閑話小題 ~ガヤ芸人

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笑点|日本テレビ

 

    * ガヤガヤ芸人
 タレントとは、総じて「ガヤ芸人」の要素を持った現代が生んだ寂しい言葉。
先日、TV番組欄をみていたら、この特集をしていた。見ないまま日にちが経過
したが、何となく…「見ておけば!」の気持ちが残った。遡れば『みのもんた』…
今では、テリー伊藤、落目の落語家等々が思いつく。 少し真面なことを言い
続けると、何時の間にかメインキャスターに格上げされ、調子に乗り過ぎて足元
を救われ消え去っていく。日曜の夕方の『笑点』は、落語家のガヤ漫談。
関西系の政治向きのバラエティ・ショーもある。彼らを軽んじられないのは、
彼らの何げない言葉が世論を一端を形成する役割を果たすことがある。

 <ガヤ芸人とは? >と検索すると…
雛壇芸人ひな壇芸人とは、日本国内の数名以上の ゲストが集まるテレビの
トーク番組バラエティ番組において、準レギュラー あるいはそれに類する頻度
で出演するお笑い芸人のことを指す。> これを集中して見ておけば、日本内外
の話題に遅れることはない。大阪府知事大阪市長を経験した橋下某など、なか
なか含蓄があるコメントをする。
 <がや>とは、アニメーションやバラエティ番組などでの「その他大勢」的な
仕事のことであり、所謂「 エキストラ」である。「にぎやかし」とも言う..

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6918、読書日記 ~快活こそ悟り! -1
2020年02月22日(土)
       <『老年を愉しむ10の発見』:
          ~ドイツ流「穏やかに生き抜く」哲学:ヴィルヘルム著>
   * 何やら変な知人たち  
 この10年来、75歳を人生の大きな区切りとして生きてきた。本気度を示すため
「75歳で死ぬ」と公言してきたため、あと一年で肩身が狭くなる。 この10数年、
歯医者以外は、医者に行ってない。 そこで、早朝散歩や、ポタリング
(ミニサイクリング)、運動ジムで運動確保を対策にしてきた。 御蔭で、まだ
先と思っていた年齢まで早一年。 あとは、御隠居で生きるしかない。
この変なのが、変な視点で娑婆を眺めると、いるいる。 アンチ・エイジングを
妄信じて日々を過ごす「変な?のが」。 老いは抗うことは出来ない。如何に、
それに合わせ適応するしかない。

   ~Amazonの内容説明より~
< 私は「アンチ・エイジング」より「アート・オブ・エイジング(年をとる術)」
 を身につけることが大切だと思う。 これは、老化というプロセスを拒否する
ものではなく、それとともに生きるための術である。
                   ―ヴィルヘルム・シュミット >
・これから得られる「豊かな実り」とは
・自分に起こる「変化」と折り合いをつける
・「それまでの積み重ね」が花開くとき
・「心穏やかに生きる」のに欠かせないもの

