閑話小題 ~スペイン風邪のオサライ! ー②

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   * コロナ禍とスペイン風邪
 このコロナ禍は、100年前のスペイン風邪と酷似していて、これまで多くが
語られている。改めて、ここでテーマにして見ると…
デルタ株の置換えが無ければピークアウトに至っていたが、+二年=合計5年と
考えるのが妥当! …とすると、あと3年は、このコロナ禍が続くことになる。
で、あの、4人組が考える事といえば… 「せ・ん・そ・う」になる。
 ―
≪ ◉ 時は流れて現代、コロナコロナと騒がれて一年以上が経ちました。
 現在わかっていることとして、コロナウィルスが原因であるということ。
半年たっても未だ感染者がいるということ。そして世界での感染者が3550万人、
死亡者が104万人。日本では感染者が8.6万人で死亡者が1600人であるということ。
死亡率で言えば世界が3%で、日本が1.9%であること。世界、日本ともに感染率
は10%には満たないこと。型が変わりつつあるということがわかってきた。
スペイン風邪と似ているところがあると思いますが、違うところもあります。
それは感染者数と致死率。圧倒的にスペイン風邪よりもコロナの方が低いのはまだ
「半年」しかたっていないからともいえます。今後、武漢型からヨーロッパ型、
東京型と呼ばれ方もされていますが、ウィルスは形を変えていきます。
もしもスペイン風邪と同じ道をたどるのであれば、年明けに来る一年後あたりに
第二波がやってくるのでしょう。そして感染者は低いでしょうが、致死率は高く
なる可能性があります。
もちろん、これはスペイン風邪の話です。同じことが起きるかなんて誰にも絶対に
分りません。今現在収束に向かいつつあると取りざたされていますが、第二波
第三波があるかもしれない。収束するには三年くらいかかるかもしれない。
昔よりも、技術は発展していますが、昔よりも人の往来が多くなっています。≫
 ―
▼ この文章が投稿されて一年が経過しているが、当時の筆者の予測より、
 流行は深刻になっている。デルタ株が、まだ発生以前であり、ことは深刻。
二回目の接種もおわり、万歳と思いきや、そう甘い事態ではないようだ。

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7104,閑話小題 ~ついに来た『認知機能検査通知書』
2020年08月26日(水)
    * 認知症ですか…
 75歳誕生日の半年前に、この検査義務があるのは知っていた。これも通過儀礼? 
…70歳時にも各種の機能検査があった。75歳の峠はキツイというが… 腰痛など、
彼方此方の機能障害が深刻になってきた。 本来は免許証の返済も考えべき時節!
同級会などで、疑わしいのが三分の一は居る。痴呆も、神が死の恐怖を軽減する
為に与えた自然現象と言われる。 …車道を『らしき人が』が、信号無視をして
歩いていくのを時どき見かける… 物忘れは多くなり、何かしらの捜し物は日常
行為に… 近辺の80歳越えを見ると、81歳が鬼門。自らが気づかないのが問題。 
口から出るのが愚痴と中傷誹謗が大部分! 老いにはプラス面もある。
自分の人生も、社会を俯瞰する視点が強くなるが、肉体的、精神的歪みが浸透
してくる。
 ―
    * トランプ劇場の結末… 如何なる?
 対立候補バイデンが発した言葉!‘アメリカの闇’って、実に的を得た言葉!
これだけ、アメリカだけに止まらず、世界を混乱に落しこんだ大統領が存在した
ことがない。アメリカが国家的脳梗塞に陥っているのが現状。
【 米民主党全国大会は最終日の20日、バイデン前副大統領(77)が大統領候補
 としての指名受諾演説を行った。バイデン氏は<現在の大統領はあまりにも長く
米国を暗闇で覆い、多くの怒りと恐怖と分断を生み出した>とトランプ米大統領 
を批判し、「光は闇より強い。後世、米国の闇の終わりが今夜ここから始まった
と言えることを願う」と訴えた。】
 ◉ この9,10月が極めて危ない。
ブッシュ同様に、イラン、中国に戦争を 仕掛ける可能性がある。株価の暴落
に加え、このコロナ禍をイランか中国の陰謀を暴く手法も考えられる。
アメリカとは、所詮は、こんな国!」をシリアスに知らしめたのもトランプ
なるが故の効果。 3~5年で終わるか、20~30年モノのコロナ禍で終るか?
「中国の力を今のうちに削いでしまえ」の必定論もある!
テロリストに、細菌テロの絶大な効果を知らしめたのが最大の汚点!
‘私にとっての終末の景色は、これですか’…

