* そう簡単に自信など持ちようがない
10年前に、会社清算をした時に、40年近くかけて積上げた自信が根底から
ぐらついたが、このブログと、日常の生活習慣が、崩壊を最小に保ってくれたが、
そこで、心の底の自己問答で自らの所業を自ら肯定するしかなかった。
最後は独りの自己問答の「日々、是、口実!」。他者が気になるのは、自信がない
ため、心底の自己問答をブログで、表明することが、まずは第一歩と。ところが、
慣れで、これが面白くなっていった。最後は「自信をいかに保つか!」にある。
自信は、自身とも重なる。即自たる自身を、対自が如何に扱うかの問題。
…ネットサーフィンで面白いのがあった…
≪ 自信、つまり自分を信じることとは、自分を(他人を好きになるように)
好きになることではなく、自分は(他人より)優れていると思うことでもなく、
自分の生き方を「信じる」という態度そのもののこと。
「信じる」とは、相対的・客観的なものではなく、絶対的・主観的なもの。
よって、正しいか否かは問題ではない。 むしろ、正当性を(他者によって/
本人によって)疑われた時にこそ、「信じること」が試される。
…噛み砕いていうと…
「信じる」とは、「正しいと思い込むこと」ではない。なぜなら、「正しい」
という概念そのものが相対的なもの、二元論的なもの(つまり「間違っている」と
いう相対する概念によって初めて成立する)だから。…ゆえに「正しい」あるいは
「間違っている」、「善い」あるいは「悪い」といった次元(二元論的世界観)では
なく、「(否定も肯定もせず)そういうものとして受け入れること」。それが、
「信じる」ということである。受け入れるというのは、「これでよいのだ」と
思い込むことではない。そのままを、ありのままを受けとるということである。≫
―
▼ 「群れていると、自身を持ちえない’ことが、そのまま書いてある。
群れにも様々あって、その質量により肯定も否定も可能になる。
‘自らの際’に出会ったことのない烏合の衆には、目立った人物が存在している。
それを見たら、即座に退席するしかない。自覚するか否かは知らないが、二元論の自ら
の世界に (他人に縛られ、自らを縛る世界に)… 埋没するしかない。
(後記: これも偶然だが、去年の同日の文章が不思議に繋がる…)
・・・・・・
6983,読書日記 ~『人にしばられず自分を縛らない生き方』
2020年04月27日(月)
~<『自分を縛らない生き方』曽野綾子著>
一般的には、このテーマの文言の逆で、
『人にしばられた上に、自分を縛られる生き方』の『世人』として生涯が終る。
そして、50歳から還暦を過ぎた辺りに大病にあったり、挫折を味わい初めて、
流され生きてきた人生に疑問を持つ。そして、即答を求めて…秘・異郷のツアー
に参加して自らの生き方を逆照射をし、気持ちの穴埋めに入るのが、とおり相場…
その辺りの中高年に的を絞って、様ざまな視点を提示するのが曽野綾子。
流れるまま生きてきた人の喪失感は並大抵でない。建物に例えれると、基礎
工事が軟弱のため、後年にグラツキが始まる。対処方法にライフワークが何が
あっても持つべきである。 随想日記と読書、映画観賞や、秘・異郷ツアーは
私のライフワークの御蔭で、少々の挫折で落ち込むことは少ない… むしろ
‘落込み擦れ’の方が正しい。落込み期間を自動的に見積もることで鳥瞰する
ことで傷口を癒すことから入る。、
≪ ~概要~
「私たちの生き方の基本は、独自の選択を貫くことにある。 実は自分を過不足
なく表し、他人を好悪の感情なしにあるがままに見るということは、実に
むずかしい勇気の要る操作なのだ。」(本書「まえがき」より)
―
*本書の目次
●「明日」から、重荷を下ろして楽になる!
