つれづれに

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庭の梅ノ木の実が熟れて落ちてきている。
家内が拾って漬けていたのを今朝食べてみた。 何ともホロショッパイ味がする。
明日か、明後日に梅の実の取り入れである。 年中咲いている花が中休みで殆ど見られない。
もうじき、再び彼方此方で咲き始める。 その間に梅の実が熟して丁度良い按配である。 
父親とは母親と、この庭を嬉しそうに造っていた庭師の親方のミニ世界が、そのまま生きているようだ。 
木と石と石灯篭は父親の、花は主に母親の、設計は庭師の親父の共同世界が、そのまま残っている。 
それが分かる歳になった、ということだ。

今朝もTVで「弁当の価格ダウン」を放送していた。  
デフレの現象として、一番端的な事例として分かりやすいからだろう。
こういう現象を、自分で試してみると一番分かりやすいので、昨日から二日間
昼はバナナを事務所で食べてみた。 昨日はバナナ二本にクロワッサン。 
今日はバナナ三本と、インスタントコーヒーで・・・
まずは腹持ちであるが、充分である。 そして、物足りなさがあるかといえば、全くない。
バナナダイエットにもなるし、健康にも良いし、ただ、数十年の惰性だったから、である。
といって、毎日バナナを買って食べることはないが、家内に「7百円のランチを200円にする」といえば、
間違いなく買って持たせるだろう。 ということは、その余地が幾らでもあるのである。
そのことを、一般の消費者は気がついてきたのである。 だから、当分は不景気は続くとみてよい。
最近哲学に請っているので、こういうことをしながら娑婆を読めるようになったのである。 
 
 来週の大学卒の40周年記念のために、ジャケットを買いに行って驚いたことを
昨日書いたが。 とにかく、先にバーゲンをしたほうが有利と、隠れバーゲンをしている。
そして、割引券を出して次ぎの購買を促しているのである。 だからジャスコヨーカ堂
次々と、可能な限り定番の商品を値下げをしているのも、それしかないのである。
 ジャスコの「時代に乗り切れないですいません」宣言は、決して口先ではない。 
時代は恐慌になってしまったのである。 大部分の実質収入は大幅に目減りしてしまったのである。
使うべきは使うが、使う必要のないのは使わない。 それと情化である。
これで全てが変わってしまったのである。 それに堪えられないところは次々と落ちていくしかない。
一物一価というのも、決してオーバーではない時代になったのである。