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昨日の晩酌時に、『世界ドキュメント』で、少し危ない?内容で、
日本では援助交際といわれている『シュガーベイビー』をテーマにしたもの。
知人の何人かがシュガーパパ…? 長い人生の中で何度か?機会があったが、
父から「愛人を囲うのは割に合わない…」と家訓で、聞かされていた。
城下町・長岡で、河井継之助が江戸末期に『お妾・禁止令』を出した?とかで、
『愛人を持つ』という言葉に、否定的含みがあるが、金沢では、羨望を含んだ
願望があったような? この番組で、ネットサイトで堂々と、シュガーパパ、
シュガーベビーが、個々の条件を公開… その、あまりの内容に慌てて
チャネルを変え、寝室のTVに録画を入れて、後でみることに…
―
≪ イギリスで活動するTVタレントのヴォーグ・ウィリアムズが、社会的に
論議を呼んでいるテーマに挑戦。セレブな世界旅行をダディーたちと楽しむ
20代の美人は、もともとは学費を稼ぐのが目的。いまや「男性に自己肯定感を
与える役目なの」と、ベイビー側の“人間度”を誇らしく語る。
ヴォーグは、ダディー側にも突撃。「売春ではないか」と責めるが…
マネー社会の新たな“甘〜い”男女関係か、人々の心理や社会背景を探る。≫
〜ネットサーフィンから〜
【 〜パトロン? 愛人?…NO! シュガーベイビーという女の生き方〜
…彼女達の目標はCEO、経営者、起業家やプロデューサーになることだ-
しかしもし、将来的に彼女達の雇い主が彼女たちの「シュガーベイビー」
としての過去を知ってしまったら、間違いなくクビにされてしまうだろう。
「シュガーベイビー」という生き方はそれほどリスクを伴うものであって、
彼女達は常に細心の注意を払わなければならない。 「シュガーベイビー」
はたくましく、真面目で自分たちが求めるものがはっきりとしている女性達。
「シュガーベイビー」という生業を通して、成功者であり、金持ちである人達
と交流できるというのも、彼女達にとってはインセンティブなのだ。
彼女達は金持ちの男性達から金を巻き上げる為に「シュガーベイビー」になる
わけではない。成功者との交流の中で、自分がどのように成功できるのか、
そして自活ができるようになるのか学ぶのである。
起業家とは、多大なリスクを負いながらも、いつか成功するだろうという
長期的なスパンでビジネスを立ち上げ、運営する人達のことである。
この定義からしたら「シュガーベイビー」は間違いなく起業家なのである。
そんな賢く、セクシーで野心に燃える彼女達のために乾杯しよう。
例え私たちが彼女達の様な生き方をしたくなくても、彼女達の野望、
自信、そしてただひたすら成功を追い求める姿勢は敬意に値する。】
――
< ー投稿者:りか/20代ー
シュガーデートは、日本で言うパパ活なんだと思います。
両方ともかわいらしい響きの言葉にしていますが、実際には危険や将来的な
後悔があることをもっと知るべきです。美貌や若さとお金の取引は、それが
出来なくなった時に自分の価値を見失ってしまいそうです。>
―
▼ 日本では、クラブ、キャバクラに、旧業態では、花街に、それがあった
ようだ。女性にはファザコンのためか、パパ、ジジ専が存在する。ここで
最大のサイトで、ベビーが20〜25歳、パパが45歳以上。男のベビー希望者も。
20〜30年前の話だが、県内相場は、女子大生が20万とか。
フォロアーの知人の中に何を書かれるかヒヤヒヤの人が? いや、いません!
秘・異郷ツアーのエネルギーを「シュガーベビーデイト」に向けていたら…
後味が良し悪しからして…? 身ぎれいにしておくべき、身ぎれいに!
…せめて一年ぐらいなら? 味わったら一年で済まないでしょう。これは!
