シネマ観賞 ~『鳩の撃退法』


  
   * なかなか味わい深い内容 …『鳩の撃退法』
 他の映画と、これを迷った上に、こちらを選択してみたが、これが正解。
息をつく暇もないほど惹きつけさせる何かが貫いていた。最近はYouTube
中心にみているので、どうしても一発モノになる。映画とは、そもそも、様々
な構造が重ねてあるのを一とずつ、解き解いていくもの。 これだけ丁寧に、
一枚一枚、剥いでいく展開も有りである。何やら、人生の最終コーナーでか、
生き急いでいる我姿を意識せざるをえないのが実感。このパンデミックは、
多くの要素が加味されて、人生に何を求め、何を信じて良いものかと我われの
目先に展開させてくれている。

  ~まずは…ネットHP解説より~
≪ 直木賞作家・佐藤正午の同名ベストセラーを藤原竜也主演で映画化。
 都内のバー。かつて直木賞を受賞した天才小説家・津田伸一は、担当編集者の
鳥飼なほみに執筆中の新作小説を読ませていた。その内容に心を踊らせる鳥飼
だったが、津田の話を聞けば聞くほど小説の中だけの話とは思えない。
 この小説が本当にフィクションなのか検証を始めた鳥飼は、やがて驚きの
真実にたどり着く。
 謎めいた小説家・津田を藤原、津田に翻弄される担当編集者・鳥飼を土屋太鳳、
津田とコーヒーショップで出会った日に失踪したバーのマスター、幸地秀吉を
風間俊介、津田の行きつけのコーヒーショップ店員・沼本を西野七瀬、彼らが
暮らす街の裏社会を仕切る倉田健次郎を豊川悦司が演じる。
監督は「ホテル ビーナス」のタカハタ秀太
 ――
●クズな“だけ”じゃない! “巻き込み型”の藤原竜也
 「カイジ」シリーズにより“日本一クズな役が似合う俳優”という地位も手に
入れた藤原竜也。本作でも冒頭からチンピラにボコられ、金欠で困窮し……と、
期待にたがわぬ堕落っぷりを見せてくれるが、そこにとどまらないのが本作の
藤原竜也の魅力である。
謎の偽札事件に巻き込まれたクズ男に見えて、実は事件のコントローラーを
握っているのは彼自身! 緻密な計画で周囲を自らの“ゲーム“に巻き込んでいく
という「デスノート」の夜神月役や、「22年目の告白 私が殺人犯です」の殺人犯・
曾根崎にも通じるトリッキーな天才タイプの役柄であり、いわば“これまでの
藤原竜也のハマり役をいいとこ取り”した「そうそう!こんな姿が見たかった!」
といえる唯一無二の魅力的な役となっている… ≫
 ―
▼ 実際は、さほど哲学的な内容でもないが、それぞれの個性が見事に浮き
 出てる。 自らも含めた人間の一生とは、この程度のモノでしかない!
ということ。

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7106,閑話小題 ~7月末が、ピークだった?
2020年08月28日(金)
    * なに~、呆けたか朝日新聞
 数日前の朝日新聞・一面に、『国内のコロナが7月末がピーク』とあった。
【 ―8月21日-政府の分科会は21日、
 おもに7月以降の新型コロナウイルスの感染拡大について「全国的に見れば、
ピークに達したものと考えられる」との見解を示した。新規感染者の発症日は
7月27~29日ごろをピークに緩やかに下降…】
 もし、そうなら、この騒ぎは何だった?と、思いつつ読返すと…
「第二波が…」の話。これでは、誰もが誤解する見出し! 
そんな甘いものではないのに… 大部分の人は事実や、真実を自分が望んだ
情報に書きかえる強固なバイアスを持っている。この秋口には、間違いなく
大きな第三波が到達するのが間違いないのに… この記事の見出しはない!
国からの援助を貰えるまで貰って廃業時期を探る日々だろう。厳しいのは、
これが地球規模にわたっていて、長期にわたること。理想的な特効薬が仮に
出来たとして、普及するには数年は必要になる。この7~8ヶ月で、世界中で
惨劇が続いてきたが、それが、まだ序盤!経済困窮や、戦争問題で、権力者は
実権を得て方向を見間違えていく。 白人対有色人種の対立軸を持ちだし…
 朝日新聞の見出しには、明るいニュースで、少しは希望を持たせようとする
上から目線が見え隠れする。
  ―
 こうなると、リタイアをした身には、現在の日常が、そのまま、現役世代に
一般化したに過ぎない。今さら、海外旅行も行けないし、免許証の返済を
云々しているので、新しい車も欲しいとも思わない。美人を見ても、トキメキ
もなし! 晩酌に黒ビールを飲んで、美味いツマミがあれば充分! 
一万年前の「農業革命」で、人間は群れと、知恵を使って、地球を身勝手に使い
放題。そして本格的にオゾン層を破壊してきた咎が、ここで一挙に出てきた!
 こうなって、初めて、これまでの生活の好い加減さに気づくことになる。
3密が持て囃されていたのが、何とことはない、その行きついた先が、これ!
  ―
 世界中の人たちがマスク着用を始めて、マスクが服装の一部過化すると、
口と鼻が性器に思えてきた。マスクはパンツの役割… 下を隠せば、上も当然… 
ここを隠すと、見えてくるのは目と、全身のバランスのみ。帽子を被ると、
化粧の必要もない。イスラム教徒と、身を覆う服装。マスクはイスラム教徒の
顔版になる。このパンデミックは、当然、世界恐慌をもたらす。
 ~で、例のごとく、一年前の文章に丁度良く、つながる!

