閑話小題 ~コロナ禍の元、娑婆の具合は? ~1

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    * 夜の街、コロナ禍7ヶ月後、如何なった?
 今年に入ってから、一度も夜の巷に行ってない。行く誘いも、機会もない。
後期高齢に至らんとすれば至極当然。 感染したら、@城下町八分」になる。
家内と月に1~2度、ランチを供にする以外は、週に1~2度の‘一人ランチをする。
 週一の割合で… 酒と、ツマミを買出しにでる。 冷凍ビザ、スパゲッティ、
惣菜を買い溜め、引籠りを何とか満喫?している。 家内との会話以外に接点が
ゼロに近いが、それでも、何ということはない! 家内と私の年金が定期的に
振り込まれているので、当面の心配はないため、娑婆の惨状は分らないが、
それは大変の筈。
 情報コントロールもあるのだろうが、TVからの生々しい話題が少ない。
コロナ禍が始まって以来、何故か、私への風圧が少なくなったような。

 そこで‘夜の巷の現状は如何に…?’大変だろうが、地元の状況の情報は
ほゞ、ゼロ! そこでネットの地方都市の広島の世界を検索すると、なる程、
生なましいのがあった。

≪ 「既に700店が閉店」 広島流川・薬研堀で聞くコロナ禍の実態 
                       深刻な飲食店の廃業
新型コロナ感染の「第二波」が全国各地を襲うなか、広島市中区の流川・
薬研堀などの繁華街では飲食店を中心に閉店や廃業が加速している。
「すでに700軒が店を畳んだ」といわれ、感染収束の見通しが立たない状況に
見切りをつけるように老舗料亭やカラオケ、中小零細の居酒屋などがあいついで
営業をやめている。感染防止のため自粛ムードが覆うなかで、行政の対策は
いぜんとしてマスクや消毒の励行など個人的防護策にとどまっており、検査体制
や休業補償などの足踏み状態が続けば、「耐えている店も年末まで持たない」
と語られている。

 流川で15年営業してきた割烹店主は、「5月の休業要請で1カ月間休み、
6月は感染者が出なかったので客足が戻っていたが、第二波が始まってからはまた
客が減り、昨日もお客はゼロだった。第二波の打撃の方が大きい。常連客から
“やめないでくれ”といわれているから頑張っているが、この状態が年末まで
続けばうちも店を閉めなければいけなくなる。1~2月は例年売上は低く、一番の
かき入れ時の12月に閑古鳥が泣くようであれば赤字をとり戻すことはできない」と。

 市内の企業では社員に「夜間の外出自粛」の指令が出ているため、接待や会食
などの団体客はおろか個人客も激減。持続化給付金100万円は2カ月分の支払い
で消え、家賃補償で3分の2が免除されても、従業員などの給料を支払えば
毎月30万円の赤字になる。近隣ではカラオケ、スナック、割烹料亭、串カツ店、
中華料理店、薬局など馴染みの店が8月までに次々と閉じ、「先が見えないのに
借金だけを膨らませるわけにはいかない…」と口々に語っていたという。 ≫

 ――
▼ 惨憺たる状態だが、何処も大同小異だろう。
 元もと、このコロナ禍の以前から、瀕死の状況を聞いていた。夫婦して
生抜いてきた小料理屋、スナックが、対象の団塊の世代が定年を向かえて、激減
して廃業の瀬戸際の中で、これである。蓄えも使い果たし、年金も国民保健のみ。
‘前日の店の売上で当日の食材仕入れて’客を待つ。 愚痴を聞かされた上に、
「悪いけど、釣り銭もないの」じゃ、客足が遠のく!廃業をしたいけど、契約が
ケルトン!じゃ、止めるに止めれない。この経営状況が個人業の大部分。
                               ~つづく!
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6787,閑話小題 ~ワールドカップラグビー
2019年10月14日(月)
    * “魂の24分間”強豪スコットランドに得点許さず
 さて寝ようと思った瞬間、そういえば、ラグビースコットランド戦が
あったことを思いだしチャネルをまわすと、開始後から30分近く経過していた。
 ロシアから61点、サモアから34点を挙げている相手。どのみち、圧倒的に
敗けると思っていたが、日本が勝っているのに唖然。急遽、座を正して、その
世界に没入していった。漫画の世界のような素早い動きで、大男の間は、すり
抜ける場面が何とも面白い。 としても、まさか勝利を勝ちとるとは!
この災害の最中、何事もなかったように、試合が行われた裏事情はあった
のだろうが… これも勝ち進んだから言えること。
   ~ネットより~
《 日本が前大会で敗れた“因縁の相手”スコットランドを撃破し、4連勝で
 大会初の準々決勝進出を決めた。先に4トライを挙げ、28-7とリードを広げた
ものの、後半に追い上げられ28-21の1トライ1ゴール差(7点差)に。
 ここから“魂の24分間”で相手に得点を許さず、勝利をつかみ取った。
福岡の2トライなどでリードを広げ、いいムードが広がった後、スコットランド
が牙をむいた。 後半9分、14分と立て続けに突破され連続トライ。
コンバージョンも決められ7点差に詰め寄られた。日本のキックオフの時点で
試合の残り時間は約24分だった。 引き分けでも準々決勝に進めるとはいえ、
流れは相手に傾きかけていた。相手陣内でフェーズを重ねても、相手フランカー
リッチーにジャッカルで日本のノットリリースザボールを誘われ、相手ボールに。
いつ4本目のトライを奪われてもおかしくない展開だった。…
 …スコットランドは、4トライを奪った上で勝たなければ先に進めず、トライ
だけを狙わざるを得ない状況だった。》
 ―
▼ 『One for All , All for One. 一人は全員のために、全員は一人のために!』
─「チームスピリット」を示す ラグビーの合言葉である。 チームプレーが大切
なのは、スポーツで、ビジネスで、一般社会でも同じ。アイルランド戦同様、如何
からみても、勝てる要素が見当たらないと思って日本が互角以上に戦いに勝った
のだから日本中が湧き上がったはず。全スポーツの中で、ラグビーこそ偶発の勝利
は無いと言われる競技。それだけの力があればこそ。 終日、地元長岡の信濃川
土手堤防の決壊に冷や冷やして過ごした後なればこそ、鬱憤の丁度いいはけ口に。

