読書日記 ~『同調圧力~日本社会はなぜ息苦しいのか』

 

 
                     
、     <『同調圧力~日本社会はなぜ息苦しいのか』
                  鴻上尚史・著 (現代新書)2020/8>
    * 「10年先から戻ってきた」と思うという方法
「タイムマシンを使ったか、時間の奇跡が起こったかして、10歳若返って今、
いるんだ」と考える 。そうすると嬉しくなる! 現に、欠かさず書いている、
このテーマ日記。怠け者で、好い加減な自身を管理するには、一日、数時間、
我を忘れてた没頭する時間を2時間持つことで、魂を閉じこめている。
同月、同日には、「20年間×365日×2時間=1万4600時間」も凝縮した時が篭る。
{その割には、蓄積効果は少なすぎるようだが!}… 能力の問題で、それは
それで!自らの程度を見つめ、自制するには丁度良い効果がある。
 
 10年、20年と読返す度に、理解が少しずつ深まっていく。そして同調圧力
中で、好い加減に生きている他者の脳が透通って見えるような錯覚に陥る。 
再読して、新たな考えが浮かんだ分、自らが深まった感覚になる。7年前の文章
同調圧力を感じると、7年前の時空が、再び再現したような錯覚に陥ることが…
TVの旅番組で、行ったことがある旅先のエピソードをみたのと同じ感覚になる
のと同じである。 
 現在、75歳! 10年後なら85歳。しかし、生きていても、寝たきり…か!
なら今の内にすべきことは山ほどある。10数年前に己の寿命を75歳に置いた。
ところが何やら、それがブラックホールになり、心の中心になり、それから
心を軽くしてくれ、現在に至っている。絶対孤独感だろう、それは!


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6961,閑話小題 ~メラビアンの法則
2020年04月05日(日)
   * 馬子にも衣裳
 韓国では女性の約6割が自分の容姿に不満を抱いており、
4割を超える女性が美容整形の手術を受けたことがあると回答した…
また韓国騒然となった「芸能人の100人中99人は整形している」と。
  ~それによると、
< 人間が他者の印象を決定する際に重要視するものは、
 視覚情報(Visual)・・・55%
 聴覚情報(Voice)・・・38%
 言語情報(Verval)・・・7%
この結果から伺えることは、非言語のコミュニケーションが、
人物の印象の90%以上を決定づけているというわけ。>
 上記が「メラビアンの法則」である。名古屋の花嫁学校は、内的美容より
如何に良質の相手をゲットするか手練手管の技量を磨くことに絞って教え込む。
名古屋的でシリアスだが本筋をついている。社会は格差で出来ている。
男なども年頃ならサカリのついた犬と同じ。如何に表ッツラを飾て、収穫するか。
その為には、色気を清潔感と、お嬢様風に飾りたて、良い漁場を探し、自らを
餌にして、数うちゃ当たるで勝負。そこで効果が出るのは、「メラビアンの法則」。

 ―
▼ ネット炎上のリスクを分散するため、同じ内容を掲載した2つのブログを運用
 しているが、片一方に関連した写真を貼りつけている。これに30分を要するが… 
テーマの内容を選ぶか、ブログの写真から空気を選択するかは、好みの問題。
書いたテーマにそぐうイメージの写真を探すのも、なかなか面白い。折角のテーマ
日記の文章に写真で気持ちを込めるのも悪くはない。写真は、ある意味、絵画の
額の役割を果たす。 …ファッションも然り。
 ところで、聴覚情報が4割近いことを改めて自覚して、早速、このところ使って
なかった二つのiPodを聴きだした。 …これ見よがしにブランド品で身を固めてる
御仁も、逆に卑しさしを感じられるのも愛嬌といえば愛嬌。それはアフリカ人が
ブランドを身につけているのに奇異を感じるのと同じ。ブランド物は白人金持の
特権を擽るように構成されている。だから黒人には不自然で、似合わない。
視覚情報は、その本質まで公開する。4k、8kTVも、5Gも、恐ろしい貧弱な内面
まで公開することになる。誤解しあって結婚した挙句に、理解し合って離婚するが、
実体になる。哀しいかな、これが娑婆の実態である。何やら、いやに実感が籠ってる。
 
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6594,閑話小題 ~つれづれに 地方選挙
2019年04月05日(金)
 
