* 世界の秘境で感激するのは…
世界の秘境で感激するのは…、その後継だけでなく、秘教に至る過程を含めた
全てを入れた感動である。…それを見落とすと、人生そのものが軽くなる。
考えれば 、全くそのとおりだが、それを忘れてしまう。
パタゴニアのモレノ氷河の最先端が、轟音とともに倒壊する。その対岸のスポット
と、観光船で、それを眺めるが、これも然り! 何万年前の積雪が何十キロも
固まったのが氷河が目前で、永年の旅を終えて崩れ去る。何とも厳かだが、それを、
YouTubeでは知る由がない。 アラスカや、カナダの氷河が、波立つのをドローン
から空撮された映像は、それは荘厳である。 それを見るために、日本から
パタゴニアの氷河の近くまで行き、その氷の最後の姿を見るプロセスが感動を
拡大する。
これはケニアのサファリにもいえる事。手付かずの野生動物の日常が、己の日常
と合流する妙な感動。…一つ間違うと…狩るものと狩られるものとの立場が入替る、
その荘厳な違い。 そろそろ人生の終わりに近づき、振返ると、知らないことが
あまりに多かった。周囲500mだけに住む何も知らない動物と、人たちと同じじゃ
ないか。石と砂の違いさえ認識不能と見えていた方々と、何処が違うのか…
多宇宙、この宇宙の中の、惑星に人間として生まれ、あまりに恵まれていた
75年の人生を過ごしてきた。これもそろそろ、終焉のカウントダウンが始まろうと
している。 面白かった恵まれていた。両親に恵まれていた。友人に、そして、
…?にも恵まれていた。 真面目7… 遊び3…も丁度いい。
そういうことにしておこう。
・・・・・・
6971,閑話小題 ~二年前の小説、『ペスト』の再放送より ~1
2020年04月15日(水)
NHKの<100分de名著>を読む …『ペスト』カミュ著
* カミュの『ペスト』
何気なくチャネルをまわすと、NHKの<100分で名著を読む>の2年前の
再放送/30分×4回シリーズが放映されていた。なかなかの深堀をした内容。
私たちの中で、グローバル社会での有り方、生き方が根本的に問われている。
不意打ちだが、タイミング的にみて、絶妙な問題でもある。
―
≪ 新型コロナウイルス感染拡大が続くなか、仏の作家アルベール・カミュが
1947年に発表した小説「ペスト」が全世界的に売れ行きを伸ばしている。
日本でも、文庫を発行する新潮社は15万部以上の増刷を実施。累計販売100万部
を達成した。現在Amazonでも売れ筋ランキング上位を占めている。
4月11日(土)15:00~16:36にEテレにて放送。 構成は
「第1回 不条理の哲学」
「第2回 神なき世界で生きる」
「第3回 それぞれの闘い」
「第4回 われ反抗す、ゆえにわれら在り」の全4回各25分。≫
―
≪ 第二次大戦の只中、「異邦人」「シーシュポスの神話」等の作品で
「不条理」の哲学を打ち出し戦後の思想界に巨大な影響を与え続けた作家
アルベール・カミュ (1913- 1960)。彼が自らのレジスタンス活動で培った
思想を通して、戦争や全体主義、大災害といった極限状況に、人間はどう向き
合い、どう生きていくべきかを問うた代表作が「ペスト」である。
舞台は、突如ペストの猛威にさらされた北アフリカの港湾都市オラン市。
猖獗を極めるペストの蔓延で、次々と罪なき人々が命を失っていく。その一方で
オラン市は感染拡大阻止のため外界から完全に遮断。医師リウーは、友人の
タルーらとともにこの極限状況に立ち向かっていくが、あらゆる試みは挫折し
ペストの災禍は拡大の一途をたどる。後手に回り続ける行政の対応、厳しい状況
から目をそらし現実逃避を続ける人々、増え続ける死者…。圧倒的な絶望状況の中、
それでも人間の尊厳をかけて連帯し、それぞれの決意をもって闘い続ける人々。
いったい彼らを支えたものとは何だったのか?
