* 「死」を通して家族の絆を考えてみる
 ギリシャ時代から『死』の問題が哲学されてきた。そして、その問題が目前
に現実問題として近づいてきた。【死】からみれば全てがカスリ傷でしかない。
だから直視して【生】を考えなければならない。死について、ギリシャの哲学者
エピクロス(B.C.3−4) の「快楽主義者」を思いたつ。「…われわれが現在する
ときには死は現在せず、死が現在する時にはわれわれは存在しないから。」と。
 それを人称を使ったのがジャンケレヴィッチである。
   〜ネット検索による内容とは〜
≪ 死の問題を考えるとき、フランスの哲学者であるジャンケレヴィッチの
 「死の人称」がよく引用されます。
ジャンケレヴィッチは、死を文法範疇の人称を使って三つに区分しました。
・「1人称の死」は(私)自分の死、
・「2人称の死」は(あなた)近親者の死、そして
・「3人称の死」は(それ以外)他人の死です。
日々、マスコミで信じられないような凶悪な殺人事件や海外でのテロ事件
などが報道されますが、これは私たちに直接関係のない「3人称の死」です。
  ♦ 1人称の死と2人称の死を、著書「死」の中で次のように述べる。
「父あるいは母の死は、ほとんど われわれの死であり ある意味では実際に
われわれ自身の死だ」(仲沢紀雄訳「死」 みみず書房)。すなわち、
「1人称の死」は自分の存在にかかわる悲劇的な出来事です。しかし、
「2人称の死」=最愛の人の死、これも「1人称の死」=自分自身の死と
同じくらいに私たちに大きな影響を与える重要な出来事なのです。
そして1人称の死と2人称の死は、重なり合っているのです。
  ♦ 2人称の死は、過去、現在、未来を失うこと
アメリカのユダヤ教の聖職者であるグロルマンも「2人称の死」の重要性を
次のように述べています。
「愛児を失うと、親は人生の希望を奪われる/配偶者が亡くなると、
 ともに生きていくべき現在を失う/親が亡くなると、人は過去を失う」
     (日野原重明・松田敬一訳「愛する人を亡くした時」春秋社)。
2人称である親、配偶者、愛児を失うことは、1人称の自分自身にとっても
人生の過去、現在、未来を失うのと同じだと言うのです。
 ♦ 儒教は生命の連続を説く
西洋思想に対して、東洋思想を見てみましょう。中国おける儒教の経典「礼記
では、『身は父母の遺体なり』(加地伸行「沈黙の宗教 儒教筑摩書房)と
述べられています。「遺体」という言葉は、「死体」という意味ではありません。
親が遺した体、すなわち私たち自身の体を遺体と言うのです。
ですから儒教は、親から子どもへと『生命の連続』を説いているわけです。
  ♦ 「1・5人称」の関係性が大切です
避けられない死という現実を通して、1人称(私)と2人称(あなた)との
関係性やコミュニケーションが大切です。人間という言葉が「人の間」と書く
ように1人称(私)と2人称(あなた)との間「1・5人称」の関係性が大切
ではないのでしょうか。そして「1・5人称」の関係性の根底には、「2人称」
(あなた=親)の「死」あとに「1人称」(私=子ども)の「生」があると
いう世代を超えた生命の連続があるのです。
親は、自分の「死」を意識することによって、子どもの将来を考える。
子どもは、親の「死」を意識することによって親に対する感謝の気持ちが
もてるのでしょう。 ≫

▼ 池田晶子が【死】について、女・青少年向けに噛み砕いた大元ですか。
 エピクロスの<一人称の【死】は、存在しない>から、二人称、三人称に
発展させて、「1・5人称」として「親子の関係性の重要さを説いた。そこに、
連れ子の問題や、少子化や、母子家族の濃厚な関係性も出てくる。日本の10年先
を予測するに、ベルギー、ポルトガルの7割近い離婚率の問題がある。我々が
多く直面している家族の問題。これも当たり外れは、神のみぞ知る。今では、
コンビニやスーパーが近所にあり、弁当の配達システムがあり、一人称、二人称、
三人称の括りが曖昧になっている。これに下ネタのデリヘリまで… 
で、二人称の問題の定義そのものからして根底から崩れようとしている。
多神教の日本は、グローバル化の中で、家族を束ねる夫婦間の規律の崩壊に
まず直面している。携帯、パソコンで、様々な世界に、それぞれが繋がる。
それで、人称の境目を超えて錯乱しているのが、若者世代の現実ではないか。
「二人称の喪失、三人称の喪失問題」である。これに薬物、アル中毒の精神
疾患が絡みつく。家族問題が、そのまま社会問題になっていく。
「はかない」いや、「儚い」いや、「墓ない」時代ですか! 