1 、人生とは、理解され、誤解されること
2、「美」とは生き方であり、孤独な選択である
3、 人間の生涯を完成させる恵みの一つとは
4 、他人が決められないこと、私が私であるためにすべきこと
5 、苦しみの「中休み」に得られる幸福
6 、あらゆる人間は、すべて不治の部分を抱え込んでいる
7 、多くを受け、多くを与えることのできる生き方
8、 いいことも悪いことも、人生に組み込んでいく
9 、ものごとは、すべて解釈しだい
10 、人生の生き方の実態を教えることこそ教育
11 、花は誰のためにも咲く、春はどこにでも来る ≫
―
▼ 『人にしばられず自分を縛らない生き方』とは、世間を見切ること!
世間とは何か? その本質から目線を離さないこと。まずはクロマニョンの
ような前がかりの姿勢の人たちの嘲笑を笑い返すこと。捉われるのは、然もあり
なんと半分は認めていることになる。‘良いこと70、悪いこと30’と現象を見切
れないで、自らの信念と、本筋を見据える考えるベースの能力が欠けてるため。
このパンデミックは、自然対人間様の争い。…中国が欧米に仕掛けた細菌戦争
テロなら、欧米も更なる重篤な細菌兵器を陰湿に仕掛けてくる。
…戦争とは、相討ちが基本。一方的勝利は有得ない。興味深いことが、
中国主犯説、アメリカ主犯説、イラン、北朝鮮、韓国主犯説のどれもこれも、
理路整然とした説得力がある。国家、人種、思想、宗教間の縛りを解いてしまう
グローバル化のもたらす難問が、これ。 …あたかも神様の仕業のような。
・・・・・・
6616,閑話小題 ~スリランカのテロ
2019年04月27日(土)
* これまた驚いた
最近の3Dに驚いたが、この「T-LEX」の大型スクリーンの大きさと音響の
迫力には驚かされた。従来比約135%の大型スクリーン+4K デジタルシネマ
プロジェクター仕様が売りだけのことはある。
シリーズモノの『アベンジャー』そのものがド派手な内容だが、それにこれ
だけの鮮明な画面と音響とくれば、映像の世界に吸い込まれてしまう。
何か、そこに座っているだけで恐ろしくなる緊迫感がある。これがデジタル
機器の進化の一現象ということかと…
二年半前に、寝室に65㌅TVをとブルーレイを導入し、シネマとドラマの
世界に没入する日々の中で、週一のシネマ館通いも10年に…。そろそろ、週一
から隔週にペースダウンをと考え始めていた矢先、これである。疲れるが
面白さは格段上がったような。
~ネット検索によると…
<ティ・ジョイは、独自のプレミアムシアター「T-LEX」を、新潟県のT・ジョイ
長岡に3月21日よりオープン。県内最大級を謳う大型スクリーンとJBL製4ウェイ・
シネマスピーカー、 4Kプロジェクターの上映設備を設置するほか、高級革張を
採用した … …「Large(巨大)でLuxury(贅沢)、Exciting(刺激的)なExperience
(体験)を提供する空間」としている。JBL製の4ウェイ・シネマスピーカーが巨大
な音から微細な音までを表現。>
―
帰って直に、直前まで録画していたWoWoWの生臭い北欧の刑事モノドラマ3本
をたて続けに見てしまった。映画オタクそのもの。まだ、このブログの書上げと、
SJ通いと、早朝のポタリングがあるため、何とか正常な?精神を保っているが…
それらのどれもこれもが我を忘れるほど面白いとくる!
―
* スリランカのテロの意味すること
スリランカで同時多発テロが起こった。なりを潜めていたISのテロ。
今後も、今までのように世界各地で無作為で行いますよという宣言のような。
組織的テロには対処の方法はない。狙わたら不運として諦めるしかない。
これでは、旅行熱もさめてしまう。今度は、イスラム教会に対したテロが考え
られる。パリのノートルダム寺院の火災、テロでないと信じたいが?