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6423,旅行の話 ~パックツアーの構造 ―4
2018年10月14日(日)
   * 人生も旅も、遊びですよ!
 要するにツアーは、旅ゲーム。地球を遊び場とした遊び。ただし少々危険な!
『パックツアー』のHP内検索で、6年前の「文章」が出てきた。人生そのものを、
"観光" "旅" "旅行""ツアー"から類推すると、考えさせられるヒントが垣間見え
てくる。長い人生もまた、それぞれの要素が絡み合い、様々な問題が解けて見える
ような感覚になる。
 パックツアーなればこそ行ける旅先に、ゲーム感覚で、旅の「道中」の予期せぬ
トラブルを愉しみに替え、目的地の光と影に感動し、束の間の旅路を愉しむことが
人生の旅路と重ねる。

 「物語」は、ヒーロー、ヒロインが様々な難関を解決し、乗り越えていく過程
を味わう筋立て。義務教育からは、高校、大学は、実社会へのモラトリアム期間
(猶予期間)。子宮内で、生命の進化過程を経験するという。 
高校、大学時代は人生の旅立ち前に、サークル、バイトに、恋に、遊びに… 
広く交友を持って一生のデザインを考える予習の時節。リタイア後は、目先に
迫った死を前にして社会的束縛から一度、解放され第一の人生の復習と、第二、
第三の人生を歩き出す節目時。
 様ざまな人間の生き様、考え方も、ツアー最終段階と、帰路の飛行機内の思い
に耽る黙想に酷似している。人生は、旅を類推し、同定することからヒントを
得ることが出来る。 短かそうで長い人生にはトラブルが付きものだが、問題は
解決のための事前準備。困難は出たとこ勝負でも、その多くは、経験知として、
知識として事前に知ることが可能である。『それさえ知っていたら!』の無知の
涙を流すことになる。 その経験知が集約されたのがパックツアー。

 まだまだプッツン前に、見たいところだらけ… 観光ツアーでも充分、魂に
歴史を刻印をしてくれる。秘・異郷ツアーは、日常の100倍の価値を感じとれる。
ライフワークとなると、話しても話しても、話尽きることはない。 
 52回×10日×100倍=52000÷365日=142年。
少なめで10倍の濃度で、14年分は長生きした充実感はある。
とすると+14歳=86歳? いや、実感はマイナスで、58歳。
実感は2倍、70年! とすると、日常の50倍の濃度。 
 …丁度、話半分ですか。

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4205, 異郷日記 ー日本人の人生は、ツアーに似ている
2012年09月30日(日)
               「異郷日記」西江雅之
  * 現代の日本人の人生は、ツアーに似ている   
 数年前に、この人の書いた旅行記を何冊か読んだことがあった。
早大の教授で、世界の言語の研究のため、アフリカなど世界の僻地で直接、
原住民と触れ合う機会が多く、その体験談は非常に奥行が深い。この本は
4年前に出版されたものだが、既に早大を退職し、気ままに国内外を講演で
まわっているという。その著者の体験談の一言一言はツアーでしか、秘境に
行く機会のない者にとって、参考になることばかり。
 まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から…

≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で"異郷〃との
 重なり合いが見出される。目的地の異文化度が高ければ、当然、その重り合いは
 大きくなる。
◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に味わう
 ために金を支払う行為」と言えそうだ。一般的には、その行為は多かれ少なかれ、
地理上の身体移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇という時間を
持つ社会に属す人々にのみ許された行為である。目的地で一時的な異郷感を味わ
させてくれる事物は、土地の人々から見て、必ずしも本物である必要はない。
それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物であったならば、訪れる人々
にとっては受け入れ難い事物の方が多くなり、観光は成り立たなくなるだろう。
それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮かべれば明らかだ。 
 観光には"…らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、それを主催する
側とを含めた、全体としての観光というものを話題の対象とすれば、そこには、
企画、経営などという側面が大きな役割を果たすことは言うまでもない。
しかし、その場合でも‘・・・らしさ’は見過ごせない要素となる。

◎‘旅’は何より「道中」が主役。古典文学を見ても、旅の話を支えているのは、
 目的地に至るまで の道中で出くわすことになる数々の予期せぬ出来事だ。
道中で何が起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、
一段落となる。道中にいる間、旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると
自覚する者は、本物の異郷の人である。

◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地までは
 交通手段を利用して安全に運ばれる。目的地に到着してから、旅行者は思い
思いの活動を各自の興味に応じて開始する。結果として手に入れたいと望むのは、
個人的な楽しみであり、良き思い出である。

◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。それのみか、
 道中、宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、あらかじめ他人によって
計画に組み込まれていて、それなりの効果を狙った演出も準備されている。
参加客は、それらの催し物を次々にこなしてゆくことで移動を終える。多くの場合、
自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。物足りなさも残される。
しかし、全行程が保証されていて、何を見て、何をすべきかを考えなくても安心
できるという利点もある。昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の
日本人の人生は、ツアーに似ているとも思えてくる。≫
▼ あと三回で世界旅行(主にツアー)50回に達成する。一応、来年中と
 考えていたが、年金生活者、家内の鞄持ちとして年一度が限界か、それも無理? 
しかし30年近くかけて小刻みに安いパックを探して行っていたので充分満足
しており悔いはない。 著者の「現代の日本人の人生は、ツアーに似ている」
は、言いえて妙である。 ツアーより、むしろ観光に思える。 そこでは"…
らしさ"が重要と,信じられているからだ。それらは受け止め方の違い。
やはり実感は旅である。
 
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4594, そして、人生はつづく ー5
2013年10月14日(月)
 * 生き直すために ー2        
         ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆
  ー 前回の『生き直すために』の続きから        
《・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。
 サッカー観戦、自転車、イグアナも、時間を潰すため。酒をやめることで
仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 
AAで、最初に「私は、自分では何もできない人間であることを認めます」
と言わされる。これは一理あった。自分で人生を立て直せる」と思い込んで
いると、依存症から逃れられない。
 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある
限り、人生のやり直しはできない。就職のやり直しにしても、結局は運です。
「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。
自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。
人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。捨てた結果、
その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。
会社を辞めたことも、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くを失い
ましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れたものも明らかにある。
あそこでやめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。
どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革
するなんて不可能。ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、
何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、
ガンなどで余命が見えて、その克服や人生を改めて見つめ直すために来ている
人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは出来ないが、考えるために、
極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に
似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは「前向きに目をつぶって倒れこむ」
しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。
これも一期一会。捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。
といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。
最期は、「そして、人生は終わり」!「プツン!」。

