閑話小題 ~電動マッサージボール
* 新たなマッサージャー
腰痛持ちで、様々なマッサージャーを購入して自己治療をしてきた。
10数年前に「パッション」という腰叩きマッサージを購入し、居間にある
座りようのハンモックに置き、愛用してきた。今でも廃品直前だが、何とか
使っている。今では進化したのがあるが… 「家具屋」と、家電の「健康機器」
と、「パソコンコーナー」は、定期的はウィドウショッピングの一つ。
先日のこと、ウロウロしていると、ソフトボール大の充電式のマッサージャー
が、目に飛び込んできた。
<腰・お尻・太もも・ふくらはぎ・足裏・首 疲労回復 スポーツ トレーニング
充電器付き 4段階可調整>とあり、7千円とあった。
これは私にとって「理想的マッサージャー」と衝動買いを しそうになったが、
近くに家内が… ? 取り敢えずネットで値段を調べてからと、その場を離れた。
そこで帰って、さっそく、ネットで最安値を調べると、送料、税込みで3,600円。
購入することに!
二日後に送られてきたが、実際に使用すると、充電出来て、居間に、PC前に、
気楽に移動できるのが便利。腰には「腰痛ベルト」の間に入れると按配が良い。
その日は、初回もあって、就寝前に一時間ほど、腰に、両手に、首筋に、両足の
間に挟み使用した為か、その日は夜半目が覚めることなく爆睡することができた。
しかし、何故か、それは初日だけだったが、寝つきは確かに良好。
10数年前から、腰用の叩きマッサージャの他に、土台が振動するモノがあり
頻繁に使用している。 これ、家の移動先に持ち歩けて、気楽に使えるところが良い。
成るほど、文明の力とはこういうことかと…。 評価:95点。
ところで、バイブレーターといえば、以前、面白い?ことを書いていた。
とすると… これは? もう私には関係ないことだが…
――
2012/11 ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
* バイブレーターの起源は、ヒステリックの医療機器
際どいが健康機器売場でのバイブレーターの見方が、これで少し変わる。
≪ ちょっど刺激釣なセックスをしてみたい……。そんな時に使う大人の
おもちゃの定番といえぱバイブレーターだろう。女性を絶頂に導いてくれる
スグレモノだが、バイブレーター、じつはもともとは医療器具だった。
いったいどんな治療に使われたのかというと、情緒不安定、具体的には
ヒステリー発作を起こしている女性を対象としていた。ヒステリーの語源は、
ギリシャ語で子宮を意味する「ヒューステラ」。つまり、昔は、ヒステリーを
起こすのは子宮が原因だと考えられていたのだ。しかも、子宮が欲求不満で
あることから起こると信じられていた。 もうおわかりだろう。
ヒステリーを起こすのは、性的欲求不満が原因なので、治療法としては、女性
を性的に満足させればいい。そこで、医者や助産師が、指でマッサージ(愛撫)
して、絶頂に導くことで治療をしていた。この療法のための医療機器として
一九世紀の終わりに開発されたのが、ヒステリー専用のマッサージ器である
バイブレーターだったというわけ。こうした治療は古代ギリシャの時代から、
一九二〇年代まで、西洋ではれっきとした医療行為だった。確かに、目的自体
は今も昔も変わっていないとはいえ、医者が患者にバイブレーターを使うなど
現在では考えられない。一方、バイブレーター以前は、大人のオモチャの主役
だった人工ペニスは、10Cのビザンチン帝国の百科事典にも記載されている。
こちらは一般的に普及していたようで、アテネの女性に愛用されていたようだ。
また、インドの性典『カーマ・スートラ』にも「男性自身が小さすぎて満足
できないときは、これを使うとよい』と記されている。 ≫
▼ …!「大人の玩具」と検索して吃驚仰天。何だろう、これらは…
・・・・・・
6384,読書日記 ~哲学と対決する ―5
2018年09月05日(水)
『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
ウォーバートン,ナイジェル著
現役の哲学者が、哲学史にのこる巨人の感想が何とも異様に感じる。
要するに、門前の小僧レベルが、専門家の視点で、批判的に哲理を改めて
知る面白味ということ。ヘーゲルがカントへの挑戦とか。
* ヘーゲル
◉ マイケル・サンデル
もっとも心を躍らせてくれたのがヘーゲル。理解するのは難しいけど、
カントの抽象的な道徳律に根本的な疑問を投げかけ、道徳律を具体的な
倫理生活に結ぶ付けました。かれのカントへの挑戦は哲学的に見て、もっとも
ワクワクする仕事の一つです。
――
* ニーチェ
◉ ジョシュア・ノーブ
私がニーチェより学んだことは、特定の疑問に対し、人々が普通どう考えるかを
安易に理解しようとすべきでない。より深く見つめる努力をし、何らかの方法で、
私たちが抱く通常の見方を疑うべきだ。さらには、そうして通常の見方に反発
すべきだと考えていたてんです。
――
* アリストテレス
◉ ショーン・ケリー
彼がフロニモス(思慮ある人々)と呼ぶ観念を持っていることです。実生活を
生きる達人のような人々を指しています。興味深いのは、フロ二モスが、状況
の中で自分に求められているものを、熟考することも考えることもなく、即座に
認識する能力を自分自身の中に育てると考えていることです。それは極めて重要
なスキルのように思えるのです。
ー
▼ 日本が島国という立ち位置もあって、異質の考えそのものを否定するきらい
が強い。情報化の時代に、個々人がサテライトオフィスをスマフォ、iPadに
持つ時代に、深く考えることなく、情報に流されてしまう危険がある。 一度、
現実、現象から離れた孤独の中でしか、それを熟成することはできない。
・・・・・・
6018,閑話小題 ~空を飛ぶ
2017年09月05日(火)
* 旅客機を別として、空中を飛んだことは
旅行先で空中を飛んだのは(旅客機を別として)、
・バンジージャンプを二度。<ニュージーランド、南アフリカ>
・パラセーリング(パラシュートで、ボートに引っ張られ空中を飛ぶ)
を二度。<フィジー>
・気球を一度。<ケニア>
・ヘリコプターを二回。<イグアスの滝と、ビクトリアフォールズ>
・セスナ機を3度、<マッキンレー、テーブルマウンテン、ナスカの地上図>
飛んでみた。
空中を直接、飛んだ経験は印象に強く残る。 圧巻はバンジージャンプ。
極限でのリアルな恐怖体験は、呼吸困難になるほどの異質の体験である。
何とも優雅なのは、南アフリカの気球からの景観。
書き残すことの秘儀が垣間見れる。 私にとっては、魂の刻印になる。
――
ーH0705
バンジージャンプ
(ビクトリア滝)
ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進むと
ジンバブエとザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。よく
みるとバンジー・ジャンプで丁度人がとびおりたところであった。思わず
“私もやりたい!”今年の5月にニュージランドで43mの高さを挑戦!