「ペスト」はナチスドイツ占領下のヨーロッパで実際に起こった出来事の隠喩
だといわれる。過酷な占領下で、横行した裏切りや密告、同胞同士の相互不信、
刹那的な享楽への現実逃避、愛するものたちとの離別等々。 カミュ自身が
レジスタンス活動の中で目撃した赤裸々な人間模様がこの作品には反映している。
それだけではない。「罪なき人々の死」「災害や病気などの避けがたい苦難」
「この世にはびこる悪」… …私たちの人生は「不条理」としかいいようのない
出来事に満ち溢れている。「ペスト」は、私たちの人生そのものの隠喩でもある。
番組では、カミュが描き出そうした、人間にとって不可避な「不条理」に光を
当て、「ペスト」という作品を通して、人間は「不条理」とどう向き合い、
生きていけばよいのかを読み解いていく。≫
―
▼ この下書きのため、再度、録画をみたが、ノーベル文学賞を貰うだけの内容。
この新型コロナの世界的猛威の中で、再放送はジャスト・タイミング。何やら
得体のしれない不気味な臭いがする大流行。 カミュ自身のレジスタンス活動で
培った思想を通して、戦争、全体主義、大災害といった極限状況に、人間はどう
向き合い、どう生きていくべきかを問うた作品である。様々な登場人物が、複雑に
絡み合って、それぞれの人生を生きている。ナチ対レジスタントの戦いの勝負が
ついた二年後に、発表され太、逆転したレジスタントに対する警告の書。
この新型コロナの問題は、残酷な世界の格差の問題を炙り出すことになる。
人類が大自然より、首元に刃物を突き付けられた問題でもある。 細胞で成立つ
人類対細菌の決戦ともとれる。 次回から、4回分をテーマにする。
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6604,閑話小題 ~つれづれに娑婆
2019年04月15日(月)
* ブラックホールの生写真をみるとは
・私たちの国は太平洋戦争の敗戦国で、アメリカの隷属国家である。
日本の富はアメリカの含み益。その回収は、軍事用品の高額買取だったり、
為替相場の操作や、バブル誘導と崩壊などの国家的誘導で搾り取ること。
そのアメリカは、現在でも国民の40%以上が、ほんの一万年前に神が人間を
創ったと信じており、科学の研究結果は、政治を操る冷笑的な人々にとって、
常に退けられてきた。科学こそが、私たちの倫理観の元であると示そうとする
試みまで、そうである。
・アメリカだけでない。世界は、いまだに2千数百年前につくられたアッラー
の神を大元に抱いた虚構の神の幻覚に支配されている。この通りに、世界は、
偽物に支配されている。それもあって、世界には驚くほど多くの御宝が存在
している。その代表的なのが、知識と情報。この情報革命は、生命誕生以来の
断層の時節の到来を意味する。
・ほんの十数年までは宇宙は一つで、ビッグバンなど、一つの仮説にすぎない
と多くが信じていた。そのブラックホールの撮影写真の撮影に成功。想像図は何度
か見ていたが、実際の映像をみれるとは信じ難い。これも科学技術の進化のお陰。
~ネットニュースによると…
≪ ブラックホールの姿が史上初めてとらえられた。ブラックホールはいわば、
近くに迷い込んできたものを手当たりしだいにむさぼる怪物。恒星、惑星、
ガス、塵はもちろん、光でさえも「事象の地平線」と呼ばれる境界をひとたび
越えてしまったら、この怪物の手から逃れることはできない。 これは
「星を食らうブラックホール」である。
科学者たちがとらえたのは、太陽65億個分の質量をもつ超大質量ブラックホール。
地球から5500万光年の彼方、おとめ座銀河団の中心にある巨大楕円銀河M87のさらに
中心にある。画像には、いびつな光の輪に囲まれた暗い部分が見える。
これはブラックホールのシルエットを世界で初めてとらえたもので、ブラック
ホールの入り口に限界まで迫った画期的な画像である。
今回の画像は、200人以上の科学者が参加した「イベント・ホライズン・テレス
コープ(EHT:事象の地平線望遠鏡)」プロジェクトの成果。これは、ハワイから
南極まで世界各地6ヶ所の望遠鏡をつないで一斉に観測を行うことで、地球サイズ
の巨大望遠鏡を実現しようというプロジェクトだ。
2017年4月にM87のブラックホールの観測が行われ、5ペタバイ(1ペタバイトは
1000兆バイト)におよぶデータが収集された。科学者たちがこの膨大なデータを
解析し、ブラックホールの顔写真を構成するには2年もの歳月を要した。≫
―
▼ これから10~20年が本当に面白くなる時節。少しでも多く、断層面にへばり
付いて知的死に欲を満たしたいが、何てことっちゃ! でも、何とか?
