つれづれに

イメージ 1

 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=L8f5FvQZP0k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=qoP1N0OyFic&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fSmzhqbuABU&feature=related

 家内から聞く世情の話が、けっこう凄い。
要するに一部勝ち組と、大部分の負け組みの何気ない段差が、リアルな話として聞こえてくる。
お金が無くて、病院に行けない人の話などが、具体的で耳を疑う。金が現実に無ければ、病院にも
行けないのは分かる。 「顔が腫れているのに、そのまま病院に行かないので変と思っていたが、
その人、お金が無いから行けないと、後で知った!でも、いつの間にか直ったみたい」とか。
アメリカ並みである。 アメリカでは、救急で運ばれても、保険も金も無ければ、病院の外に
放り出されるとか。 考えてみれば、預金ゼロ世帯が三割という。なら病院にいく金も無いに
等しい。何か、恐ろしい世情になってきた。


今日の随想日記、カット分。
・・・・・・・
2003年10月16日(木)
 925、「おん宿かわせみ」
 ホテルのフロントにたっていると、色いろな人生垣間見みれるという一宿一飯のサービスと部屋貸しの商売である。
色いろな人が泊まっているのは当然である。7割がリピータで、何らかのカタチでその人の事情が見えている。
 年に2~3回は、当ホテルの通報で犯罪者が逮捕される。フロント内に指名手配の写真が数枚張ってあるのだ。
その功績で表彰状と金一封ー5千円を貰ったことがある。 一月ほど前は広島の詐欺師で、通報をしたら
7~8人の刑事が来て連行していった。ホテルからの通報ということを知らさない為か、違う捜査で各部屋を
調べているように装って、偶然みつけたようにしていた。お礼で3千円ほどのケーキを貰ったが。
 ロシア人を捕まえようとしたら、一瞬の差で窓から逃走してしまったこともあった。 大体が、通報があった場合、
外に出てくるのを待って逮捕する。こういう時代のため、最近は得体の知れない人が10人前後はいる。
誰もそうだが、自分の居場所では大人しくしているものである。 三日前には、5月2日より長期で泊まっていた老人が
部屋で亡くなっていた。偽名で泊まっていたが、警察が所持品で調べたら身元が分ったという。家出をしていたらしく、
親戚が三人駆けつけてきた。最近になり身体全体が浮腫みはじめていて、コンビニに一日一度出かけるのも
大変そうだったという。推測するに、癌か何かの宣告を受け死を覚悟で家出をしたのではと?
どういう気持ちで泊まっていたのだろうか。 死は直視することはできない!
・・・・・・・・
551、「エッ、嘘だろう!」-2  
- 2002年10月16日(水)
 本当かいな???「ビジネス客数56パーセント減!」「観光白書」の宿泊数の激減の実体をみて驚いた。
2001年度の国内宿泊は前年に比べて「マイナス17パー」。その中のビジネス宿泊は何と「マイナス56パー」。
ビジネスの宿泊が、一昨年の1億5700万人から6800万人に激減、正しく壊滅と言ってよいだろう。
今年度も減少が続いている。 そうすると3分の1以下である。 現場からは、「この数年背広を着たお客が
激減をしており、数分の1以下」という話しを聞いていたが、白書で実際の数字を聞いて現場の話しが裏づけられた。
 その代わり関東圏を中心とした建設関係の現場の作業員の小団体や、得体の知れないセールスグループが
多く泊まっているという。 新潟市内は現在のところ再開発やSCの工事が多い。下請けは今や地元より全国レベルで
集めてくる。その団体が泊まってくれるのだ。今や作業現場では泊まらない。当方は勝ち組みで、昨年は2?の減で済んだ。
しかし全国的の実際の数字は、マイナス56?の世界であった。チホウ銀行の態度が全く変わったのは、あくまでも
その一員と見た為であった。その不自然の態度が昨日の情報でやっと解った「なるほど!」日本の経済が壊滅の状態と
いうのも決してオーバーの表現でない。負け組みなら前年比マイナス70~80?減の世界だろう。
 こういう情報はマスコミには載らない。戦略の一つにコスト力が最大の課題になっている。
当社の強さはコスト力である。 こうなった時に強さを発揮できるのが救いである。
今日のテーマ「エー、嘘だろう?」が、これから多く出てくるのではないか?
・・・・・・・・・・
「188]」愛犬、コロー 2001/10/16
 犬ー子供のころのペットは懐かしい。 猫がいて猿がいて、犬のコロがいた。
初代コロである。白と茶と黒の混ざった雑種のムクイヌみたいな犬であった。
一番のおもちゃと同時に友達みたいであった。初めて出会ったころは私の6歳の頃か。
少し頭が悪く、人がいい?ところがあった、当時は放し飼いで、時たま行方不明になったりした。
近くの高砂園というお茶屋の犬がライバルで、喧嘩ばかりしていた。家族にも従業員にもお客にも、
愛されていた。最後は病気で死んだが、ペットといえば一番印象に残っているのがこのコロである。
 次のコロは、長岡駅駅裏に10歳の頃住んでた時、前の家主の飼っていた犬。九州に引っ越した為、
そのまま飼っていた。細い茶色の猟犬のメス犬で、家付きの犬のせいか陰のある犬であった。
猟犬のため鼠をよく獲っていた。この犬はよく子供を産んでいたが、捨てにいった後一晩中啼いていたのを
思い出す。4年後に交通事故で死んだ。よくしたもので、その直後小さな柴犬が紛れ込んできた。
恐らく逃げ出したのだろうが、 愛想ががよくそのまま居つき、10数年後行方不明になった。学生時代、
夏休み等の長期休暇の暇つぶしに、石灯籠に飛び乗る芸当を教え込んだ。その犬を散歩に連れて行ったら、
橋の欄干に自分で飛び乗った。そのまま彼女の芸になった。結婚後は家内がペットが嫌いで飼ってない。