閑話小題 ~お笑い… 春うらら -2

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 お笑い、小噺ほど白けたら、これほど面白くないものはない。逆に、その場に
同化してしまえば、これほど楽しい時間はない。一時期、凝った時節があり、
この分類に<お笑いコーナー>に納めてある。これはという一品に出会うことは
少ない。笑いのツボが人によって違うことが多い。 私の特技が、心の底から
笑うことが出来ること。これで何とか、人生を乗越えてきた。これは日頃の訓練
が必要となる。笑いとは喜怒哀楽の感情を豊かにする切り口になる。これは常日頃
の訓練を要する。確か、インドにツアー仲間の女性が、中東で大麻を吸った時の
状態を話していた。 腹が捩れるほど笑っている状態に似ているとか。
 笑いも、つい振り向いてしまう美人と同じ。 明るさと、下ネタとしても、
アッサリした清潔感が必要。その最低条件は、具体的な生々しさを消すこと。
  
   ― 世界一短い小噺特集 ―
1.天国の話       :「アノヨッ」
2.ほんとうにあった話  :「ジツは(実話)」
3.旅行の話       :「この度(旅)は」
4.十二支の話      :「エット(干支)」
5.ピカソの作品     :「エッ(絵)」
6.四谷怪談       :「今からユーレイ(言うでぇ)」
7.気分が良くなる話   :「そうかい」
8.テレビラジオの話   :「ホーソウかい」
9.おならの話      :「ヘェー」
10.「こんな所に魚の頭が落ちているよ」 :「アラッ」
11.「向こうから来るのは坊さんかい?」 :「ソウ」
12.「小さな鳥が落ちた」 :「コトリッ」
13.「お母ちゃんカギ落とした」     :「キィーつけや!」
14.「台所使ってもいいですか?」    :「勝手にしなさい」
15.「この野菜何と言う野菜?」     :「きくな」
 ―
  ~他にいくつか
・日本酒を飲んで、飲酒運転してるやつが突然言いました。
  ゲッ!警官(月桂冠
・これは、ソースですか?
  そうっす!
・この椅子に座ってもいいですか?
  いいっす!
 ―
  ~ おまけ
魚屋さんの店先で、あるお客が「このイカ、タコかな」
「お客さん、イカイカですよ」
「はい、わかってます。 このイカを炊たこかなと思って」
 ―
ある母子が、京都の都をどりを見に行きました。しばらく踊りを見ておりまして
「お母さん、あのおねえさん、まだ着物脱がないの?」
「バカね、着物なんか脱ぎませんよ」
「でも、この間、お父さんと行った時は、全部脱いだよ」
 ―
  * 笑いの真髄
 (一度書いた内容だが、私が最も好きな小噺)
ある男暇をもてあまし、知り合いの娼婦の館の女主人の所に遊びに行った。
「何かオモシロイコトないかね」と言うと、2Fのある部屋で裸になって
待っているように言われた。
その部屋で待っていると鶏が1羽投げ込まれた。
鶏姦をという事かと面白くなり鶏を追いかけまわし、やっとのことで事を成し遂げた。
1週間後また退屈になり、再びその女主人のところにやって来てまた何か面白いことが
ないかと聞いた。それでは3Fのある部屋に行くように言われた。その部屋に行くと、
数人の男が隣の黒人3人と白人女3人のスワッピングを隠れみていた。
一緒になって見ていたが、あまりに面白いので隣の男に声をかけると、
その男曰く「いや1週間前はもっと面白かった!
 馬鹿な素っ裸の男が鶏を追いかけて鶏姦をしていた。」

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3670, 節目どきに ー5
2011年04月13日(水)
  * 娑婆には知らないことばかり
 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、
10時のオープンに50人位の行列。「プール関連の新しいサービスが開始
されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をして
もらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。
「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と
思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、
成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。
家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると
聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、別の新潟の友人は、二つのジム
に入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない
上に、主婦にとって癒しの場。漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、
ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。
平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、
ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、
そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10~17時の
平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、
一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の
運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多く
なった分、身体を動かさないと! 