――
2006年10月18日(水)
2024, ある煉獄の中にて
才八∋ウ_〆(∀`●)
これからの内容は本人の同意を得て書いている。
(もし本人の同意なくして書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、
裏切り行為になる。本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書い
てもよいです!」…)そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題
(嫁・小姑など家に存在する)不条理。Aさんの話を聞くうちに浮かび上がって
きた奥行きの深い話。どこの家にも、このような問題はあるが、あまりに複雑な
構図である。 それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが
浮かび上がってくる。 〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ
ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー (以下、敬称は略す)
・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区の実家に出戻った。
・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD(80歳代前半)
が存在。 家は大きな家ではない。
・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。
そしてAは女子短大を卒業、新潟の私の会社に就職して5年目になる。
弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職。
・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。去年から働きに
出れなくなり収入も途絶えた。
・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが
崩れてしまった。 子供二人が家を出ていってしまったことと、母親Fが働け
ないため収入が途絶えたことで、最も弱い立場の陥り、その結果として鬱病に
なりかけている。
・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は
重度の鬱病になり廃人に…。A一人の収入では母親を引き取れない。そこが地獄
絵図の世界としても、その狭い家に帰らないと母は間違いなく潰れてしまう…
いう内容。 露骨に言ってしまえば、
☆ ・「行かず後家」と、・その実家に「出戻ってきた母」と、・嫁の立場の
「お祖母さん」と、・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が織り成す
小さな世界の蓄積された‘葛藤ドラマ’ということになる。
(以下、字数の関係でカット2009年10月18日)
・・・・・・
6141,読書日記 〜「続・下流老人」 ー3 サイレントプア問題
2018年01月05日(金)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来・2016/12>
* サイレントプア
何事も皺寄せは弱者の方に行くが、多問題家族や、シングルマザーの貧困層
だけでなく、都会と地方格差の問題がある。青森や沖縄など地元大学関係者など
の話に、「うちの地方など‘貧乏が普通の状態’がある。それ以前に、自分の
貧乏すら気づいていない。誰も声を上げない貧乏を‘サイレントプア’という。
過疎化など人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同
生活の維持が困難になっている集落を「限界集落」という。跡継ぎもおらず、
高齢者が地方に一人だけ取残される現象は‘家族消滅’の象徴である。
私を含めた姉・兄の甥姪の地元在住は、私の長男の一人だけ。あとは首都圏。
高齢化にともない、年金補助金不足から、政府は、「一億総活躍社会」と囃し
たてているが、女・老人も極限まで働け!ということ。誰が還暦過ぎても働い
ものか。例外はいるが… お金が、あればこそ面白いが、金欠なら、話は別。
要するに‘高齢者の働かない自由’が奪われた社会になることを意味する。
生涯現役社会が、本当の豊かさの訳がない。
―
* 介護難民の増加 〜下流介護難民
それぞれの人生の格差が、そのまま上流老人と下流老人の格差が生じるため、
ことは深刻。グレードの高い老人ホームの一時金だけで4億のものもあるという。
逆の「下流老人」は、実に厳しい状況になる。それを改善する手立てのサービス
は、現金ではなく、現物支給でなくてはと、著者は強調する〜
『 …つまり一律の現金給付では‘個々人の生活の必要’に即した弾力的な
制度運用ができない。簡単な話。『車椅子をあげます』という時に、障碍者の
ふりをして車椅子を貰う人はいません。でも、『現金であげます』といったら、
障碍者のふりをして現金を貰おうとする人はたくさん出てくる。現金と現物は
違うのです。だから普遍的ニーズを満たすために現物支給をすべしと言っている
のです。』 スペインやギリシャで生活困窮者への食事提供をTVで放映していた。
誰もが下流介護難民の可能性がある。死んでしまえば、それも解消される?
「長生きをしたくもあり、したくないもあり…」生きている故に言えることだが!