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6737,閑話小題 ~ランチ考
2019年08月26日(月)
    * ランチ考
 8月に入って、家内に連れられて、郊外の新規の店に三軒、入ってみた。
・まず一軒目が「ゆず庵」。信濃川の川西の新興のSC内の「しゃぶしゃぶ」の
食べ放題の店。そのランチが、セットで980円で、種類が多くて美味しいと
ジム仲間から聞きつけてのこと。食べ放題もあるが、歳が歳。腹いっぱいの食べ
放題に気が向かず… 取り放題の多くの種類を小鉢に並べて組みたててあるため、
値段の割に豪華。 店内は広くて、高級感がただよう。千円コースでは、合格。
・二軒目が、お盆に、立寄った、家内の実家のある柏崎郊外のイタ飯屋の
「ARCI-GOLA」。売りの言葉が、イタリアが県内でトップと認めた店。なるほど、
炭火焼の釜土で焼き上げただけのことはある。 この数年で、三度、ツアーで、
イタリアに行っているが、決して自画自賛の味ではない。 スパゲッティと、
ピザと、コヒー二杯で、2800円。来年のお盆も、ここにと満足して店を後にした。
・三軒目が、長岡の東バイパス沿いの新しいSC近くのウエストカフェ。
【 ウェストカフェ 長岡店/WEST CAFE (長岡/カフェ)の店舗情報は食べログ
 チェック! 口コミや評価、写真など... ウェストカフェ - アンガス牛はらみ
ステーキランチセットなど.... 新潟県長岡市花園南1-71 OUTDOOR LIFE STORE
WEST長岡 2F. ウェストカフェ 長岡 ... 】
なかなか面白い店だが、経営的に果たして? しかし、噂のステーキは値段の
割には美味しい。自宅から車で10分の至近距離?が、よい。
この話を、そのまま、酒友に話すと、『夫婦でランチを三度も行くなんぞ…
仲の良いことで…』と、冷やかされてしまった。たまたまとしても、言われて
みれば至極、ごもっとも。週一のシネマ館通いの前後に単独で入る、回転寿司、
牛丼、カツ丼、以外、同伴は家内位。 他の何でないだけ、良しとしなければ。
 
 シンプル、シングル、スペシャル、スピード、スタンダードが、まず基本。
ベースはチープもあるが、それでは、冷食を自宅で食べればよいが、それでは
面白味が加わらない。それでも、夜の御付き合いからみれば、数分の一。
年金暮らしを考えると、当然のことですか? それはそれなりに!
 としても、ソフト・ランディングで何とか終えて良かったが、何かドラマ
仕立てが薄れたことが良いのか悪いのか? 良いに決まっているが!
で、‘ランチ考’を書いてます。まあ、ペラペラですか! じゃあ「へらへら」
を書いてみたら。ヒラヒラで、空を舞うことに… 気分は良いはず…。
「ばかばかし!」と、一番思っているのはこの私め。 ブログは慈愛と、
自愛と、自嘲と、他嘲で成立っていると言って過言でない。書いている過程で
思いもしない心の影が、表立つこと屡々。 欧紅の刑事ドラマの定期的視聴者
たる由来が、底から出てくる? それが「分人」ですか。 同月同日の過去文を
読み返すと、得体のしれない自分が、そこに控えているのが納得。 

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6374,閑話小題 ~長岡弁に魅せられて ー4
2018年08月26日(日)
   * 一度抜いた方便を今さら
 ネット上にあった「長岡弁」を紹介してきたが、忘却の彼方の言葉が次々と
出てくるには驚いたが、私自身が気づかない長岡弁を使っている可能性がある。
県外に住んだ経験がないと、標準語を使う機会がないため、方便しか使えない。
前回の続きになるが、まだまだ面白いのがある…

なじら(ね)   : [慣用語]相手の調子やある物事に対する評価を求める。
         「~はどうですか」に当たる。
なんぎい     :[形容詞]具合が悪い、の意。
ねーなる     :[ラ五動詞]無くなる、の意。
「亡くなる」は  :「のーなる」ないし「なくなる("な"を高く発音)」と
          言い分ける場合が多い。
のめしこき    :面倒くさがり、の意。
馬鹿~      :[助詞]強調表現。すごく、の意。
          馬鹿はえー  = すごく速い。
冷やかす     :[サ五動詞]食器(ご飯茶碗など)を水に浸す、の意。
ぶちゃる     : [ラ五動詞]捨てる、の意。不要なものを破棄する、
          放置するという意。
ぼっこす     : [サ五動詞]壊す、の意。
もぐす      :[サ五動詞]沈める、の意。燃す[サ五動詞]燃やす、の意も。
やっこい     : [形容詞]柔らかい、軟らかい、の意。物理的なやわらかさ
          を表し、穏やかや融通が利くといった意味では用いない。
よした      :子供に対して、よくやったと言う時に用いる。必ずよした
          よしたと2回言う。 