そう考えるのは、まだ健康体?なればこそ。ところで、ブラックホールを死。
ホワイトホールを生誕、他(多)宇宙をアノ世と喩えると… ブラックホールの
写真は、死の光景ですか。10の500乗も存在する他宇宙の入口?ですか、これは。
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6241,読書日記 ~‘人生に生きる意味はない!’
2018年04月15日(日)
<「真理の探究」ー仏教と宇宙物理学の対話
佐々木 閑,大栗 博司(著) >
* 人生に意味がありか、なしか?
ここで、数多のテーマで取上げてきた問題。‘人生に生きる意味はない!’
とは、身も蓋もない。青春から老いるまで、誰もが考え、悩む問題である。
最期の自らへの問いかけは、『私の人生って何だった?』『何で生まれてきた?』
『生き直せるなら、どんな人生を過ごせた?』 でプツン! それらの問いには
<人生の意味とは何だろう?>がある。
「意味」の意味を考えるに、近い「価値」から類推すると解りやすい。
価値観は、その人にとっても、地勢上、国家、人種、宗教によって、当然違う。
それを仏教学者と、物理学者が普遍的な事として語ると、妙に納得する。
一休の名言がある。
「世の中は、食うて糞(はこ)して寝て起きて、さてその後は、死ぬるなりけり」
小難しく考えることもない。こんなものだが。猿の世界を見ればよい。
~Amazon・内容紹介~
≪ ‘人生に生きる意味はない!’
大いなる叡智が告げる、この世界の真実
心の働きを微細に観察し、人間の真理を追究した釈迦の仏教。
自然法則の発見を通して、宇宙の真理を追究した近代科学。
アプローチこそ違うが、この世の真理を求めて両者が到達したのは、
「人生の目的はあらかじめ与えられているものでなく、
そもそも生きることに意味はない」という結論だった。
そのような世界で、人はどうしたら絶望せずに生きられるのか。
なぜ物事を正しく見ることが必要なのか。
当代一流の仏教学者と物理学者が、
古代釈迦の教えから最先端の科学まで縦横無尽に語り尽くす。
~レビューより~
≪ 物理学者・大栗博司教授及び仏教学者(仏教者)佐々木閑教授の講演、
対話などを簡潔にまとめた本である。
この本では、大栗氏の講演、対話などから、物質の究極が、分子→原子→
素粒子→17種類のクウォーク等に還元されてきた歴史と、現在では17種類
のクウォークすらが超弦理論に還元されようとしている物理学の現状を概観する
ことができるとともに、佐々木氏の講演、対話などから、仏教の概要とブッダ
の述べた思考について概観することができる。
この本の中で両者が語った内容で、興味深かったのは、次の3点である。
・第1点は、死後の世界はあるか、霊魂は不滅かという問題について、
両者とも、明確に否定する見解を採用している。
・第2点は、人生に客観的な意味、目的、価値はないことに、両者とも、
異論がない点である。両者とも、人生の意味、目的、価値は、神や仏が与える
ものではなく、個々の人が、自らつくっていくものであるという。
・第3点は、自由意思の存否の問題について、両者とも、断定的ではないものの、
自由意思は、客観的には存在しないであろうが、人の認識の上ではあるように
感じるものであるという考え方を示している。≫
―
TVで見た若者向け映画『リライフ』が、人生の意味について考えさせられた。
【大学院を卒業後、新卒で入社した会社を“ある事件”をきっかけに、わずか
5ヶ月で自主退社した27歳の海崎新太。今はコンビニでバイトをしながら、再就職
を目指すが、なかなかうまくいかない。そんな新太に、リライフ研究所の所員を
名乗る謎の男が「人生、やり直してみませんか?」と声をかけてきた。
男の言葉に乗せられ、「年齢はそのままに、見た目だけ17歳」になった状態で、
新太は約10年ぶりに、2度目の高校生活を始める。】
―
▼ 一年後、無事、再生していくが、そこで出会った美少女が、「人生の意味を
見出せず、自らリライフの一年延長を願い出ていた」ことが、最後に分かる。
「もう一度、全く同じ人生を与えられるとしたら、受けますか?」の厳しい
問いかけがある。大方の人は、「ノー」と答えるそうだが… 父親が、死期を
悟った時に、絞りだすように呟いた言葉、
「今度、生まれてきたら、全く同じ人生を、再び過ごしたい!」
私も、死期を悟った時に、同じ言葉を心の底から絞り出せる生き方をしたいと。
「20歳、30歳代の人生」が非常に満足できただけでも、有難いことである。
私の人生の意味とは、<「同じ人生を再び!」と思える生き方を貫くこと。>
これでも? そのまま結構! 面白かったこと、この上、なかったからね。
―
大家:まあ周囲の人は大変だよ。
寅:まったくだよ。その毒舌に、どれほど苦しんだか。
熊:「自分のための人生を生きろ!」っていうけど、
「自分だけのための人生」じゃないか。調子にのって、バカまるだし。