春の甲子園高校野球は、愛知県の東邦高校が優勝。
石川という投手が一番の殊勲者。 平成元年に父親が当時の一員で優勝。
平成の最終年に息子が優勝した親子鷹。念じただけでは出来ようもない。
そこに信念の力が必要。人生を物語化して生きた親子の物語が、現実にあった。

 日産のゴーンが再び逮捕。一度、逮捕された人が再度、逮捕されるのは
異例中の異例。記者会見を予定するなど明らかに挑発的態度のためか? 
検察も元は役人。欧米が牛耳る世界で、よくぞ踏ん張るもの。それも日産の
内部リークがあればこそ。この物語は、まだ序盤。まだまだ…
極東、日本の東京の留置場で、ゴーン様、何を考えている? 所業からみて、
よほど見下していたのか。

 再び県内出身の副大臣が、失言で失脚直前。こともあろうに、
『公共事業の推進を、麻生副総理に「忖度した」』と口を滑らせた塚田一郎
国土交通副大臣。その瞬間、この男の政治生命を自ら断ったことになる。
 
 地元の星野県議も。秘書の忖度行為で逮捕されて然るべき状況?だが… 
選挙後ということ? さもなければ長岡的談合? これでも当選するのが
長岡の長岡たる由縁の濃厚なシガラミか。 さて、この状況でどう判断? 
当選すれば、この異様な城下町体質を晒すことに。それも必要なら… 
 で投票、如何しよう? 今後の『何』を考えて、何せ自分を『地元便利屋』
が売りの、やはり星野先生ですか。リバラル派ってのは何の役にも立たないし。
  
 地元密着の県議の、こういう人物こそ、あるべき姿ですか。
中越地区の中核都市の長岡は、何やら厳しい激風が吹き荒んでいる。そこに、
前県知事の少女買春とか、塚田代議士などの政治家の質の問題が。上は首都圏、
下は新潟市ストロー効果と、柏崎・刈羽原発の休止問題が重なっている。 
厳しいが、そこが雪国の県民性。何とかなるでしょう。 
これらを他人事で済まされる年金生活者は気楽な稼業。所詮は、無用階級者
の戯言。 自虐的自己対話で何とか息をしている日々ですか、
 
 後記: いいな~、以下の断章!
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6231,閑話小題 ~遊びについての断章
2018年04月05日(木)
            <「群れるな」寺山修二著>

 昨日、「加山雄三とヨット」のテーマで、遊びについて書いたが、手元に
図書館から借りて積上げてある10冊の本の中に、『遊びについての断章』が
あった。これまで「遊び」について繰返しテーマにしてきた。
 「遊べるうちに遊んできなさい! 直、泣くときが来るんだから!」と
諭され、数十年が経つ。確かに切ない場面が多々、あったが、その数倍、
数十倍、楽しいことがあったのが実感。遊びの価値を両親の後ろ姿に
学んだことに加え、学生時代に味わっていたこともある。
      
   * 『遊びについての断章』 
       ー人生は遊びながら年老いて行く―
 ‘JRA’のCMのために書いた原稿。
 実際に使われたものはこれからの抜粋である。
このCMのなかでの寺山は得意の肩かけコートで町をあるき、府中のスタンドを
バックにたたずむ。その後ろであの独特の語り口でこの断片を朗読していた。
 
