読書日記 ~ 内田樹の『生存戦略』 ~4

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             <『生存戦略』 内田樹著>
   * <借金大国の日本で、自分の財産を守れるか不安です>の問いに!
 さすがに売れっ子。何気ない難しい問いに、アッサリと、その本質に返答する。
30年前になるが、姉夫婦が倒産した時に、ある姉が失意の姉に… 
<貴女には、行蔵と歌があるじゃない。私には何もないの。それで充分じゃない?
それまでカタに持っていかれないよ!> との励ましの言葉! 『バカボン』の
作家の赤塚行雄が、晩年、中南米の国家の1つか2つは買える程 漫画のごとく
遊びまくったという。漫画のごとく遊んだ男には悔いは無いはず!

【 使ってしまいなさい! 国として債務不履行で、現金の価値が皆無になる
可能性がある。ロシアと、アルゼンチンもデフォルトしたし、韓国も通貨危機
あり破産直前まで言ったし、ありうること! しかし国家が消滅するわけでなし。
日本でも、これぐらいのことはある。ですから、どんどん使いなさい! 
使ったものを債権者は取り立てようがない。服を買って、美味しいものを食べ、
旅行をし、使い切るのが良いと思います。資産を守る一番、良い方法は、
「しちゃった」んだから、誰も奪えない! スコット・フィッツジェラは、
1929年の世界恐慌では資産を1ドルも失わなかったことで有名ですが、恐慌以前
に贅沢の限りを尽くして、きれいに資産を使い切ったいたからです。
 ―
▼ アッサリと事業からの撤収が出来たが、この負債総額と有料資産と、何が
違うのか。その微差こそ必要だが! 漫画家の赤塚行雄の『これでいいのだ!』
の言葉!が ニャロメと頭に過ぎった。(そう想うしかないこともあったが!) 
小さい手応えがあった。この45年間は?何だった? 何でもなかったのである。
その位のことは、45年間、考え尽くしてきた。ドン・キホーテの騎士のごとく、
ありもしない、敵に向かって突進した。それで充分である。

・・・・・・
6800,読書日記 ~『小さな習慣』
2019年10月27日(日)
       < 『小さな習慣』 スティブン・ガイズ著 >
   * 人一倍、無能を自覚すればこそ!
 私の場合、「天性が全くない」の自覚から、まず一歩が始まる。
一歩といえば、行動になる。それは小さいほど良いと。それも変化への一歩。 
人間の第二の天性は習慣で追加可能。その組み替えには、節目時がチャンス。
 51歳の母親の死をキッカケにして、
<・還暦まで、捨身?で80歳までの30年分を圧縮する>ことにしてきたことは、
 ここで繰返し書いてきた。このブログも、それらの記録と公開である。
だが、中途半端なればこそ、会社を整理するはめに? 
還暦の到達時には、憑き物が落ちたような充実感が残っていた。
・次の節目時は、65歳時の事業清算。これまた結構。生活習慣に孤立条件を
前提にスケジュールを変えた。それぞれの節目に、思考習慣と生活習慣が
変わっていった。
 …この本に魅力は、「ちょっとしたポジティブな行動」から変えること。
2ヵ月前に、ソフトボール大の充電式マッサージを購入。マッサージといえば、
10数年前に通販で、足裏専用マッサージと、腰叩き用のパッセンジャー
海老反り器具を購入、週に2~3度は使用し続けてきた。腰痛の極み対策である。
そこに、これが。 TVタイム時の‘ながら’に、持ってこいの代物。
小さな習慣の一つと相成った。 習慣には良い習慣と、悪い習慣がある。
実生活で意識すれば、違った切口の習慣化が可能なことは、幾らでも存在する。
 ―
 
 ~ネットで、感想を検索すると…
◉ まずは毎日1回の腕立て伏せ “小さな習慣"が大きく変える
 タイトルの「小さな習慣」とは、〈毎日これだけはやると決めて必ず実行する、
本当にちょっとしたポジティブな行動〉のこと。たとえば腕立て伏せ1回。10年間
も運動不足だった著者は、そこからスタートして今では、本格的な筋トレをこなす
ようになったとか。シンプルな提言と、心理学、脳科学など、それを支える骨太な
科学的記述が読者に受けてか、刊行から半年余り、順調に版を重ねている。
◉ 「下訳を読んだ時点で、コンセプトが明快で、しかも説得力のある内容だと
 思いました。ですから装丁や紙面のデザインはシンプルなものにしたんです。
本文の構成にはやや複雑なところがあったのですが、その点も日本で独自に内容が
イメージできるような見出しをくわえ、より読みやすい形に編集しました」(担当)
 ――
   ~Amazonの内容紹介~
【小さな習慣とは、毎日これだけはやると決めて必ず実行する、本当にちょっと
 したポジティブな行動。この方法を使えば、すべてのことは、習慣化し、目標
 を達成でき、夢を叶え、人生を変えることができる。何しろ「小さ過ぎて失敗
 しようがない」のですから】

