つれづれに

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オリンピックも、金の獲得数も予定どうりのようだ。
基本的に前回の金メダリストにエネルギーを集中し、前回の獲得数を目標にはしなかったところがよい。

昨夜は、お寺にお参りをする。例年に比べてお参り客は少ないように思えたが。
500ほどの墓があり、寺としては大きい方だが・・・
40年ほど前に御殿のような自宅や茶室や本堂をつくり、寄付を募って檀家の間では
不評だったと両親から聞いていた。 5年前には娘夫婦と老僧がトラブルを起こし、娘夫婦を勘当。
渡り僧侶(家族)を養子に迎えて、寺を継がした経緯がある。 
 何とも好感の持てる坊様と、正反対の坊様がいる。 医者もそうだが最後は品性だろう。
   貧乏寺の僧侶に、好感が持てるのは如何いうこと?

ところで寺での墓と、そのお参りとは如何いうことか?
単なる石ころに何で手を合わせて参るのだろうか。
定期的にご先祖様を思い出して、その繋ぎとしての現世の自分を確認する行為?
家という存在の見えない心の芯としての仏壇と、寺の墓を結びつけるために盆暮れに参るということ?
私自身は、毎朝5時に起きて、直ぐに仏壇に手を合わせて瞑想をする。
両親と、亡くなった3人の兄姉の顔をイメージで思い浮かべて、あの世で静かにお眠りくださいと、
祈る。 だから、坊様の利益優先のようなシステムには、全く関心がない。
江戸幕府士農工商のシステムを維持するために寺のシステムを最大限利用した。
その見返りとして、多くの利益を無知な大衆から絞り上げた。
それが、今でも残っている檀家制度である。そうこう考えると、レジャーとして割り切り、
つかず離れずがよいのだろう。