閑話小題 〜つれづれに、

[[]][[]]*1546553616*[哲学 心]

  * 「人生のどん底」 〜両親の壮絶!
 NHKの「街録」を初めてみたのが、<「人生のどん底」って何ですか?>
の街頭インタビュー。次つぎとインタビューで、真に迫った人生のどん底体験
が生なましく語られていた。小中校時代、家庭内でも深刻な問題があり、それは
それは… 両親を含めて10人家族が戦中戦後を生き抜くことが如何に厳しいか?
10歳の頃、母親が重度のノイローゼに倒れ、3年程、寝込む事態に… 長男、次男
をたて続けて亡くした自己けん責の結果である。その中から何とか立上り、生延び
たが、それは尋常ではない家庭生活。その中で父親が独り、乗越えていた後姿を
みて育ってきた。母は、その心労で心筋梗塞で生死の場面に何度も陥っていた。
発作で苦しむ中で、白髪が逆立つ母を立川病院院長が押さえつけて、
『堀井さん、助かるかどうかは、自分次第ですよ。気力を奮い立てなさい!』と、
絶叫していた。 88歳で亡くなった時、医師の解剖の求めで、心臓の3分1が
壊死をしていたことを知った。 今からみて、小説のような特殊の生活環境の中
で育っていた。そこで「自らも創業人生を生きたい」と決意したのだから無謀も
程がある。太平洋戦の戦前の老舗骨董商(総資産が7〜8億)から、戦死者家族の
仏壇、古着販売、衣料量販店への転業で活路を開き、衣料品の製造産地で現金
決済の仕入れ、格安販売で大当り、一時期、全国的に知れわたっていた。
戦前、戦中、戦後の動乱の中で10人家族が生抜くのは至難の業。 子供でも、
家庭環境の窮状は直に伝わっていた。 シリアスになって当然。だが、自らが
現実に潰されそうにならなければ、理解不能も然り。

▼ 6〜7年前のこと。近所の新築の庭周りの業者が冬空の毎日続くミゾレの
 厳寒の中でのこと。 2人連れの親方が若い男に口を極めて罵倒していた。
県外ナンバーの車だから、越後の冬場工事がここまで厳しいものとは思っても
なからようで、その怒りを虐めで… 裏地が隣接しているため、パソコンが
置いてある机から丸聞こえ。それも10日間も…。
まだまだ心の傷が癒えないが故に、怒鳴りが私自身に向けているような。
<私だったら、逃げ出すだろうに… もしかして親子?いや、自分の子供に、
 これほどの虐めは無理? 成るほど障害、殺人がある訳だとか>と… 様々
な想いが沸きだっていた。どん底に、底がある。底がなければ、奈落に…
その感覚の一端、二回のバンジージャンプで味わってみたが! 
 凍り付く虚空のかなた!へ、消えていく感覚! プッツンですか。

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6140,読書日記 〜「続・下流老人」 ー2 家族原理主義
2018年01月04日(木)
        <続・下流老人 一億総疲弊社会の到来  2016/12>
  * 多問題家族
 以前、それまで身近で具体的に聞いたことがなかった貧困問題に遭遇し、
驚いことを想いだした。(後でコピー) そのままが、Amazonのビュアーの
投稿にあった。多問題家族には2つの大きな特徴がある。一つは貧困問題。
二つ目は、問題家族同士の‘共依存’の関係にあること。フリーター同士の
結婚。水商売同士の出会いと結婚。 それを熟知しているキャリア?は、
そこから拾いだしてくれる白馬の王子様を探すが、王子様は、リスク負担を
考えて第一条件はバランスのとれた仲間内から… それはシビアに。
 〜投稿も、シリアスな問題だけに説得力がある〜
<「30までには結婚して親を安心させてあげないと」、
「大晦日はやっぱりこたつで家族団らんしながら紅白歌合戦だよね」…なんて、
私たちが何の気なしに言ってしまうセリフ。こういった発言の裏に隠れている
のは、日本を覆う“家族信仰”の呪縛かもしれません。

 『家族という病』
下重暁子/著、幻冬舎)は、そんな“家族信仰”について、長年第一線で
世の中を見つめてきたジャーナリストである著者が切り込んだエッセイです。

 
著者の下重は1936年生れ。早稲田大学卒業後、NHKを経てフリーのアナウンサー
として活躍後、文筆活動に入りました。本書では、“家族”の実態をえぐり
ながら、従来の思い込みを一刀両断していきます。>
――
<「結婚はしないの?えっ、子供ほしくないの?じゃあ老後はどうするの?」
   結婚→出産→子育て→老後
そうやって未来が目論見どおりに運ぶと思っているお花畑思考故に、それ以外
のハッピーエンドルートは存在しないと無意識で一概に決め付けて、こんな煽り
文句が当たり前に出てくるのが世間一般ですから、信仰度合いに差があるにしろ
世間一般は家族信者であることは間違いありませんね。…
…女は30で賞味期限が切れるから、出来るだけ若いうちに出来るだけ稼ぎの
いい男をとっつかまえて結婚して、若い方が体力がある分育児に向いているから
若いうちにとっとと出産して、リスクヘッジのために子供は2人くらい作って、
50手前で大体の子育てを終えて後は老後を迎えるだけ…
世間ではこれが一番のハッピーエンドルートらしいですよ。>