〜で、以下に続く
・・・・・・
5044,生と死をめぐる断想 ー1
2015年01月05日(月)
『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
* 死をそばに感じて生きる 〜団十郎の辞世
ー 色は空 空は色との 時なき世へ ー
以下は、序文の冒頭の内容。日本人の2人に1人の割合でガンになり、
3人に1人の割合で亡くなるという。高齢化で、ガンになるまで、死ななく
なった結果、死を意識する時間が長くなったこともある。今では死に関する
知識を、一般の人が、ネットなどから死生観を収集したり、表現できる機会が
増えている。 ー まずは序文の冒頭からー
≪ 2013年2月に亡くなった歌舞伎俳優の市川團十郎の辞世の句だ。
葬儀の場で長男の團十郎のパソコンに残されていたという。
詠まれたのは前年の十二月、亡くなる数ヶ月前である。
色は空(そら)、空は色(いろ)との 時なき世へ、と海老蔵は読んでいた。
この句に接し、『般若心経』の中のあの一節を思い浮かべる方は多いだろう。
色即是空 空即是色。それに寄せて読むならば、冒頭の句は、
色は色(しき)空 空(くう)色(しき) との時なき世へ、となる。
色はかたちあるものと、ひらたくは言われる。空は空っぽ、何もない、という
ことか。空しい、ということか。かたちあるものは実は何もない、空しい、と
教えているのか。そうではない。(略)・・ このことは追々深めたい。
時なき世とは。時間のない世。時間を超えた世。超時間性は永遠と言換えられる。
それは、この世に対するあの世なのか。この「時なき世」が團十郎の句では
「色は空空は色」と「との」でつながる。「との」は、と言われる、とか、と
聞いている、の意だ。色即是空、空即是色とかねてより聞いている時なき世。
「へ」は方向を示す助詞である。色即是空、空即是色とかねてより聞いている
ところの 時なき世へ、自分はこれから行くのである。團十郎の死生観を
表す句と言える。(略)・・ 團十郎が、死を前に遺した五七五が、芸についての
教えでなく死生観の表出だったのは、私には少し意外、けれどもすぐに理解できた。
團汁郎は長く血液のがんを患っている。治療の副作用による絶え間ないめまいと
吐き気を無間地獄と、あるインタビューでは曝えていた。何度も再発入院し、
骨髄移植をしていた。・・・≫
▼ 色を「しき」と「いろ」、空を「くう」と「そら」と、息子が間違えて
言ってしまった可能性もあるが、真偽はわからない。栄華を極めたあと、
とたんの苦しみの死際の言葉であればこそ、心に響く。 即興の辞世!
《 色即是空 死んでしまえば それまでよ 空即是色 》
・・・・・・
5409,新年に ー「過去」は過ぎ去らることはない
2016年01月05日(火)
*「過去」はわたしを忘れない 〜『貧乏の神様』柳美里著
芥川賞作家の柳美里の『貧乏の神様』の中にあった言葉。
現役時代の「森の生活」の時節は、過去は遠い彼方のように思っていたが、
還暦を過ぎる「サバンナの生活」に移行したころから、以下のように
過去への心象風景がチョイと変わってきた。 〜その一節より
≪ ・・「過去」とは、過ぎ去った時間や事柄を示す言葉ですが、
わたしは、「過去」は決して過ぎ去らない、と思うのです。
自分が2つの足を置いているその場所に、過去は地層のように堆積し、
精神が地震に遭ったように揺らぐと、足元に亀裂が走り、地層(過去)
が露出する―― 放浪の最中に、わたしは何度も過去に待ち伏せされ、
過去の落とし穴に足をとられそうになりました。
わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない。
過去が更新されて「今」になるのではなく、過去は過去のまま
更新されるのです。未来は全て過去にある、という言葉の意味を、
40歳を過ぎて噛み締めています。≫
▼ <過去を忘れても、過去はわたしを忘れない!>
<未来は全て過去にある> の言葉が先の少ない時節の胸に刺さる。
秘・異郷を中心に50回のツアーに行った先のどこかが、TVの旅番組で、
毎日のように現地レポートされる。その度に、それぞれの記憶が露出し、
その体験した記憶に、新たな現地の映像が加わっていく。この随想日記も、
