閑話小題 ~映画観賞 ―『ワンダフルライフ』

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           <『ワンダフルライフ是枝裕和監督・1999年>
   * 何れの思い出を選ぶ?
 何らかのテーマの随想日記を個人HPで公開を始めて18年も経過した。
一度だけ5分遅れで掲載出来なかった以外は、何とか続けてきた。旅行中は、
書きだめをして、ネットにあげて知人に頼んでいた。6600ともなれば、何から
何まで? 書いてしまった感覚になる。で、周囲の人たちを傷つけ、反発され
もした。どうしても、言葉の中から本音や毒素が出てしまう。
   先ずは、概要から
≪ 天国まであと7日 …
 月曜日。霧に包まれた古い建物に人々が吸い込まれていく。全部で22人。
彼らは面接室に案内され、職員からこう告げられる。
「あなたは昨日お亡くなりになりました。あなたの人生の中から大切な思い出を
ひとつだけ選んで下さい。いつを選びますか?」 死者たちは天国にいくまでの
7日間を、この施設で過ごすことになっている。 死者たちが選んだ思い出は職員
たちの手で撮影され、最終日には上映会が開かれるという。
 火曜日。職員の望月、川嶋、杉江、しおりたちは死者から思い出を聞き出し、
撮影の準備を進める。 それが彼らのこの施設での仕事だ。
・生き別れになっていた恋人と再会した瞬間を選ぶ76歳女性。
・子供の頃の夏休みの前日を選ぶ56歳の男性。
・女性経験ばかり話し続ける男性。
・友達とディズニーランドへ行ったことを話す少女。
・太平洋戦争中のフィリピンのジャングルを選ぶ85歳の元軍人。
・選ぼうとしない青年 ・ ・ ・ etc 。
人それぞれにかけがえのない大切な思い出がある。
 水曜日。望月が担当する死者のひとり渡辺は70歳。なかなか思い出を選べずに
困っている。 「どうせなら… 生きた証が分かるような出来事を選びたい」と
自分の人生が録画された71本のビデオテープを見る渡辺。 しかし、次々と映し
出される自分の平凡な姿に幻滅するばかり。 そんな時、渡辺の新婚生活の映像に
眼を奪われる望月。その表情の変化をしおりは見逃さなかった。 この夜を境に、
望月、しおり、渡辺、それぞれの感情は大きく揺れ始めるのだった… 。
 職員たちとカメラマン、美術スタッフが、死者の思い出を再現するための会議
を開く木曜日。スタジオに組まれたセットの中で思い出が撮影されていく金曜日。
そして土曜日、職員たちの演奏に見送られ、死者たちは思い出の再現映画を
見届け、天国へと旅立っていく。 ≫
 ―
▼ ブログの御蔭で、人生を振返る機会が多く持てたが、たった一つだけと
 言われれると… 思い出といえば、『白い雲に乗って』である。 夜半、
「白い雲にのって、『幼児から少年時代』や、学生時代の『青雲寮』の一室に
戻ったり、金沢の修行時代の店舗でのエピソードの現場を彷徨ったり… 
それらのフラッシュの断片を書いてきた。
・10年スパンで選ぶなら、やはり20歳代。次が10歳までの一桁代。そして30歳代、
 50歳代になる。
・5年スパンなら、20歳代前半。次が30歳代後半、そして50歳代後半。
・一年スパンは、23歳。次が27歳。39歳。
・一月スパンは、21歳の7月。<欧州30日の旅> そして30歳の頃。次が35歳。
 人生のハイライト。
・一週間~10日間スパンでは、各アフリカツアーの日々。
・一日スパンでは、大学の卒業式の一日。
 そして、タンザニアでの晦日のハイエナに囲まれた草原のドライバー達との
 焼肉パーティ。その生々しい現場感覚が何とも味があった。
『こういう体験を三桁はしてきた』と、ある姉に話すと、『そんなことが絶対、
 ある訳がない』と怒りをこめて反論してきた。「際に絶対に行かない人」
には、解る筈はないからである。この切口でみると… ここで止めておく。
 
――――
2658, 幸福の4階建て
2008年07月15日(火)      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
 京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての
「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ?エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》 
「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、
《人間はあまり「無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。
「ストレスは欠くことのできない人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、
 その部分から触発されて、幸福論を4つのステージに分類した。これが面白い。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やす。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、
 いかに長続きさせること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入る。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。
 これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を
得られることを経験的に知っている。「感動することが幸福」だと看破している。
確かに1、2階による心の感動よりは3階の自己実現のほうがはるかに
大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的
かつ前向きになる。成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。 
達成感が生きがいになるのである。しかし新宮教授は、その上のランクとして、
克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福があるという。
この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。
4階は克服できない苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した
中の幸せ。その苦しみの中で、己が融けてしまう状態が幸せということのようだ。
 何か、凄い話になってきたが、両親の創業期の苦しみを身近に見たのが、
その感じである。ロマン・ローランの「ベートヴェンの生涯」の中に、
『苦悩を通り抜けて歓喜へ』という言葉にも近いか。
 苦悩を得てこそ歓喜があるが、歓喜を予感しながら苦しみに耐えることが、
最上の幸福ということだ。それにしても、大きな棍棒で思い切り殴られたようだ。
教え子は大反発をするのも当然のこと。死ということを前提にして、この4つの
ステージはなりたっており、死という最大のストレスを迎える人生の終わりに、
最上の感動を見出すこと!という意味なのか。この問いは今後の持続的自問自答
になるほど、大きな問いである。
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階にあるとは?
                   (^わ^)(^か^)(^ら^)(^ん)(^!^)
・・・・・・
6294,久々のパレートの法則 ~2
2018年06月07日(木)
       『世界の自己啓発 50の名著 エッセンスを読む』
                     T・バトラー=ボートン著
   * ふりかえって、実感としてのこの法則は?
 アメリカ的合理主義といえば、実利主義と、80対20の法則、そして今では、
ティーブン・コヴィーのビジネスマンのバイブルともいえる『7つの習慣』。
中学校に入り、俗にいう「ノメシ」という参考書の存在を知り、試験前に、必死に
赤線をひいて憶えたもの。この存在を知っているかどうかで成績に左右する? 
 人生という面でライフワークを持ってきたかで、それは明らかに2割の部類に
入る。 私のそれは、秘異郷ツアー。その体験の積み重ねが、魂そのものに、
何かしら重要要素があると気付いていた。 この書を読んだ20年前に、
これは、人生の80対20法則の20に入ると…。その後の10年間で、20数回、行く
ことになった。この80の下、20を分け、「20:60:20の法則」もある。
 ネット検索で見つけたのが、更に面白い『3:10:60:27の法則』。
《 ハーバード大学が調査して実証したデータ。 人生は、
・27%の人が、何も知らず、自分からは何もせずに生きている人
・60%の人が、知っているけど、行動しない人
・10%の人は、知ったことを、出来るようにした成功者
・そして3%の人は、無意識に出来てしまう大成功者です。
この27%と60%を足した87%の人達がサービスを受ける側の人、
13%の成功者が提供する側の人です。もっとキツイ言い方をすれば、
87%の仕掛けられる側と13%の仕掛ける側に分かれています。
 ―
 ここには明らかにマインドの差がありました。
・27%の『知らない何もしない』人のマインドは、人をあてにしたり、運命論者
 のように、なんとなく過ごすだけ。生活保護をあてにする人も多くいました。
・60%の『知ってるけど、やらない』人ののマインドは夢や希望を持っているけど、
 そこへの道筋をしっかり定めないでいる人。変化を恐れて今に留まる人たちです。
・10%の『知ったことを、実践して、出来るようになった』人のマインドは、
 3年~5年くらいの未来をしっかり考えられた人たちです。
・そして3%の『無意識で出来てしまう』成功者たちのマインドは
人生の目標に使命感あって、それに向かって進んでいた人たちです。
 他にもこの割合をこのように定義している人もいます。
・27%の人達は、Take & Take(常に人から価値をもらおうとする)
・60%の人達は、Take & Give(価値を与えられたら返す)
・10%の人達は、Give & Take (人に価値を与え見返りを得る)
・3%の人達は、 Give & Give (人に価値を与え続ける)
 もしくは、
27%の人 ・・・ 三流の人
60%の人 ・・・ 二流の人
10%の人 ・・・ 一流の人
3%の人 ・・・ 超一流の人

▼ 能力分類される、中学校最終年のメンバーの顔が思う浮かぶ。
 成るほど、各自がそのままスライドした人生を過ごしてきたようだ。 
ここで、誰もが思うのは、自分は、どの辺りだったか? 