▼ 結婚問題に突き当たると、まず頭に浮かんだのが、4人の姉との比較。
 家柄、学歴、センス、清潔感と明るさのバランス。ついつい色気に比重が
偏りがちになるが… 相方は一生の伴侶。 職業選択と同レベルの決断…。
「当たるも八卦、外れも八卦」だが… 大方(9割)は「誤解で結婚、理解し
離婚(家庭内も含む)」に、あい至る。深刻なのは、シングルマザーと、子供
の貧困問題。日本のひとり親世帯の貧困率は54.6%で、相対的貧困率は16%で
世界で6番目に 高い。以下の問題は、如実に、この問題になる。 何人かに
声をかけたが「誰も全く反応しなかった」。これが現実。娑婆は厳しい。
そういう私が独身なら、多問題家族の人には、まずは距離を置く

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5773,「イスラム世界との対話は可能か」〜塩野七生
2017年01月04日(水)
 IS問題、中近東と欧州のテロと戦争問題、数千年前のユダヤとアラブ
の問題のため、その根は深い。今後、永劫に続いていく問題である。
 一年前の<文藝春秋新年特別号>の塩野七生のコラム記事
イスラム世界との対話は可能か」が、欧州と中東問題を考える参考になる。
  〜このコラムを簡略にすると〜
≪・「多神教一神教のちがいは、多神と一神の数ではなく、
『自分は信じていないが、信じている他者の信仰は尊重するのが多神教』で、
反対に、『一神教は、自分が信じている宗教だけが真の宗教で、他はすべて
邪教』になる。邪教の徒であるからには、殺すのもOK、奴隷にするのもOK。」 
 筆者は、多神教の方が、一神教よりも自然への畏敬、他者との共生、思い
やりなどの点で優れていると述べる。。
・「この人々(穏健イスラム教徒)は、首切り集団を非難して言う。
彼らがやっていることは、「ジハード」(聖戦)ではない、と。
それでいながら聖戦自体は、否定しないのだ。」
・「両宗教(イスラム教とキリスト教)の共生の証として、ヨーロッパにも
より多くのモスクを建ててほしいと言う。これにキリスト教側は、口には
出さないが、心中では、「イスラム諸国の大都市に、ヨーロッパ並みに壮麗な
キリスト教会を建てるのは認めていないのに、なぜ?」と思っている(P.92~93)
――
▼ 島国の日本は砂漠の民の一神教にはそぐわない。世界は白、赤、黄、黒色
 と、それらが混合した人種で成立っている。 白はユダヤキリスト教
赤がイスラム教。キリスト教。黄色が仏教。インドは、それら混合した差別教
ヒンズー教。それらに国家、民族等が組合さって差別化されている。
イスラムキリスト教の対話が可能か?と問われれば、アラブと欧州人の同居は、
所詮、無理の話。砂漠の民が、豊かな地の欧州人の考え方が全く違う。
人種混合国家のアメリカが、トランプを大統領に選出したのは、中産階級未満の
白人が起こした乱である。ということは、今後、人種差別と、殺戮が更に拡大
していくことになる。恐ろしいかなである。トランプは、プーチンが後ろ盾で
つくられた傀儡とまではいわないが、彼のクリントンへの「メール問題」は、
明らかに… ?  トランプは、最後には、オバマの影に押しつぶされ消滅
する運命にある。 問題は、副大統領が大統領に替わった時に、どうなるか!

