閑話小題 ~朝乃山よ…

 

    * 今週・文春の木曜砲は…「朝乃山禍」
 政治家、芸能人は木曜朝の週刊文春の広告に怯えて迎える。メジャーな
有名人ともなれば、現在進行中も含めて幾つかのスキャンダルを抱ている。
週刊文春」のスクープで、雑誌発売日(木曜日・首都圏基準)より前に事態が
動くことが増えている。今週は朝乃山が狙われた。 これで当分、彼の横綱
遠さかってしまった。阿炎の不祥事で、大問題に成り、その講習会まで行われて
数月もしないうちの、これ! 木曜日が近づくと「どんなスクープが出る?」
と期待する読者も多い中の、これ! 単なるバカでしかない。
 ネット記事を検索すると…
≪5月場所直前のキャバクラ通いをスッパ抜かれた大関・朝乃山(27)。
 当初は相撲協会の調査に「事実無根」と言い張っていたが、19日の取組後に
一転、事実を認めた。 緊急事態宣言下の軽率な行動もさることながら、ウソ
までついていたことに協会はカンカンだ。昨年7月場所中に何度もキャバクラ
に通っていた阿炎は、出場停止3場所と減給処分を受けた。大関の地位を考慮
すれば、阿炎以上の処分は免れそうにない。最低でも4場所の休場は避けられ
ないとの見方もある。 そうなると地位は一気に落ちる。今場所は7勝止まり
なので、休場一発目となるであろう次の7月場所はカド番。2場所目で関脇、
3場所目で幕内下位、4場所目で十両中位程度となるだろう。来年3月場所に
復帰できたとしても、その頃には幕下上位にまで落ちてしまう。そこから再び
大関を目指すとなれば、かなりの時間が必要だろうが、問題はそこまで本人の
モチベーションを維持できるかどうか、≫
 ―
▼ 下ネタ好きの好角家から聞いた話だが、
<相撲取りは、プロ筋の女性からして需要が数知れずある。褌が下半身を鍛え、
その味は…?抜群!>とか… 世界が小さい上に、考えることは下ネタばかり。
キャバ嬢や芸者衆などに客として連れてきたら御褒美で何?云々とも、言われ
れば、それは必死になって当然。あまりに入りこむと、サイズ云々の問題にも!
 考えてみれば、相撲取りは裸芸人…生々しいスキャンダルがあって然るべき。
ストレスは下半身を熱くするというから尚のこと…
 品位の問題なるから… この辺りで終わりにしておこう! 

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7009,閑話小題 ~得体のしれない国=アメリ
2020年05月23日(土)   
   * 本性を出してきた怖ろしい国…アメリ
 ネット検索で全米の人種構成を調べると、アメリカにアジア系が5%、黒人が
12%と黄色と黒色が以外に少ない。その資産の多くは、白人系に占められており、
明らかに白人優位社会。日本は、アメリカにとってアジアの足場。軍事も経済も
ポチでしかないことは誰も知ってはいる、口に出せないタブー。二大政党があり、
時どき政権交代をして、その歪みを調整する。
  ~ネット検索によると
 ≪ アメリカの人種構成は
  ・全米の人口の60%が白人(欧州系)で、
  ・ヒスパニック系が16%、
  ・アフリカ系が12%、
  ・アジア系が5% …で占められている。
マレーは行動軽量学者のハーンスタインとの共著を出版の中で、
「白人の一般知能を100とすると、黒人の知能は85」と紹介し全米に憤激の嵐を
巻き起こした。研究結果は< IQの差があり、これが黒人が貧困層が多い理由>
と述べたからだ。マレーに言わせると、白人が黒人を差別をしているのではなく、
国家が黒人を差別をしているのだと! 近代国家の大原則は、国民を無差別に
扱うことだ。 …ところが、僅か一言で要約できる。
 <アメリカの経済格差は知能の格差だと!>   ≫
 ―
▼ 卵が先か鶏が先かの話になるが、世界は白人主体社会であり、有色人種は、
 明確に下位に置かれていて、当然、収入も知能も、それに比例する。
トランプが白人第一主義者ではなく、米国は本来、そういう国家。アーリア系
白人がアフリカ、オーストラリア、アメリカ大陸で、数千万規模の大虐殺を
行った。 その先陣に、猛毒の細菌と、キリスト教の布教と、近代的武器を
使った。 今回は意図は不明だが、結果として中国が逆手にとった? 
 この分野の研究は欧米には数百年の蓄積がある。 …何処かの国の独裁者が、
断首作戦を怖れ?暫く御隠れになっていたが… 何が怖ろしいかといえば欧米、
とりわけ米国。今では、シェールガスでエネルギーを国内で賄え可能になった。 
そして、圧倒的農業の力。 今回は結果的に中国が細菌に手を出してしまった…? 
20世紀以来、戦争を続けてきた米国は、海軍、陸軍、空軍、ミサイル?、諜報
ノウハウの蓄積は圧倒的である。僅か4ヶ月でコロナ菌で10万近くの死者が出た。 
解釈次第では、既に第三次大戦に入りつつあるような、怪しげな空気が漂う。

