読書日記 ~ 内田樹の『生存戦略』 ~3

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              『内田樹生存戦略
   * 人をほめる時の基準とは
 とにかく、褒めろ、褒めてほめちぎれ! <可愛い! お美しい! 
大好き! モテるでしょう! 貴女の対象になる人が少ないでしょう! >
 …まとめて、『可愛い美人が大好き』を口癖にするべし! 
 
 日本にはスナック・居酒屋文化のプライベート空間が存在している。
家庭を1、娑婆世界を2とすると、1.5の俎板と想定すればいい。
家庭内で満たされない人たちの仮想家庭の役割を果たしている。
…ママ、パパの大方は、そこから弾き出された人達…が故に、その辺りを熟知
しているからこそ、「好き」の想念は直に伝わる!TPOSで3~4人に絞り! 
若い時の特権を最大限に使うべし。創価学会員と聞けば、一緒に太鼓を叩かな
ければ…1人の魂は獲得できない。失敗すれば薮蜂取らず! 
  
   ~以下は、その辺りを理解しやすくまとめてある。
≪ 人をほめる時の基準と問われれば…
 <人間の個性的ところは、見方を変えれば、どんなふうにでも褒められること。
「ぼんやり」は「鷹揚」に、「せこい」は「細やかに」、「優柔不断」は
臨機応変」に、と何とでも言える。
 あらゆる欠点は、その人の個性の根幹の部分とつながっている。
そこからしか際立った長所も出てこない。欠点も、長所も裏腹です。
だから、そこをピンポイントとして、「いいね」と褒めればよい。
 …機会あるたびに褒める。気がついたらほめる。 あと、どんな人にも、効果
あるほめ方は「ルックスがいい」です。誰もが、微妙に自信があるような、ない
ような際どいポイントだからです。男の場合は、自分に対して、ルックスを意識
している。自分に対する期待度が高すぎて、努力が追いつかないことがある。
だから「素材がいいよね」「センスいい」と言われると、『そんなことはない』
と言いながら、堪えきれずに笑みがもれます。≫
 ―
▼ 女性中心の職場が多かったこともあり、その扱いには苦労すること屡々! 
 そこでは、「単独者」「2~3名名」と、「7~8名」と、扱い方が微妙に変る。
異性には、年齢に関係なく間隔を置く。そして次に、何処に同調するのか? 
まずは、「かわいい」と認めて、それを繰返す過程で、相手の性格を理解する!… 
そして「かわいい!」を只管、繰返す! ただ、気を緩めない… 自分の魅力に
絶妙な自信とコンプレックスが入乱れている。「純心のところが、魅力的!」を
加わえるとパーフェクト!
 金沢のスナックで、流しのアルバイト・ホステスから教わったテクニック! 
客あしらいのポイントの問いに… 男の生理を知り尽くした『まずは可能性よ!』
の一言。さすが流離いの言葉。 後年、省みれば流しの○○である。
 そうか…『安心感や、安全より、危ない感!も必要ということ。 
それぞれの都市物語が生まれては消えていく日々。これを書き続けている
意義とは、これもある。 外は秋の豪雨が鳴り響いている。 ベ

・・・・・・
6798,閑話小題 ~韓国の様相と日本
2019年10月25日(金)
   * 何でしょうか、韓国大統領!
 海をこえた隣国のこととしても、その混乱は、あまりに酷い。
そこに前・法相の妻が、逮捕されたニュースとくる。
< 子供の入試不正と私募ファンドの不法投資、証拠隠滅に関連した11件
 の疑いが持たれているチョ・グク前法務部長官の妻、チョン・ギョンシム教授
が拘束された。これにより「頂点」であるチョ前長官を狙った検察捜査も加速化
することになった。>
 とかく噂のあった人物を強行突破で、法相に任命したが、その疑惑で辞めざる
を得なくなった。野党は、「泥棒を法務大臣にする!」と猛抗議を無視した上の
人事。これで本人が逮捕をされることがあると、一挙に、体制崩壊が現実化か?
権力を失えば獄につながるため、必死に踏ん張る大統領。悲劇と喜劇が混濁した
様相は、財政の貧困なるが故? 近隣に、北朝鮮、中国、ロシアに囲まれ、幾つか
の財閥に企業が独占されて、将来の夢は断たれ、日本に、その怒りの刃を向ける。
合せ鏡で日本を省みると… 未だ明治維新薩長の血筋が権力を把握。
 彼らを米国が間接的に実権を維持しコントロール。横須賀には米国の第七艦隊
が鎮座し、日本と韓国と、中国、ロシア、北朝鮮を威圧する。
 象徴天皇制を主とした憲法を与え、そのまま薩長の残党にコントロールさせて、
はや70数年も経過する。アフリカや中近東の欧米支配による奪略の構図そのままが、
我が国に当てはまる。それでも、中国、ロシアに対抗する地政学的な意味合いが
あるため、露骨な搾取はない?が。 韓国を笑っている立場にない。
 その国際政治の狭間の環境下。奇跡的な経済成長の大波に、何とか溺れずに、
ここまで来たのは、非常に幸運といえる。 …生臭いが政治と官僚は重要な要。