▼ TVの普及で、若者の標準語に触れる機会が増え、様変わりのようだが。
 まずは言葉が重い。中学校の同期会があるが、確かに長岡弁が多く行うが、
年に3~4回ともなれば、違和感が全くない。一度、抜いた方言。元に戻ることは
ないようだ。地方が閉鎖的になるのは、言葉の問題が大きく関わっている。
これは日本という国にも言えること。長岡弁の最大の特徴が「~が」を語尾に
多用すること。 
  これが金沢では、「~け?」が付く。
「いーけ?」→「いいですか?」
「そーけ?」→「そうですか?」
「かーけ?」→「蚊ですか?」
「きーけ?」→「木ですか?」
「くーけ?」→「食べますか?」
「けーけ?」→「毛ですか?」
「こーけ?」→「こうですか?」
  三重弁では
「~わや」「~なん」「~なんさ」など「そうなの」と相手に確認する表現。
「そうや二~」「そうなん」→と若い女性が話すと、それは色っぽくなる。
 これらと比べると、長岡弁は、ふくよかさが足りない。(人による?)
土壌が御国言葉をつくるようだ。 … 『シャッコイ雪に数ヶ月もモグサレ、
雪ホゲで身体をぼっこし、ズルのが難ぎいて、のめしこいて、せつねいって』

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5642,閑話小題 ~幸・不幸の実相
2016年08月26日(金)
  * 幸・不幸の実相
 10年位までは、青少年向きのテーマとして、その話題は一般的に避けられて
いた、幸福論、不幸論が表舞台に出てきた。世界的に政治・経済の停滞が、
起因している。 同じ人生で、これほど違うかと思うほど、孝・不幸の差がある。
よくみると、その差は親の愛情と、教養の差にあるようだ。
 人生の甘味、辛さも一通り味わったつもりだが、孝・不幸は、自己責任と、
痛感する。要するに、幸・不幸は起こってしまった現実の解釈と、受容の人生
への姿勢にある。それは長年かけた心のベースから派生する。それが稀弱な人は、
目先に動転、その責任を外に求めてしまう。自分の足で、地べたを踏み込むことが、
出来ないため、同類合い哀れむ群れで屯するしかない。こういうのを蓄群というが、
群れることで、己の思考を放棄するため、 何が問題かを知ることができない。
そして「残念な人生」をおくる。その自覚さえないから、それは「残念な人生」
ではないのだろう。 という論も、羊の群れを馬鹿にする山羊? でしかないが。
――
   * オリンピックも終わって
 リオのオリンピックが、先日、終了した。 メダルの数からして、今回の
オリンピックは、丁度良い塩梅の数。何はともあれ、テロが起きなかっただけ
でも、良かった。 次は2020年の「東京オリンピック」に向けて動き出す。
 目安は金メダルが25個辺りか。オリンピック委員会も、開催国に金をもたらす
追加種目を宛がうのは周知のこと。 4年後は、世界はテロや戦争で、混乱が
激しくなっているはず。 テロの効率からみて、ISに狙われて不思議でない。
 私の寿命は、その辺りと設定しているので、健康状態で迎えられるかどうか。
冬季(12月~3月)を除いて一日、3時間は運動をしているが、問題は酒量。

・・・・・・
4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4
2014年08月26日(火)
   * 現場の壮絶! 
 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。
デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。
臨検など今では無理。それにしても、このルポは、凄惨で、これが現実である。 
 ーその辺りからー
≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。
 彼らはまず戦力を増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。
そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を突きつけて自分の親や兄弟を
殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」
そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていく
ことができません。兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にする。
家族を殺させるのは、子供を村と決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼
のようなものなのです。子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として
生きるわけでありません。途中で逃げ出したり、命令に従わなかったりする
こともあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために裏切った子供たちの
鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする
ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私は
LRAのゲリラ兵を「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵に
させられた子たちを「悲劇の被害者」として描いたはずです。でも、さらに
調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。
LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら
兵士になった子もいるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を
持って略奪をして暮らしをしたいと思っている子供、銃で人を殺して出世する
ことがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な人格を持っていて、
それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・≫
▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアポルポト
 よる数百万単位の大量殺戮がある。北朝鮮も一歩内部に入れば、このような
弾圧が現在進行で行われている。中国文化大革命では1千万~5千万人が虐殺
されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に行った時の現地添乗員が
文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。それが全国の各村で同じ
ように・・・』と、何気なく話すのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では
タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、
平和ボケの日本。グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 
憲法を変えるのは当然のことだが・・ この国では無理?  
~ また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! ~

