読書日記 ~世間異教徒の主張…

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       『同調圧力~日本社会はなぜ息苦しいのか』(現代新書)2020/8
   * 地方都市の真っ只中で
 クシャミをするにも他者に気づかう中で、その正体とは、地方カースト制の存在。
そこは論理は関係ない土着特有の空気が存在するし、それに依存するしかない。
このコロナ禍は、その群れを否定させる機会でもある。
 ここで、「世間=同調圧力」とは良くぞ表現した。…世間様とは、曖昧さから
成立っている。金銭を例にとると、具体的な数値はタブー、明かしてはならない。
同調圧力者にとっては、絶好の攻撃材料。このコロナ禍の感染者は、同情ではなく
黴菌とした攻撃対象になる。まずは感染者の特定から始まり、近くの飲食店も然り。
まずは銀行関係網があり、地域の内幕情報屋と連携している。その情報網の格差が
存在する。 地方では、コロナ禍感染者=悪であり、外は歩けない程である。
子狐の活躍の場が… 興味をひくのが、世間の場=飲食店が、その対象の場である
ことが多く、その場が大幅に縮小され、その分ネットに変る。
  
  ~以下は、Amazonの説明内の目次~
≪ 新型コロナウイルスがあぶり出したのは、日本独自の「世間」だった!
 長年、「世間」の問題と格闘をしてきた二人の著者が、自粛、自己責任、
忖度などの背後に潜む日本社会の「闇」を明らかにする緊急対談! ≫
  
●戦争中から変わらない「国民総自粛」
●日本人が名刺をもらうとホッとする理由
●「世間=同調圧力」を生み出す日本独特のルール
●西欧は「社会」、日本は「世間」の大きな違い
●感染者はなぜ謝罪に追い込まれるのか?
●学校でも会社でも「先輩」が強すぎる不思議
●日本では「批評」がそのまま「人格批判」となる
●言霊の国なのに、言葉が信用されない謎
●ネット上の匿名が圧倒的に多い日本人
●若者の自己肯定感が低い理由
●なぜ出る杭は打たれるのか――芸能人の政治発言
●不寛容の時代に窒息しないために

生きづらいのはあなたのせいじゃない。
世間のルールを解き明かし、息苦しさから解放されるためのヒント。≫
 ――
 ~レビューより~
< コロナ禍である。正直ヒマで馬鹿なネット民の同調圧力は諦めている。
 自分で考えもせず、適当に書かれた不確かな情報に右往左往する連中はどう
しようもありません。馬鹿が通り過ぎるまでそっと息を潜めるしかないのです。
私が気になるのは、この本にも取り上げられているポピュリズム政治家、首長
たち。法律、条例の根拠も無く個人が特定されそうな情報をこれみよがしに
垂れ流している。私の出身県では保健所からの情報でコロナにかかった女性の
居住町、年代、勤務先のキャバクラ名、場所を得意気に公表している。
地方の町でキャバクラに勤めることがバレるとそれなりのリスクもあるだろう。
もしかすると彼女はシングルマザーで子どもがいるかもしれない等の想像力は
働かないのだろうか。>
 ――
< そもそも日本国民には職業選択の自由があり、営業自由は保障されている。
 憲法、法律を守るべき政治家、首長連中(それなりの法知識もあるはず)が、
それを無視して同調圧力に加担する異常事態である。それらの首長連中は
ワイドショーに嬉しそうに出演し、自称キャスターはその提灯を持つ。
世の中はおかしい方向に向かっているが、こういう時こそ日本社会を自分で
考える良い機会。 こういう時こそ本を読もう。>

