読書日記 余命宣告されたら何を読みますか?

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         <生きることばへ 余命宣告されたら何を読みますか?> 
                          金子 直史 (著)
 ガンで余命宣告された記者が、渾身をこめて書いた記事なればこそ、
ここで紹介した短文に魂のシリアスな息吹きが感じとれる。
誰かに縋る思いで発する言葉が、<余命宣告されたら何を読みますか?>。
その自問自答なればこそ、読者を惹きつける。
  ~Amazonの読書案内~~
≪ 病を得て余命宣告された硬派のジャーナリストの最後の仕事は、
 死に直面した文化人たちの格闘を読み解き、伝える連載だった。
絶筆となった渾身の連載稿に、並行して書かれた詳細な日記を付す。
【 人は普段、いつもの平穏な日常が続くことを疑わない。だから思いも
寄らない病や命の危険に突然直面すると、未来への不安、死への恐怖が避け
ようもなく広がる。そこで人の生、そして死は、どう見えてくるだろう。
その問いに正面から向き合った文化人らの作品を読み解きながら、生きるため
の希望を探りたい。本文より… 】 特別寄稿:窪島誠一郎  解説:黒川創
●目次
  まえがき──共同通信社 文化部長 加藤義久
「生きることばへ」
 「命の叫び」を画布に──戦没画学生慰霊美術館「無言館
 病を楽しむという境地──俳人正岡子規「小さな世界」の輝き
 豊かな感受性と闘う意志─スーザン・ソンタグ 生の美しさ、揺るがない軸
 恐れに屈しない快活さ──中江兆民「一年半は悠久なり」
 祈りを収める小さな函──高見順「なまの感慨」
 無数の死の悲しみを受けて──原民喜 生と死の記憶を胸にたたえ
 日常の奥底、止まる時間──被爆者にとっての記憶とは
 特攻というあまりに特殊な死の形態──戦争による生死の意味
 原爆から水俣へ──「なぶりもの」にされた人々の現実
 「海と陸の精霊」が交歓する世界─悲しみを引き受け希望を胸に 石牟礼道子
 水俣で見えた近代の闇─鶴見和子 「魂」を地域で再生させる「アニミズム
 病を受け入れ世界へまなざしを開く──鶴見和子 人生の最後を彩る病と歌
 未来と関係しない時間の豊かさ──見田宗介 近代のむなしさを超える契機
 世界の奥底の兆し見つめる──宮沢賢治の「天空の地質学」
 悲しみを通じて見えてくる輝き──自分という存在の「解放への通路」
 生者と死者の共生感覚──奥野修司 東日本大震災遺族への聞き取り
 死者の実在を身近に感じる思い──若松英輔柳田国男「日本人の死生観」
 ありふれた日常的な生活用品だからこそ─生々しい石内都ひろしま』の面影
 生の極限で保つ人間の尊厳──フランクル『夜と霧』の問いかけ
 濃厚に立ちこめる戦争の記憶─目取真俊 忘れ去ることのできない死者の存在
 基地の存在のリアリティー──大城立裕と目取真俊の作品から
 戦争とは一人一人の悲惨の記憶──大田昌秀「生き方の原点」
 今を問い直す沖縄の現実──他人の苦しみを自らのものと感じる心
 ベラボーなものを核に──岡本太郎の「殺すな」
 歴史を生きる一人一人への洞察と共感─その一方で、吉村昭の衝撃的な選択
 揺るぎない生命の姿──西部邁自死いざなう徳義の思想について
 「美しい死」「ロマン的な死」─過剰な意味付けを超える「生そのもの」
日記(金子康代編)
 2016 2017 2018
特別掲載 ある記者との糸電話──窪島誠一郎
解説 金子直史さんのこと──黒川創
あとがき──金子康代
 ――
▼ そう遠くない、今日、明日でもあるかもしれない『余命宣告』。
 還暦過ぎれば…、特に男は、何時なんどき宣言されても不思議でない。
私の代わりに?、誰かに順番がまわった話は聞くが、恐れは意外と少ない。
こういった本を数多く読んできたこともある。‘魂という名のエネルギーは、
何らかのカタチで残ることを直感できている’こともある。 一回限りの、
その人の人生は決して消えはしない。いや消えたで消えたで、それも良し。
一生とは、その道標そのもの。それはそれで… 私たちの周囲には。多くの
死者の存在に囲まれている。 毎日、4~5時間パソコン前に座っているが、
その先3m先に仏壇があり、何かにガッチリと抑え込まれている感覚がある。
それが最期には、祖先の元(絶対無)に還っていく実感だろう。
 次回から、その幾つかを紹介するが、これが深くて、なま温かくて…
魂のオーラがあり… まだ生かされていることの意味は何でしょう。
ただ、まだ死ぬ気が全くしないのは… 
なる程、この心境が〈前期高齢の最終年〉ですか。    
                        ~つづく
・・・・・・
2019年02月28日(木)
6559,閑話小題 ~
     <『考えるとはどういうことか
             ~知のトレッキング』外山 滋比古 (著)
 思考とは「知識と経験とを結合して新知識を創造する際の『触媒』である、
とする内容。とすると、このブログは、その役割を担っていることになる。
触媒とは言い得て妙。触媒の対象によって、結合がマイナスに働き、知識、
経験を劣化させる可能性を含んでいる。『考えるとは~知のトレッキング』。
ウォーキングであり、ランニングであり、トレーニングでもある。
6550のテーマと、内容。これに毎日、新たな知識と経験を書き加えいく日々。
細やかな思考と、内省。これも慣れてくると面白い。右手の人差し指の触媒と、
自分に向けた中指、薬指、小指と、上に向いた親指で融合する。
左手は受けてたつ役割。 空の手か、宝を持つ仏の姿。 考える姿そのもの。 
  ~Amazonの読者レビューの要約から~
≪本書において,既存の「知識」と組み合わせるべき自己の「経験」を重視し,
他人の作った知識よりも,自分自身の経験の場である生活を重視すべきだとする
考え方,すなわち,思考とは,「知識」と「経験」とを結合する「触媒」であり,
自己の経験を従来の知識と関係させることなしには,新知識を創造すること
できないとする考え方は,最後まで一貫しています。
・著者が第1章で「球面思考」(筆者はこれをを四次元の世界にたとえています)
を強調しているのは,考えるという触媒作用にとっては,他人の「知識」は
もちろん,自分の「経験」とも適切な距離を置き,「岡目八目」的な場に身を
置く必要があるからでしょう。
・第2章で,「考える」とは,他人から得た「知識」を素材として,それに自分の
「経験」を加味して,二次的な知識を創造するための「触媒」(作用)である
(50-51頁)と述べて,読者の最大の疑問(考えるとはどういうことか)に答えて
います。
・第3章で,人生における大切な選択のためには,冷静に「考える」ことが重要
であり,他人の意見ばかりでなく,自分の直感を鵜呑みにすることの危険性を
強調しているのも,同じ発想に基づくものと思われます。
・第4章と第5章は,日本人が良く陥る,自己の文化を低く評価することに対する
反省を促すものであり,球面思考の応用となっています。
・第6章(最終章)は,触媒作用としての「考えること」がいかに価値があるか
を示すために,他人による一次的創作よりも,自分の経験を加味して創作した
二次的創作の方が価値がある例を挙げて論証しています。