科学的に実証されたデータを引用し、脳の仕組みからなぜ人は「はじめたことを
続けられないのか」を説明し、「小さな習慣」こそが「大きな変化」をもたらす
ことを説く、潜在意識の法則の本質を解明する本です。

なぜ、「小さな習慣」がすぐれているかというと「脳には新しい変化を嫌い、
同じ行動の繰り返しを好む」、という傾向があります。私たちの毎日の行動の
ほとんどは「習慣化」=「何も考えずにやっている」ことで、
脳は「習慣化された行動」が大好きなのです。

 習慣化されていない行動をするときには、モチベーションや意志の力が
必要となるのですが、これが「何かをするとき」に大きな障害になります。
モチベーションは感情に左右されるし、意志の力には決断などさまざまな要素
が必要になり、それはとても不安定なものだからです。

それに対し「小さな行動」はモチベーションも意志の力も必要としないし、
とても簡単な「目標」なので失敗することなく、「成功」体験を感じることができ、
その「小さな行動による成功の繰り返し」が自己肯定感を生み、それが自信となり、
繰り返し行うことで習慣となっていきます。習慣化された行動が大好きな脳は
こうしてやっと「新しい変化」を受け入れます。
 ――
▼ 無知無能の自覚があればこそ、第二の天性である良き習慣に縋るしかない。
人生の節目時の度に、新しい習慣を身につけて立上るしかなかった。 大きな
ショックがないと、これがなかなか。しかし、腕立て一回なら直に可能。
<目標は、ばかばかしいぐらい小さくしろ!> の副題もよい。

・・・・・・
6436,今年のドラフト会議の総論は?
2018年10月27日(土)
 ドラフト会議の結果は籤運だけでなく、トップの能力そのままが現れ出ていた。
問題は二巡目、三巡目。Sが日本ハムより、根尾を引当てた中日… しかし吉田
を二巡目で競争無しで獲得した日本ハムは流石。下位Dが阪神、巨人は間違いない。
何でまた?巨人の二巡目、早実の野村か、吉田だろうが、原の出身大学の選手とは。
データーがあるのだろうが、私には首を傾げざるを得ない選定。
高卒5人に隠れた逸材がいるのか?は神のみぞ知る。
 
  Yahoo!のネットニュースに以下の通り…
 ≪ 元スカウト・得津氏のドラフト診断
  「阪神、巨人は低く評価せざるを得ない」
【得津氏ドラフト診断】
 S=日本ハム
 A=中日、西武
 B=ロッテ、DeNA
 C=広島、ソフトバンク、ヤクルト、オリックス楽天
 D=阪神、巨人
 今年のドラフトで指名に成功した球団はどこか。そしてうまくいかなかった
球団は…。元スカウトで本紙評論家の得津高宏氏が、本紙恒例「ドラフト診断」
で今年もズバリ採点した。