・・・・・・
6959, 閑話小題 ~エイプリルフール
2020年04月03日(金)
   * この語源について
 一昨日は【4月バカ】… そう、エイプリルフール。新型コロナ騒ぎで、
あまり話題にならなかった。起きている現実こそ、非現実のような様相。
ジョークで笑い飛ばせる事態でない。学生時代に寮生活の日常で、この手の
エピソードも当然あった。 今回は、その語源をテーマにするが、これは
世界中で昔からあった遊びの一つ。
  ~ウィキペディアによると~
≪ その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催
 していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用。
 これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。
◉ インドで悟りの修行は、春分から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが
 生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったとする説もある。
 この説によれば、インドの「揶揄節」が西洋に伝わったのがエイプリルフール、
 中国に伝わったものが「万愚節」になったという。
◉ イングランドの王政復古の記念祭オークアップルデーに由来する説がある。
◉ フランスではエイプリルフールを Poisson d’avril(4月の魚)といい、
 子供達が紙に書いた魚の絵を人の背中にこっそり張り付けるいたずらをする。 
 この『4月の魚』とはサバのことを指すと言われ、丁度この頃にサバがよく
 釣れるためこう呼ばれるとされる。
◉ 日本には大正時代に欧米のエイプリルフールが伝わったが、前述の中国の
万愚節」が江戸時代の日本に伝わり「不義理の日」と呼ばれていた説もある。
 しかし、暦の都合上正確には4月2日が本当のエイプリル・フールであり、
 4月1日に嘘をつく人々は暦に騙されているということになる。 ≫
 ―
▼ ジョークで済まされない事ほど効果がある。それが許されるのが学生時代。
 先日、ここでテーマにした「志村けん」…そこに居るだけで笑いを誘った男。
一番圧巻が…自家用車がリムジン。そして麻布・六本木の豪遊。 それだけで
笑いを誘う材料になるコメディアンの役得である。冷笑対象そのものが何とも
味がある。年に一回、公然と笑いで済ませる嘘がつける日。それが出来ない
事態の、この「新型コロナ」。 …それにしても深刻である。
 
・・・・・・・
3660,音信不通だった友人から連絡が!
2011年04月03日(日)
  * 5分の差で助かった
 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。
安否を知るために、宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。
それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。
  彼の話しの概要は! 
≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを
 見ていたら、激しい地震が襲ってきた。それが長い時間にわたり続いたが、
急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。
直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の
方面に向かった。しかし、道路は渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ
農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。
それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 
その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて寝れる状態ではない。
そこで車中で一晩過ごしたが、着の身着のままのため、寒さがきつい。 
暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、
止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。水洗トイレは、
ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。
命は助かったが… 妻が病のため、避難所では悪化の可能性がある。 
ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、
避難させてもらった。そのうちに群馬の実家の兄に連絡がつき、車でガソリン
新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。
最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で
滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。命一つでも助かっただけ充分! 
火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫
 ー以上が、彼の15分間の電話内容。一つ判断を間違えれば助からなかった。
住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。
終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。それが、まさか・・
それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。
他人ことではない、まさかまさかの日々。

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6592,閑話小題 ~平成元年は西暦1989年
2019年04月03日(水)
   * 和歴の話
 この時節なればこそ話題になる。私の両親は明治生まれ。連合いの両親は
大正生まれ。元号が変わると、昭和生まれ、それも20世紀前半生れは、大年寄り
のような…  

そこで、和暦を西暦年を調べると~
<1989年・平成の和暦:「昭和64年は1月7日まで、平成元 年は1月8日から」
 1926年・昭和の和暦:「大正15年は12月24日まで、昭和元年は12月25日から」
 1912年・大正の和暦:「明治45年は7月29日まで、大正元年は7月30日から」
 1868年・明治の和暦:「明治元年は1868年、大政奉還前は慶応 >

大よそだが、明治が45年、大正が15年、昭和が64年、平成が31年になる。
今度の天皇は年齢からみて25年が目安とみると、西暦2044年の御退位?の頃は、
世界は激動の真只中。
シンギュラリティ(特異点)の『2045年問題』の時節で、「人間の頭脳では予測
不可能な未来の始まり」であり、その到来は2045年と予測されていることから、
2045年問題とも呼ばれている。人工知能が人類の知性を超えた場合、核兵器以上
の『脅威』との懸念もある。
<優れた人工知能が一度創造されることで、再帰的に更に優れた知性が創造され、
人間の想像力が及ばない超越的な知性が誕生するという仮説。>
それが現在では、2029年には起こるのではないのかとも。

和暦の話から、少し逸れたが、その意味では『令和』は、時代を読んだ元号
言えるのかも? ということは、やはり、少しでも、この時代を長く生きて
いたい! いや現在の情報端末で、世界を可能な限り、広く深く知りたい!
ということ。 再び、この『令和』の時代の最大問題になる『自然災害』と、
『2029年、2045年問題』について掘下げたい。とりわけ、令和10年時点の
特異点まで起こる現象を… ホモ・サピエンスから、ホモ・デウスの姿を!
 とりわけ、人間と超知性(AI)との関係を。