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6739,閑話小題 ~何ごとも因果応報!
2019年08月28日(水)
   * 自分にとって、一番いいようになるから大丈夫
 ある本にあった一節「自分にとって、一番いいようになるから大丈夫」。
この視点で、人生を振返ると、幾つか思いあたることが… 逆もあったか!
「自分にとって、一番悪いようになることもあるから、それを前提に考え
準備しろ。そう考えると、何ごとも上手くいく」ということ。
‘ものは考えよう…’ 最悪に思える事態に、最善が隠れていることが多い
ため、そう確信をしていれば、泥が落ちて最善が現われ出てくる… 
 …確かに幸せな状況の磁力は強力である。そのために最善を思い浮べれば
良いが、思わなくても磁力が、引寄せてくる幸運な人がいる。
 生命誕生から40億年。進化論でみれば、最善が続いた結果、この世界が
あって、現在の自分が存在しているため、「一番いいようになる」のは
至極当然。だが、真逆も。それは紙一重で左右することが多い。
 だから、人生は摩訶不思議で絶妙な味がする。
情報化の進化は、膨大な上質な知識・情報をシャワーのように吹きかける。
目を凝らしていれば、様ざまな材料を見出すことが出来る。
要は、何を目指すか、つくり上げるか? 平均80年の限定旅行の中で!
思い込みを、とにかく、横において、まず、一番、いいことを探そうよ。
そうしている(因)と、更に、いいことが、向う側(縁)で、やってきて、
因縁が出来る。 「善因、善果」の逆の「悪因、悪果」。その見極めが
第一歩。 そのための第一歩は、「何をするか」より、「何をしないか」。
「何処に行くかより、何処に行かないか」、「誰を触媒にするかより、
誰を近づけないか」にある。 …そうこうしてたら、誰も居なくなり、
孤独死?ですか。 

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい 」。 夏目漱石の「草枕」冒頭の言葉。
「智から目を背け、情に流され、意地など考えず、世間の常識を疑いようも
なく、無事、人生を流離い、生きるしかないのか? 他者の中に合せ鏡と
して自分の姿を見えるなら、まだよいが、それすら考えられない人が、
「世間様」。これが日本では神様として崇めたてられるため、烏合の衆に。
別名「ゾンビ」。魂も肉体も干からび、集団で群れるしか能がなった人たち。
都会に、田舎に、そういう孤立し、干からびれた一群が存在する。それを
掬い取って信者にしてきたのが新興宗教。 その御経が、たった一言、
『教祖を信じさえすれば、一番いいようになるから大丈夫』の洗脳。
個々が孤立し、隔離されるため、洗脳は簡単。 あとは奴隷のごとく。

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6376,閑話小題 ~人間たる由縁は「想像するちから」 ~1
2018年08月28日(火)
        <チンパンジーと人間との違いは想像するちから
                |松沢哲郎 ・動物心理学者、霊長類学者>
   * 想像力は感激、感動から
 今さらだが、人間たる由縁は「想像するちから』である。霊長類学者が
語る論は説得力がある。想像の力は、異質との出会いと邂逅から生まれ出る。
それが発達、発展して人間は万物の霊長と言われるようになった。 人間は
一万時間を一つに集中すると、専門能力が形成されるという。そこで、毎日、
一テーマを自らに課して17年。二万時間をブログに投入し、蓄積をしてきた。
「馬鹿の考え休むに似たり!」の休息にいなっていた? 何かを得たか?の
問題ではない。休まるのである。 得た一つが、集中の継続から得た想像力。
夜半の半睡眠かgら起床し、書きかけのテーマの内容を考える。
ふと【検索】で、「チンパンジーと人間」を入力すると、面白いのがあった。