そこで出てくる言葉、<他者と比べないこと> の言葉が出てくる。
こう考えればいい。『それぞれの持味の要素で切り込めば、それぞれ違う。
あの人は、あの分野で、私は、この分野で、秀でているだけのこと。』と。
その意味では、やはり長年かけたライフワークが必要になるが… 
 それもこれも、生きている内、3日もすれば生臭い宇宙の彼方へ…
最後は、『 ぎゃーてい ぎゃーてい はらぎゃーてい 』ですか。

・・・・・・
4465, 余命半年 -3
2013年06月07日(金)              
         「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津秀一著
   * モルヒネか、プチッか     
 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、
プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。
ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くする
しかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。
著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。
一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を
減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めて
いる、と思われるが、ガンの進行に合わ強くしているための誤解。
末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。 ここで知ったのが、
「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは
別に、痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。で、プチッ=安楽死? 
これは現在の日本では禁止されている。ただし死ぬ前から、その意思表示をして
おけば、医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。
何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から
死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネ
を大量に投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで
良い」と著者もいう。ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、
古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけて
いる現場に案内、隠れ見る場面があった。義兄のガン末期の似たような場面を
聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を掻き毟っている姿もみた。
三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。元気なうち、出来る
うちにすべきことを成すべき。アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の
一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。
「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。
生きている限り「他人は先、我は後」だが。

・・・・・・・
5197,歩くことが人間の特徴
2015年06月07日(日)
  養老孟司の対談の中で、「人間の身体は、走るでなく、立っているでなく、
歩くに都合の良いように出来ている」という。考えるとき、独り黙想をしながら
歩くのが良いというのも、歩いている方が自然体のためである。
              ★ 養老孟司対談より
≪ 養老:例えば、歩くのは人間の特徴です。速く走るのは苦手だけれど、長距離
 を歩くのは動物の中で一番得意なのです。そういうことは殆ど教えられません。
 人間は、単に転ばないように重心を移しながらバランスだけで歩いている。
 四つ足の動物は自分の力で体重をまともに移動させなければならないのです。
田部井:人間は走ることではなく歩くのに向いている。そう痛感しながら、
  山を登っているのです。