古代ギリシャの哲学者
デモクリトスが「朗らかさ」を、外的な財産や感覚的な満足感に依存しない
最高の「内面的な財産」とみなした、というエピソードが心に残った。

快活さ=平安に満ちた心地よさを持つための土台が「生」についてなどの
スケールの大きい思慮から得られた朗らかさだと。
彼自身、「笑う哲学者」と呼ばれていたほど明るく快活だったという。
 快活こそ悟り。
■目次
1章 人生には「さまざまな段階」がある
2章 自分に起こる「変化」と折り合いをつける
3章 「心穏やかに生きる」のに欠かせないもの
4章 「受け入れ、愛せる」人
5章 アクシデントとどう向き合うか
6章 「触れ合う」ことで満たされていく
7章 人生を豊かにする「つながり」
8章 深い思慮がもたらすもの
9章 「そのとき」を迎える心構え
10章 「生きる意味」について
 ―
   ~Amazonのレビューより~
     ☆ 見物人
   ◉ 老いをマイナスと捉え過ぎ 
 欧米人にも、あるがままを受け入れることを良しとする人がいたのは意外。
アンチエイジング」が主流だと思っていたから。しかし、老いと死をマイナス
と捉え、いかに癒すかに主眼が置かれていたのは、どうかと思った。老いること
による円熟や達観など、プラス面もあるのに、そういう捉え方はされていない。
― 
▼ 8人姉兄の末っ子で生れ、育ったため、両親の気持ちの半分は孫に対する
 ように扱われて育った。そして、何故か、何時も両親の傍で何不自由なく、
思い通りに生きてきたような。その温もりこそが、最大の財産だったような。
朗らかさ、快活さこそ、人生に一番、必要な要素。進学するにつれ、同期には、
暗い人が少なくなっていた。年齢もあるが、明るく、清潔感が高くなっていく。
 盆地で閉鎖的もあるが、新潟と長岡の市民性の違いは、明るさ。 もっとも、
首都圏と新潟の違いも、そのまま、比例するが。 明るさには、朗らかと、
快活さがある。それは、適度に肉食魚が混ざっているためだが… 緊張し、身の
周りに常に気配りをしないと、食肉の対象になる。食べる方は、ますます、太り、
食べられる方は、その瞬間、全てが消え去る。 老年を愉しむといえば、父方の
従兄に、存在している。86歳になっても、朗らか、快活そのもの。カメラ撮影と、
カメラそのものが趣味だが、万年青年。大家族で、多くの叔父伯母が存在すると、
様々な人生を垣間見れる。 あれだけ、明るく、清潔感があり、面白かった人が、
老いるとともに、暗く、内向けに変身する。 活きてこなかったため。
 活きる、生きないの半分は自己責任! 他人事ではない! 
 
  …次回から3章単位で、各項目単位で、テーマにする。
 昨日の一日は、シネマ館の映画が、この上なく。面白くて愉しかった?   
特に、YouTubeと、録画してみた映画と、ドキュメンは! また、それですか! 
面白いのは面白い! 「やくざ風の男の美人局の脅しの一部始終」が…
百万回ヒットすれば、10万。一千万回なら百万になる。 
「やらせ」としても、これもドキュメント風のドラマ。 …面白い時代だ。
毎日が全く飽きないから、不思議。