≪ もっと簡単な方法は外国に行くこと。外国に行き、外から日本を見れば、
どういう国かすぐわかる。これと同じように「人間とはなにか?」という問いを
立てられたとき、人間に近いチンパンジーという「アウトグループ(よそもの)」
を知れば、人間がより深く理解できます。
 地球に住む数千万種類の生命のなかで、いちばん人間に近いのがチンパンジー
であるというのが、21世紀の人類が到達した理解です。ヒトゲノムが2003年に、
チンパンジーゲノムも2005年に解読されました。これによって両者のゲノム
塩基配列が98.8%同じだとわかった。新しい人間観が生まれるなかで、いちばん
重要なアウトグループがチンパンジーなんですね。
 人間とあまり変わらないチンパンジーと、私たちはどこが違うのか。
人間の特徴は「想像する」ということです。チンパンジーは未来を想像しない
から絶望はしませんが、人間は容易に絶望する。でも、絶望するのと同じ能力の
「未来を想像するちから」があるから、人間は希望をもてる。私たちは必ず
死にます。だけど、自暴自棄にはならない。「毎日をよりよく生きよう」と
思うのが人間で、そう思い、希望をもつように進化してきたのです。≫

▼ 過って霊長類学者にして京都大学総長だった山極 壽一(1952年~)が同じ
 ようなことをいっていた…。 松沢氏は、人間が有している「想像力」に注目。
ところで米国合理主義に、プラス思考を発展しイメージを豊かにすることで、
自己育成をするプログラムがある。 またヨガを最初に持込んだ中村天風も。
その理念『積極一貫』の中から「想像力」を育成する効果を説いている。
『想像する能力』は、感動、感激する心から生まれ出る。大自然でもよい、
世界的芸術作品との邂逅でもよし。感激、感動は、その瞬間、対象と同化する。

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4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人
2012年08月28日(火)
 * 認知科学者は間違っていた? 
       「木を見る西洋人 森を見る東洋人」ニスベッド著
 最近になり「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解して
くれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解
しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 
「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っても、
思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観
が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。
「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。
論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに
変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、認知科学
大前提を覆ることになる。」と、いう。
緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 
 ー以下の部分は、その部分ー
≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、
 人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提で成り立っている。
西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。なぜなら、
分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいか
がわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用する
ことが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなか
で捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を
理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。
形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる
人間は未熟だとみなされることもある。私は心理学者として、これらの主張が
革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は
間違っていたことになる。つまり「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」。
人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、実は
思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。
 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的
  メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。
 第二に、それぞれの人々に特徴的思考のプロセスには大きな違いがあること。
 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したもの
  であること。言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を
  認知するということである。 
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる
人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。
アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。
こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向を
もっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が
関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義
でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物
を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫
▼「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている
 ことに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向が
あるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して観察する傾向を
もっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名
になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。
また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然。
それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的に
ひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。
争いは永遠に続くことになる。