・・・・・・
5277,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー①
2015年08月26日(水)
       ーその時、言葉は私の「神」となる (新潮45/6月号)
               ~心肺停止になって考えたこと! 
   * 人生の価値とは何か
 生死の境目で、彼女(中村うさぎ)は大きく変わった?
『何を成し遂げたかでなく、如何に生きたか』というが、実は人生は、
『何を成し遂げようとして如何に生きたか』である。ただノンベンダラリ
という生き方も、あるとしても。同じ人生なら、何かを目指し、問題解決を
し尽くし、燃焼した生きかたを私は選ぶ。女無頼派作家が心肺停止で見えた
ことは・・ 挫折、問題こそ価値の源ということ。 ~その辺りから~
≪ 我々はそれぞれが自分なりの方法で己を表現しながら生きている。
 そもそも「生きる」こと自体が表現なのである。どう生きたかを見れば、
その人物の価値観や世界観がわかる。生きていく過程でどんな選択をしたか、
何を大切にし、何を捨てたか。その選択や行為によって形作られていく人生
こそが、その人の作品なのだ。
むろん、本人が作りたいと望んだ作品と出来上った作品は、似ても似つかぬ
ものになっていることもあるだろう。さまざまな要因によって人生はその形を
変え、思いも寄らない方向に転がっていったりするからだ。
それゆえ多くの者は、人生の後半において「こんなはずじゃなかった」と
臍を噛む想いに打ちのめされる。だが、それでもその人生は、「私の作品」だ。
不可抗力的な外的要因で捻じ曲げられても、そこで我々が下した判断や選択は、
まぎれもなく我々自身のものだからだ。ままならないことも含めて、「人生」
である。そして、その「人生」は、よくも悪くも、我々自身を見事に反映して
いるのだ。 私の人生は、私そのものである。
 このように考えると、「いかに生きるか」という問題が我々にとってどれだけ
重要であるか気づかされる。組織内や世間の評価を得ることに血道をあげようが、
世間に背を向けて自分だけの世界を作り上げようが、それは各人の自由であるが、
その目標のためにどんなことをしたのか、己の中のどの欲望を優先したのか、
その欲望を自分自身がどこまで明確に把握していたのか、そこが問われることに
なるのだと思う。 己の人生を「いかに生きるか」に、我々は責任を取らねば
ならないのだ。・・(略) どんな人生であろうとその人にとってはかけがえ
のないものであるし、何の業績も残さずとも本人か精一杯生きれぱ、そこに必ず
価値が生ずる。問題はその人が何も考えずにだらだらと生きたか、己や他者や
いろいろなものと格闘しながら悩み苦しみ葛藤を繰り返して生きてきたか、だ。
たとえ挫折や失敗ばかりの人生であったとしても、その挫折や失敗は絶対に
無駄ではないのだ。そう、そこには必ず意味も価値もある。
「何を為し遂げたか」という結果ばかりに目を奪われて「どう生きたか」という
過程を見落とすと、この世の多くの人の人生は無価値という結論になる。
何事かを為し得る人間など、ほんのひと握りだからだ。そのような価値観で生き
ていたら、「結果を出さなきゃ自分には価値がない」という強迫観念の虜となり、
己の人生を正当に評価できなくなるのではないか。若い人の悩みを聞いていると、
多くがこの強迫観念に取り葱かれていて、「何者かにならなくちゃ」
「何事かを為さなくちゃ」と焦っている。まあ、若いうちはそういう悩むのも
ひとつの過程と思うが、彼ら彼女らにいずれは気づいて欲しい。
何者にもなれない人生、何事も為し遂げられない人生にだって価値はある、と。
人生は結果ではなく、そうやって答を探して長い長い旅をする、あなたのその
足取りこそが貴重なのであり、その過程の積み重ねがあなたにしか生きられない
この世で唯一無二の人生を形作っていくのだ、と。≫
▼『ご覧のとおり、そのまま、結構!』を、4年前の事業断念時に自分自身に
 対して言い聞かせていた。バブル崩壊が、どれだけ大きな経済敗戦だったかを
見抜けなかったことが、ある。 盤石と信じていた事業が根こそぎ崩壊するのも、
一瞬の出来事。更に同時進行の情報革命も、大きな要素に加わる。
これに9・11テロ、リーマンショック、3・15大地震なら、仕方ない。
面白かったから、まあいい、と思えるのは、何とか避難が出来たから。
『総括として、面白かった!』という実感は、何ものにも代えがたい。