 このように,本書は,日本文化をはじめ,二次的著作等について再評価しよう
とする主旨は一貫しているのですが,記憶の整理・消去に関する記述において,
ノンレム睡眠レム睡眠を間違えて記述したり(7頁),著者の経験談が繰り
返されたり(54頁と153頁)ということで,本書の説得力が弱められているのが
惜しまれます。そうとはいえ,「思考」を新たな知識を生み出す際の「触媒」
と捉えたことは卓見であり,思考を「知識」や「経験」と同等のものとして
扱ってきた従来の発想を転換するものとして,高く評価されるべきだと思います。
 私自身,読書をして感銘を受けた場合であっても,それを「自分の頭で考え直す」
作業を経ないと,理解できたはずの知識を自分のものにすることができないことを
実感していましたが,本書の「触媒」理論を通じて,はじめて,その意味を理解
できたように思います。「自分の頭で考える」という触媒作用によって,
「他人の知識」とこれまでの「自分の知識」とが融合し,自由自在に使うことが
できる「新しい自分の知識」が生み出されていると感じることができたからです
 (なお,「自分の頭で考える」ということの意味については,
稲垣佳世子=波多野誼余夫『人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 』中公新書
(1989)46-63頁。 山鳥重『「わかる」とはどういうことか−認識の脳科学
(2002)77-78,110頁が認知科学の視点から考察を行っており,参考になります)。
本書には,普通の読み物としても,面白い箇所(全寮制教育がジェントルマンを
生み出す,ことわざ・川柳・日本語の再評価,民主主義の盲点,料理は高度な
知的活動であるなど)がたくさんあるので,「自分の頭で考えること」が好きな
すべての人に本書を薦めたいと思います。≫