複雑な難民問題、人種差別、国家間の対立などを抱えて、解決は難しい。
スリランカのテロ首謀者の『あの眼』。差別されし者の怨念が籠った怒りの眼。
何でまた、こんな眼差しで… 怨念?軽蔑?精神異常?薬物?。その全てか。
・・・・・・
6253,閑話小題 ~‘キャバクラヨガ’
2018年04月27日(金)
* 微妙~な一線
まあ面白い! SJでヨガ・エアロに参加して6年2ヶ月、大よそ千回になる。
ストレッチそのもので、腰痛対策としてベストである。ヨガ専用教室の参加費は
一時間、大よそ1500円が目安。ジムのそれは、50人の定員もあって、100~200円。
ところが、色気を売りにした“キャバクラヨガ”なる店に、文化相が公用車で
通っているのがすっぱ抜かれた。 ~まずは、ネット記事から~
【 林芳正文科相(57)が、平日の白昼、“キャバクラヨガ”と呼ばれる店に、
公用車で出かけていたことがわかった。 週刊文春の取材によれば、
<4月16日14時半、林大臣を乗せた公用車は、恵比寿にある雑居ビルの前に到着。
林氏はヨガスタジオに入り、2時間を過ごした後、待たせていた公用車に乗込んだ。
店は、元AV女優が経営し、個室で元グラビアタレントや元キャバクラ嬢の
インストラクターらが一対一でヨガを指導した後、オイルマッサージなどを行う。
料金は男性客は1時間1万1000円なのに対し、女性は3000円。客とのLINE交換や
食事、交際も認めており、テレビでは「キャバクラヨガ」として扱われていた>】
――
~コース詳細が何とも~
TT200詳細
ベーシック100hの合格後に受講し、中級者以上にも教えられるレベルを目指す。
『1時間15分のヨガクラス』のオリジナルプログラム作成とレッスンを通して
行える ヨガ中級者以上に対し、効果的なアジャスト、バラエティ豊かなポーズ
構成、テーマに合ったクラス運営、臨機応変な対応ができるレベルを目指す。
ヨガスタジオの中級者以上のクラスで自分のオリジナルレッスンを構成しギュラー
レッスンを運営し続けられるレベル。100hで学んだ事をベースに、より難しいポーズ
の練習やアジャスト、クラス構成の仕方を体験的に学びます。TT200は実技が中心
となり、体験的に、楽しみながら学んでいくプログラムが特徴です。アロマやハーブ
の応用や骨盤調整ヨガ、月礼拝も学びます。また、インターン制度を導入しており、
自分のレッスンを10時間行い、認定されたのち、合格となります。資格をとった後、
一番悩みの多い意見が、教えた経験の少なさからくる疑問や不安です。本校では、
基礎的な知識、体力作りだけでなく、心やマインドの成長のお手伝いも目標です。
インターン制度は生徒自身の自信につながり、即デビューの架け橋となります。
<庄司ゆうこ オフィシャルブログ(ポジ☆ポジ☆ポジティブ)
https://ameblo.jp/shojiyuko/
https://matome.naver.jp/odai/2152456174521985501
―
▼ 成るほど、ヨガを建前に密室指導とは考えたもの。デルヘル嬢が、少し
ヨガ」を手ほどきを受け、密室で… 早速、店主のブログ「庄司ゆうこブログを
検索すると、ありました。 これが‘キャバクラヨガ’でなくて、何ぞや。
「ピンサロ・ヨガ」と書かれなくてよかった?
オプションは、密室の中の交渉ごと。ヨガ用のレオタードと、軽装の運動着。
状況はホボ同じ。店主としては建前上は、「怒り心頭のポーズ」は必要。
何と男客の写真が、そのまま写っているのは、健全客? だから。
健全といえば、SJのエアロ。今どきは、昼時に、真っ暗なスタジオ内で、
ミラーボールが点滅する中、老若男女が我を忘れて、大音響の中で踊りまわる。
これはストレス解消になり、健全なスポーツ。 キャバヨガも、凝ってる?
部分をとき解すのなら、健全? ところで、新潟県知事、何故、辞めたの。
「県知事である前に男の子です、すみません!」で、通ったのでは!
「少女買春」の男が、アワヤ都知事になったかもしれなかったのに。
こんなことを早朝の4時過ぎに書いている私は不健全ということ! 今さら…?
ところで「ホストヨガ」が成り立つのでは? 当たると思いますよ!