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6553,読書日記 ~すべての悩みは対人関係 ~4
2019年02月22日(金)
            【…】内私の内語
《  * 感情には隠された目的がある
 ・最も重要な問いかけは『どこから?』でなく『どこに向かって?』である。
 【ケニアのツアーに参加した時、震えて…そんなことを思う余地がなかった。
・悲しいから涙を流すのではない。相手を責め、同情や注目を引くために
 泣いているのだ。【そんなのは悲しみではない。涙など出てこない。】
・かっときて自分を失って怒鳴ったのではない。相手を「支配」するために
 「怒り」という感情を創りだして利用したのだ。
 感情はクルマを動かすガソリンのようなもの。
 感情に「支配」されるのではなく「利用」すればよい。
 【それを利用したのがヒットラーの演説手法。カッとしたエネルギーが
  人生の活力を生む。】
・不安だから、外出できないのではない。外出したくないから、不安を作り
 出しているに過ぎない。【腰痛は、まさに是。不安感が腰痛を増長する】
・子供は「感情」でしか大人を支配できない。大人になってからも感情を
 使って人を動かそうとするのは幼稚である。【危なそうで行くのを躊躇した
 旅先ほど感動が大きい。それは、その感動の予感が磁石になり引寄せられる】
・彼氏には甘えた声で。配達員に対してはキツイ声で。他人は相手と状況に
 応じて行動を使い分ける。あらゆる行動に目的があるからだ。 
 【行動の「行」には目的の意味が入っている。犬でさえしているのに今さら】
 ―
▼ ・感情といえば〔情念〕という言葉が浮かぶ。人は情念で動く。
 赤塚行雄<『ヒトラーの魔力』 情念の話術 大衆は女である>が、
深い示唆を示している。 ヒトラーはドイツ人の心に深く根ざしている何か、、
「情念の泉」を解き放ったのではないのかと。敵はユダヤ資本、ユダヤ人と
決めつけ、彼はスピーチや文章によって、人種的「純度」と「ゲルマン民族
(「支配民族」アーリア人)の優位性という信念をドイツ国民に広めていく。
冷静な理路整然とした言葉より、計算されつくした剥き出しの情念による言葉
を大衆は望んでいる。大衆は女どもと何ら変わりない、煽動し、熱狂し、時代
の変化への不安感を、麻痺させてほしいだけと…
 人間も社会も、内なる情念の業火に悩まされている。ことに群衆は盲目の
群れになる。左手を胸に、右手を上に向けた「ハイル・ヒトラー」と情念を
込めて発散させておけば、思考力が無くなってしまう。そこに、先の敵・味方の
色分けを塗りこんでしまう。当人が途中から、麻薬づけになって正常な判断が
出来なくなったが… それ以上に、大衆の情動は偉大な力を発揮する。
・ところで説教に『節談説教』がある。 この手法は、難解な教えを文字の
 読めない人々に判りやすく説くために、語るがごとく歌うがごとく、聴衆の
情念に訴えかける真宗の布教法。何かヒトラーの大衆誘導の説教に酷似している。
「怒りを歌うがごときに変えて大衆向きにアレンジした」ような。
理性も感情も裏腹。理性というやつも、考えてみれば怪しげでもある。
情動を理路整然と理屈づけしたのが理性? いや違いますか? 最近、NHKで、
ヒトラーの話術をテーマに放送していたが、見落としてしまったが、是、如何に? 
・個人レベルに、これらを活用すれば生き方が全く変わってしまう。
『何か、あの人、別人のよう。喜怒哀楽が激しくて、内容が支離滅裂だけど、
 何か面白い。でも、一皮むけたよう…』と… 実は、学生時代に、この猛毒の
ような本に脳をやられて、実践していた時節があった。その結果は、狂人と、
変人の塀の上の住人に? それを鳥瞰している第三の自分が、冷笑をして見て
いるのも変。鳥瞰ですか、鳥瞰。その為に、秘・異郷ツアーに嵌り込んだ向き
もある。 彼方から此方を改めて見つめると、これまた現世の日常が面白い。
「歪んだ自分」と「社会」と「身近な世間」の世界。 そうとでも想わないと… 
面白いわけだ。 自嘲で笑い飛ばすしかない、コミックそのもの。理路整然と
間違っている? のを自嘲してみるのも。

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6189,閑話小題 ~「自分は運がいいほうだと思う?」 -2
2018年02月22日(木)
   * 私自身は運が有る方か
 「運」のつくり方や、幸福論、精神論などを40年、いや50年も学んできた
割には、さほど運があったように思わない。かといって、高度経済成長期の
時代に、20、30歳代を過ごせただけでも、いや人間として生を受けただけでも
幸運であった。特に、終戦直後の廃墟に、この日本に生を得ただけで、いや、
人間として生を受けただけでも奇跡的幸運に巡りあえたことになる。哲学的で
いえば、「存在論」の『存在の不思議』の問題につながる。
 朝日新聞のテーマの質問、「自分は運がいいほうだと思う?」に対して、
7割の人が、「運がいい」と答えには、実は驚いている。7割が、この幸運に
気づいているからである。
 人生を振返ってみると、何度も危機があったが、必死に取り組んでいる内に、
何時の間にか乗越えていた。改めて、危機だった事象を振返ると、実に危ない
難関があったが、幸運にも、咄嗟の判断で乗越えていた。
<一つの事故の背景に、30倍の似た危機がある。> の通りである。
「間がさした」の真逆の幸運で、運が良かったとしか思えない危険の連続。
母親の口癖が『私には、3歳の頃、亡くなった父親の守護霊がついている』。
それに対して、「そう信じることで、何か内から幸運に向かう力が働いて、
幸運に導いている」と考えていた。 
 はや7年になるが、会社清算とはいえ、倒産は倒産。 資本主義社会では、
経済的前科者にあいなった。 その時の反応が何とも皮肉で面白かった!
マイナー?な人ほど、掌を返してきた。 実は、そこに、その人の不幸のタネ
が明確に現れ出ている。人を妬めば穴二つ」の別バージョンが、そこある。 
カラスと同じで、弱ったから、攻撃する。相手の傷口に、自分の傷の血を塗り
たくり、己の不遇の鬱憤晴らしの本性が透けて見えてくる。不幸系、不遇系
のマイナス度が深いだけ、辛辣になる。批判、非難で、神様になったり、
判事や、検事だったり。弁護士役など、誰も見当たらない。そこで、自分だけ
でもと、ここで『日々、是、口実』として自己弁護しているが、それは笑い
タネになる。自虐、露悪の私にとって、憐み、あいみたがいになる。
 
