つれづれに

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 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=EHwu-H_KtfU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=qB7pgt590hY&feature=related
 

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 今日の天候は雨が降ったり止んだりして不安定で、暑いのか寒いのか。
こういう時は風邪をひきやすい。

 近じかに、今度はiPad・miniが発売される。
これまでのiPadより一回り小型で、値段が安いというが・・・
私のiPadを購入して一年あまりになるが、使いかっては、ますます
良くなっている。 もっぱら、居間でTVを見ている合間が多い。
家の外で使うことは、ほとんどない。もっとも、スポーツセンターと、
図書館と、昼飯と、SCが行き先の大部分だから、持っていく必要もないが。


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ー今日の随想日記のカット分ー

2007年10月05日(金)
2376, 人は60歳で何をしたか -4    ー読書日記
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著         |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
この本の中で古今東西44人の「60歳時の本や作曲などの作品」を紹介しているが、その中で、
神谷美恵子「こころの旅」が一番印象的だった。 図書館から借りたような記憶があるが、見れど見えず!
だったということか? この本は人間の生から死までを「こころ」というキーワードを使って分析している。 
それは目次からみれば解ることだが、自分を省みる時の案内役になる。さっそく中古本だがアマゾンで、
この本を発注した。(何と値段が1円、発送料が300円=301円で、新本の5分の1である) 
 まずは、彼女の著書の目次をコピーしてみる、
第1章 人生への出発  第2章 人間らしさの獲得  第3章 三つ子の魂   第4章 ホモ・ディスケンス 
第5章 人間性の開花  第6章 人生本番への関所  第7章 はたらきざかり 第8章 人生の秋  
第9章 病について 第10章 旅の終り
 著者の藤原治は、中でも三章 「三つ子の魂」に感激、そしてここを再読、あらためて、
その意味の深さに考えさせられ、さらに 第8章の「人生の秋」が、気になったという。
著者は、そこを抜粋してながら60歳の心象風景をみている。
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≪ 「社会的に無用者となった、という意識は否応なしに老化した自己の全体像をこころの中に
浮きぼりにする。じつは向老期ではふつうまだ真の無用者ではないはずだが、少なくとも覚悟として、
この新しい自己像を受け入れるがこの時期の困難な課題である」「老いて引退した人問の最大の問題の
一つは、こうした『社会的時間』の枠がしだいに外されて行くところにある。
(略)このことをよく覚悟して、向老期のころから、自主的に自分なりのペースで『生きる時間』
の用いかた、配分のしかたを考え、また時間そのものについても洞察をふかめ、『超時間的に』
時間を観ずることができるようになるのが望ましい。そうすれば自分の一生の時間も、悠久たる永遠の
時間から切りとられた、ごく小さな一部分にすぎないことに気づくであろう」
「どんな一生を送ってきた人でも、人生の終りに過去の旅路をみはたすとき、こころというものの変幻自在な
ふしぎさに感嘆しないではいられないはずである。宝積経にはこころの詩ともいうべき長い部分があるが、
この中でこころはじつに多くのものにたとえられている。 幻の像・いなずま・虚空・猿・画家、王、
怨敵、砂ででつくった家、盗賊、などなど。一生のあいだ、私どものこころもこれらの比喩に
該当するような、まざまな姿をとってきたときがあった、と思いあたるとことが多い」神谷の著作に
最初に接したのは、『生きがいについて』だった。 多分、何かの原因で、かなり落ち込んでいた時に
読んだのだと思う。「生きがいを感じている人は他人に対して恨みや妬みを感じにくく、寛容でありやすい。
それはマックス・シェラーが言っているように、自分より幸福な人々に対する密かな憎しみの念が入り込む
余地がないからであろう」というこの本の記述が、僕を励ましてくれた。
この人は、どんな生き方をしてきた人なのだろう。 ハンセン病との献身的かかわりを思い、
キリスト者だな」と推測したが、当たっていた。クエーカー的キリスト信者である。
「育ちもいいはず」と思ったが、これもずばりだった。父親は内務省職員のエリート官僚であり、
後に国際労働機関(ILO)に勤務したり、朝日新聞論説委員にもなった。戦後すぐに成立した内閣では
文部大臣にも抜擢されている。彼女も、そんな父の関係でスイスやアメリカで教育を受けている。
医学への志は、叔父とともにハンセン病患者の施設を訪れた際、患者の病状に強い衝撃を受けたためという。
後に彼女は、この時に自分が身を捧げる生涯の目的がはっきりとした、と語っている。
猛反対だった父を説き伏せコロンビア大学や東京女子医専(現東京女子医大)で医学を学び、
30歳で精神科医になった。結婚したのは32歳だった。 ≫
 ▼ こういう文章を読むと、宗教の偉大な力を感じとることが出来る。 
  それと、自分の小さな世界の歪な姿がリアルに感じとることが出来る。こういう人は、60歳の時の
  心は安定した安らぎで満ちていて当然である。明日あたりに送ってくるはずである。歳を重ねると
  見えなかったモノゴトが、雲の彼方から一つずつ現れてくるようだ。
                                  ヾ(=・ω・=)o☆ばいばい!