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5872,トランジション ~人生の転機に、トランジション理論 ~6
2017年04月13日(木)
  * 30歳辺りが最大の転機というが
 ・この論の中で、人生最大の転機を「30歳」としている。
責任と権力を持ち、力量を問われる究極の時節。目の前に次々と現れ出る
難問を一つずつ解決する日々。振りかえみれば成る程、30歳は人間として、
真に独立する分岐点である。孔子は15歳で学問の道を志し、自分なり学問の
基礎を築いたのが30歳。彼も20代は、まだ学びの只中であった。
 ・高校を卒業をし、地元から大学、就職、創業と12年近く県外で携わり、
30歳直前に実家の衣料量販店にUターン。何も知らない事業を、一つずつ、
出たとこ勝負で解決をしていたが、鞘から抜身の真剣で立ち向う感覚で、
何とか切り抜ていた。 真剣なればこそ、幸運が寄り添ってくる。 
 終戦直後、両親の必死に働く背中をみて育ったこともあり、20歳で創業を
目指す志をたて、その10年後の30歳が一番の転機といえば、そうである。
血相を変えて、一日一日を熟すしか手立てはない。そして30歳代半ばで、
本番の創業に向かうことに。
 20歳の創業の決意。27歳の父親の死と千葉郊外の創業。30歳時のUターン。
34歳の独立。46歳の?。51歳時の母親の死。そこで、還暦までの9年間で、
余命30年分を濃縮して生きると決意をし、その実行。最後は、何匹かの
ブラック・スワンの到来の結果、65歳で事業清算。その歳代の基点が30歳と
すると、納得できる。私の場合、35歳でもよいが。「節目を打て」というが、
準備万端の上で打ってこそ、「予定挫折」の良い節が出来ようというもの。
背骨は幾つかの骨が節で繋がって出来ている。「背骨を立てよ」というが、
人生にとっても、問題は、その節目と、骨の鍛錬と、栄養が必要である。
18歳からの腰痛持ちで、何とか、この年齢まで辿り着いた。今は何とか週4回
のヨガで持ちこたえているが… 
 落語の御隠居と八っん熊さんの掛け合い。御隠居目線の現在の私から
見えてくる過去の姿が、まさに八っあん熊さん、そのもの。 笑えるが、
もの哀しくもある。まだ笑っていられるから、救いがあるのか?
 「無知は罪」というが、これだけは、器量で決まる。
石ころの大きさを競っても、所詮は砂利でしかないか… 当人は必死だが。
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4410, 夫源病と妻源病
2013年04月13日(土)
 昼のワイドショーで、ゲストの医者が「最近の病の原因が夫婦間のイザコザ
が多い」という。それについて何人かの主婦や、夫に街頭で互いの不満について
インタビューをしていたが、その殆どが我が身に当てはまる内容。驚いたのは、
「それでも旦那を愛していますか?」という質問に、イエスと答えたのが20人
いた番組の参加者の僅か5名。キャスターは唖然。そんなものだろう、夫婦は! 
  ーそこでネット検索で「夫源病」を調べるとー
≪ 最近の病の原因を探ると、妻は主人への不満を語り出し「夫源病」と診断
 されるケースが多い。夫の言葉や行動に対する不平や不満がストレスになり、
妻の身体に更年期のような症状がでてしまう。まずはコミュニケ不足と家庭内の
役割分担がうまくいっていないことが問題、と言われる。家庭の主婦がおこす
病名として、大阪大学大学院医学研究科の准教授・石倉文信先生が名付けた病名。 
夫源病の症状として、原因不明の不定愁訴や強い耳鳴り、横揺れのめまい、
激しい頭痛、のぼせ、ひどい肩こり、全身の痛み、動悸、息切れ、呼吸困難、
不眠などがある。妻の置かれた状況を察しない夫への日々の小さな不平や不満
が、脳の視床下部(自律神経やホルモンのバランスを司る部位)にストレスを
かけ続け、次第に自律神経がバランスを失い暴走し、色々な症状をおこす、
と考えられる。その夫源病の対策として、感情を爆発させる、秘密を持つ、
プチ家出をする、などがある。≫ 
▼ 夫も同じで、モンスターワイフのストレスの「妻源病」が増えている。
 以前からあったが、こういう病名が付けられると、互いに我慢していた夫婦
の亀裂が更に大きくなる。 中国で巣立った後の家庭を「空巣家庭」という。
また英語には、「Empty nester」という言葉がある。ヒナ鳥が巣立った後の
「空っぽの巣」 を守る親鳥に喩えて子供が育った後の親の事を指す。日本中、
団塊の世代が定年を向かえ、空の巣で「妻源病」「夫源病」が向き合い、互い
の首輪の紐を持ち合い、引っ張り締め付けあう。とはいえ、状況からし
今さら離婚も無理。さらにリタイアによる収入激減が、不満に火をそそぐ。
多かれ少なかれ、何処の空巣でもバトルがある。
で、やはり強いのは大方は御夫人の方? 