・・・・・・
5691,自分のための人生 ~④
2016年10月14日(金)
           『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
   * 「幸福は才能なり」
 『幸福』について、この数年来かけて考えてきた。
以前なら、幼稚な話題として避けていた。当然、会話で話題にすること自体が、
憚れた。それが、老い先短くなればこそ興味が湧いてきた。「私の人生、幸せ
だったのか。」と、冷静に人生を振返るテーマになる。 私自身、幸福系と
思いこんでいる。家内は、私より遥かに幸福系である。両親の愛情を一身に
受け育ったことがある。不幸の事態に多々あってもも、何かの力で、一瞬、
助けられてきた。判断と決断にあたって、純粋な視線と、集中力を持ちえた
ためだろう。傍からみれば、「不幸な大変な人」だろうが、そうでもない。
                    ~p/29~       
≪・学業が優秀な人、ある種の学問分野にひいでた人が「知的」であると
 思われているが、しかし精神病院には優秀な成績証明書を持っている人も、
持っていない人と同じようにあふれるほどいる。 ・・・(中略)
いわゆる知能を測定するためのよりいっそう確かなバロメーターは、一日一日
を、更に一日のうちの一瞬一瞬を、効果的に幸せに送っているかということ。
その瞬間を費やす価値のあることのため一瞬一瞬を生きているなら、そういう
人こそ知的だといえる。たとえある特殊な問題を解決する能力はなくとも、
幸福な生き方を「選ぶ」ことはできる。最低限、不幸を選ばないということを
わきまえている人は知的である。 ・・・(中略)
・問題を解決する能力によって知能を測定するのではなく、むしろ、問題
そのものは解決しようがしまいが、自分自身は幸せで価値ある人間で要られる
才能を持っているこかどうかで、知能は測定できる。 ・・・(中略)
・金銭、老齢化、病気、死、天災、事故などはすべて、どんな人間にとっても
問題になる事柄であるが、そのようなことが起こったとき、うまく切り抜け失意
や不幸にとらわれない人もいれば、衰弱し、不活発になり、神経衰弱に陥って
しまう人もいる。人間である以上、問題の一つや二つあって当たり前と受け止め、
問題の有無を幸福の基準としない人こそ、我々が知る限り最も知的な人々である。
そしてまた、最もまれな人々でもある。
・「NHK 白熱教室 /考福学(ディーナー博士)」によると、
「幸せは、人を介したネットワークによって伝播していく」
「人とのつながりが、生涯の幸福度を決める」とのこと。幸福な人のもとには、
 幸福な人が集まり、さらに伝播していく性質を持っている。≫
▼「幸福は才能なり」とは、いいえて妙。幸福の人には、不幸の人を近寄せ
ないバリアがある。才能とは、持って生まれた性分と、長年かけてつくられた
能力がある。幸福論によると、<幸せの状況は、マイナス1に対し、プラス
3~6以上割合で、それらの要素を身につけているかにある>という。
仏教系は、苦を滅することを教え、西欧系は、楽しみを増やすことを勧める。
楽しみは、求めれば幾らでも得ることが出来る。その為には才能が必要になる。
 どちらを選ぶかは、その人の特性で選べばよい。どっちつかずが一番悪い。
5年前の節目時に、少しキツメな一日、一週間の日程を自分に課した。そうでも
しないと、自滅する危険があった。その日程で、充実した日々を過ごしている。
・・・・・・
4961,閑話小題 ー齢は68になって
2014年10月14日(火)
   * 齢は68になって
 何度も何度も書いているが、ふと気づくと、あと三ヶ月で古希である。
まさか自分がである。周りを見渡すと、誰も彼もが年下に見えてくる。
4人に3人以上が年下なら、こんなものだろう。中、高、大学の男たちの
4人に1人の割りで亡くなっている。私も父が亡くなった歳まで、あと二年。
私が20代半ばで、父親が老衰していくのが悲しかったことを憶えている。
あと、せいぜい7~8年だろうが、やはり身体の衰えは隠せない反面、
世界への関心は、ますます強くなっている。 このところ歩いていて、
20分もすると、腰が痛くて据わりたくなる始末。 何事も面倒になるし、
頭の切替えが以前ほどきかない。人生の多くを、し尽した感があるので、
さほど、老いに対してマイナスの気持ちは少ない。その時々に、やるべき
ことをしてきた実感があるからだ。人生のトータルとして、面白かったし、
楽しかった。嫌のこと一つに、良いこと三つの割合である。そう割り切ると、
老いもまた乗り越えていける。まあ、何事にも興味を持って、感動と感激と
感謝の出来る心の新鮮さを失わないように
したいもの。
   * インコのピーコ
 我家のペットは、30数年来、インコである。私はペット好きだが、
家内が生きものが大嫌い。そこで、何とか小型の小桜インコに妥協し
飼ってきた。 大体が2~3年で亡くなったり死んだりした6代目の後、
5年前に中型のコガネ・メキシコインコに切替たが、風邪と下痢で一年
余りで死んでしまった。これが、鳥というより犬に近い感覚で、人に懐いて、
その利口さに驚かされた。小桜インコとは格段上に、人の気持ちを読み取り、
言葉を理解でき、クシャミや、鼻水を出し、頭を撫ぜてもらうのが大好き。
しかし、熱暑の最中に、下痢をおこし衰弱をして亡くなってしまった。
そして、現在の、オオム科最小の大きさの「マメ・ルリハインコ」。
コガネインコに比べ、反応は低いが人恋しいため、ベランダのサッシ越しに
常に呼びかけてくる。席を立とうとすると、鳴いて振り返させ、枝を回転
して、「行くな」と自己表現をする。多いときは、50数回も回転する。
必死の呼びかけの「美味しそうな?鳴き声」に、近くのカラスや、スズメ、
渡り鳥などの野鳥が反応し、庭や、ベランダに集まって来ている。
夕暮れ頃に、野鳥が一匹、挨拶に来ているが、そろそろ渡りの時期である。