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         * そりゃ… そうなるは!
 ほぼ毎日、出歩いている家内と、ほぼホーム・ステイの私とでは、街中の
現象に対する感覚が違ってくる。長岡駅構の専門店街のコーヒーショップが、
この3月で閉店すると一月前に聞いたが、この店には思い入れのある人が結構
多くて、ヨーカ堂の撤退に近いショックを受けた人が多いとか…。

‘駅専門店街は、次々と撤退し、次は、長岡駅前の大手通りのドン詰まりの

ローソンが、これまた、閉店したと… ここは一歩裏通りの‘殿町’の飲食街の店が、

コロナ禍の客足の激減をモロに受けての撤退とか… ここは、75年前の長岡空襲に

よる火災後、自然的に発生…?した市場。私の10歳位までの遊び場でもあった。
その一角が、再開発で、市場の形態を守ったまま生き残っていた衰退の象徴。
一年の間… 取り敢えず頑張ってみたが、力尽きたようだ。 殿町の老舗の
夜の商売を何とか維持してきた生残りの人たちにとってショックとか。
これのホットの話題は、家内が通うスポーツジム仲間からの話題からも入る。
 何とか一年は生き残ったが、さてと、このゴールデンウィーク後には、思い
切った決断の時節になる。 地元の北越銀行は、第四銀行と合併、同規模とは
いえ、それは厳しい環境の声が、殿町で怨嗟の嵐になる。 けっこう面白い店
があり、そこの格付けそのままが、銀行格付けになっていた時期があった。
あとは、元・第二地銀の行く末になるが! 垢まみれだが、一度、ワンマン
経営者一族の内乱で、半分は垢が落ちていた。 城下町ネガティブ・キャン
ペーンの多くは、ここから浮き上がっていた… 中越地震、柏崎・刈羽
地震で疲弊している上に、これである。それは、そうなるは!
雪の壁で守られてい中越地域も、パンデミックには、抗えないということ!
 
・・・・・・
6966,読書日記 ~ネガティブ・バイアス -2
2020年04月10日(金)
               <『しあわせ仮説』 藤澤隆史著>
    * 9割は否定的な思いで…
<人間の心は放っておくと、九割は否定的方向に傾いてしまいます。だから
 常に肯定的思考を身につけなければなりません。【ジョセフ・マーフィー】>

 9年前にリタイアし、地元に住んでいるが、その息苦しいこと極まりない。
流動性が少ないのが要因だが、否定的バイアス、それも世間バイアスに雁字搦め。
何代前までの因縁で固められていることが多い。 城下町カースト制みたいな
因縁社会である。 これはアフリカのケニアの村町のそれとホボ同じというのが
誰も知りようがない。ここで、安心して住むには、せめて精神だけでも、遠くの
森の高い樹上に住み、虫や、小鳥の鳴き声、囀りから離れるしかないと決めていた。 
 これを書き続けているのも、その一つ。太平洋戦争の敗戦の中で、高度成長を
実直に成し遂げて落ち着きを戻した頃、アメリカ的なポジティブ・マインドが、
日本にも定着をしてきた。地政学的にみて、アメリカ大陸と、ロシア、中国、
アジアの防壁の島国の有利性で比較的恵まれた位置にあり、その恩恵を得て、
現在に至っている。ポジティブ・バイアスの重要性を説いたのが、「中村天風」。
 まずは、日本人が持つ、湿気が多い体質を指摘し『積極一貫』のポジティブ・
マインドの必要性を説く。 
 
 …個々のバイアスは、親がかりのケースが多い。
地元に残り公務員をした同期生の話に、驚いたことがある。
< 父親が酒と博打で、家に金を入れないため、長男の俺が家族を支えるため、
 中卒後に地元の工場に勤務、夜間高校で学びながら働き、地方公務員の
試験に合格し、その後、地方公務員の消防士として定年を向かえた。もちろん、
消防士は、様ざまな手当てが付くことを知って。良い人生だった。 >
しかし、そこに暗い陰は微塵もない。ネガティブの条件をバネとして
ポジティブに生きたからである。 