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5408,2016年 新年に ー? 日本衰退は1985年から始まった ーB
2016年01月04日(月)
            『グローバリズムという病』平川克美
   * 日本衰退のすべては1985年から始まった ーB
 バブル崩壊は、第二次大戦以来の敗戦であり、以来、衰退が続いたまま。
 アメリカのいうがまま、バブルを引起し、その結果のバブル崩壊である。
 欧米系の金融機関は、これをチャンスに、株式などで大儲けをした。
 経済支配下にある属国の手を捻っただけだが、日本にとって塗炭の
 苦しみが待っていた。 
≪ アメリカ側は日本企業の競争力の原泉である、日本の銀行の融資力を殺ぎ,
つぎに日本の産業全般に行きわたっている構造、とりわけ関税障壁をターゲット
にした構造改革を日本側に迫った。「貿易の不均衡をなくし、日本が経済発展
するため」という表向きの形容とは違って、このときのアメリカにとっては
日本の産業力はまさに「死活的脅威」であり、この脅威を取り除くための
「経済戦争」を仕掛けようとしていた。 ルール変更であった。
日本は当時空前のバブルに沸いていた。銀行もまた多額の不動産を抱え込んで
おり、それを資産計上していた。それゆえに前記の世界の銀行ベストテンに
六行も入るという状況がうまれていたわけである。
 1988年、スイスのバーゼルにおいて、銀行の健全化に向けての国際基準が
策定されてた。それがBIS規制である。国際業務を行うためには、8%を超える
自己資本比率が必要であるということが定められた。
表向きは、金融システムの健全化ということであった。
 1991年2月には、日本のバブルが崩壊する。そうなると、含み資産を自己資本
に計上していた日本の銀行は、時価会計の適用によって自己資本率を一気に
悪化させる。 日本の銀行が採りうる措置は二つしかない。
ひとつは、総資産を減ずること。
ひとつは、複数の銀行を合併・統合させることで自己資本比率を上げること。
 実際に何が起きたのか。それを時系列に眺めてみよう。
盤石だった日本の銀行は、BIS規制と、それに続く金融ビッグバンによって合併
統合・倒産を繰り返し、さらには株式を持ち合っていた生保会社の大型倒産が
続いた。銀行、保険会社、政府が三位一体となって落伍者を出さない日本の金融
システム、つまり護送船団方式は、このとき完全に分断され、崩壊していった。
普通は、こんなことは起こらない。ましてや短期間のうちに、これほどの規模
で銀行システムが変容するなんていうことが、市場の原理だけで起きることは
ありえない。
一九九六年四月、三菱銀行東京銀行が合併
一九九九年四月、国民銀行破綻
     六月、東京相和銀行破綻
     八月、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が、事業統合を発表
     八月、なみはや銀行破綻
    一〇月、新潟中央銀行破綻、
    一〇月、住友銀行さくら銀行が合併を発表   ≫
ーー
▼ 1991年のバブル崩壊より7〜8年後に証券会社の倒産、大手銀行の倒産、
大統合になった。とすると、リーマンショックを大地震に例えると、今年辺りが
津波が到達する時節になる。それが、世界株式市場の暴落として日本か、欧州、
中国発になるのか、津波と違い予測不能。私は、その二年半後に、自然災害の
東北大地震と共に沈んでしまった。ISのテロをカタチを変えた格差間の戦争と
すると、既に始まってしまった? 戦争は、超保守で体制を固めないと、国の
維持が難しいためか、怪しげな風が先進国に吹き出してきた。

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5043,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー6
2015年01月04日(日)
         『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著)
  * 捕食されてきた人間
 人間は肉食や草食もする雑食だが、猛獣の餌として捕食されてきた。
そこには食うか食われるかの長年かけた弱肉強食の熾烈な闘いがあり、
仲間同士の知恵を駆使をして生抜くしかなかった。当然、人間どうしの肉食
もあった。ボルネオや、南米など未開の地では、ごく最近まであった習慣。
人は狩猟をするか、されるかの瀬戸際で、集団で知恵を身につけ、言葉と
道具を身につけ、生き延びてきた。 ーその辺りから抜粋ーエェー(◎-ω-)♪~
≪ 有史以前、ヒトはみな食人をしていたというのもショックだが、同時に、
 ヒトはヒトならぬ肉食獣にエサとして食われてきたという話もショックだ。
しかし、ドナ・ハート・ロバート・W・サスマン『ヒトは食べられて進化した』
は、ヒトは捕食される動物であったから、かくのごとく進化することができた。
「かくのごとく」というのは、ヒトが二足歩行で大きな脳を持ち、ことばを
使うことで複雑な内容を持つ情報伝達ができるようになったこと。
 集団で社会生活を営むようになり、単体ではできない大きなプロジェクトを
力を合わせてやりとげるようになったということ、つまりヒトが文明を作る
ことができた唯一の動物になったという意味である。 ヒトは肉体的には
あまりにもひ弱な存在であった。捕食者の恐怖から逃れようとするなら、
そのような生き方(社会を作り文明集団として生きる)を選択せざるをえなかった
ということなのだ。かつて、人類進化はヒトが狩りをすることを覚えたところ
からはじまったとする、「マン・ザ・ハンター」説が一世を風靡した。
しかし、自然人類学者の著者は、その説は客観的証拠にてらして誤りだという。
多数の原始時代の人骨を調べていくと、原始人たちが野獣に噛み殺され、
食われていたということがはっきりわかる。噛み砕かれた頭蓋に残る歯型と、
野獣の牙がピッタリ一致するのだ。ヒトがどれほど捕食されてきたか、
疑う余地のない証拠が次から次に出てくる。・・・≫ (。・´ω`・。)オォ怖〜
▼ 私たちが爬虫類や、蛇などに直感的嫌悪感を持つのは、原始的記憶が脳に
 インプットされているため。根強い悲観的傾向があるのは、捕食されてきた
生存危機の記憶がなせる業。だから、人間には本能に悲観的傾向がある。
しかし、悲観主義は、人間自身の行動範囲を狭める要素になる。それを
カバーするのが知識と能力で、悲観1に対し、3倍の楽観主義が必要となる。