今度はその二倍以上もある。現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされて
OKの返事! 一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ。 国境警備員も
本当かと何回も念を押した。 そして……。飛び込み台に立って気がついた。
「高さと恐怖心は正比例である事に!」氷つく恐怖心!後ろをふりむいて
“やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを振りほどいてジャンプ!
何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!“目をあけてみてみろよ!”
何とそこには高速道路で170㎞のスピードで車をはしった時の世界と同じ
ような空をとんでいる感覚。いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけて
いく風景がみえてきた。さらに恐ろしいのは50m位の中間で何分か宙づりに
なり、橋まで再びひきあげられるまでの恐怖であった。
(次はヘリコプターよりのジャンプ!と思い立ったが… 断念をした)
――
(ニュージランド、クラフトチャーチ)
四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム、
まさに“身も氷るおもい”そのものであった。
あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。
立って下を見た瞬間まさに金縛り。自分は何でこんな事をしてしまったのか。
自分がここより飛びおりる?… 本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。
そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに四回も私の目をみて念を
おしたのも頷けた。
――
H0609
ケニア・サファリ紀行(Ⅱ)
① 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を
命がけで四時間、つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の
コントラストのすばらしさと、
数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。
そして小学校の近くを走っている時みた、
子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
② 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。
毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として
自然と一体となり絵になっているのだ
③早朝の牧場の乗馬もよかった。
新鮮な空気と草の臭い!
その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って
その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか!
④気球より見たアフリカの広大な草原。
下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。
乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
360度の展望の中での食事が、格別美味しい。
⑤掘っ立て小屋のイメージだったロッジが、実際は高級ホテルであった。
食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声!
ケニア人の90㌫以上は、一生の間で野生のライオン、キリンを見ないという。
それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出ると、
物乞いと、物売りが瞬時に寄ってくる。現地の女の日本人ガイドが、
その貧しさに涙を溜めて訴えていた。 日本人の観光客は、年間に一万人に
満たないという。その点で超穴場といえよう。
実感として、一試合で二本のホームランを打った感! であった。
――
H0807
インカ帝国<夢の旅>
ナスカの地上絵編
AC百~六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に、
一つの文化が栄えていた。謎の地上絵で知られるナスカ文化である。
彼等は何を思ってか九百k㎡にわたる広大な大平原に、
直接、三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。
(その絵と同じものが、当時の土器に描かれているので、
彼等の時代に描いたのが判明できたという。)
その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。
それが何を意味しているのか、宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわす
カレンダー説などあるという。
灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。
それを三十cmの巾で十~三百mにおよぶ絵をえがいている。
その数がペルー全土で二百以上あるという。
そしてその多くがナスカに集中している。
セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。
本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。
少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは
と確信したくなる光景であった。
ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる
縦横に描かれた直線は誰に見せる為のものであろうか不思議そのものだった。
編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖に
すむ原住民の素朴な生活、そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、
強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏にやきついてはなれない。
高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。
(次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、
テーブル・マウンテンとエンゼル・フォールに是非行きたいものである。)
(H 8.6/6~6/12 )
――
H0909
ギアナ旅行記
この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギアア高地の基地、カナイマへ。
更にそこからオリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギアア高地が
広がっていた。 インディオの操縦で四日間にわたった
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。
コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m~三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。そこより落ちる滝は多い
ときで二〇〇~三〇〇にもなり、その中で一番有名なのが、世界最長の落差の
エンゼルフォールである。その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、
麓より見上げた滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。ここでは生物
の生存がほとんど不可能であるという。
ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、
フッと脳をよぎった。
原始人が自然に対して“神”を直感するとは、
このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。
ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。
でもそれだけがすばらしいのだ。そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、
新しい世界をかい間見た十日間であった。
圧巻は、セスナで観たテーブル・マウンテンの全景。
(H9.8/23~9/)
――――
▼ 以上だが、読返すと、TVからの記憶の追体験は、充分可能と納得する。
これなら、記憶の一部を、この世に残せるし、思い残すことなく全てを抱き
旅立てる。 デジカメが普及する前の写真が多いが、デジカメは便利な代物。