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6229,閑話小題 ~ <「場」は未来からやってくる>
2018年04月03日(火)
        <『生きる勇気 死ぬ元気』帯津良一五木寛之、p115 >
   * 「場は未来からやってくる」
 ~「場」をネット検索によると、
《場(ば)、英語: fieldという。工学分野では電界・ 磁界など界ともいう。
(界)とは、物理量を持つものの存在が、その近傍・周囲に連続的に影響を
 与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。》と…。

例えれば大相撲の立合いの一瞬や、野球の投手とバッターの対決の「場」を
想いうかべると、解りやすい。確かに未来が瞬時、現在にさま変わる。
 私のルーツはビッグバン。 死はブラックホールのような世界?

【帯津】 私、東大名誉教授で場の研究所の清水博先生を尊敬しているんですが、
   先生が、昨年の秋に親鸞仏教センターの会で、「場は未来からやってくる」
   ということをおっしゃったんです。
 【五木】 ほう。場は未来からやってくる。
 【帯津】 われわれは、環境という「場」のなかの存在です。家庭、学校、
   職場、地域、自然環境、国家、地球、宇宙、そして虚空などの場のなかに
  重複しているのです。これらの場は、宿命的な場ともいえます。嫌だから
  といって、そうやすやすと逃げ出すわけにはいかないのです。
 【五木】 なるほど。
【帯津】 私たちは、毎日、場のなかを移動しながら生きているわけです。
   たとえば宿命的でない一時的な場となると「広場、市場、酒場」、さらに
   修羅場、正念場」とさまざまです。そして、われわれはいつもいずれかの
   場に身をおき、ひとつの場を去るときは、新しい場を迎えるときです。
 【五木】 なるほど。
 【帯津】 いま、こういう場に五木さんと私がいて、対談が終わると車に乗り
   家に帰り、また仕事場や一時的な場に入るというように。清水先生は、
  「自分を固定してみると、場が未来からどんどんやってくる」とおっしゃった
  んです。それを聞いて、先生はずいぶん上品におっしゃったなあと思いました。
 【五木】 というと。
 【帯津】 私には、「場は未来からおそいかかってくる」という感じなんです。
   それで、おそいかかってくいる場を「予感」と「直観」で選別し、取捨
  選択している。いい場だったら、そこに居すわってみよう、悪い場だったら、
  体をかわしてやりすごそうと。そういうことを予感と直観でやっているんだ
  と思うんです。それが、われわれが生きているということでして、つぎつぎ
  襲いかかってくる場を、かたづけながら進んでいると、最後にかならず死後
  の世界が来るんです。永遠に生きるというわけじゃないですから。
  そうすると死後の世界いというのは、信じる信じないじゃなくて、かならず
  来るものとして、覚悟してこれを迎えなきゃならないと思うんです。
 【五木】 まさに覚悟ですね。自分を固定して考えると、いろいろな場がどん
   どんやってきて、状況をつくりあげていきますから。
 【帯津】 ええ。また、清水先生は、不安というのは、突きつめれば自分の
   居場所がなくなることだとおっしゃっているんです。 死の不安とは、
  この世に自分の居場所がなくなることですけれど、この世ではなくなっても、
  あの世には、居場所があるとわかれば、死は、こわくなくなります。
  かえって楽しみのようになります。
 【五木】 いやあ、そう考えれば、こわいものではないですね。死後の世界は
   あるかないか…ではなくて、かならず来るものとして覚悟するというのは、
  いいことですね。「絶対ある」と覚悟したほうがすっきりする。
 【帯津】 ええ。2年前に40代後半の若さで亡くなった哲学者の池田晶子が、
  「池田は死ぬけど、私は、死なない」と書いていたけれど、要するに「池田」
  とレッテルをはられた自分の肉体はほろびるけれど、命はずっと存続し
  つづけるということでしょう。どうも、この考えかたが、私にはあたってる
  ような気がしてしょうがないんです。
   夏目漱石も、死後の世界はあると考えていたようで、「死んでも自分はある。
  しかも本来の自分には、死んで始めて還れるのだと考えている」と、門下生
  への手紙で書いていますね。
 【五木】 なるほど。