  ♢ ・真っ先に名前を挙げたのは日本ハム。「一番いい指名をした日本ハム
で異論はないのでは。1位指名こそ外したが、夢のある選手が揃いました。
外れ1位で吉田輝星君の単独指名に成功したのはラッキーでしたね。有望な
素質型の高校選手をずらりと揃え、1位級の社会人投手を3位で確保できた。
知名度のある選手ばかりという見方もできますが、そういう選手をしっかり
育成してきた実績もある。見事なドラフトだったと思います」と絶賛した。
  ♢ 次いで中日、西武の2球団がいいという。
 「・中日は根尾昂君を引き当てたのはもちろんですが、2位でも即戦力1位級
投手の指名に成功。地元の選手も押さえながら、有望な高校捕手を4位で指名。
・西武は1位で日体大の松本の単独指名に成功。2位で地元の1位級高校投手も
残っていたし、当初の思い通りに指名できたのでは。この2球団は、ほぼ完璧」
  ♢ これに続くのはロッテ、DeNAの順。
 「・ロッテは1位の抽選に勝ち、即戦力投手も押さえることができた。投手中心
になったのはチーム事情的に仕方がないのかな。
・DeNAは2位の伊藤(立正大)がいい。柔らかい打撃で低めを打つ。
すぐに試合で使えるのでは。この2球団はまずまずでしょう」
 ♢「可もなく不可もなく」は広島、ソフトバンク、ヤクルト、楽天オリックス
「広島はインパクトはそれほどありませんが、例年通りの育成中心といった感じ。
逆にソフトバンクは今年は珍しく即戦力にかじを切った印象で、ちょっと余裕が
なくなったのかなと。ヤクルトは外れの外れで清水(国学院大)を獲れたのは
良かったですが、2位以下は無難にまとめたといった感じ。オリックスは外れ
1位でもうちょっと攻めてもよかったのでは。他球団が『やられた』と思う指名
ではなかったように思います。楽天は2位のウエーバーをもうちょっとうまく
使えなかったのかな。太田(大商大)の指名はちょっと早い。あせりを感じた」
♢ 最後に残ったのは阪神と巨人。この2球団には厳しい言葉が並んだ。
・「阪神は上位で野手を並べましたが、かなり異質。ここは例年、野手指名
優先の傾向があるのですが、それが球団の方針なら仕方がないのかな…。
斎藤(ホンダ)を4位で獲れたので少しは救われましたが…
・「巨人は1位で2度外しましたが、高橋(東海大菅生?八戸学院大)の指名
には東海大のからみもあるようで、残念。抜けた実力があるのならともかく、
監督の大学関連を1位でやるのはどうなのかな…と。個人的には外れ1位で吉田
に行ってほしかった。大阪桐蔭の柿木(日本ハム5位)より先に同校のチーム
メートで控えの横川を4位で指名したのも、左腕とはいえ違和感を覚えましたし、
日本ハムとは逆に『夢のある指名』ではなかったように思います」

 最後に得津氏は「あくまで現時点での私の個人的な感想で、結果はすぐに出る
ものではありません。5年先、10年先に日本を代表する選手がこのメンバー
から出てくるよう、がんばってほしい」とエールを送った。 … ≫


▼ シリアスな評価だが、こんなものか。何か浮付いてる原監督。三度目の監督
は無理がある。巨人も折角の改革チャンスを原の就任で潰えた予兆が現われ出た
リアルな物語の始まりが、これ。 話題の中心にするだけ昔の名残りですか。
それより、やはりDH(指名打者)をセ・リーグに導入すべきである。
調べるとパリーグは、1975年に人気低迷にあえいだ時に出来た制度。
本場アメリカもアメリカン・リーグが1973年からDH制度を取入れているが、
ナ・リーグも導入と議論されてきたが、現時点では現状維持のまま。
攻撃面で様々な戦術が可能になり、投手の替わりに強打者を据えることが可能に
なり段違いに強化することが出来る。これは、セ・パの戦いの結果をみると、
歴然と現れ出ている。片方を指名打者制度に、もう片方を、今までの制度で
戦わえば、当然、指名打者制度のチームが勝つ可能性が強くなる。ついでに、
キャッチャーも、指名打者にしても良いのでは。それほど、過酷なポジション。
 これだけスピードが求められる時代。 決して極論ではない案である。
それも、セリーグよりパリーグで… さらにリーグ間の力の差が開く?

追文:去年、以下のような文章を書いていた。日ハムは、高卒ルーキーは、
 二軍でジックリ基礎を叩き直すため活躍の機会が少なく表立ってはいない。
吉田輝光にとってはベストのチームに当った。