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5507,恐竜と人類どっちが凄いか ー�
2016年04月13日(水)
            ~文芸春秋オピニオン。2016年の論点100~
              〔国立科学博物館 海部洋介〕より
 人類誕生からの人類史について、ここでも何度か書いてきた。
以下は、その復習であり、簡略にまとめてある内容。その一端として私の
70年の人生を生きたが、生命史からみれば、僅かな一端でしかない微小の
己の立ち居地を垣間見ることが出来る。20億年の生命と、700万年の
人類の生命の歴史の上に、我々は存在している。
  * 地球全体に広がり人生を謳歌する人類は凄い 
≪・人類の未来というと、どうしてもネガティブな話になりがちだ。
 現代社会には、終わらない紛争、貧困、環境破壊と暗い話題がいくらでも
あるから無理はない。しかし人類が現在の繁栄に至った道を、文明史を
越えて進化の次元で辿ると、我々のとてつもない過去が見えてくる。
・人類は誕生から700万年の歴史しか持たない、自然界の新参者だ。
恐竜からみれば、この数字はまったくとるに足らないだろう。しかし
数字の大きさが全てだとは、私は思わない。
・初期の人類は、アフリカにしかいなかった。誕生から500万年もの間、そうで
あった。やがて185万年前以降に、原人や旧人のグループがユーラシアの低~中
緯度地域に広がったが、5万年前まではそこが限界だった。
・激変が起こったのは、それからだ。アフリカで進化したホモ・サピエンス
つまり我々の種が、大拡散を開始したのである。一部のグループは、海を越え
無人オーストラリア大陸へ辿り着いた。 別のグループは、冬期の気温が
マイナス30度を下回るシベリア奥地に人類として初めて進出。やがてアラスカ
へ渡る陸橋をみつけて、無人アメリカ大陸へ広がった。もう少し時代が下る
と太平洋へ乗り出す者が現れ、この広大な海洋世界に散在するほぼ全ての島が
植民された。体格や体力でみれば決して自然界の強者ではない人類が、こんな
ことを成し遂げたのである。生物進化史の尺度からみれば、一瞬とも言えるほど
の短期間で。その旅路には、恐竜が経験しなか三酷寒の地、海、砂漠、高山など
様々な自然障壁が待ち受けていたが、彼らはそれを越えた。
・そのとき人類は、身体が新慨境に適応進化するのを待つのでなく、他の生物
がやったことのない新戦略をとった。技術を創造し、継承.発展させたのである。
衣服、住居、移動手段としての舟などを生み出し、火の管理や食料心存法を
開発・改良する行動的柔軟性がホモ・サピエンスの大拡散を可能にした。
・かつての世界には、ジャワ原人フローレス原人、ネアンデルタール人など
の異なる人類が共存していた。その多様性は今では失われ、現在いるのは
ホモ・サピエンスだけとなった。しかしその幅が、世界中にいる。
世界のどこに行っても、我々のなかまに会える。当たり前すぎて気づかない
かもしれないが、これは自然界の常識からかけ離れた、異様な状態なのである。
私はこの異様さこそが逆に人間の凄さであると思う。≫
▼ 生物は己を環境の変化に合わせて変えてきたが、人間は、環境を己に
 合わせて変えてきた。牧畜と農業と住居。そして村と都市。それを統率する
権力者と、その同調者たちと、その奴隷化され搾取される3分の2の従属者。
権力者3%、同調者30%、従属者67%の比率は、ギリシャの時代も、現代
アメリカ社会と全く変わってない。表立ってないのは、ただ、オブラートに
包まれているだけのこと。とはいえ、この環境を人間に合わせて作り変える
仕組みも、そう長くは続かないことがハッキリしてきた。で、偶然だが、
以下につづく。
・・・・・・
4036, 一時停止 ー2
2012年04月13日(金)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955~2010
  * 昼と夜  ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より
≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 
 詩人は目を地に落としたまま答えた。「私は両方を選ばねばなりません。
私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは
詩人ではないのだから。あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、
人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い
行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」
詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 
その私の気持を見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら
詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。どんな不幸であろうと、それが
言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです
「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」
その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは
黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。詩人「こんな日は、
ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的な
ところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。だからぼくは人間
の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ない
んだから、それだけでもどこかわれわれに親しいような感じがしますね。」 
私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 
私の問は半ば冗談だったのだが、彼の顔は生真面目であった。 
詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいる
ように見えている時でも、決して夜をあきらめてしまっているわけでは
ありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を
諦めているわけではないのです。」≫
▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。
 その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に怖れるのは言葉に
なり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んで
いる。谷川のいう言葉は、言霊である。「不幸も言霊になった時、それも
夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 
夜半に目がさめ、色いろ考えが吹き出てくる。それはマイナスが多い。 
詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。