――

かもめは飛びながら歌をおぼえ
人生は遊びながら年老いてゆく
   *
遊びはもうひとつの人生である
そこにはめぐり逢いも別れもある
人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、
そしてあることを捨てる
   *
人はだれでも
遊びという名の劇場をもつことができる
悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ
そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる
   *
ぼくは人力飛行にあこがれていました
飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした
ぼくあ大空を見あげて思いました
プライバシーなんかいらない
フライバシーがほしい、と
遊ぶことは 冒険することであり、
ためすことであり、知ることだったのです
ぼくは「運の悪い女」がきらいです
なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです
遊びは、不運な人たちにも
「もう一つの人生」があることを教えてくれるのです
だからぼくは、いつでも自分に掛ける
   *
どういうものか「誰が故郷を思わざる」という歌をうたうと、
ツキがまわってくるんです
はじめて競馬場へ行ったとき
はじめて玉突きを覚えたとき
はじめて女を口説いたとき
だからぼくは
皆で一度、一緒に唄ってみたらいいんじゃないかと思っているんです
政治の悪い時代には、「誰が故郷を思わざる」でも唄ってみる
そういうもんじゃないのかな、遊びなんて
   * 
人生が終わると、遊びも終わってしまう
しかし、遊びが終わっても人生は終わらない
遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる
出会いと別れのくり返し
そこが遊びのいいところなんだね
   *
人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる
そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある
「誰が故郷を思わざる」なんて唄は
競馬をやったことのある者にしか、味わうことができない唄ではないだろうか
   *
人生が、いつばん安上がりの遊びである
死が、いちばん高くつく遊びである
   *
遊びは、人生の時刻表である
人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ
人生は汽車である
旅をしながら年老いてゆく
   *
遊びは不幸な人間の第二の人生である
遊びは不幸な人間の第二の魂である
   *
人は誰でも、もう一つの人生をもつことができる
それは遊びである
ドストエフスキーは言っている
「一杯の茶のために、世界など滅びていい」
   *
夢の中で無くしたものを
目がさめてからさがしたって見つかる訳はない
現実で失くしたものを、夢の中でさがしたって見つかる訳はない
人は誰でも二つの人生をもつことができる
遊びは、そのことを教えてくれるのです


▼ 個人のHP内の検索で調べると、次々と出てきた。
 まあ真面目に遊びながら書いだこと。
――
2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)
                   -読書日記-
 ー遊びをせんと生まれけむー
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。

・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。
美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
  絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 
「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。
  遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。
一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素。 
確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が、
人間にとって最も有用な行為になる。

エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、
 遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び
好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された
動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして
行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で発明された可能性が強い。 
たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、足の代りにローラーを
つけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。弓は武器となる以前は楽器
であったといわれている。人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、
土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも
有用な行為は、遊びであった。土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育
するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、彫刻をし、像をつくったことを
銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生より
もはるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。
人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。
必要に迫られて働いている間は、依然として人間は動物界の一員である。
人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、さらに
生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を
発揮する、したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、
余暇があり、遊び戯れる性向があった状況においてであったと考えるべきである。 
自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、
エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・
私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、魔法円の完成である。人間は
エデンという遊びの庭で初めて人間になった。そして今、人間は遊びの庭に帰還して、
人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。 》
~~
遊びの重要性を上手く説明している。良く遊び、良く学び、良く働く、を
バランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスは
とってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。遊びが4、学びが3、
働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。
学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを
仕事にすれば良い。

・・・・・・
2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
2008年11月20日(木)
 ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー
【私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、
干葉拘置所に拘束されていた。その間、私を悩ませた課題は、
「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。
その中で私を惑動させたのは、宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言。
〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
そのプランは生命の進化である。個別的生命は全体の部分である。個別的
生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。朝から二度
倒れ、四度嘔吐した。その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。
  年ゆくや天につながるいのちの緒   春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つである
ことを直感したのだ。エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で
体験したのである。そして平成十六年九月一日、私は静岡刑務所の独房の中で、
自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の疑問が
あっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に
生まれて来た、ということだった。】
▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と
 違うところは、そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中
で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。‘ゲームとは、到達地点
を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に
楽しみ、味わうかにある。それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなる。
【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】
という一休の詩がある。せっかく、客として呼ばれたからには、この世の
人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか! 
ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難
や悲しみ、というのが少しは分かるが。
 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。   
何か際どい話になってきたが。
・・・・・・
2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! -2
2008年11月23日(日)
  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を
目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。
この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして
楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。
人生には、ある程度の長生きも必要である。人生を楽しむには、楽観的で、
能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、
その実現の準備を地道にすること。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、
誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器をみたり、
本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。鼻や口は、
季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、
幾らでも転がっている。「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、
高杉晋作の辞世の歌である。彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼
(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけた
というが、成るほど上手い歌である。いずれにしても、ゲーム化した段階で、
自分を客観視する冷静さを持つことになる。何が起きても「その時は、その時。 
それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそゲーム化で
身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分
が見えてくる。そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで
話題になっている。ウィキペディアによると、
【原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案
された「The Checkered Game of Life」。日本版は、1968年、株式会社タカラ
(現タカラトミー)から発売された。タカラトミーの発表によると、日本版の
累計出荷数は 1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。
ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が
左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、
人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されて
いる、息の長いゲームである。】 面白そうなので、一度試してみたいもの。