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6642,閑話小題 ~「おばさん」の話 ―1
2019年05月23日(木)
   * 「おばさん」
 「おばさん」をネット検索すると…
【 かつて成人女性全般を「おばさん」と呼んでいた。しかし、語感として
 年長感があることから、主に中年・初老の女性を指す呼び方になっている。
中年の範囲は明確ではなく、何歳からおばさんにあたるのか、その辺は非常に
曖昧でデリケートな問題。
 女性の場合、中年どころか初老の年齢でもおばさんと呼ぶのはあまり好ましく
ない。(「皺やシミが増えたね」「加齢臭がするね」「若い子より老けてるね」
「太ってるね」の隠語のように聞こえる為)。 成人の女性(男性もだが)は、
本来なら名前や役職で呼ぶべきであるし、女性に対しておばさんやおばあさん
と呼ぶのは控えたほうが良い。
 三人称でも「あのおばさん」ではなく女性、女の人と言っておくのが無難。
なお、熟女好きの男性には中年・初老女性の疲れた目元や(幸せ太り、お産など
で)微妙に崩れた体型などに母性を感じる人も少なくないが、褒めるつもりで
「だらしない体が好き」などと言っても、言われた本人は良い気持ちはしない
と思われる。 】
 ―
▼ バブル華やかな頃、大手生命会社から直接、中期資金を借りていた。
 当時の上場企業の新潟市の位置づけは高く、キャリア組の一時的安息地で、
そのレベルが高かった。 当時の支店長は、<現場叩き上げで、中年女性の
生態を知り尽くしている>と御付きがコッソリと教えてくれていた。
 その持論とは… 
『女性の本当に輝くのは40歳辺り。あと一花咲かせるか、このままで終るか、
の境目で、真の女の魅力が現われ出てくる。それは何とも表現しようのない
美しさ。その彼女を奮い立たせて営業成績を供に上げるには、男女の関係の塀
の上に立たないと無理。40歳頃の女性の精神と身体のバランスが何とも奥行き
のある魅力を醸し出す』
 何とも小説のような危ない話。‘{おばさん化」するとは、30歳代で、
‘おんな’を捨てた女性。諦めた瞬間、おばさんにまっしぐら。
思いつきのテーマだが、このキーワードで思いつく材料が次々と浮んでくる。
で、ネット検索で見つけたのが、林真理子の「おばさん」のエッセー。
これが面白い…                  ~つづく
追文: 4年前の以下の文章。「‘おんな’を捨てないで生きていく覚悟」
   が、女性道での悟り。精神の奥で自立するかしないか。 としても、 
 「腐った女」  のような男が多いこと。自立できない、あの一群のゾンビ。 
  それも他人事ではないか。 