▼ ため息が出るほどの識見。「(全寮制教育がジェントルマンを生み出す),
 には納得。学生時代の「青雲寮」は人生の砂場そのもの。 その割には、
ジェントルマンの真逆とは、是、如何に? だって、面倒とはいえ、
フリでもしなければならないのが、これ! やっておけば良かった?
世間の常識から身を守るには、ジェントルマンじゃあね。
 いや、御品が悪いだけ! ところで、「みられているよ」の婉曲の非難。
『何を、何処をみているの? 自分の三本指を親指に向けた創作でしょう。』
  今日のオチは、こんなところで、‘おちつき’ました。
 
追文: 書き残しておく意義は、私にとって充分ある。書いてなければ、
永遠の彼方の忘却で消え去っていた行蔵。 時どき、うす笑いの蔑視の視線を
受けるが、覚悟のうえで晒しているので、仕方がないと受入れている。

・・・・・・
2018/07/08
閑話小題 ~今年も半期の終了 -6
   * ~スイス 名門寄宿学校~ Ⅲ 『ボー・ソレイユ』
 まだまだ書き足りない感が残ったため、録画の三度目の見直しをした。
以前、『3・10・60・27の法則』の法則をテーマに取上げた。ここの教育方針は
帝王学』で、まずインテリジェンス(知性)のベースを構築を図っている。
インフォメーションが「生の情報」であるのに対して、インテリジェンスは
「加工された情報」という意味で、インフォメーションをもとに分析された情報
などのことをいう。加工された情報を鵜呑みにしないで、ベースに自らの知性で、
生の情報として考えられる能力を生徒に身に付けることを目指している。
そのためには、「何故、何故、何故」と、常に自己問答する習慣が必要と教える
のである。洗練された自由人である。この情報・知識を元に、知恵に変えて、
モノゴトを判断し、プラスに導くことが、インテリジェンスになる。
  ~この紹介文より~
≪ アルプス山中のヴィラールにあるボー・ソレイユ校は1910年の設立で、由緒
ある著名なプライベートスクールです。英語で学ぶ国際部とフランス語部があり、
卒業時にそれぞれIB、FBを取得することを目指して学習します。進学率はほぼ
100%で、ヨーロッパ、北米の大学を中心に進学します。
 「バランスを大事に」をモットーに勉強だけではなく、スポーツや色々な活動
に全面的に参加し、一つに偏らないバランスの取れた人間形成を目指します。
スポーツだけではなく、演劇や音楽などバラエティに富んだ課外活動が用意
されており、週末には屋外探検活動や近郊都市への遠足に出かけることも多く
あります。修学旅行や休暇期間には、ヨーロッパだけでなく、南米、アフリカ、
アジアなど世界中の様々な場所への旅行に参加することができます。

11歳から13歳が学ぶ科学の授業では教科書を使いません。低学年のカリキュラム
には五つのテーマがあり、これらのテーマに基づいてあらゆる授業が行われます。

1.Adaption(適応力):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
2.Discoery(発見):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
3.Risk(リスク):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
4.Respect(敬意):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育
5.Traditions(伝統):語学、数学、科学、地歴、芸術、体育

――
課外活動のイアン・レイ氏はリーダーシップは生徒たちの人生において重要で、
すべてに影響を与える存在であるリーダーに役に立つスキルを身に着けてもらう
と言いました。責任感があり向上心を持っていること、それがリーダーの条件
だと言います。学校では世界に広く目を向けるだけでなくそれぞれの国の言葉や
文化も大切にしています。


▼ 11歳といえば、日本では小学校五年である。この頃から、年に1200万の教育費
 をかけてベースを教え込む。それも8年も。まあ、能力格差がつくのは自然の理。
選ばれた教師が、その全てを注いで、生徒に教え込む。それも、俗世を遮断した、
浮世離れしたスイスの山麓で… それも、世界中の国から集まった異色の人種と、
寄宿するのだから… こうなると、問題は血筋・血統まで行きつく。成るほど、
自分とは、自らの分、分際ですか。私の分際から見えてくるのは、当然こうですか。
 
――――
2018/07/09
閑話小題 ~今年も半期の終了 -7
   * ~スイス 名門寄宿学校~ Ⅳ 『ボー・ソレイユ』
 様々な授業を紹介していたが、「地理」が、非常に面白い。
マダガスカルの貧困問題の扱いの切口が良い。同じような年代の真逆の立場の
少女の悲鳴に似た訴えを紹介し、キーワードを幾つか提示して、考えさせる。
ある生徒の一日の使用水道量が、マダガルカルの少女の運ぶ数十、数百倍の量と
知らしめる。