 …大学がミッション系もあり、その校風が明るく、開放的、かつ純粋。
特に人が良い。 悔しいことだが、小学校からのエスカレーター組のネアカ
に驚かされる。家庭環境が裕福もあるが、幼児教育の根底からして、理念が
ベースにあるのだろう。(例外もあるが…)ポジティブ・バイアスがシッカリ
あるからだろう。そう考えると、家柄が本人にとって重要ということ。

 そこで次回で、他のバイアスをテーマにしてみたい。
…老化すると、ネガティブ・バイアスが頭をもたらすようだ。

≪ 世界幸福度ランキングで指標となっている項目は、「所得」「社会的支援」
健康寿命」「人生の選択の自由度」「寛容さ」「腐敗の認識」でポイント付け
られています。「寛容さ」は、チャリティなどに寄付をした事があるか?で判断
され、「腐敗の認識」とは、不満や悲しみ・怒りが少なく、社会・政府に腐敗が
蔓延していないか?  これらが判断基準になります。
日本の幸福度は先進国の中でも低いです。
「所得」「社会的支援」「健康寿命」「自由度」では高いポイントですが、
「寛容さ」と「腐敗の認識」のポイントが異常に低いのが日本人です。≫

・・・・・・
6599,閑話小題 ~ケーシー高峰 逝く
2019年04月10日(水)
  * ケーシー高峰 逝く 
 次々、私たち世代と供に生きた芸人が亡くなっていく。寂しいが、これだけは…
正月のNHKお笑い番組で必ず出演していたが、この数年、出てこなかった。
 医事漫談の第一人者として、半世紀以上も活躍。 俳優としても渋い演技で
数多くの作品を彩り、マルチタレントの草分け。 
  ~ネット記事によると…
< 黒板やホワイトボードを使ったお色気医事漫談で知られるケーシー高峰
 8日午後、肺気腫のため入院先の福島県いわき市内の病院で死去した。85歳。
山形県出身。葬儀は近親者のみで営まれる。医事漫談の第一人者として、半世紀
以上にわたって活躍。 俳優としても渋い演技で数多くの作品を彩り、マルチ
タレントの草分けだった。 軽妙洒脱な話術が持ち味。30年以上前に移り住んだ
いわき市内の病院で家族らにみとられて旅立った。>

▼ あと二年足らずで後期高齢者の時節の、現象とは、TVの映像世界
 の芸人など有名人の死を見送ることにもなる。成るほど、人は死ぬべき時には
死なないと! その死に様も、芸人らしく下ネタお笑いらしく、グラッチェと。
このところ、芸能界で松方弘樹や、渡瀬恒彦(72歳)、野際陽子(81歳)など
昭和の時代から活躍してきた芸人が亡くなったいる。
 ――
   * 追悼の、ネットでみつけた小噺
その1:「徳利にお酒は残ってますか?」「はい、チョコッと」
その2:「あんた背高いね」「ハイ」
その3:「隣の家に囲かこいができてんてなあ」「へー」
     「隣の家に塀ができてんてなあ」「カッコイイ」
その4:「ハトが何か放こきまったで」「ふーん」
     「ハトが糞かけよったで」「くっそー」
     「ハトが帽子に糞かけよったで」「ハット」
その5:「お母ちゃん、パンツ破れた」「またか」
    「お母ちゃん、パンツの前破れた」「玉々にして」
    「お母ちゃん、ケツ破れた」「尻ません」
    「お母ちゃん、ズボン下破れた」「もう、そこへステテコ」
   =魚シリーズ=
その6: 「今、何時や「クジラ」
    「この腹の大きい魚は、何という魚や」「ニンシン」
    「この魚、何ぼや?」「タラ(ただ)」
    「この魚、黒いなあ」「まぐろ(真っ黒)」
    「夏に食べる魚は何や」「さんま(サマー)」
    「やけどした魚は」「アジッ」
    「寒がりの魚は」「サメー」
    「やわらかい魚は」「フニャ(鮒)」
    「この魚、めずらしいな」「久しブリや」
    「けんかの応援の好きな魚は」「助っ人ダラ」
その7: 「お母さん、海は何で青いの?」「空が写ってるからよ」
     「じゃ、空は何で青いの?」「海が写ってるからよ」
その8:「お母さん海に潜もぐって貝を取る人、海女あまっていうけど、
     海女はどうして、お母さん達だけなの?」
    「お母さんはね、海(産み)の親と言うでしょう」
     (だから海の字の中に、母が入ってます)
その9: ある人が海に潜って、貝を取っていたところ、地元の漁師さんに
     見つかりまして、叱られていました。「ここは漁業権があるんや、
     あんたら誰の許可を得て、貝を取っているんや?」
    「すいません、もぐりでやってました」
  ~お後が宜しいようで…

