つれづれに

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今朝の随想日記は曹洞宗「雲頓庵」の思い出について書いたが、写真は当時のものである。
丁度40年前になるが、残るのは写真と、書き残した言葉と、脳の記憶だけである。
40年前よりは少しはマトモになったかというと、そうでない? 
とにかく、真面目で、神経質で、不安で、毎日を精一杯生きていた。
当時の学生は大よそ?そんなものだった。 振り返ってみて学生時代は色いろな経験をしてみた。
欧州旅行に、合気道に、厳しい武澤ゼミ、25人の内面剥き出しの青雲寮、面白かった授業、
都知事選のアルバイト、軽井沢のユースホステルホステラーの手伝い。 何もかも夢のようだった。
まあ、恵まれていたということだ。 それと父親に認められていた?こともある。


朝一番に、厚生年金の書類を提出してきた。 これで4月から厚生年金の受給者になる。
家内の満額の厚生年金の受給は4年半後、次は、その辺を目安になる。
ところで亡くなったが母親の従兄弟が元市長。 家族は県外だから問題ないから書くが、
年金が手取り70万円だという。これに奥さんを加えると??、元市長がみすぼらしいのも
問題だが、それにしても? 

朝起きると雪が40センチ位積もっていた。
れいねんは一月半ばから下旬にかけて一度積もり、その後、どうなるかである。

今週から、ホテルの予約、シビアな数字が出ると覚悟をしていたが、案の定、異常である。 
なるほど世界恐慌に入ったか、その直前というと、こうなるのか。 全ての業種、業界で同じ?
去年の暮れの月次決算の監査時に、税理事務所の担当が、取引先のホボ全てが2~3割マイナス!
と言っていたが。 そこまででないとしても、深刻である。 
大波の第二波の前波が今週から本格的に世界を間違いなく襲う。 嫌なことだが、現実である。
何が全国一律に給付金で景気浮揚など、あの男!よくやるものだ。 
とにかく三年を如何に凌ぐか、これが大部分?の企業の目先の命題である。
やっとバブルから立ち直りつつあった日本が、これである。 新潟駅再開発が本格化していく、
丁度良い立ち位置にいるが、そんなものも根こそぎ流していくのが、この恐慌である。
悲観的に世界を見て、せめて気持ちは軽くしてないと。