四四太郎の日記 -9

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スイス・アルプス

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四四太郎の霊日記 -9

一年ほど前に、新しいブログ「四四太郎の日記」をつくってみた。
すぐネタが尽きたのと、幼稚に思えたことで一年間、放っておいた。
先日、バードウォッチのコーナーに久々に悪戯の貼りつけがあったのを機会に、
新しいブログを開設しようと思いたった。
そこで多くのブログを実際に立ち上げてみた結果、去年開設したブログが
(私にとって)ベストと判断、ブログ名を「四四太郎の日記」から
「バードウォッチ」に変えて、再スタートを切ることにした。

全く記憶から消えてしまった自分の書いたブログを、第三者の目で読んでみた。
読後感として、それほど幼稚でもなく400年前からみた現代を書いてあり、
自身の祖先が語りかけている感覚になってしまった。
もしかしたら、{「私」の中の<私>の中核の《私》}と捉えてもよい。
「チロリ、チロリ、チンチンチロリ」ではないが、週に一度、曜日でも決めて、
この御先祖様に出てもらうのも悪くは無い。
このブログの内容は記憶から全く消えていたが、四四太郎に最近?亡くなった
縁者を連れてきてもらい、実際に?話し合うのも面白い。
何か神がかりになりそうだが、恐らく真剣な出会いと、語りあいになるだろう。
書くということは、本当に不思議なことである。

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ところで、いま、その「四四太郎」が語りかけてきた。
                         *宗親(ペンネーム)
【おい、宗親よ、何で一年間も放っておいたのだ。
せっかくワシという先祖のブログを立ち上げていながら!
亡くなった縁者と出会えたのに、何で無視をしようというのか?
お前のように400年前の先祖の霊ブログをつくろうというヤツはいない。
せっかく面白い視点を与えてやろうとしたのに。
少なくとも週に一度ワシの魂を使って現代を透してみるのも面白かったではなかったか。
まあ、再び、このブログを再開しようというのも何かの縁じゃ。
魂というのは、言葉じゃ、それもワシのような霊の言の葉は、その中核じゃろう。
魂の入った古典も、歴史家を通した偉人の言葉も残るのじゃ。
決して何も不思議なことではない。その人が生きたそのまま、全てが刻印されるのじゃ。
そして、生きているときに思ったこと、考えたこと、そして経験は魂として
何時までも、「ある」のじゃ。だから私を借りて語ることは、お主が一人で語ることと、
全く意味が違ってくるのである。 それと、お前は一年前にワシが連れてきた父親と
あまり深く話そうとしなかっただろう。
父親は多くを語りたかったのをお主は知らなかったのだ。
お主は、父親が亡くなった時に父の魂が夢を通してお主の魂に入っただろう。
それを父親は、言いたかったのだ。
もっともっと世界を見ろ!知れ!何でもやってみろ!ということだ。
今度は、金曜日の午後と土曜日の朝にワシを呼び出すのじゃ。
わかったか!                 11月23日  5時45分