・・・・・・
6236,閑話小題 ~ 「人間は血のつまった袋である」(カフカ
2018年04月10日(火)
   * 寺山修司 ・語録より
 「所詮、人間はくそ袋」というが、「血の詰まった袋」とは。
それも「話かかける袋」とは。学生時代に名前を聞いたことがあったが、実際に
読んだのは、『さらばハイセイコー』の詩である。こうして読めるのは、実社会
の経験と、知識のベースが出来たからだろう。『旅の詩集』ー逃げろ、生きろー
などは特にそうだ。
 ~ネットで<寺山修司語録>で、検索すると、彼の語録があった。
――――

 “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」
と問いかけているが、 その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
 “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」
と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
 ―
 “個人の主体だけが重要なので、画一的な思考は排すべきだという考えは
変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが
幻影の体験なのである。”
 ―
“われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を
生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”

 “私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びている
とは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから
ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、
すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外に
ニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”

 “「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないという
ことよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”

 “「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。
回帰するやつは、みんなくたばれ。”

 “おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何も
はじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」という
ことを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を
終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は
主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレ
である。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”

 “詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を
実業としてはいず、他に職業を持っているからである。「詩」は虚業だ。
 …私は、ふと「詩人」というのは形容詞なのではないだろうか、と考えること
もある。岡田茉莉子は「美人」である。というような意味で、かれは「詩人」
である―というわけだ。”

――――
▼ “昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。
それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?…
…人は誰でも、現在的な存在である。…「わたしが一番きれい」だと感じるのは、
いつだって現在なのだ。” の詩が、鋭く突き刺さってくる。
老年に至ったためだろう、泥沼のように過去が、容赦なく現在の私を脅かす。
閑居は、良いことばかりではない。心の中は、快晴の時も、大嵐の時もある。
今の私にとって、「現在は、過去の影でもある」。過去と現在の対話で、何時も
圧倒するのが、過去である。年齢だろう。「老いることは無念!」と言ってた、
伯母の言葉の実感が徐々に身に染みてきた。それを寺山の詩から思い知るとは… 
‘生きていればこそ’ではあるが。

・・・・・・・
3667, 節目どきに ー2
2011年04月10日(日)
 今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、
・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての
  立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。
・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より
  二時間圏内の日帰りの徹底が地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。
  グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。
・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、
  部屋在庫を多く持ちすぎたことである。
・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 
  これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。しかし、
 (これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後
  10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 
  この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切る
  しかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真只中で、
  「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが
  (いや何は何処にもいるか?)、経済震災になると、その辺の類推がでない
  人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌
  という大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール
  のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年。
  この三年は10~20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能
  汚染などのパニックが起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後の
  ロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3~7千万人の??)
  に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。
  リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、日本史、いや世界史
  に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、
  客が5分の1、10分の1という。長岡の奥座敷といわれるホテル街は、
  ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 
  青色吐息でなく、黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリ
  みえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。
  この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。農業、漁業、土木、
  建設、第三次、第四次産業も、輸出産業など、どれをみても・・
  どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。
・・・・・・
4033, シングルイン、31年間の総括 ー9
2012年04月10日(火)
   * つれづれに ー9割がた終了
 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを
加え、すべて決着。 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 
この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。これだけの物件
で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」という訳で、9割方終了。 
一瞬早い決断は、問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権を
サービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。
これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに
逆に銀行に感謝された!」と弁護士。これで現時点で、絵に描いたような撤収。 
これも一連の事業の範疇。経理担当Oさんの管理が完璧だったことが背後にある。  
夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。それでも心の傷
が癒えるに数年はかかる。これは、時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中
し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 
 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。表立ってないが、
深く景気の悪化が進んでいるようだ。起こってしまった東北大震災と、今後予測
される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気が
なくなる。その中で運良く全ての物件が売れてくれた。ホテルの装置は稼働して
いないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、買い手がいなくなる。 
最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が暴落することを銀行は知っている。
その結果、個人保証に厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、
拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、
銀行も、債務者も良い「三方両得」になる。目安が3~5年先と思っていた
ので、歴史的異常時の中、有難い結果である。
・・・・・・
5869,トランジション ~人生の転機に、トランジション理論 ~3
2017年04月10日(月)