早朝に15年分を読み返していると、過去からの声が、それぞれの同月同日の
「いま、ここ、わたし」の声が、ざわめきのように「いま、ここ、わたし」
に語りかけてくる。 葬式で、故人の決して後味が良いだけでない思い出が、
心の足元を揺らがすことがある。サバンナ(御隠居)の生活では、有り余る
時間の中で、過去の堆積物から思いもよらないフラッシュが沸いて出る。
あの暗い老人は、その暗黒の堆積物の暗部に引き込まれた結果である。
「因果応報」「因縁」というが、隠れている過去は、何かをキッカケに
表立ってくる。それが現在か、近い将来になるかでしかない。
人生とは、過去という荷物を担いで、一歩一歩を独りいく道のりである。
・・・・・・
5774,閑話小題 〜シェルター内事情
2017年01月05日(木)
* 居間から寝室へ重点移動
★ 一昨年の11月に寝室のTVにWoWoWの二台目契約をした上で、ブルーレイ
を入れて13ヶ月、経過した。 居間では外界の音が入ってくるが、寝室は、
ほぼ無音状態。この間の録画数が300本を超え、限界状況の表示が出てきた。
今では録画する都度、優先的に何かを見るか、消している。
『録りだめしても、二度と見ないのでは?』の対策がある。映画に飽きた気分
転換に、小まめに録画一覧を見て、頭部分だけを見る習慣付をするとよい。
習慣的に見ていると、これ自体が面白くなる。 また再び続きから見ると、
連続ものを見るようで抵抗がなくなる。 面白いものは、何があれ面白い。
★ 年末年始の一週間、面白そうな番組が目白押しのためベッドにクギ付け状態。
それに飽きると、廊下を挟んだ仏間の一角のパソコン前に移動するか、居間
まで出張をし、お茶を飲む生活。その寝正月も、昨日からはスポーツジム通い
が始まり、TV漬け生活も終わった。とはいえ、それに図書館と、スーパーの酒
とツマミの買出し、スポーツジム通いが加わるだけ。 6年続けてきた、週一の
シネマ通いは、今年から大よそ半分にする予定。ベッド内で映画を連日見れば、
二週に一度で充分?だが、実際はどうなるか。 『こんな生活、飽きない?』
という声が聞こえてきそうだが、そうでもないから困ったもの。雪国の冬場は、
「晴耕雨(雪)読」で、シェルターに閉じ籠りを楽しむしかない。
<還暦までの10年間に、30年分を圧縮して生きる>が、実際に、そこまで出来た
かどうかは別としても、この年齢になると、気持ちを穏やかにさせてくれる。
老いの愚痴、怒りは、世間的制約で、出来なかったこと、実践できなかった、
不燃焼が起因している。で、攻撃は、弱者とか、社会そのものに向かう。
次々と立ちあらわれくるフラッシュに、独りごとを呟いている自分がいる。
・・・・・・
3197,つれづれに ー 閑話小題
2010年01月05日(火)
* 人生味わえば、8割は良いことになる
1月3日のTV「熱中人生」で、藤岡琢也が対談した70歳後半の品の良い女性
が語った言葉が良い。「人生、生きてきて、良いこと2割。辛いこと8割だった。
しかし、辛いことを味わえば、8割は良いこと辛いことは2割になる」が、印象
に残った。「終戦直前に、近くの旅館に特攻隊員が数人、出撃の待機をしていた。
その話し相手に行っていたが、彼らが終戦の一月前に出撃していった。
彼らが死んでいっても、自分の中に生きているように感じる。そのお陰で、
疎かに生きなくてはならないと、生きてきた。 人生は辛いことが8割だが、
味わえば、良いことが8割に変わる!」と、しみじみと語っていた。
そう、辛さを味わうのである。 甘塩辛いが!
* 面白いものである!
実際に、数ヶ月に一度は全く書くネタが無くなる。書いていると自己嫌悪に
陥るのである。自己嫌悪は今さらだが、書き尽くして如何もこうもテーマが
なくなり、書いてきた内容に微妙な感情に押しつぶされ、どうもこうも、
ならなくなる。お手上げである。しかし、その時ほど、直後に何かが出てくる。
その何かとは、小さな井戸の水を掬いとった後に、何処から水が湧き出る感覚
である。だから続けることができる。これは人生と同じじゃないか?
そう、挫折、その後に来る孤立と孤独の中から力が湧き出てきたのと同じ。
その時に、変化が生じる。そこ(底?)から知恵が出てくるのである。
その繰り返しから、知恵も、力も出てくる。
* 婚活ブームの後は、離活ブームだと!
