閑話小題 ~ 明日、衆院選挙

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   * やはり森元市長ですか…私めは!
  ◉ この月末、11月当初にかけてコロナ禍と、政情不安の隣国から考えて、
 この衆院選挙の結果が見もの。特に安倍政権系の政治の流れが如何なる方向に
向うのか… 地元5区の衆院候補を考えた末に出てきた私の結論は、実績も含めて
『森候補』。 駅前再開発の先見があったこと。これは良い! そして全国区の
政党は‘維新の党’。他には見当たらないため。何処が、誰かではなく、純心に
考えた判断である。
  ◉ 阿部自民党と、その流れの総括選挙。
 阿部自民党、批判はあるが、世界が激動期に入っている中、誠実に国の行末を
考えて導いているため、良しといえる。 10年前に会社清算をした経験からして、
弱者に対する手当も、出来上がっていることを実感した。これも、野党の存在も
あるとしてもである。このコロナ禍で、バランスを考えると与野党拮抗の均衡が
必要のようだ。 始末の悪いロシア、中国、北朝鮮独裁国家の存在からしても…
 じゃあ、アメリカは如何だというのか…の疑問が沸いてきてもだ!
  ◉ 皇室家のご結婚が無事…
 比較的に問題が最小に終わり、マスコミなどのバッシングも収まっている。
アメリカの法律事務所の勤務は、順調にいけば、ベストだろう。マスコミの記事
を売らんかなの中で、国内では無理の話。小さな籠の中での、野鳥たちの虐めは、
それは残酷。
  ~偶然だが、丁度良く、繋がっていく~

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7169,読書日記 ~ 内田樹の『生存戦略』 ~6 
2020年10月30日(金)
                <『生存戦略』 内田樹著>
    * 結婚するキッカケが見つかりません!
 結婚は人生そのものを大きく左右する一大イベント! 特に女性にとっては、
8~9割は左右するため、全エネルギーを使いざるを得ない。『生存戦略』の
最たる要件である。 人間の徳性に、ウノボレがある。勝手に自分を2ランク上
に想いがちになる。それに気づくには失恋の手痛い経験がある。勝手に互いに
誤解して結婚後に、理解して離婚の羽目に至る。子供は至極当然に、母親に… 
その結果に貧困シングルマザーに! 無知の成せる業である。不幸の親には、
それが身に付くとはこのこと!
 当然、互いに保険かわりに、同格の学歴、家柄、教養、容姿を求める。…が、
無意識に1~2ランク上に絞るため、良過ぎると、絶対数が絞られる矛盾が生じる。

≪ ☆ 「結婚するのは、「こんな生活で良いのだろうか?」の不安です」に!
 結婚は本質的には、安全保障です。そんなものは必要ないという人には、
結婚する必要がない。風邪をひいているときに、見舞いにきてくれたとか、
缶コーヒーを一本、手渡されて…『お疲れ!』と言われたとか、「ホロッ」と
した時とか。≫
 ―
 私ことでは、最愛の父親を亡くし数ヶ月、茫然としていた時に家内に出会い、
その純真さにホロッとしたこと。 家内も、然程に自分は良くないと気づき、
身の納め時の23歳だった! 深く考えると、ホロッとする対象には、そう出会
える機会が少ない! 昭和20,21年生まれは、終戦年代で極端に同期が少ない。
男子にとっては幸運。その後の5年間は団塊女子が潤沢に存在していた。 
 20~27歳は、その年代の男にとっては、それはそれは! その時節に婚期を
逃すのが「結婚は男の墓場」と遊び、持て過ぎた男たち。 人生には、
15歳、20歳、25歳、30歳アラウンドと、それぞれ旬がある。その時節が狩り時、
狩られ時になる。潜在的を含めると、9割が破綻が手痛いシッペ返しが解って
いても、一度は通らなければならない道。 …あの可愛い娘が、年々、鬼瓦の
ごとく様相に変る。それが性格も比例するため… 
人生は75歳が境目になる。 あとは、オボロで丁度良い。