≪ 地理ではリーダーシップというテーマをもとに、アフリカのマダガスカル
 水問題についてケーススタディをします。水を得るために一時間かける女性。
安全とはいえない水を19L頭に抱えて女性は水を運びます。それを一日に3~4回。
マダガスカルは貧困を抱えています。先生は女性が持っていたのと同じ19Lの水を
用意し生徒に運んでもらいます。生徒たちと同じ年代のある女の子(ララ)は
最貧の地域に住んでいます。ララは靴もなくはだしで泥道を水くみに出かけます。
ララは次のような詩を詠みました。
< 私の一日もあなたの一日と同じだったらいいのに
  学校に行って勉強して公園で遊ぶの
  頭に浮かぶのは蛇口をひねるだけで出てくるきれいな水
   歯磨きしてシャワーを浴びるのもいいわ >
地理の先生は生徒たちに問いを投げかけます。生徒の一人が自分たちは水を
無駄遣いしていると言いました。またある生徒はどんな気持ちか想像します。
ある生徒はその水はどんな用途に使うのか質問しました。先生はララのお母さんは
子どもたちの面倒を見なければならないので水を運ぶことができないと言いました。

地理の先生は貧しい地域の人々についていくつかのカードを示しました。
 •公衆衛生
 •子どもの健康のケア
 •教育
 •栄養
 •疫病の予防
 •食の安全確保
 •妊婦の健康ケア
 •住宅環境
 •女性の社会進出

自分がリーダーならどのキーワードから優先して取り組むか生徒たちは考え
三人一組で話し合いカードを優先順に並べます。女生徒のグループは妊婦の健康
ケアが一番大事だと答えました。多くの生徒が女性の社会進出は優先度が低いと
考えました。先生は女性の社会進出が進まず地位が低いままで職にも就けなければ
一番大事だと言った妊婦の健康ケアは改善されるのか?子どもを産む機械として
利用され続けるだけではないかと問題を投げかけます。女生徒はまず力を持つ
男性とともに解決し… …わからないと答えました。地理の先生エリオット・
グリーン氏は裕福な家庭の子供たちが旅の経験や両親の仕事、授業から学んだ
ことを議論してもらい、将来持つであろう財力と影響力で世界が直面する問題に
取り組んでもらいたいと語ります。

生徒たちは年十三カ国を旅して自分の目で世界を知ります。
キリマンジャロへの登頂に挑戦することもできます。   ≫


▼ 半世紀近く、早朝と、午前中に数時間の読書習慣を持って、それまでの基礎
 知識不足をホローしてきた。受験システムに縛られ、自らも格付けをしていた
愚かさに気づくことが、第一歩であった。英会話能力や、対話力、文章化能力は、
付け焼刃では、直に欠けてしまう。このような指導と、長年かけたベースの知識が
必要となる。その理想形の教育システムが、これである。このスイスの寄宿舎が
素晴らしいのは、スイスが長年、中立国家で、権力者の手前勝手な価値観から、
解放されていることが重要である。「何が英国王室だ、日本の天皇だ。」を、
スイスの山麓で気づくこと、それが、教養ということ。そう、それぞれの内側から
見えている世界としての世間だけでなく、その真逆の視点に気づくこと、多様な
世界を知ることの必要性に気づくこと。特に、ネット社会こそ、理想形の、知識
獲得が必要になる。「クールヘッド、ウオームハート」こそ、情報化社会の絶対
条件といえる。 でないと、世間人の典型の、「ウォームヘッド、クールハート」
で、近所の500mを、徘徊するだけで… あれらは小池のホワイト・ナイトですか。
薄汚れて、愛嬌を振りまいて生きる姿も良し、外の世界で汚れたダーク・ナイトの
生き方もある。どのみち、同じでしかないが… 地球外生命の眼で、宇宙の彼方
からの生命体の視線で見る世界は、何と、綺麗で、明るく、刺激に満ちている。
早朝の自転車散歩で、大手大橋上をイオンよりから、ヒキチャリをしながら、
見える信濃川と、旧市内と、その向こうに見えてくるパノラマは、正しく、宇宙舟
からの視線のようである。スイスと、ロッキーの山並みに近い絶景とさえ思える
光景である。世界の絶景を知ればこそ、これに気づかされたこと。足元の世間の
素晴らしこそ、気づかないと… 52回目のチャレンジで、スイスアルプスの
向う側のイタリア・アルプスに行ってみたくなってきた。 
問題は、腰痛など体力と、固くなった頭と、気合。

 で、これまた偶然、丁度よい脈絡として、以下につづく。