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5182,人生相談という気晴らし! ~⑨
2015年05月23日(土)
              『人生、しょせん気晴らし』中島義道
  * 悟りが在りや無しや?
 世には、「悟り」を真面目に求める人がいるものだが、私の答えを正直に
いえば、「自分が、つくづくバカを悟ること」「体裁を過剰に求めないこと」
と、「自分に対し、あまり誠実でないと自覚すること」である。それは悟り
の問題というより、「自覚」の問題だが。 世界の果て(秘境)で、想像を
遥かに超えた絶景に出会った感動の瞬間が、悟りに近い? 
これは自分が実感するしかないが。
≪ Q: 「悟り」の世界はただの夢なのでしょうか?
 私は五十六歳の主婦です。三十年ほど前、結婚して心のバランスを崩した
ことがきっかけで、精神世界に関する本を読み漁り、悟りという煩悩に支配
されない境地に憧れるようになりました。それから、さまざまな講演や参禅会に
参加したりしましたが、今でも悟りなどとはほど遠く、つい感情的になったり、
主人に嫌味を言ってしまいます。以前と何一つ変わらず、同じところを堂々廻り
しているような気がします。最近はいっそ、悟りなど無いと言われたほうが
気が楽だとさえ思ったりします。本当に悟りというものはあるのでしょうか。
それとも、元々ない夢を追い求めていたに過ぎないのでしょうか。
何か手がかりをいただけると幸いです。
 A: ~自分で一生かかつて確かめてみるしかないでしょう~
  今回の相談も「いらいらする」ものですね。大体、哲学者ごときに
「悟り」が在るか無いかを聞いても、まともな答えが返ってこないことぐらい
わからないのでしょうか? 同じように、神はいるのか、善悪の基準はあるか、
真理はあるのか-…、といった問いに、ハキハキ答えてしまう哲学者は、
正真正銘のニセモノです。では、哲学者はこうした問いに対して何もできない
かというと、そうではない。 哲学特有の領域を指し示すことはできます。
あなたはすでにわかっているかのように「在る」とか「無い」という言葉を
使っていますが、じつはその意味は皆目わからないのだ、ということを
あなたに気づかせることです。「悟り」が「在る」としても、それはコップの
ように、空間のように、数字のように在るわけではない。では、「どのように」
在るのか、もしかしたら「無い」のか、と問えば、まず論理学的法則から決め
られるのでないことは確かです。「悟り」は別にそれ自体として矛盾している
わけではないのですから。また、物理学などの科学を持ち出して決定できる
わけでもない。現代科学のすべての成果をもってしても、意識については
わずかにも説明できない。「見える」ということ、私が私の手を「上げられる」
ことさえまったく説明できません。このことを話すと話が長く(千倍くらい)
なりますので、いまはやめます。疑いなく、「悟り」とは意識に関すること
ですから、科学者をはじめ、その体験をしたことがない人が「外から」アレコレ
詮索しても仕方ないのです。言いかえれば、あなたが本当に確かめたかったら、
実際あなた自身で確認してみるしかないでしょう。あなたがいままでどの
ような修行をなさったのか知りませんが、そんなに気になるのでしたら、
自分で一生かかって確かめてみるしかないのです。しかも、最後まで
わからなくて、そのまま死んでいくかもしれないのです。本当に心の底から
出た問いなら、それでもかまわないはずですし、そもそも他人から「手掛かり」
を得ることでは満足できないはずです。そうしないで、安直に答えを求めて
いるあなたにとっては、悟りなんか「無い」と割り切って「気が楽」になった
ほうがいいのではありませんか? ≫
▼ 悟りとは、現象を、色即是空、空即是色と直感できたような一瞬の感覚?
 ネット辞書によると、《悟り(さとり)とは知らなかったことを知ること、
気がつくこと、感づくことを言い、覚りとも書く。宗教上の悟りは迷妄を去った
真理やその取得をいう。サンスクリットでは日本語の「理解」「気づき」
「通達」などの意味に相当する単語はある。》とある。悟りで、恐ろしいのが
「死期」だろう。それから死ぬまで、生きてきた分の人生を生きるというが。
ということは、「死期を悟り、それを受け入れる葛藤を通して得られる心境?
・・・・・・
6279,閑話小題 ~ビデオ撮影の恐ろしさ ー2
2018年05月23日(水)
  * こうなれば、廃部ですか!