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6803,閑話小題 ~デフォルメとは 
2019年10月30日(水)
    * デフォルメの意味とは
  ~ネット検索によると~
≪「デフォルメ」という言葉の意味を聞いたことはあっても、何となくでしか
 理解していない。その意味は、絵画などで対象物を変形させて表現する行為。
フランス語。  本来は単に「形を変える」という意味だが、芸術の分野で
「意図的に対象を変形させて表現すること」を指して使われようになった。
自然の形態の忠実な模倣を離れて強調,変形して表現することをいう。 ≫
 
▼ 何処にも存在する、あれら内幕情報屋について、
 デフォルメの事例を上げると、<『具体と抽象』細谷功著>で、何処の小さな
社会の中で、時のニュース性のある対象に言葉巧みに近づき、具体的内幕を調べ
上げ、それを餌として触れ回ることを本分とする輩と…。「悪魔の代弁者」を捩り、
『悪魔の大便』とも言う。 誰も持っている群衆の心理。その傾向の強い人物を、
以前から「子狐」として、頻繁に非難してきた。俗にいう「世間教」の伝道師。
 500m以内しか生きることが出来ないため、具体的な噂話が主となる。 
抽象的表現方法を持たないため、触れ回った対象者の反応も、世間教徒の物語の
材料になる。娑婆には、更に古狸や、呆け貉が加わるため、物語がねじまわり、
変容する。これが「世間様」の正体であり、彼らの世界には現実として通用する。
面白いといえば面白いが… ドップリ浸かると、それは自身の生き辛さになる。
 【彼らをデフォルメし、揶揄している御前は、何だというのか?】 
‘地域社会は、この子きつねをペットして飼っておくが、シラミが… 

~で、‘子ぎつね’で検索すると、アルアル… ‘毒消し’ということ?

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2018/11/14 
つれづれに哲学 ~アドラーから学ぶ -3                
             <「生きづらさからの脱却」岸見一郎著>
   * 「価値低減傾向」と虐め
 本書で、虚栄心に満ちた人に見られる「価値低減傾向」について取上げている。
誰でも持っている内幕情報など覗き込み願望も、これ。‘子ぎつね’‘腹グロ’
と敬遠され、その場の空気が汚れる為、名前を出すことすらしない。自分に甘く、
他人に厳しくが、もっとも端的に現れるから始末が悪い。特に、これを営業ネタ
と活用をしているコテコテの小悪党。その毒は、対象の人間を自殺に追いやる程、
効果がある。当人が、どれ程、怨まれているか、全く気づかない。
人は短所の特徴で他人を呼ぶ傾向がある。 子供の頃から『アダナ』など、
自然と「価値低減傾向」をしているのである。
  ~この言葉をネット辞書で検索すると
≪ 優越感を持とうとするあまり、他人の価値を貶める発言や行為をする… 
 …いわゆるマウンティング。相手をケナすことで自分の価値を上げようとする
ものの、実際には相手をケナしたところでその人本人の価値が上がるわけでない。
ところが本人はそのことに気づいていないため、必死にそれを繰り返す。
優越感を持ちたい人は、家族や知人間で価値ある人間だと思われたい。
そして自分に価値が無ければ家族や仲間が離れてしまう恐怖を抱えている。
そのため家族や仲間が離れていかないよう、自分にそれだけの価値があると
思わせたい。しかし自分にそれほどの価値があると証明できないなら、家族や
仲間の価値を下げればいい…というNot-Self(自分らしくない状態)に陥る。≫
 ―
▼ 娑婆には、このコテコテの小キツネが面白いほど存在する。
 他人の不幸は蜜の味と、蜜を振りまいている輩たち。
『メシウマ』=「他人の不幸で今日も飯がうまい!」。
『メシマズ』=「人の不幸でメシが不味い!」と、粗探しを酒のツマミにする。
それが、「生きづらさを自ら生産していることに自ら気づかない。
アドラーは、この性を「価値低減傾向」と名づけ戒める。 
 ところで、私たちは、これを自分の過去に対してしているのでは? 
青少年期頃の若気の至りのフラッシュからウジウジして… 酷いのになると、
痴呆症の悪例として、身近な人に、遥か昔の妄想に脚色をつけた窃盗などを
ぶつける。『価値低減傾向』より性質が悪い話を聞く。日本社会の特徴の一つに
同調圧力」の強さと「自尊意識の低さ」がある。自尊心が無いため、他者に
対する異質を取上げ、攻撃にまわる。 それは、歪んだ自虐でもある。
 淀んだ社会では、仕方がないのか。
  