 ~そこで、熊、寅、八つぁん、大家さんに再び、出演してもらいます。
――
大家: 八つぁん、あんた、運がいいと思ってるかい。
八つぁん: 決まってるじゃないか。幸運というのは、幸福につながる。
  私が幸福でなくちゃ、誰が幸福というんですか。過去を振り返って、
  2割方は不幸を抱えていたね。
大家: その位の割合で、不幸を抱えていた方が良いんだよ。私もその位さ。
  で、 熊さんは、どうだね。
熊: 俺って怠け者だろう。働きは悪いし、カミさんと共働きで、陽気だから
  助かっているんだ。両親とも、教育が無かったのを、そのまま、引継いで。
  寅は、その点、少しでもと、耳学問で知識を得ようしているね。
寅: 子供の頃に、勉強してこなかったのは駄目だね。この歳になって、
  小、中学校の教科内容って生きる上の最低の知識だったんだと反省しきり。
八つぁん: 時代背景の良し悪しもあるけど、家系と、姉弟構成の立ち位置も
  大きいね。条件、状況そのままが原因というけど、本当だね。
  「運」というけど、「運命」以前に、「宿命」の問題があるね。
熊: その違いって何?
八つぁん: 宿命って、本人の努力では克服できないこと。遺伝的な…
  運命は、努力で克服出来ることさ。
寅: そう思って、努力をしたけどね。あの親の子供じゃ無理だよ。
  でも、何か運だけは良いんだ。賭け事には運があるよ。
熊: 何んだ。勝った時だけ吹聴し、負けた時は、フテ寝じゃないか。
  差引ゼロと言ったじゃないか。
大家: あれだけ楽しんで、タダなら、それで充分さ。でも、そのエネルギー
  を、教養に向けていれば、後悔も少なかったさ。御前は、遊び5割に、
  働き3、学びが2割。 熊は、遊び7割、働き2割、学びが1割りさね。
  それも、この長屋住まいの御蔭で、道を外れないでいられるんだよ。
八つぁんは、どうだろう。遊びが5で、学びが3で、働き2。
  働きは、バブリ過ぎがあったしね。4・3・3だったのにな。
  甘いか、しょうがない、八つぁんの親指人形だからさ。ったく。
八つぁん: 有難いことです。この長屋の住人になれて幸運です。