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5279,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー②
2015年08月28日(金)
         <その時、言葉は私の「神」となるー中村うさぎ著>
       ~心肺停止になって考えたこと!(新潮45/6月号)
   * ナルシシズムと自己愛と、自尊心
 下の文章の初めの10行は、この数年の私の状況と気持ちそのもの。
状況からみて、人間の弱さを知っているためもあって、うつ病に陥らないため、
毎日の生活習慣を良好に保たなければ、自己愛も、自尊心も地に落ち、粉々に
なってしまう。全身全霊で日々を過ごさないと、あのゾンビのような魂の抜け
殻になってしまう事態は、むしろ、ベストである。 なるほど、
女無頼漢作家の言葉だからこそ、説得力がある。~その辺りから~
≪ 読者諸氏は私の文章を読んで「最近の中村は躍起になって自己肯定しようと
しているな」と思っていることだろう。そのとおりである。私は今、崩壊した
ブライドを必死になって立て直し、なんとか生き続けている。
何しろ「おまえなんかいらない。おまえになんか価値はない」と言い渡されて
しまったのだから、私の自己評価は地に堕ち、生きる意味も理由も見失ったのだ。
 それでも今後行き続けるためには、なんとか自分の人生の価値を再確認し、
生きる理由を見つけ出さなくてはならない。「私は生きてていいのだ」と自分
を納得させなくてはならない、そうでなければ私は死の誘惑に負けてしまう。
人はナルシシズムゆえに己を見失うものであるが、自己愛や自尊心といったもの
を失っては生きていけない。この「ナルシシズム」「自己愛」「自尊心」の違い
については私なりの定義がある。
・まず「ナルシシズム」の語源は、ご存じのように、ギリシャ神話の美少年
ナルキッソスで、彼は水に映った自分の美しさに恋い焦がれて死んでしまう。
そう、これは「愛」ではなく「恋」なのだ。我と我が身に陶然と惚れ込んで、
正しく自分を見られなくなってしまう。我々が恋人に自分の幻想を投影し、
相手の本当の姿を正しく見られなくなるのとまったく同じ構造である。
 ゆえに「ナルシシズム」とは「自分に恋すること」だ、と私は定義ずる。
・では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことなら、
「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と
「愛」、の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いになる。
「恋」が己の幻想に目を眩まされて盲目となる状態であるのに対して、「愛」
はより客観的な視点を持つ。相手の欠点も、きちんと見えていて、そこも含めて
愛するのだ。それは寛大さや公正さを含んでいる。したがって、「愛」は「恋」
よりも利己的ではなく独占支配的でもない。この「恋」と「愛」は非常に混同
されやすい感情である。たとえば「母性愛」の言葉で表現されている感情は、
私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや
「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長
線上に位置するものだと感じる。このように紛らわしく似て非なる存在である
ナルシシズム」と「自己愛」をきっちりと分けて考えると、おのずと我々に
とって必要なものは何であるかが明確になってこよう。
 我々はナルシシズムから極力脱却しようと試みる一方で、正当な自己愛を
失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも
醜さも受け容れて愛すること…それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。
己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪
したりするのは、すぺて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。
 自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、
自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。
理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。
このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価埴を貶める行為であり、
いつまでたっても正当な自己評価には至らな仏のである。
・次は自尊心について考えてみたい。自尊心とほ、これまた文字どおり、
目分を尊重する気持ち」である。誰かに不当に賠められたりした時に傷つく
のは、この「自尊心」だ。「不当に」と言った、のは、それが正当な批判で
あれば、自尊心は傷つかないからである。自尊心はナルシシズムではなく、
公正なる自己愛によって裏付けられる。他人「批判されてカーッとなるのは
ナルシシズムだ。自己愛は、それが正当な批判でなければ謙虚に受け容れ、
的外れだと感じれば冷静に反論する。ただ、批判ですら根も葉もない誹謗中傷
に関して、それがたいてい陰口という形をとるために反論する機会すら与え
られず、自尊心が深く傷つく羽目になる。私はずっとナルシシズムによって
盲目⊂なることを恐れ、その一方で正当な愛を培おうと努力してきた。
それが成切したとはいわないが、少くともその切口の区別は常に意識していた
し、拙いながらも己の弱さや醜さと対時し、受け容れようと心がけてきた。≫
▼ 「ナルシシズム」が、異常に強い女性を身近で見かけるが、それが、
その人を。そして傍の人を、傷をつけていることに気づかない。
ナルシシズム」は、「自己愛」「自尊心」と似ているため、混合してしまう。
その危険性に、無頓着過ぎることが、大きな悲劇を呼びよせることになる。
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6009,閑話小題 ~駐車場事故は3割!
2017年08月28日(月)
   * 大手大橋をヒキチャリをして…
・先日、スポーツジムに、ヨガ予約・チップを取りに行った帰りの駐車場内で、
80歳半ばの老女が自転車に乗ったまま、突然、飛び出してきた。「危ない!」と、
思わず叫びながら急ブレーキを踏み、1m手前で辛うじて停止、事なきを得た。
その横道は一時停車の文字が書いてあるが、痴呆症が入った風で… 今まで、
無かった経験。雨だったら間違いなく事故っていた。
「交通事故の3割は駐車場事故」と聞いていたため、特に注意をしていた。
老女をひけば、ほぼ運転手側の責任になる。しかし、これでは避けようがない。
自動車運転の経験もなく、痴呆症が入った老女の自転車運転は、恐ろしい限り。
・半年ぐらい前に、同じSC内のスーパーで買物をした後、駐車スペースから
バックで出ようとした際に、80歳半ば過ぎの老人が運転席の前を横切った。
「ならば相方がいるはず」とバックを一瞬控えて、後ろを見ると、その連れ
合いらしき老婆が飛び出してきた。その直後、「もう、運転を止めよう。
前期高齢者が、後期高齢者を轢いてしまうケースになるところ!」」と、
真剣に考えてしまった。
――
   * 世の中、喜びや悲しみで満ち溢れている
 雨のため、早朝のポタリングを休んでいたが。昨日は大丈夫だった。
早朝の自転車散歩は、心身にとって、非常に良い。昨日の朝、大手大橋を
ヒキ・チャリをしながら、「この辺りから… 不明だった少年が飛び降りた
のでは?」と思うと…。 人生の深淵を垣間見る思いであった。
 来春は高校に入学、その3年後に大学で上京し、色いろな人と出会い、
酒を飲んで、人生を語り、殴り合い、旅行に出て、恋愛をし、失恋をし、
就職をし、結婚をして家庭をつくり、挫折を重ね、泣いて笑って、数限り
なく感動し… などの全て失ったのである。 もし自分の子供だったら、
両親の気持ちは如何ばかりか。人は、ただ生きているだけでも充分だが、
それは、生抜いてきた人の言葉。