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6434,定期的に、魂と心の話を… ~1
2018年10月25日(木)
   * 見え隠れする魂のイメージ
 一昨日、8年前の10月23日分のテーマ、『魂とは』が、考えさせられた。
幽体離脱の経験が難度かあるので、高橋信次の娘・佳子の『魂』の説明が、受け
入れやすい。深いところで、亡き両親と繋がっている感覚が現にある。 
誰にもあるのだろうが、その感覚を、
< 私たちの心・想いは、平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、
あらゆる世界に通じています。その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 
魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。魂とは、この人生
だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生の記憶と限りない智慧
湛えた存在であり、私たちを超えた無意識の膨大な経験と記憶の貯蔵庫、宇宙の源
という次元に繋がっています。> 
 とすると… 両親から受継いだ愛情に繋がっているような感覚が納得できる。
心とは、岩から流れ込んだ淡水と海水が混濁した洞窟内に。魂は外海に例えると
理解しやすい。自他の自が洞窟、他が外海。心・魂の説明の簡潔な解釈は、他に
多くある。他と繋がっている感覚は、両親の愛情の温もりと同じ感覚。
『魂を込める』といえば、「いま ここ わたし」に心を集中した状態である。
それが永遠の世界にコンタクトした垂直の時間になり、刻印される。

――――
3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは
2010年10月23日(土)
  先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。
 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。
  ーまずはウキィペディアによると
≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を体験
 するようになり、その肉体の自分とは違う霊体の自分を「もう一人の自分」と
呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学等の自然
科学を修めつつ、探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、
独自の探求を続けた ・・・≫
 ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。
それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。
  ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー
*敗北の時代 ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降バブル崩壊
 から嘘のように元気を失っている。財政赤字は900兆以上にもなり、収入は
 日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。
 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。
*最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、
 新しい挑戦が出来なくなっているからだ。
*人間には外界に左右されない内なる可能性があるーそのためには、今までに
 ない生き方に挑戦するとき、前向きな挑戦は本当に想像を絶するほどの違い
 が出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。
*「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」
 ->「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。
 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。
 この世界の物質をつくる元素は星の中で生成され、星が終焉を迎えるとき、
 超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。
 その魂の方はどうかというと、魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる
 存在である。肉体の基である外宇宙が百億光年以上のとてつもない広がりを
 抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。
 仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。私たちの心・想いは、
 平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に
 通じています。その魂の抱いている。 内宇宙とは、それにとどまらない。 
 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。
 魂とは、この人生だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生
 の記憶と限りない智慧を湛えた存在であり、私たちを超えた無意識の膨大な
 経験と記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命
 と存在を一つに結びつける、つながりと絆が張り巡らされたどの宇宙を、
 ≪ユニバース≫と呼ぶ。その≪ユニバース≫こそ、計り知れない広がりと深さ
 を抱いている私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=
 ユニバースに通じるゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、
 世界と光の共鳴を果たせる存在となる。
*魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的
 世界観の下では、自分が意味もなく生まれ、世界とは特別なつながりはない
 と思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた
 時、みな「つながり」によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、
 宇宙の源には、私たちが拠るべき、全ての解答と青写真が湛えられている。
~~
解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。「魂とは、生前、
死後に自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基につながっている」は、神秘的、
宗教的である。