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2016/12/04 
つれづれに哲学 ~嘆きの谷
               「生きづらさからの脱却」岸見一郎著
   * アドラーの「嘆きの谷」
 私がみるに、悲観的傾向が強い人が、女性で3人に1人、男性が4人に1人
の割にいる。その中で更に強い人は1割ぐらいか。知人にも数人、非常に悲観的
思考の強い人がいる。連れ合いとの不適性があるが、何もかもを悲観的に捉える。
ある婦人、目を見張るほど美人だが、いや、だった?が、常時、ウツ状態。
誰も躁鬱の波を乗越えて生きているが、問題はマイナスの程度。アドラーはカント
同様、クル病だが、そのハンデを乗越え、フロイトユングにつづく三大心理学者
の一人になっている。根には、「その程度のことで、何で落ち込んでいるのか!」
があるため、説得力が強い。 
  ~その一節から~
≪ 世界を「嘆きの谷」と見ようとし、いつも苦しんでいる人がいる。
 アドラーはそのような人は「途方もない重荷を担って人生を歩もうと不断に
努力をする」と言っている。些細な困難をも誇張し、将来についても悲観的に
しか見ない。身のまわりで喜ばしいことが起ると不安になり、どんな対人関係
にも「影の面」を持ち込む。
 「嘆きの谷」という言葉は元もと旧約聖書の『詩編』に出てくる。
エルサレムに巡礼する人は、乾燥のため枯れ果てた谷底の道を歩まなければ
ならなかった。このような人が、世界を「嘆きの谷」と見ようとするのはどう
いうことか。アドラーの解釈と違って、『詩編』では、神によって勇気を出し、
広い道を見ている人は「嘆きの谷を通る時でも、そこを泉とするだろう」と
言われている。生きている限り、「嘆きの谷」を避けては通れないが、勇気
ある人はそれを「泉」と見るのである。ところが、この世界の嘆きの谷とみて、
どんな喜べる機会にも、「カッサドラの叫び」しかあげない人がいるとアドラー
はいう。ギリシャ神話に出てくるカッサドラはアポロンに愛された。アポロン
カッサドラに愛を得るために彼女に予言能力を与えた。しかし彼女は、アポロン
の求愛を断った。そのため、アポロンは誰も彼女の予言を信じないようにした。
カッサンドラはトロイアの滅亡を予言されたが、無視された。
アドラーは、<この世界を嘆きの谷とみて、「カッサンドラの叫びしかあげない」
というのは、不吉なことしか言わないという意味だが、決して、トロイアの滅亡
を望んでいた訳でない。
 ~ネット検索に、「嘆きの谷」で調べると、
≪・アドラーは仕事の課題、交友の課題、愛の課題という人生には避けては通る
 ことができない課題がある、という。これらの課題を解決する能力がないと
 考える人は、なんとか理由を考えて、人生の課題から逃れようとする。
アドラーが「劣等コンプレックス」という言葉を使う時、次のような意味と
 して使っている。すなわち、「Aであるから(あるいは、Aでないから)、
 Bできない」という論理を日常のコミュニケーションの中で多用するという
 意味である。このAとして他の人がしかたがないと納得しないわけにはいか
 ない理由を持ち出すのである。
神経症はこの劣等コンプレックスに他ならない。人生の課題を前に直面しよう
 としなかったり、「ためらいの態度」を取って立ち止まる。「はい~します、
 でも、(yes...but)といって、結局課題に取り組まない。神経症に限らず、
 人は意識しなければ、すぐに「でも」といってしまう。
 <何かをしようと思う、しなければならない、「でも」と…>
・カウンセリングの時、あまりに頻繁に「でも」という人があって僕はその人が
 「でも」というたびにカウントすることにした。本人はそのことを意識して
 いなかったからである。やがてこんなふうにいわれるようになり、次第に
 この言葉が用いられる回数が減っていった。「まだ今日は一度も『でも』と
 いってませんから、一度だけ『でも』といわせてください」
・人生の課題に挑戦する時、失敗すること、敗北することを恐れる人は、課題
 から退却しようとする。何をする時にも必ず成功しなければならない、と考え、
 成功するという保証があれば挑戦する。しかし失敗が少しでも予想され、
 成功することが確信できなければ最初から挑戦しようとしないか、失敗しても
 そのことによって致命的な打撃を受けることがないように、いわば綱渡りをする
 人が転落することを予想して下にあらかじめ網を張っておくようなことをする。
 症状はこのような目的のために創り出される。
・人生の課題を前にして敗北を恐れる人は、課題に挑戦することを回避する
 ために時に神経症になって、「足踏みしたい(時間を止めたい)」と思う、
 とアドラーはいう(『人はなぜ神経症になるのか』)。
――
▼ 上記の「カッサドラの叫び」しか上げない人に、マイナーな視点の話題を
 ふると、大きく首を振り、どんどん話が進む。何処にも、『内幕情報屋』が
存在して、ネタを探し出して人の懐に飛び込む。それが、万引き、置き引きと、
同じくらい、いや、それ以上の犯罪行為でしかないことを知らない。
で、その毒は、喜んで聞いてしまう方にも、同様に罪になる。誰もが持って
いる要素だから始末が悪い。