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5092,閑話小題 ~『悼む人』が良かった! ー�
2015年02月22日(日)
   *  『悼む人』が良かった ー�
『 誰に愛され、誰を愛していたか。何を感謝されたか。
  確かに貴方が生きていたことを私は憶えています。 』
 8人兄姉の末っ子に生まれ、両親に溺愛され?育ったことが、
私の人生の最大の恩恵である。それにも+-の両面がある。
小中学校の同級生を思い出すと、既に亡くなったが、義母に憎まれ
育った子や、戦災孤児寺男のような生活環境で育った子もいた。
5~6坪の居酒屋の2Fの4畳半の屋根裏に母と二人住んでいた子も。
家庭環境の格差は大きな問題。人生は不条理で覆われている。
 家内も私も両親に溺愛されて育ったが、愛情を受けることには慣れては
いるが、逆に愛することが苦手。これも大問題で、最大の欠点になる。 
 創業を志したことで、感情を抑えてきたことが、果たして正しかったか。
それが現在の私の中(自己対話)での最大のテーマになっている。
 45年、無我夢中で取組んできたことが果たして正しいことだったか? 
後悔は少ない?が、無我夢中で生きていたことは確かに憶えている!
『 誰に愛され、誰を愛したか。何を感謝されたか。』の問いが、突き刺さる。
 高度成長期の20歳で創業を決意したとき、
 ‘結果はどうであれ、やらない後悔より、やってみた後悔’の道を選んだ。
撤収を決意した時、何の躊躇いもなく行動に移せたのは、出始めに、
失敗への受容の覚悟をしていたことがある。 創業とは、
『 誰かに恨まれ、誰を憎んだか。 そこで何を失ってきたか。 しかし、
  確かに、全身全霊で生きていたことだけは私が憶えています。』になる。
その結果、「ご覧のとおり、そのまま結構!」と受け止めるだけ。
 中原中也‘帰郷’の一節
「 ああ おまえはなにをして来たのだと… 吹き来る風が私に云う」
が、心の底から私に語りかけてくる。 その答えは、「面白かった! 
ただ面白かった ひたすら面白かった」
 何か辞世の言葉のような、自分への悼みの言葉になるが。
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5456,閑話小題 ~逃げるから怖ろしいのだ ー2
2016年02月22日(月)
   * 逃げるから怖ろしいのだ ー2
 このテーマ、面白いので続ける。「悲しいから泣く」の、
<悲しいは「感情」で、泣くは「情動の表出(身体反応)」>である。
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい}
「うまくいったから幸福なのでなく、幸福だからうまくいく」
「成功したから面白いのではなく、努力が面白いから成功する」
このような論理で、逆照射を立てると、面白い道理が多くたつ。
「内的自由度は外的自由度と、ほぼ同じなら、まずは内的自由から
始めよ」というが、まずは、知識の蓄積から始めるのがよい。
 内的自由度のコントロールで、「うれしい」「たのしい」「しあわせ」
「ありがとう」を、日常的の口癖にすればよいと勧めた小林正観がいた。
彼の言葉に、『人はいつも<正しい>ことを受け入れるのではなくて、
<温かいもの> を受け入れる。』とか、
『友人も 全てがあなたにちょうどいい』を思いだす。人の心は普段使っている
内語で大きく左右される。この「う・た・し・あ」を暇を見つけて唱えていれば、
その感情が強い磁力になって、情動になっていく。だから、感情のコントロール
は非常に重要になる。怖ろしいので、問題から目を逸らすと、自滅するのは、
感情が、情動にマイナスに働くため。『その時は、その時、取りあえず戦い
続ける。そのうち、何か手がかりが出てくる!』でもよい。
好き嫌いの感情は、すぐに相手に伝わる。「う・た・し・あ」に、好きを
加えればよいことになる。愚痴をいうから、毎日が、つまらなくなる。
「かなしい」「つまらない」「不しあわせだ」「のろってやる」「きらい」
の言葉は、その事象を自らへの磁力になる。現実に溺れた世間原理主義者が、
巧妙に、この言葉を駆使する。言葉は言霊で、相手への毒は、自分への毒に
なる。だから、世間原理主義者を、悪し様にいうのは最悪と解ってはいても?
 で、以下の内容が丁度よく繋がっていく。世間とは、そういうものである。
脱兎のように逃げるべき時もある。逃げ、負けは、前向き、勝利の裏表。