つれづれに

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そういえば今年のdiary、まだ買ってない。
毎日、書いている割に、ほとんど見直すことはない。
ただ書き込むと安心するだけ。 もっと工夫すべきだが・・・




1367, 酒についてー2
2004年12月30日(木)

ー作家が書いた「酒の名言」ー
ある本を読んでいたら、作家の酒についての名言を集めたコーナーがあった。
この随想日記の中で、酒にまつわるテーマで十数編も書いてきた。
この「分類・引き出し」の中の検索で「酒」を打ち込むと、出てくる出てくる。
数多くの文章が書いてあった。その全てをコピーするわけにいかないから、
「酒について」を、このテーマにした。酒乱一歩手前?も、色いろの経験がある。
だから、酒についての真髄は、心の奥に染みる。
私の人生から、旅行と酒をとったら何が残るだろうか。

さすが作家が随想や小説の中で書いている「酒」についての言葉は含蓄が深い。
あの作家が酒について、こういう感想・実感を持っていたいたと思うと、感慨が深くなる。
特に多くの経験?を重ねたせいもあるからだ。

ーその幾つかを書き写しておきます。

・酒飲み人はただ酒飲む人それのみであることはできない。
酒を飲む瞬間は、生きつづけたその人の到達したある一点である。
                     -武田泰淳
・<狂酒>から<酒悲>の段階に移行すると、こんどは自分が無限に小さな存在に
かんじられはじめる。つまり酒によって己みずからを知ってしまうのだ。・・・・
「いいお酒ですな」と人に感心されるようなのみかたが、
あんがい静かな絶望の表現であったりする。           -高橋和
・酒飲みというものは、どういうものか酒のこぼれるのだけは非常に惜しがる。
あやまってお膳にこぼしてみたまえ。十人が十人「もったいない」と唇をつけて、すするから。
                    -サトウハチロウ
・酒飲みは判官びいきであって、かならずといってよいほど、
小さな醸造元の酒を推薦するものである。            -金子兜太
・酒を飲んでいて次第に拠ってくるその移り変わりが一番の味はひである。 ー内田百聞
・酒好きにとって、酒というものは、どの一口もうまいにはちがいないが、
わけてもうまくなるのは、ちとすぎる頃からだ。         ー堀口大學
・酒と旅・・・本当に不思議なものだ。
どうして旅に出ると、うまい酒に出会うのだろう。東京でどんなに高級な
ウイスキーを飲まされても、あの旅情に浸りつつの酒にはかてない。 -赤塚不二夫
                     ーつづく
・・・・・・・
2004/05/02
1125, 酒について -1

「神はこの世を六日間で創り給うた。そして、第七日目には、二日酔いを与え給うた」
というが、酒はよいことだけではない。。
バッカス(酒の神)はネプチューン(海の神)よりも多くのものを溺死させた」と、
ローマの諺にある。酒は肝臓に悪い。腎臓に悪い。しかし、酒は「心の特効薬」?である。
酒の一杯は健康のため。二杯は快楽のため。三杯は放縦のため。四杯は狂気のため。
というが、酒はプラスにもマイナスにもなる。。

「おい堀井。お前、晩酌で二日酔いしたことがあるか?」と高校の同級生に聞かれたことがあった。
「ほとんどない!」と答えたら、「おれなど、いつも晩酌で二日酔いをしているぞ!」
 何か深い深い意味があった。
目の前の悩みを洗い流してくれるのは、酒と先人の言葉と諦念である。酒は愉楽の完全な典型である。
酒は実にうまい、不満を追い払ってくれる。それ以上何を望もうか、それでよい。

酒を飲むことほど日々を楽しくさせてくれるものはない。
くよくよさせず、勇気をいっそう勇敢にさえしてくれる。
しかし、酒であまりの多くの失敗をしてきた。若き日、酒を飲んで多くの議論をしてきた。
そして、多くの人と争ってきた。酒は、脳に入れた敵、気違い水であり、あまりに危ない敵である。
それでも、酒は美味い。これで20年は寿命を短くしただろう。