H0403事業百訓
 385 、否定は結論であって、探究を中止する事だ。
  正しい結論は自ら体験をして、あらゆる角度から探究をして、
  疑問を解明してこそ出るものだ。
  根拠のない否定は自らを否定する事になる。(高橋信次

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2004/07/11
1195, 授かった不思議な力
 ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。先日図書館で借りてきた対談集
を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。何かこの世には窺い知れ
ない何かがあるような気がする。何回か書いたことがあるが、私にも何回か
幽体離脱?の経験がある。 歳を重ねれば重ねるほど、「不思議」という言葉
の奥行きの深さを感じるようになってきている。
私は「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を良く
はしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。人間には、
本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くあるような気がする。
 あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。

 以下は、ある対談集を書き写した。 
ーー
臨死体験後、不思議なことがありました。
結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。

私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、それだけ色いろなことが
重なると信じざるを得なくなりました。今では人に会うのが楽しみになりました。
そのたびに、その方の運勢がこれから良くなると思うと、人に会うのがうれしい。
だから生きていくことが、とても楽しくなったのです。…

…人間は地球上にみんなバラバラに住んでいるような気でいて、実は根っこで
繋がっているということです。自分の手にたとえると良くわかりますが、
人は指の部分、見える部分だけを見てこの人の学歴がいい、お金があるって
お互い比較するんです。でも手のひらの部分、根っこの見えない部分では
平等で,全部繋がっているんです。
何が平等かというと,命をもらって生かされている存在であるということ。
誰もいつか死ぬということ。大宇宙の大きな慈しみに満たされて生かされている
大切な存在という三つにおいて平等だと思うんです。

…だから臨死体験をしてつくづく、あの至福の世界が本物で、この世は
経ていく世界だっていう感覚があるんです。やはり人間の本分、ビーイングと、
現実社会での自分の役割、ドゥーイングのつながりに意識を向けていかないと
虚しくなっていくのではないかと。
人生のテーマを考える時、ビーイングの世界にまなざしを据えてこそ、
充実したものになるのではないでしょうか。
 
 ーその臨死体験の講演をまとめてみるー

奈良での学会に出席するため、友人のいる修道院に泊めてもらっていた。
その修道院は、宮家の立派な屋敷を改造した建物で、二階の客間から下に降りる
階段は高く急であった。

その夜、寝つかれなかった彼女は、何となく夜中に起き出し、暗がりの廊下を
壁づたいにそっと歩いた。曲がり角らしきところで一歩足を踏み出したが、
実はそこは廊下ではなく、その急な階段だったのである。
 踏み出した瞬間、足は空をつかみ、体はバランスを失った。

恐怖を感じる暇もなく、一気に下まで落ち、床に叩きつけられて、そのまま気を
失ってしまう。 ふと気づくと、私のからだは宙に浮かんでいます。
そして、空中にまっすぐ浮いている私を、高いところから、もう一人の私が
見つめているのです。

空中に浮かんだ私 の足の周りを、なぜかたくさんの筍の皮のようなものが
覆っていました。 それが蓮の花びらだとわかったのは、ずっとあとのことです。
台湾のさる有名なお寺を訪れたとき、仏像の足の周りを筍の皮のようなものが
包んでいるのを見て、あ、これだったんだと思いました。

それは蓮の花びらでできた台座でした。
その筍の皮のような花びらが足もとから一枚一枚散っていくのです。
高いところからそれを見ているもう一人の私は、花びらが散るごとに、自分が
一つひとつの苦しみから解放されて、自由になっていくのがわかりました。
 
一枚落ちると、
「ああ、これでもう人の言うことに煩わされなくてすむ、私は自由になった」  
 と思い、さらにもう一枚落ちると、
「もう人に気を遣い、不安に脅かされなくてもすむ、私は自由になった」   
 とつぶやいているのです。 限りない解放感と喜びが胸に溢れてきました。  

花びらが最後の一枚になり、これが落ちたら完全な自由になれると思ったとき、
最 後の一枚の花びらは落ちることなく、からだがすっと飛翔しました。
そのとき、見ている自分と見られている自分が一つになりました。   

一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に
包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。
まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。  
 
それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、
交流している生きた光なのでした。
これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。
不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。
オリンピック選手がベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、
こんな状態のときなのでしようか。

からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。
その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。
 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、
受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。

もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれること
ではないかしらとも思いました。真に満たされた状態とは、こういうことを
言うのでしよう。しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。

 あっ、これが永遠なんだと私 は思いました。
心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが最高の状態で調和しています。
 そんな至福感に包まれていたとき、どこからか声が聞こえてきました。
「癒してください、癒してください」  
 その声には、少しつたない感じの独特のアクセントがありました。  
その声が聞こえてきたとき、光であり命そのものの主が「現世に帰りなさい」
と言いました。
それは言葉ではなかったのですが、そう伝えられたのがわかりました。
そしてさらに、「現世に戻ったとき、いちばん大切なのは、知ることと愛する
こと、その二つだけが大切なのだ」というメッセージを私は受け取ったのです。  
 
真夜中に突然、大きな音がして叩き起こされたシスターたちが見たのは、
寝巻き姿で階段の下にうずくまっている見知らぬ女性だった。 鈴木氏は、
それでも「大丈夫」と言いながらよろよろと立ち上がり、支えられながら
二階の部屋にあがったという。が、また気を失った。そして、上に述べられた
ような不思議な体験が彼女に起こったのは、救急車が到着するまで修道院
二階のベッドで意識を失っていたあいだのことだったようだ。
至福感のただ中にいたときに聞こえた、少しつたない感じの「癒してください」
という声は、そのときベッドの周囲を囲んでいたなかにいた外国人シスターの
祈りの声だったらしいという。

幸い肋骨のひび程度で大怪我をまぬかれた鈴木氏は、事故後の静養中にさらに
次のような体験をしている。
階段から落ちた翌日は、運動会の次の日のように全身がズキズキ痛んでいました。
全体が大きな瞳れ物と化したようで、ベッドの上で寝返りを打つのも、つらい 
状態でした。けれども、そんな肉体の痛みとは裏腹に、精神は高揚していて、
とても 気持ちがいいのです。

階段から落ちた前後の自分の行動の記憶はまったくないのに、あの不思議な
光に包まれた記憶は鮮やかに脳裏に焼きついていました。あのまばゆい光の余韻
や、悟りの境地にも似た研ぎ澄まされた感覚は、忘れようとしても忘れられない
ものでした。私は限りない至福感に満たされ、恍惚とした気分でベッドに横た
わっていました。 ようやく歩けるようにたった次の日、外の空気が吸いたく
なった私は、痛いからだをひきずって窓のところへ行きました。
窓を開けると、そこには秋の田園風景が広がっていました。
刈り入れを終えたあとの田圃がどこまでも続き、稲が束になって下がっています。
のどかな景色を眺めながら、自分が今、奈良郊外にいることをふと思い出しました。  

すがすがしい稲の香りが胸の中に広がったとき、突然、大きな感動がからだを
貫きました。 稲や土、光や風、自然界のありとあらゆるもの、大宇宙のさまざま
なものがすベて、素晴らしい秩序の中にあって、それぞれが一つひとつの役割を
果たして調和している、そうして燃えている―─。  

それは閃きに似た強烈な感動でした。大宇宙との一体感を、頭ではなく、
からだ全体で、魂の深みで悟ったような感じでした。目から鱗が落ちるどころ
ではありません。そのような至福の状態が三日間くらい続いたでしようか。
からだが治っていくにつれ、その高揚感も薄れ、やがて徐々に日常の平静な状態
に戻っていきました。

けれども、あの光に包まれる体験をしてから、まるで別次元の境地に達したよう
に、私の中ですべてが変 化していました。それまで悩んでいたいろんなことが、
とても小さく見え、いっせいに霧が晴れたように、私の人生はすがすがしく晴れ
渡っていました。そして、私の心の中には、ある言葉が、美しい鐘の音のように
響きわたっていました。
 「大切なのは、知ることと愛すること。それだけが大切なのだ」

鈴木氏は、その後に彼女の身に起きた数々の不思議な出来事によって、あの光
との出会いの体験が、たんなる夢や幻覚ではなかったという確信を深めていく。