他のジムに「ホットヨガ」というのをパンフレットでみかけたが…
・・・・・・・
3684, 自己を見つめる -8
2011年04月27日(水)
* 仕事について 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
第二の人生に入って一ヶ月足らずになる。 今月から仕事・事業人生から
無職のリタイアの人生に入った。人生の大部分を仕事を通して幸福・不幸の
波の中で泳いできた。仕事は人生の核であることは間違いない。社会の中の存在
意義が仕事を通して証明される。そこで表現した中に自分が見えてくる。仕事、
趣味、そして学びは人生の三本柱。人生のプロセスで、その重心が変わって
くるが、男は家族を作り、養っていかなければならない。だから仕事の比重は
のしかかってくる。とはいえ、三本柱の一つだが・・・
ーこの本の中の仕事に関する部分を抜粋して考えてみるー
【 したがって、社会に応えてなんらかの役割を果たし、世間に寄与することが
できるということは、人間の自己意識にとっては、自己の存在の意味を確認
することのできる最も直接的な答えであり、また喜びであることは、疑いようの
ないことだからである。もちろん、そうした仕事における労苦のうちには、
失敗や挫折、困難や事故、予期せぬ妨害や災害、さらには競争や不運など、
実にさまざまな心労の種が含まれていて、人生の現実が容易ならぬものである
ことが、誰にでも、ひしひしと実感されてくる。人生における懐疑や煩悶、
疑心暗鬼や気欝は、多くの場合、仕事をめぐるトラブルや、そこに絡んでくる
陰湿な人間関係に起因するものであることは、否定することができない。
けれども、そうした暗欝な影にもめげずに、自分の関与する仕事の有意義性を
確信して、少しでも前進し、実りある人生行路を切り開こうとする人にとって、
やはり、仕事を措いて、人生の実質上の道程は考えられないことになるであろう。
そして、もしもその人が、強い信念の持ち主として、どんな障害にも屈服せずに、
この世界では善が勝ち、道徳的な世界秩序が実現してゆくはずだと確信する
ことができるならば、たしかにヒルティも述べたように、その人にとっては、
仕事を通じた人生の意味と幸福が、力強く確認され、労働の喜びが増すであろう。】
▼ 「人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼は、仕事をめぐるトラブルや、
それに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する。」 しかし、それを乗り越えて
仕事を成し遂げることこそ、その醍醐味がある。とはいえ、経済震災や、自然震災
は、その全てを飲み込んでしまう。これほど大激震だと諦めがつくが。
これも人生。人生の多くを事業を通して多く学び、楽しんだことも確か。
まあ、面白かった!
・・・・・・
4791,「消費される物語」 ー1
2014年04月27日(日)
ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)よりー
* 「消費される物語」 ー憧れをかみ殺す
ー「夢はかなう」を引きずるロマン 竹田青嗣ーより
毎日、随想日記をネットに載せてから、まる13年になる。これも、ミニ物語
になるが、先日の朝日新聞の耕論「消費される物語」が考えさせられる。
ーまずは、竹田青ほぼ全文を抜粋ー
《 「どんな物語が杜会で受け入れられるか」ということは、「人々の間で
広く共有されて一般化している欲望とは何か」ということに強く影響されます。
近代社会のかっての一般的な欲望は「自由」でした。職業選択の自由、思想信条
の自由、そして自由恋愛。だが、これらの自由への欲望は、先進諸国では20世紀
半ばまでに実現してしまった。それに代わり、現代社会で一般化しているのが
「承認」への欲望です。 そもそも人間の欲望には、それが他者から承認され
ないと実現できない、という特質があります。赤ちゃんがお乳を吸おうとする
ことさえ、母親の「あなたは私の子ども」という承認がなければ実現できない。
人間社会では、どんな欲望も承認を経て初めて実現する以上、快楽への欲望が