▼ 10年前に、自分の死期を75歳に定めた。その時から逆算して、その時点時点
 に何をしておくべきか考えて行動指標にしてきた。その時点時点が、「場」に
なり、死の瞬間のブラックホールのエネルギーの力が加わったような。
それぞれの人にとって、「死」が最大の『場』になる。
 我々が住む宇宙は138億年前のビッグバンから生まれた。その中に星の消滅など
ブラックホールといわれる、吸込まれると二度と戻ることが不可能な穴。その
行先が他宇宙で、11次元の世界という。〔死〕とは、その穴そのもの? その
他宇宙が、あの世と考えたくなるが、そんな訳はない。変な物体が消滅するだけ。
直径276億光年の時空を持つ我々宇宙の外に、「10の500乗の多宇宙」が存在とは、
考えるだけで楽しくなる。それらも、『場』である。あの世も、この世も、同じ。
こうも言える、「いま、ここ、私」の刹那刹那が、『場』。
「生まれて死ぬまでの生涯が、私の人生の場」。その周辺の暗闇の一点の光を
愛おしく見つめるのが追憶ですか。
 
 追:7年前の、以下の文章からして、友人の場合の(場)の意味が読取れる。
・・・・・・
5497,幸福 ~あなたはなぜ満たされないか ―池田晶子の言葉 ~③
2016年04月03日(日)
    『幸福に死ぬための哲学―池田晶子の言葉ー』池田 晶子(著),                
     〈幸福 ーあなたはなぜ満たされないか〉
  * 人は何ゆえに満たされないのか?
《 幸福」の名で、反射的に、人は「暮らし」もしくは「暮らしぶり」と
 思ってしまう習性それ自体が、実は見事に不幸を示している。幸福の言葉で、
あれこれ中身を考える人の不幸は、そこに比べる心があるからだ。自分の幸福
に完結している魂が、どういう理由があって、他人のそれを気にするのだろう 》
 ☆「暮らしぶり」とは、生活水準や、その満足感をいうが、それは幸不幸に
 関係ない。要するに、充実感を持ちえるかどうか? 振返ってみて、どん底
と思っていた、正に、その時が、実は一番充実していた。どん底と思うという
ことは、その下がないから、底を蹴り上げることが可能になる。
 ――
   * 人を愛せないと悩む人へ
《 愛する人がいないから幸福になれない、と思い込んでいるから、
あなたは不幸なのです。どうして他人がいなければ、あなたは幸福に
なれませんか。他人がいなければ幸福になれないというまさにそのことが、
「愛する能力に欠けている」というそのことなのです。だって、
自分を愛することができない人が、どうして他人を愛することができますか。
愛のない人が、どうして愛することができますか。すべては順序が逆だった
ということに、気がつくことが、始まりですね。》  『人生は愉快だ』
 ☆ 学生時代から50年、早朝の読書が私にとってベストの習慣だったと、
 実感する。最後に残ったのは、読書を含めた行蔵と、習慣だけ。人は、
知っている範囲しか知りえない。そして、知っている他者の知識については
知りえないため、誤解する。それが小さく、浅いほど、その分厚いレンズは
歪んでいる。他者との触媒は必要だが、それは読書でも可能。身近に、
「友人が出来ない。孤独だ!」と、愚痴をいっている人が多い。読書の深読み
が出来てない。そのこと自体が、友人が近寄いてこない理由に気づかない。
 ――
   * どんな困難に出合っても
《 どんな生活、どんな職業であっても、生きている限り、不幸は必ずやって
 くる。つらくて苦しくて、自分はなんて不幸なんだろう、そういう時は誰に
でも必ずやってくる。だけど、不幸は、いかにそれが外からやってくるものの
ように見えても、やはりどこまでも自分の心が作り出しているものなんだ。
不幸だと思うその心が不幸なんだ。幸福だと思うその心が幸福なんだ。
幸福も不幸も自分の心のありようなのだということを忘れさえしなければ、
これからの人生、どんな困難に出合っても、君は幸福になることをあきらめず
にいられるはずだ。》              『14歳の君へ』
 ☆「 ポジティブ3に、ネガティブ1の割合が、幸福の状態。逆に、
 ネガティブ3に、ポジティブ1の状態が不幸の状態」と割り切って、幸福の
状態におく幸・不幸管理をすれば、どんな困難にも立向かえる? これは生活