養老:だから、アフリカで発生して、南米まで行けたのです。あれは歩いて
  行ったに違いない。アジアを通り北米を経てアメリカ大陸の南の果てまで。
田部井:ひづめを持っている動物は走るのに適していると思いますけれど、
  人間の足は歩くためにあって、歩くから身体のいろいろなところが働く
  のだなと思います。
養老:後足に頭が乗っているのはほとんど人間だけですからね。馬とかキリン
  とか、みんな前足に頭が乗っているでしょう。だから、前足がコケると
  頭がコケる。人間の場合、手がいくらコケても頭は平気です。 だから、
  そのぶん手が余った。その手は昔から頭と関係が深いわけで、それは脳
  からすれば大革命なのです。見えている風景が全然達うでしょう。 ≫
▼ 青年期には、読書や、旅行先で、様々な感動があリ、その都度、大きく
 変わっていった。逆に、挫折も大きな変化をもたらした。20歳前後から、
一日、2~5時間の読書時間を持ってきたが、魂を揺するほどの感動というと、
どれほどあっただろう? 秘境ツアーでも、何度も、その経験をした。
その都度、小さな硬い殻が壊れていき、何かから自由になっていた。
   ~次の言葉も、含蓄がある。
『現実は人それぞれ。あなたの行動に影響するものが、あなたの現実です。 
 知識が増えても、行動に変化する影響がなければ、それは現実にはならない。
「授業を聞いて何か知っても、それによって自分が変わらなければ勉強した
 ことにはならない」・・』 
『知ることは自分が変わること。がんを告知されて、あと半年の命と思ったら、
 同じ桜でも違って見える』
・・・・・・
5927,ネットの未来 ~ネットの住民には
2017年06月07日(水)
       <「鈴木さんにも分かるネットの未来」川上量生著> 
  * ネット住居派と、ネットツール派
 ネットとTVの未来をテーマにした面白い本である。寝室にソニー
4K・TVを入替をして5ヶ月経過。一日、3~4時間は、録り溜めの映画か、
ドラマか、ドキュメントを見ているが、一度、TVを入れると別世界になる。
また、廊下を隔てた仏間の机上のパソコン前に4時間は座っている。これも、
座ると同時に、現実世界から遮断され、唯我独尊の世界になる。
この2つのマシーンの未来をテーマなら、面白くない筈がない。
 ~まずは、ネット世界の住人について、まとめた~
≪ ネットを利用している人には二種類の人種がいる。
 ネットをツールとして利用する人と、ネットに住んでいる人の二種類。
・ネットを便利なツールと思っている人をネットツール派、一般はこっち。
・リアルな現実世界ではなく、バーチャルなネットの中に自分の居場所があると
 思っている人=ネット住処派と定義。著者は、自らを「ネット原住民」とする。
当然、重なるが比重の問題。家内は明らかにツール派で、私はネット住処派。
ここで、「住処派の住人は、パターンとして特別な趣味を持っている人」で、
彼らが困っている共通のテーマが、同趣味を持つ仲間を見つけにくいこと。
マイナーの趣味を持つ人を近くで見つけよとするのは難しいが、ネットだと、
全国から探せるため、比較的仲間を見つけやすい。特に現実社会で仲間を見つけ
にくいオタクはネット仲間と相性がよく、現実社会よりもネットに仲間と帰属
意識をもつ。もう一つのパターンが、そもそも友達が少ないか、いない場合。
現実社会でイジメにあっている人、落ちこぼれている人、そういう人たちは、
現実社会では居心地が悪くて、ネットがにべ場所になります。ネット社会の方で
こそ輝ける人生を送れる、人気者になれる、憩いを感じる、そういう人がネット
住人になれるのです。≫

▼ このテーマ日記も、地元原住民にとって、特殊な切口をするネット住処派
 変人のネタ探しと、上から目線でみるには丁度よい情報源というところ?。
<井戸の蛙、井戸の外の世界は見えずとも、満天の空を見ることができる>が、
ずばり、オタク世界の本質である。
ネットの面白いところが、<内省だけならず、外の数多の「内省」>を気楽、
かつ簡単に出来ること。だから、毎日が面白く楽しい、充実した時間に様がわる。 
要は、「クールヘッド、ウォームハート」の視線で、ネットや、チャネル・
サーフィンが可能になるということ。今では、TVでYouTubeに高画質の動画が
見れるため、ポテトチップオタクも、ネットオタクの仲間入り。自然界を、
現場に立った生の視界を、人間の視力の数倍、数十倍で見ることが可能のこと。
それ故に、毎日が、TV画面で、現実世界でも、過って見たことがない世界に
出会うことになる。映像は映像でしかないとしても、これがバーチャル世界の
住処派の面白いところ。 ハヤブサの首に超高速のカメラをつけて、林の中を
滑空する映像や、南米の祭りで、街中に放たれた闘牛に住民たちが素手で立ち
向かう映像は、迫力満点。 そういうこと!