寅:御前が、言えるガラか。でも、大家さんを見ると、ツマラナイよな。
八:少しは反省をしてるけど、じゃあ、如何すれば良かったと思うと、
『ご覧の通り、そのまま、結構!』と、開き直るしかないね。
私は私だからね。仕方がないよ。それと、良かった良かったと思えば、
何事も、感謝できるしね。感動、感激、感謝ですよ。最期はね。
この三大感情の満足度は、感謝、感激、雨あられ、ですよ。
寅:天上天下唯我独尊じゃないですか。あんたの場合は当然、悪い意味さ。
大家:まあまあ、今日のところは、この辺で、〆ますよ!
・・・・・・
5874,閑話小題 ~朝鮮戦争が現実的に ー1
2017年04月15日(土)
* 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる、北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7~8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2~3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事には息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
張容碩博士も続ける。
「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力?
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに? ~つづく
・・・・・・
5509,閑話小題 ~今年の桜の総括
2016年04月15日(金)
* 今年の桜の総括
毎年、恒例になっている福島江と悠久山の早朝の花見に、この時節になると、
飽きもせず行くが、当り年の桜は何度見ても感動する。早朝の桜の花は、朝日の
こぼれ陽が冷気と相まり、神秘的な空気を漂わせる。特に悠久山の通称、
「瓢箪池」を取囲んだ桜が絶品。 子供の頃には、長岡駅から悠久山へ玩具の
ような小さな電車が通っていて、悠久山の花見は長岡花火と共に、市民の二大
イベントになっていた。 しかし、それもとうの昔に無くなり、今では、自動車
で行くのが大勢。元の悠久山駅前から、1キロ近い石畳の参道の両側に桜並木に
なっていた。毎年、家族で行く花見が楽しみで、大きな広場の後ろの高台の
『団子茶屋』で、団子を食べるのが市民の楽しみであった。その参道の石灯籠の
裏側に、江戸時代に献上した、人の名前が記され、生きた証が残っているのは、
そこだけしかないが、確かに生きていた人の確かな証が記されている。
なるほど、名前は小さな物語。冬期間には、子供の丁度よいスキーのゲレンデ
になっていた。 で、今年の桜の咲具合は、上の下=80点辺りか。それでも、
週初めの天気の良かった早朝の桜は絶品に近かった。大当たりは十数年ないが、
この40年間で、数回かあった。
・・・・・・
2003/04/21
散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見
昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。
毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年になる。
季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。今年は例年並であったが、
満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨に
なり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。
いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。
それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。
雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。
最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。その時に早朝、
悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」
という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ。
花見こそ一期一会である。
吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
・・・・・・
2003/04/19
「散る桜、残る桜は散る桜」