事は何もしないので、
家内にはバカにされっぱなし。まあ、サバンナも家内砂漠に近づいてきたか。 

今日の随想日記カット分(5000文字の字数制限のため)
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1771, 老いを生きる意味
2006年02月07日(火)
図書館で立ち読みして思わず吸い込まれて、借りてきた本である。
還暦を過ぎたためだろう!
その中の「老いのキー概念」が考えさせられた。一つずつがシビアで、煉獄を思わせる。
(1)居場所がない
(2)社会的役割の喪失
(3) 貧困と孤独
(4)生と死の間のさまよい
(5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問等
(6)老年危機ー生きる意味の喪失
(7)枯れへの悶え
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)
(9)ボケと過敏                    貴方は誰? Oo(っд・`。)私は誰?
(10)成熟と衰え
  以上のそれぞれの項目は深い問題であるが、デッサン的に取りあげていた。
 北欧で老人が公園で何もすることが無く、寂びしそうにベンチに座っている姿が眼に焼きついていたが、
 内面の複雑な心までは感じ取れなかった。   

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2005年02月07日(月)
1406, フリーター漂流
一昨日のNHKスペシャルの「フリーター漂流」に、考えさせられた。
フリーターを臨時採用する会社があって、その会社は(派遣ではなく)
下請けの立場で、「フリーター」を工場に送り込む。ラバー(単純作業労働者)を、
下請けとして契約相手先の工場内で作業をさせる。元請は契約下請け作業員を直接工場で
働かせているにすぎない。そのため自由に配置転換が可能になる。
下請け会社は、全国レベルでフリーターを集めたラバーを工場などの現場に配置する。
フリーターを嫌う大手と、単純作業を割り切って働きたいというフリーターを結びつける
必然的な機能である。フリーターも割り切っているから、お互い様である。
しかし、多くのしわ寄せが彼らに直接くる。
残業なども不定期にきて、それが原因で病気になっても定期契約なので一切の保証は無い。
フリーターを続けてきた人は、企業は欲しがらない。彼等は正社員としての適性がなくなっているのだ。
この番組みでは、その彼等の個々のケースを追っていた。
フリーターに、なりたくってなっているのではない。決して、気楽ではないのだ。
この会社は「ニッケン」といい、チラシなどで募集内容を目にしていた。
仕事内容が多彩で不思議に思っていたが、フリーター専門の下請け会社だったのだ。
そういえば、コンビニの開店専門派遣会社を経営している人がいた。一種の開店屋として、
FC契約のオーナーのオペレーションが落ち着くまでの臨時作業を請け負うのだ。
なるほど、そこまでドライに割り切っているのかと感心していたが。
フリーターは誰にもできる仕事に限られ、使い捨てになる。そこには冷徹な時間売りとしての
肉体労働が要求される。今は若年層に限られるが、今後は熟年層だけでなく女性層にも広がって
いくだろう。こういうカタチで一部勝ち組以外は、賃金の引き下げが進んでいく近い未来の姿だ。
私も過去に浪人時代が何回かあるが、その時の心の空洞感を思い出す。
世の中の全てから見下されているような虚脱感と虚しさが、まだ生々しい。
あの虚脱感が、私の事業の失敗に対する恐怖にある。それが事業の出発点の原点である。

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2004年02月07日(土)
1039, 鳥インフレエンザ
・[人から人の感染阻止に全力 最悪なら10数億人感染も ありうるとのこと。
 アジア各地で猛威を振るう高病原性鳥インフルエンザについて、世界保健機関(WHO)
西太平洋地域事務局の感染症地域アドバイザー、押谷仁博士(44)は一月三十一日、
マニラで共同通信のインタビューに答え「最悪の場合、世界人口の30%が感染する事態も想定される。
封じ込めが緊急の課題だ」と指摘、国際社会が対応を誤れば十数億人が感染する恐れもあると警告した。]
・「SARSはむしろ封じ込めやすい病気。ハクビシンなどの動物から人に
 感染したとみられるが、その後は重症者からしか広がらなかった。
 だがインフルエンザは無症状の人からも広がる」 如何して、これに対して
 問題にするかといえば、 スペイン風邪の過去の事例が あるからだ。
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2003年02月07日(金)
674, ぶざまな人生-2 (読書日記)