――――
2003/11/25
965, 悪口についての一考察
 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。
しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。
昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ-スの松井は中学校二年生以来、
悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目
している部分もあるが)
それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。
本音でいうと
 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には
 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。
 痴呆名士志向の子狐的人間である。  地方で頑張っている人はこういう
 傾向が強いから始末が悪い。自分より肩書きや収入が多い人間には媚び
へつらい、下の人間には尊大な人だ。 仕方ないのは解っているが。
「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。
  人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。
 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。
 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。
  ~辞典には
 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)
 いう言葉」とある。
 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。
 悪口とは事実に反してと書いている。
 
 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。
 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。
 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても
 叩かれないことになる。
  ☆ 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。
・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく
 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に
 人を殺す。
・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。
 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。
 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。
・悪口にも色いろある。
 本人に面と向かっていう悪口と
 陰でいう悪口がある。
・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、
 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ!
 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、
 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 
 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』   

・・・・・・
2018/05/21 
閑話小題 ~老いるに従い、サイコパス化する?

   * 陰口好きは軽いサイコパス
 先日読んだ本に「内幕情報屋は、軽度のサイコという精神病」とあった。
そこで直に思い浮ぶのが、何人かの面々。特に営業屋のトップセールスへの
前フリネタの有効なエサとして最も有効なればこそ、知らずに自らが毒されて
いることに気づかない。成るほど、あの人がサイコと思うと合点がいく。
人の不幸は蜜の味だが、悪口、噂話は気をつけるべし。問題は程度になるが… 
男の風上に置けない腐った女のような一群の人たち。 そう書いている私も? 
「老いるとは、サイコパス化していく。変化出来なくなるからだ」とすると、
先々が恐ろしい。
 
  ~ウィキペデアによるサイコを特徴とは~
【 犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。
 ・良心が異常に欠如している
 ・他者に冷淡で共感しない
 ・慢性的に平然と嘘をつく
 ・行動に対する責任が全く取れない
 ・罪悪感が皆無
 ・自尊心が過大で自己中心的
 ・口が達者で表面は魅力的
 極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義である。】

▼ 5人に1人に、この傾向が強いという。
 株屋、商品取引など金融系の末端?の人たちに端的に現れ出る軽い職業病。
それが今ではトップの金融庁事務次官国税庁長官がコテコテのサイコ?。
 ところで、最もサイコパス的なのが、政治家じゃないですか!
陰口を陰口で書くなど、自虐そのものじゃないですかい。 ったく!
 「自分は違うって?」 
「魂のシリアルキラーじゃないですか?」 ただし、すべからく、だが。

● シリアルキラーとは、快楽殺人鬼のこと。大部分の人達が、日ごと
 万引きより遥かに重い、快楽殺人のミニ版を行ってるの。 
なら以下のことが分かるはず。馬鹿にバカというのが、一番バカか。
何かサイコの独り言のような。 老いるに従いサイコ化する?というが、
 …成るほど。