読書日記 ~「笑い」の解剖 ~1

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          <「笑い」の解剖 中島隆信著
   * 「笑い」の4段階説
 性格もあるが、ストレスの多い人生だった。それでも何とか、解消の工夫で
乗越えてきた。その都度、解消しないと即座にうつ症状になる事態の連続…
秘・異郷ツアーの参加や、禅・ヨガに興味を持ったり、早朝の散歩・ポタリングも、
その一つ。朝一の、このブログの書上げも、その一つ。ストレスは、不自然な状態。
その自分に親しみを感じて、己を突き放して冷笑する。そして、不自然な自分を
開放する。 Amazonの読者レビューが、この概要を纏めてある。
 
≪ 人が笑うまでのステップ「笑いの4段階説」という考え方を提示している。
 これが本書の根幹。なかなか説得力のある説明で、論理フローチャート
 も図示されている。「笑いの4段階説」を簡単に説明すると以下の通り。
 ー
・第一ステップは「不自然さを認知すること」と定義している。
 人は「日常的な自然」の状況では脳に余計な負担を掛けないために、深く考えずに
 行動し日々過ごしている。一方、不自然な状況に直面すると、自身に危険が及ぼす
 かどうかの判断を始める。この「自然」から「不自然」への切替が笑いのスタート。
・第二ステップは、目の前の「不自然さをもたらす相手に親しみを持てるか」。
・第三のステップは「不自然さに対する当事者性が低いこと」としている。
この三つのステップを説明するために著者はこんな例を挙げている。
まず、町中で人がよろめいて突然倒れたという状況を想定する。この状況は
「不自然」なので第一ステップはクリアーする。しかし、倒れた人が、警官に
追いかけられていた万引き犯だとすると、万引き犯に「親しみは持てない」ので
第二ステップをクリアーできない。
次に、倒れた人が自分の父親だとすると「親しみ」があるので第二ステップは
クリアーするが、「当事者性が強い」のでケガはないかと心配するのが先で、
笑うことは無い。最後に、着ぐるみのゆるキャラが倒れたらどうなるのか。
「親しみ」はあるのでこれも第二ステップをクリアーするし、中に入っている人
とは当事者性は低いので、笑いに繋がっていく。
・第四ステップは「不自然さから心の解放が出来ること」としている。
 「不自然」から始まった「親しみ」「非当事者性」という状況を精算してチャラ
 にするという「心の解放」によって脳の負担が減る事が「快楽」であることから、
 笑いが生まれると言う考え方だ。
 ―
人間は脳を進化させ、道具を発明し、言語を作り、社会を構成していった。
その代償として抱え込んだのが外的・内的のストレスである。こうした蓄積する
ストレスを解放してチャラにすることが笑いであり、そのプロセスが「4段階説」
であるという。ここまで、読み進んでいくと、自分もいっぱしの笑いの研究家の
ような気分になってくる。加えて、過去の笑いに関する研究が紹介されている。
プラトンアリストテレスが提唱した、笑いとは対象を見下し優越感が出来た時
の行動で、人の失敗を笑うといったことなどを説明した「優越理論」や、社会生活
で鬱積した心的エネルギーが臨界点に達した時に放出される笑いとしての下ネタの
ような性的ジョークや、からかい(攻撃的ジョーク)などの「解放理論」。
「西洋人らしく見える人が流暢な大阪弁を話す」など予想と現実の不一致から
起きる笑いを説明する「不一致理論」などが紹介されている。しかし、これらの
理論の限界は、笑いの内容に原因を求めているため、全ての笑いを説明出来ては
いないとする著者の意見は納得できる。
 ―
▼ このパンデミック禍。人類の右上りの成長に、待ったをかけてしまった。
 その戸惑いの右往左往は、まさに御笑い。その最たるものが、各自それぞれ!
ほんの数ヶ月前まで信じられていた未来が、ことごとく破壊され新たな出発を
余儀なくされた。 「赤信号、皆んなでわたれば怖くない!}とはならないから、
困ったもの。太平洋戦争を跨いで生まれてきて、75年近く。終わりは、この
パンデミック禍の最中で、プッツンということですか! なる程、生きてきた
ように、死んでいくことになる。

・・・・・・
2016/04/04
閑話小題 ~『男って、定年になったらいらないのよね!』~①
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7~8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7~8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、
追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、
人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく