閑話小題 ~怒りの正体

 

  

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   * 古代、神々は怒り狂っている

 怒りをテーマに、これまで多く書いてきた。
先週末の朝日新聞の日曜版<Globe>の特集記事が…
【angry? 怒りの正体】であった。様々の切口が新鮮の内容。
その一つが、『古代から神々は怒り狂っていた』のテーマ… 
  ~その概要は~
≪ 平和が続いている現在、なかなか怒れない時代になった。
 古代から神々は怒り狂っていた。
・古代からの有名な怒りとしてホメロス叙事詩イリアス」の冒頭で
「アキレスの怒り」を挙げる。「イリヤス」はトロイヤ戦争10年目に生じた
 怒りと、それによってもたさらせられた悲劇の作品。
旧約聖書にも神の怒りが記されている。人間の堕落に怒った神が洪水を
 起こしてノア一家と動物たちを残して滅ぼした「ノアの方舟」がそれ。
・ローマ時代に怒りを考察してのがセネカ。皇帝をネロのブレーンとして
 支えたが、後に謀反の疑いで自害させた。セネカは随筆「怒りについて」で、
 「怒ることは所詮無益なこと」「しばし我慢をすればよい。そら、君たちを
 同等とする死がやってくるではないか」と説いている。
フランス革命や米独立戦争などは民族の怒りが発火点になり、社会改革
 の起動力になった。自爆テロも一種の怒りの表出だという見方がある。
・江戸時代は武士がサラリーマン化して、怒りや、暴力をふるえなくなった。
・明治時代になると、外国への民衆の怒りを利用して富国強兵にはしり、
 戦争に突入していった。
ところが、現代は「怒れない社会だと、宗教学者の島田裕己がいう。
パワハラに会えば、転職の道があり、「逃げ道はいくらでもある」
グローバル化で、全てがつながり、個人の自由の領域が狭まった。
世界が安定を求める中、人々は抗えず飼い慣らされていく」
 一方、元仏レジスタンス闘士のステファン・エセルが2010年に発表した
冊子「怒れ! 憤れ!」は世界35ヶ国で計450万冊を売るベストセラーに。
その中で、無関心でいると「人間が人間足らしめている大切なものを失う。
その一つが、怒りであり、怒りの対象に自ら挑む意志である」と… ≫
 ―
▼ 老いは、正常な人間を異常の人間に変えていく。老いること自体が「病気」
 のためである。それを本人も周囲も全く気付かいため悲劇が起こる。
『自由、平等、博愛』という欧州が生み出した建前。これに対して、無知の
大衆は怒っている。世界のごく一部の人たちが、その富の半分を占有している
現実が世界に知られれば、それは怒って当然。古代から、神々が怒っていた
のだから、現代の人たちが怒らないでいられない。最近、シネマ館でみる
ハリウッドもの。先週末に見た『ゴジラ』も大画面の中で、怪獣同士の闘いの
中で街中を破壊尽くす。その背景音に、日本の囃子まで入っている。観客に
破壊を共有させて、怒りの蓄積を破壊と共に飛ばしてしまう。老いの最大の
敵は、老化から出てくる怒りの感情。 何とも嫌な無念な姿である。
 それらが群れると「溝だめ」になる。 

―ー――
2012/06/04
老いの見本帳ーダークサイト -8
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いと鬱屈
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と
視線に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、
そこには難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで一生
何も出来ないで死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 
その不快な毒を体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。
老化は、否が応でも毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。
だから、熟年になったら群れてはならない。 
 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとで動じない」
人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするような
ことへの免疫を獲得していく過程ではないのか。 難儀なことを解決するのか、
避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、
とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの
喜ばしい側面ではないかとわたしは思っていたのだった。 
 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々
の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも
馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、砒素や重金属
のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。 
だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら
難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、
鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。・・・老いても
鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには事欠かない。遅かれ早かれ、
この世界のほうを、さながら迷子みたいに置き去りにしてやれるのである・・≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺する
 のに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則。」
は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、その毒は
体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、体内の毒は、
ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため面白いのである。
これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染むのである。
本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと初め
から割り切って孤立していた方が良い?

――――

4674, 閑話小題 ー何だろう、この現象は  ―1
2014年01月02日(木))
  * 我ながら気持ちの悪い不思議な現象と城下町小唄 
             ー正月にインパクトの強い話を一つ!ー
 隣の新築工事の本体が済んで、家周りの庭と駐車場の土間工事に入っているが、
何故か長野県の業者が2~3人で作業をしている。夜はビジネスホテルにでも
泊まっているのだろう。ところが書斎に居ると、親方か上司が部下を怒っている
のがまる聞こえ。それが口を極めた罵声で、聞えている私も変になりそう。
冬空の雨と霙の中で、あの罵声を浴びせつけられながらの仕事は極限だろう! 
様々な際どい場面の経験をしてきたが、冬場での、これは酷いを超え残酷に思えた。 
 2ヶ月前に、近くのSCの上新電機でデジカメを買った時のこと、これも上司
が切れて、部下に口を極めた罵声の嵐。店内のため、声を抑えている分、言葉が
鋭くなる。近くの数人の客も驚いて聞き耳を立てていた。これでは言われた方は
恨み骨髄で、殺傷沙汰があって当然と思えるほど。  
 ーとこで、最近、思わず奇妙なことに気づいた?ー
  ーその前に、私のブログ「バードウォッチ」に書いた一節のコピーから
【 最近、フト気づいたことがある。人生の節目を振返ると、心の底から怒りを
 感じた相手が高い確率で、交通事故、 人身事故、大病になっていること。
30~40年前の節目でも気づいたが、ある人が真剣な顔で、同じことを言って
いるのを聞いて「バカくさ!」と思い、その気づきを打ち消した。 再び、
この視線で改めて考えると「何か危ない」 私は?怒りを抑えると逆に、
相手に何かが起こる? オカルトめいたが、そう考えると、次々と、色いろな
現象が思い当たる。その思い込みが、その要素を浮かび上がらせるとしても… 】
▼ 一昨年の10月になるが、旅行に出発しようと自宅を出たところ、痴呆らしき?
 80過ぎの爺さんに4~5Mの背後につかれ罵声を200mの間、浴びせつけられた。
しかし振返ると目をそむける。で、川端で人けが無くなると、恐ろしいのか、
間隔を広げ、更に大声を張り上げているが、何を言っているか意味不明? 
数日前に旅行ケースを宅配に出すのを隣の地銀勤めの奥さんに見られ? 
その噂話を爺さんとしているタイミングに、私が玄関を出たようだ。その地銀の
借金はないが、銀行員なら蟄居の立場?で旅行など悪行そのもの?
(銀行員でなくても同じ?)しかしニャロメと続けるのがライフワーク! 
何の迷いも、引け目もないし、過去の旅行は全て同じような条件下。それでも
行くから価値がある。その後、痴呆老人が、パンクの修理先の自転車屋の主?
と思い当たった。とすると以前から狙われていた?リピーター客を狙うとは
言語道断。当人は落人狩り地侍の心持ち?私が両手に鞄を持って大丈夫と
思ってか、自分の激怒に酔っている風。パンク修理の間の世間ネタの材料の
仕入れ?の世間様レベルの現象が全世界の人? 色分けで戦中派の「C」さん 
で、旅行の見送り?として盛大な旗振り役? 旅行先から帰って交番に届けたが
「罵声では犯罪にならない」という。その半年後の昨年春先、パンク修理のため、
本人確認も含めて店に行ったところ、本人は動転。「雪道で転んで腕を骨折して
修理は無理!」という。おあとは、次回のお楽しみ・・ それにしても、
こういう手合いの話題なら山ほどある私は何? ハ?  ーつづく
 
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2014/01/03
閑話小題 ー何だろう?この現象は ー2
   * では、なぜ事故や大病になるのか? ー私も、あなたも自業自得!
 痛々しい包帯だったが「私も手伝うから」とタイヤも交換しながら本人確認。
80過ぎの好々爺の黄門様の勧善懲悪レベル!にぎやかな見送りを受けた飛行機
の中で、心の内で静かに激怒をした結果、「直ぐに病気か事故で(-人-;)!
それまでのこと」と怒りを収めた。そして正に「復讐するは我(自然)にあり」
の骨折。除雪作業中の骨折直後に、私の自転車がパンクの修理で骨折の確認とは、
奇妙な偶然の巡り合わせ。で、その半年以上も経った現在になって、これは
シンクロ二シティ?
「私の静かに充満した怒りは、対象者を重症の病気か、交通事故、転倒事故で
一生モノの深手になっている?」ことに気づいた。 そこで、次の筋書き
『まずは骨折だったが、80過ぎの年齢から、あと2~3年で Ωチーンi~
気の毒?だが・・』が思い立つ。こういう視点でみると、この節目だけでも、
あるある! 更に40~50年スパンでみた人生の節目なら数知れず。 
 逆の立場で「私も静かな怒りの対象になって、色いろ危ない目にあっている。
が、自分では気づかなっただけ?」とすると、これも山ほどある。
「この奇妙な現象は、その解釈、受けとめ方の一つでしかない!」が正論。
「静かな怒りで、対象を破壊する力?は、私だけでなく、エネルギーの特に
強い何割かに備わっていて、破壊された私が、ここにいる」という事にも、なる。
 『他人を恨めば穴二つ』この呪文を解くには周囲への感謝の念しかない? 
この偶然はシンクロニシティの「節目バージョン」なのだろうか? 願って
なるのでなく、本人の因果応報。アフリカの市場で、呪いグッズだけの市場が
あった。 町が沈んでいくと、こうなるのか。 仕事として自主独立の事業が
通せたのが私の人生の最大の幸運。こういう人たちと距離が置けたからである。
「当人が怒っているのは、本人自身の毒! それに、私の何かが反応した!」が、
私の解釈。私への毒が少ない?のは、それを経験と知識で最小にしているため? 
 シンクロニシティに関する知識のない人は、それに遭遇しても自覚できない。
オカルトめいているが、自転車屋の主は発病か事故で +_@)!の時期が早まると
思えば怒りが消える。 人生の節目で、思い当たる人が10数人はいる。
3年前の節目からして・・ 40年以上も事業をすれば、トラブルや怒りが山ほど
あって当然。 その対象の人たちの不幸な事故や病を因果付ければ、こんな筋書
が幾らで出来る。対象者の共通点が幾つかあるが書くのは止めた!
万人が持っている?この現象は、以前から気づいていたが、同じようなことを
聞いて、「偶然を、自分勝手の思い込み、解釈じゃないか!」と感じ取り、
その思いを打ち消した。で、今回の節目の様々な現象。来年にかけ、私の目で
非常に危ない人が4~5名いる!といえば、どうだろう? しかし、これまでの
現象を凝視すると、それも当人の自業自得。それを都合の良い解釈、物語に
しているに過ぎない? 数ヶ月前にリメイク版の『キャリー』という映画をみた。 
苛め抜かれた少女が『超能力』で、苛めた人たちを根こそぎ破壊する物語。 
さて、この物語は、どうなる? それが、そのまま私自身へ向かう可能性もある。 
前回のオチ「こういう話題が山ほどある私は何? ハ?σ・Д・)お前バカ?」
がやはり結論! で、どうした? 正月から毒を吐き散らしただけ。
それにしても我ながら酷い思い込み、内容である!
――――

2014/01/07
閑話小題 ー何だろう?この現象は ー3
   * この現象から考えさせられたこと
 ふと気づいた仮説、静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているケース
が多いことから、これはユングの「意味ある偶然の一致」ではないかと思い立った。
その数週間前にシネマで『キャリー』という映画も見ていた事もある。
 静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているとすると、過去のトラブル
で多くの人が、事故や病気になっているはず? か?というと、そうでない! 
また、逆の立場のトラブルの相手が、静かな怒りのエネルギーを私に向けている
ので、私は、今頃、とうの昔に死の病か、事故で亡くなっているはず。
事業の立ち上げを幾つか経験してくれば、その分、軋轢がある。それを避けての
創業など無理。この仮説から演繹法帰納法が具体的ケースとみると解りやすい。
演繹法は、まず仮説を立て、その証明の要素を集める。帰納法は、節目時に因縁
のあった人との軋轢で激怒した相手が、その直後から3~4年以内に事故か
病気が生じる現象。そこから、これユングシンクロニシティでは?と行き着く。 
これを書いていて、「バカくさ!」と思える部分と、「偶然にしては出来すぎ!」
が交互して結論は出ないが、両方とも否定ができないところがある。
 現に、自分が、ここに、生きていること自体が偶然の積み重ねの結果。 
大気圏を持った惑星が、宇宙に存在すること自体が奇跡。さらに生物が存在し、
知識を持ったサルが、ここに存在いていること自体、奇跡も奇跡。このテーマ自体
が無知蒙昧丸出しの仮説である。自分に都合の良い要素を集めて、勝手に、さも
不思議そうに思い込んでいるだけ。それも、一時的にしろ、私自身が信じていた
のだから。 人間は自分の言葉を持ち、物語をつくって生きていく動物。その思い
を書き出すことで、如何に好い加減な考えで日常を過ごしている己に気づかされる。
それでも一応、経験も知識も、積み上げてきて、これ??
おっと、それ以上は言うなよ… ったく! 
ここで気づいたことは、静かな怒りの相手を改めて見つめると、怒りだけでなく、
むしろ感謝する対象である。怒りと感謝が相まっていることに気づかされる。
夫婦の関係と同じである。だから、犬も喰わない。まあ、未熟ということ!
以前から、怒りなどマイナーの念に囚われている外に出る鍵として、
10回、目をつぶり「ありがとう」の言葉を繰り返していた。そうすると、
そこから一歩、外に出ることが出来る。感謝を間違いなく、互いに忘れている。
この結末の節目の意味を考えると・・ ひたすら、ひたすら祈るしかない!