・・・・・・
5704,自分のための人生 ~⑦
2016年10月27日(木)
   ◆これが人生だ!
 幸福であるためには、充実した時間の積み重ねが必要である。
停滞した社会の中で、人生は、日常を暖かく明るく営むことことだ。
 ~以下の一節が良い。
≪ 何よりも大切なことは、彼ら人生の達人が自分自身を愛しているということ。
「成長したい」という願望に促されて彼らは行動する。どちらかを選択せよと
 言わたら、必ず彼らは自分を大切にするほうを選ぶ。自己憐憫や自己否定や
 自己嫌悪に陥る隙を、自分に与えない。彼らは幸福を追い求めたりはしない。
 生きることがすなわち、彼らにとっての幸福である。
  次に引用するのは、これまで述べた<充実した生き方>の要約である。
< 幸福を見つけようとすることが、何よりも幸福から遠ざかってしまうこと
 なのである。 歴史家のウィル・デュラントは、知識の中に幸福を見いだ
 そうとしたが、見つけたものは幻想だったと書いている。
 彼は次に旅行の中に幸福を求めたが、退屈しか見いだせなかった。
 さらに、富の中に求めたが、仲たがいと心配しかなかった。
 著述の中に幸福はないかと探したが、疲労しかなかった。
 ある日彼は、眠っている赤ん坊を抱いた女性がクルマの中で夫を待って
 いるのを見かけた。しばらくすると、夫が列車から降りて近づいた。
 そして、その女性にやさしくキスをし、次に、その赤ん坊にも眠っている
 のを起こさないようにそっとキスをした。
 それから、その家族はクルマで去っていってしまったのだが、後に
 残されたデュラントは、そのとき、はたと幸福の実体に思い当たった。
 むきになって幸福を追求するのをやめてみたら、
「日常生活のすべての営みが幸福を含んでいる」ことに気がついた。
 現在という時を最高に充実させることによって、あなたも、幸福の傍観者
 ではなく、幸福な人間のひとりになれるのである。> ≫
▼「いま、ここ、わたし」の垂直が永遠につながっている。その垂直を大事に
 して生きればよい。そのためには、日常が充実してなくてはならない。
メーテルリンクの夢幻劇。 <貧しいきこりの子の兄妹チルチルとミチルが、
クリスマス・イブの夜、仙女の訪問を受け、その言い付けで「青い鳥」を探し
に出かける。「思い出の国」「夜の宮殿」「未来の王国」などを探しまわるが、
どこにも「青い鳥」は見つからない。ようやく自分たちの家に帰ってきたとき、
すべては夢だったことがわかる。そして「青い鳥」(幸福)は家で飼っていた
キジバトだったことを知る…> 人生も、気持ちの持ちようの日常にある。
・・・・・・
4607, そして、人生はつづく ー7
2013年10月27日(日)
   * そして、『私』の人生はつづく
「そして、人生はつづく」に、それぞれが、「そして、『私の』人生はつづく」
と、想定するだろう。私の場合、「51歳で母を亡くした時、還暦までに人生の
やりたいことを燃焼する」と、決心した。到達時に心の底で「万歳!」。
そして、人生がつづいて8年近くになる。二年半前に会社整理せざるを得なり、
本来は致命傷だが、軟着陸?もあって、立ちなおりは早い。既に燃焼した人生が
あったこともある。20歳で事業創業の人生を決め、踏み出して45年スパンの
事業人生。その物語の終わりのピリオドが会社整理。誰にでも、何事にも挫折が
必ず待っている。私にとって還暦が区切り。還暦から新たなステージが始まって
第一の区切が65歳時の事業精算。次は死期を覚悟する「余命半年」の宣言時か、
寝たきりになった時、そして最期は、プッツンの前日から数秒前辺り。その時、
全てが夢幻と気づく・・ ところで、一昨日、タクシーに乗って早そう、
50代後半の運転手が、身の上話を始めた。「両親の仲が悪く、離婚。母親に
引き取られ、母一人子一人の母子家庭。生活が厳しく、直ぐに働かざるをえなく、
結局、水商売の世界へ。職場のホステスと結婚したが、カミさんが客と浮気、
離婚。女の子がいたが、裁判の結果、私が引き取り、母親ともに育て上げた。
子供は巣立ち、今は、母と暮らしているが、生活で手一杯。人生何も良いことは
なかった・・」と、数分で彼の人生を物語風に語った。「一限の客に、
よく話しますね!」というと、「ここまでくれば、恥も何もない・・
実は、お客さんを乗せたことがあり、身の上話をしたことがあったんで」と。 
タクシーで、必ず景気とか、収入とか、生活状況を何気なく聞く習慣がある。
以前、何か聞いたのだろうが、色いろな人生がある。人生は一度、歯車が
狂うと、孫子何代、その影響を受けてしまう。順調時から、「まさか」の坂に