現在、婚活ブームだが、次は「離婚ブーム」が来そうだと、昨日の産経新聞
の社会面トップで取上げていた。20〜30歳代前半の女性の多くが離婚相談所
にくるという。 女が出来たとか、借金が多いとかいうハードなことより、
呆れるほど些細な動機。 熟年のように熟慮を重ねた上の離婚とは違い、単純な
気分で嫌と決め付けるケースが多いとか。以前なら親が説得する程度のことを、
親まで一緒になって悪口をいうから・・。 今のユトリ教育で育った人種なら、
分からないでもないが。 「結婚など、嫌が上のハク」というのは、長年、
連れ添ったものなら分かっているはず。 後記)去年に、偶然に同じような
テーマを取り上げていた。 それも、新年早々に! そんなものだろうが。
・・・・・・
4679, スマート革命 ー2
2014年01月05日(日)
* スマート革命とは? 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
マックの各スマート機種は一通り使ってみたが、ただ驚きである。
これは「スマート革命」を象徴したもので、ジョブスは、まずは企業向けの
大型コンピューターを個人・家庭用の宅上型に作り変えたパソコンをiMac
として世に出した。次のiPodは、音楽業界に革命的影響を与え、更にiPhone、
iPadと、次々とスマート機器を世に出し、そして現在、スマートTVを世に
出そうとしている。 アマゾンが書籍のネット販売を始めしばらく経つが、
今では書籍の枠を超えた商品を扱うようになった。その書籍も紙に印字する
形態から、パソコン画面へ印字するデジタル書籍の時代が始った。
私の命名だが、これスマートショップ。この動きは、スマート自動車、
スマート家電、スマートTVに広がっている。 現在、スマートフォンが
劇的に普及している。携帯電話にパソコンが融合したもの。そこに、会話式
のアプリが入ると、「手のひら音声ロボット」。テレビ操作、パソコン入力も、
電気製品の操作も、両手をハンドル操作に取られる自動車も、何もかも会話式
アプリ機能に従い入力をするようになる。それが「スマート革命」である。
ーアマゾンの読者レビューからー
《 ポストパソコン時代が進むと2015年には一人七台のスマート機器を
使い分けるようになると予測。 それに合わせて1)新しいイノベーション
の形(事業モデル)と 2)新しい個人コンピューティングの形が出現します。
まず新しい個人コンピューティングの形を特徴つけるユーザーインターフェース
従来のパソコン+ブラウザー+Webサービス時代には、生活者は「テキスト入力で
パソコンと会話」していた。しかしスマート革命時代には機器と生活者の
インターフェースは、「スマート機器はユーザーの友達になる」と考えられる。
米国MITの社会心理学者シャリー・タークルは著書「Alone Together」の中で、
ユーザーインターフェースのあり方を「ソーシャルロボット」と呼びました。》
・・・・・・
3937, 閑話小題
2012年01月05日(木)
* 年末年始
この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月
になるが気持ちは何も変りない。ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に
反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。 まだ事業を
続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。
事業から一歩退いてみると、この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。
TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。正月で特別なことと言えば、
蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。
* 元旦の殿町で
元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、
合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。次男夫婦は地元の同級生と
二次会とかで別行動。今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が
元旦でも営業をしているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。
その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、
危なそうな客。一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、
ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。隣なので何気なく話すと、奥さんと喧嘩を
して飛び出してきたという。暫くして「マスター、一軒回ってまた来るね!」と
出ていこうとするので、酔った勢いもあり、「勘定を払わないで出ていくの?」
と言ってしまった。ところが、「何だ御前、俺を馬鹿にするのか。
御前に、そんなことを言われる筋合いはない!」と凄んでくる。そのへんは、
慣れたもので「別に馬鹿にしたわけじゃない。自然に出てきた言葉。
そう思うのは貴方の勝手」と答えると、凄い目で飛びかからんばかり。
長男が、その辺の呼吸を知らないようで、立ち上がり乱闘寸前。ようは、呼吸。
押しても引いてもダメで、「元旦そうそう、あまり怒るなよ!」とか
言っていれば良い。危ない奴ほど、簡単には手は出さないのは経験上知っている。
で、本人はプイと出ていったが、マスターに「あの客、馴染みなの?」と聞くと、
「一げんです」という。飲み逃げ、手馴れたもの。初めての店で、
「少し他の店を回って後でくるね」じゃ、飲み逃げそのもの。で、結果、
飲み逃げの手助けをしたことになる。 特に年始のスナックは泥棒が多いと聞く。
それにしても、危ない客。 そういう私も、それを楽しんでいる変な客。
・・・・・・・
3572, 人は何故、肯定思考に心がけなければならないか?