「みんなから認められたい」「祝福されたい」という承認への欲望へと移行して
いくのは、自然なことです。佐村河内さんの物語も、小保方一さんの物語も、
「不幸な境遇にある人や一見平凡に見える人が、がんばって成功し、多くの
人々から承認を得る」という基本的な枠組みは共通している。最近公闘された
英国の映画「ワンチャンス」も、携帯電話の販売員がテレビ(オーディション
番組で優勝し、塒界的なオペラ歌手になる、とり実話を描いた作品でした。
□ 憧れをかみ殺す
だが、ここで問題になるのは資本主義社会における「承認を巡る競争」
はゼロサムゲームで、勝者は常に少数派、です。「そこそこ満足」という人まで
勝者に含めても、6~7割の人は最終的に挫折感や敗北感を抱くのではないか。
実現不可能な一般的な欲望に縛られ続けると、人間は不幸になるだけです。
(略)・・・ 挫折自体は決して悪いことではない。実現不能な欲望や憧れを
かみ殺し、強い忍耐で現実世との調停を試み、自らの生き方を確立する契機に
なるからです。・・欲望をすべて実現したいという「極端なロマン主義」、理想
がかなうことなど決してあり得ないという泥のようなリアズム、そのどちらかに
真理があるではない。両方の引き合いので、より深く生きられる「微妙な場所」
を探し当てることこそが必要なのです。私にとっては井上陽水の歌や、
フッサール、へーゲルの哲学が、そうした場所を見いたすための道しるべ
となってくれました。 ・・ ーつづく 》
▼ 現実にぶつかり、破壊された挫折経験の中で、「微妙な場所、そして立場」
で、生きている我身にとって、自分にとって、都合の良い「物語」をつくる
しかない。それが、珍妙で、哀しく、痛面白いのである。逆に言えば、イドラ
(真実を覆っている嘘)世界にドップリ浸かっている人たちが鮮明に見えてくる。
だから、この結果も悪くはないのである。イドラの言葉から、世間を読み解くと
面白い! 其の辺の、市場で聞いた噂を、信じて、小さな殻の中で、情念で
生きているのが一般である。ほぼ、世の中は、嘘と妄想で出来ているのが、
気づかない人たちの総称を「世間」。日本人の大多数にとっての宗教が、
この「世間教」。で、信者の群れが数多、屯する。それを、学生時代のゼミの
「ケース・スタディ」で、徹底的に議論の中で教わった。現象の中に隠された
真理、道理を冷静に捉える知識の必要性である。釈尊の遺言に「すべてのものは
移り変わる、怠らず努め励めよ」とある。変化する時代の中で、ロマン主義と、
泥のようなリアリズムの引き合いの中でこそ、怠り務めることだ!(-ノ-)/Ωチーン
・・・・・・
5886,閑話小題 ~政治家は本当のことを言ってはならない
2017年04月27日(木)
* 政治家は本当のことを言ってはならない
< 東日本大震災について「まだ東北だったから良かった」と被災者を傷つける
発言をした責任をとった。事実上の更迭。>と不穏当な発言で、復興大臣が
辞任をした。 前後の発言の脈絡からすると、さほど不穏当の内容でないが、
その部分だけを切られて繰返し報じられれば、被害者は怒って当然のこと。
今では、誰もがビデオ機能付きスマフォか、デジカメを持っていて、報道局に
気楽に転送される。 政治家は御政道を語り、大衆を導くのが本分。これが、
この政治家の限界ということか。たった一言で、これまでの人生の全てを失う
のが政治家の辛いところ。
* 小学生が、「忖度」なる言葉を使っていた
「小学生が忖度の言葉を使っているのを聞いて驚いた」との新聞記事にあった。
「忖度」の意味は、<他人の気持ちをおし はかること。推察。>である。
政治家が多用しそうな言葉であるが、この年齢になるまで「忖度」なる言葉を
一度も使ったことがない。
* 昨夜は、中学校の同期会
この10年来、年に3~4回は開かれている中学の「同期会」が開かれた。
出席12名。以前は「同級会」だったが、死んだり、転居などで出席者が激減の
ため、何時の間にか、「同期会」になってしまった。 一次会で早々、帰宅の
ため二日酔いなし。
高校、大学の同級会は同じ傾向にあり、消滅一歩手前? 歳を重ねると、
唯我独尊で、他人に厳しく自分に甘くなり人間関係に支障をきたす傾向が強く
なるのは自分からして納得。 晩秋の夜会もまた、娑婆の妙な味がする。