立ち読みをもとに、前回「ぶざまな人生」というタイトルで書いた。
先日、本屋で再び立ち読みをしたら、「前書き」と「あとがき」が余りにも面白い内容に
つられて思わず買ってしまった。下手な要約を書くよりずっと文章に味があるので、
そのまま写し書きする。
まえがきー「中小零細企業」の人生論
人生、である。しかも、ぶざま、である。ははあ、「ぶざま」といって一端下げておき、しかし一転して、
「ぶざま」こそ人生そのものでナイかと持ち上げ、さあ元気に生きていこうぜ、と口先だけの空元気で
鼓舞しようというんだろう、手口が見えているぞ、と思われるかもしれないがあたってない。
「ぶざま」は「ぶざま」である。いまさら人生論か、50年古い、と思われるかもしれないが、
・・・・とおりいっぺんの人生論など、興味がない。成功した経営者や哲学者や
有名な評論家とか宗教家とかいったつぶしの利く人間が書くものと相場が決まっている。
しかし、彼らの人生論はおおむね「大企業的ー立派で高尚」の人生論である。
それに対して本書は、全然つぶしの利かない普通の中年男が書くそれである。
いわば「中小零細企業」的人生論である。日本の会社の95㌫が中小零細なのに、
だれもが5㌫の大企業の様な人生を送りたがる。無理もないが。・・・
人生という言葉に魅力がないかもしれないが、人生そのものは誰にもあるものだ。
いま「人間の人生」(簡単に言うと、運命)の真っ只中にいるのだ。
けれどその中でも、「自分の人生」(簡単に言うと、意志)だけで順風漫帆に生きている人間は「人生」に
直面しないだろう。「人間の人生」と「自分の人生」のせめぎあいの中にある人間が「人生」の波をもろに
ぶつかるのだ。中年こそ、「人生の辛酸」ということが身にこたえる年代なのである。・・・・・・・・・
・・・
最後に 責任ある大人として、年をとり分別も備わった今では、誰の人生も完璧
でないし、普通でさえないということが解るようになった。
誰にも過去があるし、誰にでも問題がある。人生は、自分で切り開いていくものだ。
自分が目指すのは、優しくて謙虚な人間、思いやりがあって助言を与えてくれる父親、
そして夫になること、ただそれだけだ。毎日毎日、僕はとにかく全力を尽くしてがんばっている。
ーー以上があとがきである。ーー
ぶざまな人生を認めてしまって、生きたいように生きることだ!
 ー 続くー                
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2002年02月07日(木)
324,中村天風
この人の本を読んで人生観が変わった。基本は人生は「積極一貫」である。
言葉を大切にしろ、何気なく使ってる「言葉の力」に気づかずにいる。
「言葉のコントロール」をすべし。「プラスの言葉、積極的言葉」を使うべし。
 ‘何か元気の出る本がないか’とい聞かれたら迷わず天風を薦める。
・「積極一貫」がその中心
・「誠心誠意」がその背後にあり、「良心」が発生源である。
・なにげなく話す言葉は、どうしても「マイナスの言葉」になってしまう。
 常に注意を払い,充分に気をつけていなくてはならない。
・天風が瞑想の果てにつかんだものは「人間は受信体だ!」ということだ。
 その為に、「独りだけの時間」をもち、「心を澄み渡る」ようにしておくべし。
 そうすると「感受性」が高まる。
ー最近また天風の本を一日一回目を通している。 理由は簡単である、トイレに置いた。
 一週間置いたが、コウカテキメンで毎日が気分がいい。 単純なものだが、何か力が
底から湧いてくる。 言葉にどうしてもマイナスが出るが、それを一日一回でも窘めてくれる。
「人生の花園に常によき花を咲かし、よりよき実りをつくらなくちゃ。
 それが自分の義務だもん。」            -天風
 
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2月7日 1969年
9時起床。
10時に食事。その後、登校後に人事管理の試験であった。よくて優、悪くても良だろう。
試験の後、川崎と兼古と価格理論の教授の西山教授のところに行くが不在であった。
アメリカの、グリーンスパン教授と親交がある人だ。その後、三人でボーリングに行く。
150点、私としては上出来であった。その後、帰寮。
19時半から、私の追い出しコンパだ。今までは送る立場であったが、今日はついに自分の番になった。
蒲生と高橋をのぞいて全員が出席をしてくれた。少し白けた感もあったが、最後まで永田さん、
市川さん、間中、佐藤、尾形と残ってくれた。
酔っていたが、市川さんに「私から全てを吸収しきってしまった」という。
まあ、そうだろう。最後に佐藤が泣いてくれたのは嬉しかった。
それにしても、市川さんとは、この二年間は週末は必ず食事に行っていたのに。
如何したことか解らない。そんなものか、この男は。ショックであった。
一人一人、いろいろなカタチで別れていかなくてはならない時なのだ。
それにしても、市川さんの最後の言葉は何なんだったのか。
怒るより、むしろ呆れてしまったというのが本音である。
寮にそのまま居座る為の、デモンストレーションのつもりなのだろう。
毎日毎日が、あまりに刺激が強すぎる!