2011年01月05日(水)
肯定思考といえば、中村天風の「肯定肯定、絶対肯定」の言葉が思い出される。
また書店には肯定思考の本がところ狭しと並んでいる。考えてみれば新約聖書も
弱者肯定の見本のようなもの。ありのままに、ほっとけば人間の思考はマイナス
思考、否定思考に流れされる。電車やバスに乗り遅れたことは思い出しても、
ギリギリ間に合った記憶はホボ忘れている。その数倍もあるのに。
楽しいことを忘れ、辛いことを何時までも記憶する習性が人間にはあるようだ。
それは、我われの祖先がもたらしたもの。 大昔、毒のある食物で当たり、
野獣に襲われ食べられそうになったりすると、二度と同じ過ちを繰り返さない
ように、その記憶を長く残した。逆に、美味しい食べ物に出会っても直ぐに
忘れることにした。それに捉われると、次の食べ物に有りつけなくなくからである。
その習性に気づいてないと、良くない記憶だけが残ってしまい、自分だけ悪い
ことが起きてしまうと錯覚をしてしまう。 だいたい、良いこと悪いことが同量
が起こっていると考えればよい。しかし良いことを思い出す訓練をしていると、
どうも良いことが擦り寄ってくるようになっている。 私の場合は、三対一と
勝手に思っている。面白そうなことを探していれば、自然、その方に自分から
擦り寄っていく。例えとして私事になるが、47回の海外旅行、それも秘境ツアー
の経験は、週末のTV生活を楽しませてくれる。BS/TVで旅先の何処かを
放送している。一度行ったところを違う目線の映像を見ると、再び訪ねている
感覚で見ることができる。自然に他の行き先に惹きつけられ、欲も出てくる。
マイナス思考は逆である。 嫌なことに捉われていると、それに類似した
TVや小説の場面で嫌な追体験をしてしまう。その繰り返しの中から怒り、
憎しみが憎悪に変わっていく。「人を恨めば、穴二つ」の相打ち、である。
だから、嫌なことは、意識的に排除すべきである。 言葉=精神。
明るい言葉は、明るい精神と言い換えることが出切る。言葉を持ってしまった
人間は、二人称の身近な死から、一人称の「自分の死」を予感するようになった。
これが、マイナス思考を更に深めている。そのため神という共同幻想の仮身を
つくるしかなかった。 人間は人間であるが故に、脆いのである。
・・・・・・
4311, 幸せはいつうもちょっと先にある ー1
2013年01月04日(金)
「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」
ーダニエル・ギルバード著
* 我われは何故、間違った未来の想像をするのか
やりたいことが一杯あったのに、いざ定年になると楽しみにしていた暇の
時間をもてあそぶだけとか、結婚も現実は夢みた期待が妄想でしかなかった
とかいう経験は多い。幸せは実現するちょっと手前の期待と妄想にあるようだ。
人間にとって想像する能力は最も重要だが、それと妄想が混濁してしまう。
この期待と妄想の心理を熟知しないと、親のバイアスから一歩も出ることが
出来ず、小さな岩場の中で一生を終えてしまう。前頭葉と鋏は使いようである。
ー その辺りの箇所から抜粋してみる。
≪ 脳の業績はただ一つ、意識的な経験だ。大ピラミッドを見たり、ゴールデン
ゲートを思い出したり、宇宙ステーションを想像したりするのは、そのどれを
建設するよりはるかにすごい行為だ。 「思い出す」「見る」「想像する」、
この三つの中でもひときわすごい行為が一つある。「見る」とは世界を今の姿で
経験することだし、「思い出す」とは世界を昔の姿で経験することだが、
「想像する」行為は、世界を今の姿でも昔の姿でもなく、こうだろうという
姿で経験することに他ならない。人間の脳の最大の業績は、現実の領域には
存在しない物事や出来事を想像する能力であり、この能力があるからこそ、
われわれは未来について考えることができる。哲学者のことばを借りると、
人聞の脳は‘先読みする装置’で‘未来を作る’ことがもっとも重要な仕事だ。
ところで‘未来を作る’とは具体的にどういう意味だろう。脳が未来を作ると
言える場合が少なくとも二つある。一つはほかの多くの動物にも共通し、
もう一つは人間に特有だ。あらゆる脳は、人間の脳も、チンパンジーの脳も、
餌を埋めるごくふつうのリスの脳でさえ、私的で身近なさしせまった未来を
予測できる。現在の出来事(「何かにおう」)と過去の出来事(「前にこの
においがしたときは、大きなやつに食べられかけたんだ」)の情報をもとに、
つぎに起こる可能性がもっとも高い出来事(「あ、やっぱり大きなやつに
食べられる」)を予測する。しかし「予測」と呼ばれる行為に二つの要素が
あることを忘れてはならない。一つは、他の動物にも共通し、もう一つは
人間だけの特有の予測。前者は意識的思考の必要ないもの。これを次見という。
それに対して人間の脳は、遠い将来の複雑な予見が可能なことである。 ≫
▼ 人間は、この能力で飛躍的進歩を遂げてきた。人間は本来、将来のことを
考えるのが好き。旅行を例にすると、行き先を探し、決め、決まったら、
その資料や旅の準備をする。そこに不安や楽しみの感情がまとわりつき、
それも旅行の楽しみとなる。実際に行ってみると、この本と違うところがある。
その数倍も面白く楽しいことと、嫌なことがあるのが実際。そして嫌のことは
帰りの飛行機内に置いてくる。そうなるまで10数回の経験が必要だったが、
間違った予測が多いのは、経験の絶対量が少ないからである。女性遍歴は、
相手を獲得するまでが幸せで、その後は幻滅の繰り返し。それが楽しいか?