ー私の場合特に以下の言葉は胸に刺さる

・酒を飲む理由は二つある。一つはのどが渇いたときに喉をうるおすため。
もう一つはのどが渇いていないときにのどの渇きを事前に防ぐため。    Tーピーコック

・若者にとって酒は大人の勲章である。          ー吉行淳之介

・一生を洗い流してくれるのはただ酒だけである。     ー韓愈

・どういうことになるものやら見当のつかない二つの場合がある。
男が初めて酒を飲むとき。女が最後に(今夜きりよ、と)酒を飲むとき。   ーヘンリー

・土曜の夜の酒の味が、平生と違うことを知らないものには、日曜の朝の楽しさは解るまい。
             ー水上滝太郎
・酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔を見ない。
貧乏人も金持ちも同じように酔わせてくれるんだ。        -古今亭志ん生

・酒と美しい娘は二本の魔の糸。
経験を積んだ鳥でもこれにはまんまと引っかかる。-リュッケルト

・酒に害はない。泥酔する人に罪がある。           -フランクリン
・喫煙家が禁煙家にかける迷惑は肉体的なものであるが、禁煙家が喫煙家にかける迷惑は
精神的なものである。             ー林語堂

・酒は茶の代りになるが、茶は酒の代りにならぬ。       ー張潮

・酒を飲めば、言葉に羽が生えて、傍若無人に飛び回る。    -ヘロドトス

・勤労は日々を豊かにし、酒は日曜日を幸福にする。      -ボードレール

・少し飲み、そして早くから休むことだ。これは世界的な万能薬だ。   -ドラクロア

・酒と人間とは、絶えず戦い絶えず和解している仲のよい二人の闘士のような 感じがする。
負けたほうが勝ったほうを抱擁(ほうよう)する。      ーボードレール

・酒は人を魅する悪魔である。うまい毒薬である。心地良い罪悪である。 -アウグスティヌス

・人生は生きるに値するか?それはひとえに肝臓にかかっている。-ウィリアム・ジェームス

・人は次の五つの理由で酒を飲むことができるのである。
 
 まずは祝祭日のため。
 次に、その場の渇きを癒すため。
 それから、未来を拒むため。
 その上に美酒をたたえて。
 最後に、どんな理由からでも。            ーリッケルト

 ー 字数の関係でカット 2012年12月30日
                
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2003年12月30日(火)
1000, \(~o~)/千日の随想日記!

 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35~40が合わない。
調べてみると206~222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。

 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた
(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく変った。
一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られている
ような感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。

 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。

 ス~と書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。

 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、土日を休むとかして、
今のエネルギーを半分にしようと思っている?このまま続けると、ある日突然「や~めた!」
ということになりそうだ。千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に切り替え集中しなくてはならない。

 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか? どうなるか?自分でもわかりません。
ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

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2002年12月30日(月)
626, 葬式仏教の由来
 ー 字数の関係でカット 2012年12月30日
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2001年12月30日(日)
285、フィジィ‐について

地理的にみるとオーストラリアとハワイの中間点、日本より飛行機で7^8時間位か。
もう9年なる。この世のパラダイスという言葉が似合う小国である。
ハワイの観光化する以前の、何ともいえないのどかさを残している国である。
人がいい!のだ。、フィジアンといって無垢な温かい素朴な人なつこい国民性。
世界にまだこのような世界が存在していたとは!NHKでも‘フィジーの特集’をしていた。

一度行けばその魅力にとりつかれるはずである。 今でも映画館が男女別席である。
小さい島国なのにまたその周辺に、多くのミニの島よりなりったている。
島そのものがホテルになっているところもある。
他の南国はハワイとニュージーランドしか行ってないので、他と比べる事はできないが、
華やかな観光がない分、海と空の素晴らしさを満喫できたのかもしれない。
そこで行ったカーマ島がよかった。小さな島で一周一時間ぐらい、1人で
海岸を一周してきた。おとぎの国に迷い込んだようであった。

たまたまその日が日曜日。住民はホテルの従業員とその家族が、
小さな教会でお祈りをしていたのが印象的であった。
会社の社員旅行で行ったが、そのうちの1人が新婚旅行で行ったと聞いた。
そしてあらためてその素晴らしさを知ったと風のたよりで聞いた。
南洋の楽園とはよく言ったものである。
もし海の綺麗な、静かな天国のような島に行ってみたいならフィジーがいい。

・・・・・・・
ある時間の断片
12月30日 1968年

12時に起床する。正子さんと母と食事をとる。正子さんが、今の私が陰鬱という