習慣のデザインから始めなければならない。そして、一つずつ積上げなければ
ならない。そう簡単に人は前向きになれはしない。
・・・・・・
4767,閑話小題 ーさあ、ミニ書斎をつくろう!
2014年04月03日(木)
  * 書斎は、自分の壺中!
 3年前のリタイアで、まず考えたのが自分の居場所。それまで仏間の一角に
本棚と机を置いていたが、ほぼ座ることはなかった。家では、早朝に起きて、
本を読むか、ノート型パソコンでブログを書いていた。仏間の一角は、あくまで、
そのための予備コーナーの場でしかなかった。また通勤の新幹線の往復一時間の
座席も、大事な読書空間。高速の移動空間は、脳にとって最適だが、この様。 
更に会社の事務所も、訪れる人も少なく、ここも書斎空間になっていた。
しかし、リーマンショックで、リタイア時期が三年早く到来してしまった。
 一挙に失われた会社の事務所と新幹線の時空間が必要になって、倉庫と仏間の
一角に移動することになる。もともとあった机と書棚に、サイドテーブルを設置、
事務所のパソコンと、ミニコンポ小型書棚を移動した結果、そこは私の最適空間に
なっている。今では早朝に2~3時間、午前9時半~12時まで、5時間はいる。
ここは心の落ち着く自由空間で、我ながら気にいっている。音楽をBGにて、
自由気ままに、読書をし、ブログを書き、ネットサーフィンをし、瞑想をしたり。
男には趣味に没頭できる空間が必要。先日、図書館で文庫本のコーナーで偶然、
『ミニ書斎をつくろう』杉浦 伝宗 (著)を見つけた。立読みだったが、
「書斎が無理なら、ミニ書斎をつくりなさい」には、全く同感である。
私の空間は、仏間の半分の、2m四方の4平米だが、著者の目安は1・3m四方。 
私の一歳下の団塊世代が、一斉に停年になって家に入っているが、問題が居場所。 
著者は狭小住宅を手がける建築家で、1畳・1万円の予算から、階段下や寝室の
一部などの空きスペースを書斎化するアイデアを提示している。 流し読みで、
面白いと思ったのが、「ミニ書斎は壺空間」。自分独りのシェルターの確保こそ、
粗大ゴミと蔑まれる我身の守るため必要なことである。もう一つ、電子書斎が
あれば、その空間は更に良いものになる。オタクもいいところだが!
「大不況には本を読む」(橋本治著)を、借りてきた。ネットの検索に、
「ミニ書斎 写真」と入れたら、面白いものが多くあった。私のミニ書斎
と共に、ヤフーブログに載せたが、理想的な良いものが多くある。 
・・・・・・
5862,閑話小題 ~春うらら
2017年04月03日(月)
   * 春うらら
★ 寒さのせいか、庭の梅の花が今だ咲き始めてない。あと数日で開花する
 のだろうが。 昨日の早朝、去年11月末以来の年明けの信濃川土手への
チャリをと支度を終えて自転車に乗ろうとしたところ、後輪のタイヤがパンク
のため、急遽、中止。ひと月前に、家内の自転車の空気入れを頼まれたついでに
空気を足したが、何で今になってパンク? 『誰かが悪戯で?…』と考えたが、
ワザワザするわけもなし。明日にでも修理に行く予定だが。さい先が良くない。
★ WiFiが、この一週の間、変調をきたし、iPadとTVのネットが繫がらない。
 様ざま試みたが無理と、メーカーに電話をしようとした矢先、金曜にiPadが、
土曜日にTVのネットが何故か正常になった。 原因が分からず、先週は鬱々と
した日々… それにしても如何して? 最悪の場合、6千円の派遣サービスが
あるとHPにあった。で、改めて、4kTV映像と、アンドロイド機能の凄みに驚い
ている。世界的ブランド・メーカー同士の熾烈な競争の中で、果てしなく機能
進化をしているTVと、ネット世界。 
 寝室のTVのスイッチを入れた瞬間、寝室が別宇宙空間に様変り。これでは、
大新聞、テレビ局などのマスコミの将来は暗澹たるもの。個人が企画をたて、
自撮り映像を世界に向けて直接、売り込む時代。「ピコ太郎」が、その一例。
 最近、話題になったのが、新婚旅行の思い出撮影に、4kカメラ+ドローンの
自撮り空撮映像を、観光先からネットに現在進行形で載せた企画が大当たりを
云々… 等が、次々とネットに現れている。 巨人戦など野球中継を観客席
視線の生中継も可能。 とすると、様々な生現場中継を見ることが可能の時代
に入ったようだ。