・・・・・・
6140,読書日記 〜「続・下流老人」 ー2 家族原理主義
2018年01月04日(木)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来 2016/12>
* 多問題家族
以前、それまで身近で具体的に聞いたことがなかった貧困問題に遭遇し、
驚いことを想いだした。(後でコピー) そのままが、Amazonのビュアーの
投稿にあった。多問題家族には2つの大きな特徴がある。一つは貧困問題。
二つ目は、問題家族同士の‘共依存’の関係にあること。フリーター同士の
結婚。水商売同士の出会いと結婚。 それを熟知しているキャリア?は、
そこから拾いだしてくれる白馬の王子様を探すが、王子様は、リスク負担を
考えて第一条件はバランスのとれた仲間内から… それはシビアに。
〜投稿も、シリアスな問題だけに説得力がある〜
<「30までには結婚して親を安心させてあげないと」、
「大晦日はやっぱりこたつで家族団らんしながら紅白歌合戦だよね」…なんて、
私たちが何の気なしに言ってしまうセリフ。こういった発言の裏に隠れている
のは、日本を覆う“家族信仰”の呪縛かもしれません。
『家族という病』
(下重暁子/著、幻冬舎)は、そんな“家族信仰”について、長年第一線で
世の中を見つめてきたジャーナリストである著者が切り込んだエッセイです。
著者の下重は1936年生れ。早稲田大学卒業後、NHKを経てフリーのアナウンサー
として活躍後、文筆活動に入りました。本書では、“家族”の実態をえぐり
ながら、従来の思い込みを一刀両断していきます。>
――
<「結婚はしないの?えっ、子供ほしくないの?じゃあ老後はどうするの?」
結婚→出産→子育て→老後
そうやって未来が目論見どおりに運ぶと思っているお花畑思考故に、それ以外
のハッピーエンドルートは存在しないと無意識で一概に決め付けて、こんな煽り
文句が当たり前に出てくるのが世間一般ですから、信仰度合いに差があるにしろ
世間一般は家族信者であることは間違いありませんね。…
…女は30で賞味期限が切れるから、出来るだけ若いうちに出来るだけ稼ぎの
いい男をとっつかまえて結婚して、若い方が体力がある分育児に向いているから
若いうちにとっとと出産して、リスクヘッジのために子供は2人くらい作って、
50手前で大体の子育てを終えて後は老後を迎えるだけ…
世間ではこれが一番のハッピーエンドルートらしいですよ。>
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▼ 結婚問題に突き当たると、まず頭に浮かんだのが、4人の姉との比較。
家柄、学歴、センス、清潔感と明るさのバランス。ついつい色気に比重が
偏りがちになるが… 相方は一生の伴侶。 職業選択と同レベルの決断…。
「当たるも八卦、外れも八卦」だが… 大方(9割)は「誤解で結婚、理解し
離婚(家庭内も含む)」に、あい至る。深刻なのは、シングルマザーと、子供
の貧困問題。日本のひとり親世帯の貧困率は54.6%で、相対的貧困率は16%で
世界で6番目に 高い。以下の問題は、如実に、この問題になる。 何人かに
声をかけたが「誰も全く反応しなかった」。これが現実。娑婆は厳しい。
そういう私が独身なら、多問題家族の人には、まずは距離を置く。