備え(シェルター)をつくっておくべきは、身をもって言えること。
助けてくれるのは自分だけ! 「自分だけは、自分の会社だけは、大丈夫!」と、
つい思いがちだが・・ 地球規模から見れば、グローバル化が世界を激変
させている中、各人の「そして、人生がつづく」。 情報化、グローバル化
まさかの事態(ブラック・スワン)、弱肉強食などがキーワードになる。
特に、グローバル化は、島国の日本にとっては大きなマイナスをもたらす。
それぞれの『私』も、思い込みでしかないが・・
・・・・・・
5339,構造主義ポスト構造主義 ~②
2015年10月27日(火)
  * ポスト構造主義とは   ~『世界の哲学・思想』小須田健著
 ポスト構造主義とは、現状を追認する保守的思想形態に陥りがちな構造主義
批判、多様性を認める必要性を説いた。米ソ対立、自民党社会党の二項対立
から、ソ連崩壊と中国の資本主義化などを経て、現在の、混沌とした社会を
語るに「ポスト構造主義」は、正にうってつけ。 ~その辺りから~
≪「ポスト」とは、「の後に」という意味です。ですから、ポスト構造主義とは
構造主義の後に登場した思想のことを指します。ただし、「ポスト」構造主義
いう呼称から想像できるように、実存主義における「実存」や構造主義における
「構造」にあたる明確なキーワードがそこには欠けています。
 これは、もはや現代が一つのキーワードで包括的に語れる時代ではなくなって
しまったことを反映しているのかもしれません。この名称そのものは、八○年代
デリダを中心としたフランス現代思想を積極的に受容したアメリカで生まれた。
当初は主に文芸批評の領域で用いられていましたが、やがてフランスにも逆輸入
され定着していったようです。
 構造主義は、私たちをとりまく諸制度の中に潜んでいる諸構造の分析に
主眼を置いていました。ただそのために、ややもすると現状を追認する
保守的思想形態に陥りかねない危険性がそこには内在していたのです。
 このような構造主義のあり方に不満を覚えたデリダドゥルーズ、リオタール
らは、西洋の文化形成を根本から疑問視したニーチェハイデガーといった
思想家の考えを受け継ぐ形で、思索を展開します。この考えの中心は、哲学に
つきものの「同一性の思考」の批判にあります。「それはなんであるか」という
問いのスタイルを特徴とする形而上学は、本質という観点からすべてのものを
一様にとらえる営みです。ここでは本質からはずれたものは、すべて不純物と
して排除されるより他にありません。つまり、本質(A)か本質でないか(非A)と
いう基準だけですべてが選別される。ここに多様性や変化の余地がありません。
 ポスト構造主義は、そうした決めつけが哲学形而上学の常套句だと批判した。
ただし彼らは、対象への正面からの批判や否定を避けました。なぜなら、
このような態度は結局否定すべき対象と同じ土俵にとりこまれてしまうからです。
肝心なのは、Aか非Aかという二項対立的な価値付けにもとづく土俵そのものを
揺さぶることなのです。このため、〇リオタールは、相手の流れに乗りながら
その方向をずらしていく「漂流」というスタイルを、〇デリダは、対象の中に
住み込むことで内側から亀裂をもたらす「脱構築」という方法を、〇ドゥルーズ
は、一カ所への定住を嫌う「ノマド(遊牧民)」的運動という戦略を採ることに
なったのです。また実践面において、後期のフーコーや晩年のサルトルのように、
知と権力の共犯関係を暴くことや、フェミニズム少数民族の自立運動への
積極的な支援が行なわれました。構造主義からポスト構造主義への移行点を
なした出来事に、1968年にフランスで起こった五月革命(パリを中心に起こった
学生、労働者、市民による反政府運動)があります。この事件は、後に日本にも
飛び火して学生主導で進行する学園紛争を巻き起こしました。この事件は、
もはや学問が大学という隔離された制度の内部では安住できなくなったことを
象徴する出来事でした。今必要なのは、学問を完成したものとして受けとる
のではなく、知が生まれつつある現場に身を置き続けることなのです。
だからポスト構造主義では、生成や出来事がより重要視されるのです。≫
▼ これからすると、現代の世界情勢は、この思想に沿っている。
 世界は「漂流」をし、内側からの亀裂をもたらす「脱構築」になり、 
民族の大移動といわれるシリア難民などの欧州への移動が始まった。
その根は情報化がある。それは生成や出来事が一瞬にして地球の隅々まで
周知される世界である。個々人がスマホという情報機器を持ってしまった。
これは、ポスト構造主義も「新しい?主義」に取って変わる起因になるのか。