・・・・・・
5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは ~④
2016年06月07日(火)
   * 妹役、さくらの誕生   <山田洋次名越康文 対談>より
 山田洋次の「さくら」を作り上げたエピソードが面白い。
兄、妹にも相性があって、相性の良いと、本当に可愛いらしい。
駄目な兄と、しっかり者の妹の「さくら」の関係が何ともよい。
浅草に「寅さん」の銅像があるが、今度、「さくら」の銅像が出来るという。
 その「さくら」誕生のエピソードが面白い。
≪ 名越:両親の愛情を十分に受けられなかった寅さんにとって、
 やはり異母妹のさくらの存在は大きいですね。
山田『男はつらいよ』の設定を考えていた時、さくらが生まれるヒントに
 なった話に巡り合ったんです。それは、ある女性作家の、今から四十年以上前
 の実体験でした。彼女はある日、東京から大阪に引越すため、汽車に乗ります。
 そこに、ヤクザになっていた兄がやってきて、久しぶりに兄と妹が再会する。
 そうこうしているうちに、発車のベルがジーンと鳴る。その時、急に兄貴が
「おい、気に入らねえ奴いるか?」と言ったというんです。そういう奴がいたら、
 俺が殺してやる、ということでしょうね。
名越:すごい場面ですね。
山田:この話を知ってから、いろんなことを考えました。一体、お兄さんに
 とって妹とはどんな存在だったんだろう。もしかしたらお兄さんは、
「俺はこいつを不幸にしているんじゃないか」と思えてきて、妹が急にかわい
 そうになったのかもしれない。最後の言葉の意味は、「アイラブユー」です
 からね。もしこの妹をひどい目に遭わせた人間がいたら、俺は生かしちゃ
 おかない、と。
名越:鮮烈な絆の表現です。
山田:だから、寅にはそういう妹がいるんだなと考えたんです。
名越:四十八作を観て気づいたことは他にもたくさんあります。
 たとえば、寅さんって世間にはふられてばかりだと思われているけれど、
 実はかなりモテる(笑)。シリーズの三分の二くらいモテています。
山田:寅に会えて友達になって、「私、とても幸せだった」と言うマドンナは
 たくさんいます。でも、寅は、結婚については、決定的に自信がなかったん
 じゃないでしょうか。結婚生活には、恋愛関係の先に、もう一つ大きなバリア
 があって、それを乗り越えなければ結婚はできない。男と女のドロドロした
 関係が生じることに、寅は我慢できない。そこが寅の哀れさでもある。
名越:寅さんは草食男子のような'ところもある。女性に対する不安や恐怖心を
 持ってますよね。≫
▼ 20歳で、創業人生を志したことで、パートナーの人選に慎重になっていた
 上に、4人の姉たちのドロドロ?した様々な結婚生活の実態も見知っていた。
さらに姉4人との遜色ないバランスを考えると、安易な妥協もできないジレンマ
があった。「この人と一生?」と思うと、そうそういないもの。で、「   」。
 「寅さん」は、あくまで無知故に何ものにも捉われない想像上の人物像。
こんなのがいたら、周囲の人間まで巻き込まれ炎上されてしまう。その際どい
狂気が、物語を育んでいくとしても・・ 

・・・・・・
4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10
2014年06月07日(土)
   * 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの
建設計画に入る。当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが
社長のままだった。右上がりの時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、
華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず出を制して入り
を図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。 
実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。
現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、
死後の相続を姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の
散財をしていたから、現在にすれば?百万になる。 逆に、生前贈与に対して、
姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのも
みてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、
性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、
私対姉夫婦に移っていた。創業を目指していた私には、具体的実践課題を
与えられたことになり、その成果が試されることになった。これが大変だが、
創業の第一歩が、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になった。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。  まず考えたのが、この千城台のような団地の
商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給
公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、
テナントを埋めた段階で、資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台
ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出すことにした。 
学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての
転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。これなら合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。
その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、
ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな
課題になっていた。 ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。
これを見て、奇妙な偶然に驚いている。