 計画通りに予定挫折などの自己配転を続けるには、「ウエットな心情に、
ドライな頭脳」が必要になる。本来、心は弱く、傷つきやすく、その結果、
生じるのが、離脱、アイデンティティや、方向感覚の喪失感である。
それらを克服していくプロセスで生じてくる覚醒と、信念の芯の強化が自然と
生じてくる。 「正 中心 一点 無」を想念し、問題の中心点を只管、想い
続けるしかない。 それが予定挫折としても、厳しさは同じ。 
 トランジションを3段階に分けた内容とは
  ★ 第1段階… 何かが終わる
≪ 何かが終わるとき、自分の意思で終わらせられる場合と、自分は望まない
のに外部の状況や他者の影響で強制的に終了させられる場合があります。これを
仕事でいえば、前者は自己都合による退社、転職。後者は企業都合による解雇、
転勤、異動などで、慣れ親しんだ仕事、職場から無理やり離される場合です。
後者は、自分が望まない変化であることも多いため、ひどく落ち込んだり、
やる気を失う人もいるでしょう。
 強制的であれ自分の意思であれ、これまで持っていた何かから離れることは、
心理的な痛みを伴うものです。うまく物事を終わらせることが容易でないのは
そのためです。しかし、何かの終わりは何かの始まりでもあります。
たとえ自分が望まない終わりだとしても、新しい自分を発見する良い機会だと
考えて気持ちに折り合いを付け、過去と決別する必要があります。ブリッジ氏は、
「アンラーン(un-learn)せよ」、つまり、「過去の考え方を捨てよう!」と
提案しています。
 さて、何かの終わりをうまく処置するのが難しい理由は、終わりに
 直面した人のほとんどが経験する以下のような感覚があるからです。
•離脱(Disengagement)
 それまで慣れ親しんできた場所や人から引き離されることから生じる感覚。
アイデンティティの喪失(Disidentification)
 過去の世界とのつながりを断ち切ることで、自己定義の手段を失ってしまい、
 自分は何者であるかということが分からなくなる感覚。
•覚醒(Disenchant)
 自分がこれまで属していた世界に抱いていた楽観的な見方は幻にすぎないと
 気付く感覚(会社や他者に裏切られた場合により強く感じるもの)。
•方向感覚の喪失(Disorientation)
 今後どの方向に進むべきか、そのために何をするべきかといった目標や計画が
 失われる感覚(解雇など強制的な終わりによってもたらされやすいもの)。
 何かの終わりに伴う上記のような感覚からは逃げることなく、
次のニュートラルゾーンにおいて、とことん味わいつくすことが重要です。≫

▼ まず直面するのが、孤立と、孤独に伴う自己喪失感。そこで必要なのが
 幼児時期から、これまでの親からの愛情の温み。それと、小さな成功体験。
そして読書習慣による時空を超えた他者との触媒。一度、生身の世界から離れ、
自分の信念と、能力の棚卸をすること。特に強みと弱みを見据えること。
そこにあるのは、何の力も、魅力も、温かみのない、小さな哀れな自分。
それを直視してから、具体的に歩みを進めるしかない。過去を引きずらない
ことが、最も重要なことは、周囲を見渡せば一目瞭然。捨てきれない自分が、
ここにいる。どの道、誰もが直ぐに死ぬのだから… どの道、同じですか。