で、遺言の「現世の墓」としての参拝をもとめて、これを書いています。
 『日々是口実』! 最期は、父の口癖、
「死んでしまえば、それまで! 生きている内、元気なうち。」 私は、
「こんなものか、でも感謝、感激、感動は深く味わえただけ有難い!」

・・・・・・
6134,閑話小題 〜千年に一度の経験
2017年12月29日(金)
   * 千年に、いや、260万年に一度の経験とはね
 我々が生きた時代を80年として、何らかのカタチの千年に一度の経験をする。
これは天変地異と政治向きの問題になるが…
・その一つが、私たち世代には「東北大震災」ということ。
・70数年前には、アメリカとの太平洋戦争と敗戦がそれである。開国以来の
 他国との全面戦争の敗戦である。江戸末期に小競り合いの戦争があったが…
・蒙古襲来による全面戦争が二度あったが、台風の御蔭もあって撃退した。
30年以内に7割の確率で起こるかもしれない南海トラフ地震。もし近々起こると、
熊本地震や霧島噴火などが、その前兆として捉えられる。千年に一度は、様ざま
な分野で起こりうる現象。富士山噴火も、その一つ。
 人類進化になると、少し違ってくるのがこのネット情報社会。 
これは20万年ではなく260万年来の激変の時代に立ちあっていることを意味する。
それも、20数年前のWindowsから大衆に一般化され、進化は留まることなく、
現実世界の外に、もう一つの世界が形成され、世界は一変してしまった。
それが、現実世界の混乱の大元ということは、この混乱は中長期間、続く現象で、
人類そのものを滅ぼす可能性が大になる。一部の権力者に集中した力で、人類
もろとも自爆する可能性がある。権力者の最たる利点は、情報の先取りと、占有。
それが、権力を持たなくとも可能になるのだから…面白い時代である。
 7年前のリタイアで、現実社会の外に押出された故に鮮明に見えてきたのが、
この情報化による激変のリアル。 人類は260万年前の旧石器時代
遡り、言葉、火、農業、舟、数学、紙、印刷技術、カメラ、人工衛星、パソコン、
ロケット…と、本格的な道具を作ってきた。そして現時点で掌サイズのスマート
フォンを大多数の人類が常時、携帯するようになった。一つのキーワードか、
一枚の写真で世界中の情報に一瞬にして辿り着ける社会。
いい歳をして、恥も外聞もなく、最近のTV機能の素晴らしさの驚きを、正直に
書いているが、恩恵を受けているのは、その機能の一端だけ。何処かの誰かが、
「あの人、話すのはTVの事ばかり、絶対に変!」と宣うが、変なのは? さて。
車の高級車は700〜1000万以上になるが、高性能TVなら、丁度、一桁は安い、
中古の軽自動車の値段で買える。 あとは、それぞれの価値観の問題。 
・・・・・・
3930, 真の危機とは何か
2011年12月29日(木)
       「世界をうごかした21の演説」クリス・アボット著 より
  * ソルジェニーツィンの意表を突いた欧米批判
 現在の欧米が33年前のソルジェニーツィンの欧米批判のまま、ここまできて
行き詰まりを見せている。彼は、当時のソ連の体制批判だけでなく、亡命先の
アメリカで、欧米の体制の欠陥を批判した。 ーまずは、その部分からー
【 敵の敵は必ずしも友人ではない。現実は、古い格言から想像される以上に
 複雑である。それを見ごとに示したのが、一九七八年六月にロシア人の小説家、
ソルジェニツィンハーバード大学の卒業式で行った演説だ。ソルジェニーツィン
はそれまでの年月に、ソ連によって投獄され、非難され、ついには国外追放の身
となっていたのだが、ハーバード大では母国の共産主義の迫害者を批判するので
はなく、西側世界の欠陥を厳しく戒めた。・・・・
 西側は自分たちのシステムがほかのどれよりも優れているから、ほかの社会も
いずれそのシステムを採用するはずだとまちがって思いこんでいると論じた。 
中国やインド・アジア・イスラム・アフリカに深く根差した複数の文化があるにも
かかわらず、この思い込みが続いてきた。「西洋社会がほかの世界の神髄を理解
できない」ために生まれたまちがった考えだとソルジェニーツインは考えた。
そして西側の社会そのものに多くの欠点と弱みがあると指摘して、「戦争による
破壊を免れても、私たちの生活を自己破壊から守るためには生活を変えざるを
得ないと説いた。とりわけ強く批判したのは、西側世界が近視眼的であること、
政治的な勇気に欠けることムとくにベトナム戦争中)、物質的な幸福を追求する
ための無制限の競争を奨励していること、自由な思考を制限し、そのとき流行
している画一的な考え方(「人々の精神を覆う石のような鎧」)しか認めないこと、
メディアが一般の人々に「まちがった偏見を教える」のを許していること、
もっぱら法制度と法律の条文にもとづく限られた組織方法に依存していること。
そして、これらは「この世界に新しく来た人を驚かせ、ショックを与える
いくつかの傾向」だと述べた。環境意識が高まった今日では、西側の人々が
多数世界の人々より多く消費し、より多く環境を汚染していることを批判点の
リストに付け加えてもよいかもしれない。かれは、これらの欠陥は精神生活に
原因があると見た。社会改革に多くを望みすぎました。その結果、もっとも
価値のある財産を失ったのです。それは精神生活です。東側ではそれは支配政党
の所業と策謀で破壊されました。西側では商業的利益で窒息させられています。
彼は、これを「精神性を奪われ宗教心を失った人間中心主義的な思想がもたらす
災厄」と呼んだ。・・・ 】
▼ ソルジェニーツィンは、資本主義の欠陥を社会主義に助けを求めないように
 警告をしたと同時に、ロシアが西側のシステムを採用すべきという考えも受け
入れないと述べたのである。現在の、ロシアと中国は、それをそのまま受け継いで
しまったようだ。20歳半ばに必死に彼の本を数冊を読んだが、ソ連体制の中
での息詰まる空気が直に伝わってきて凍りつく思いがした。 一部特権階級が
利権を独占し、大衆は踊らされる体制は同じということ。日本も天皇制が
最も有効に働き手助けをしている。
・・・・・・
5037,ポジティブ・サイコロジー ー?
2014年12月29日(月)
  『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
  * 6種の美徳、24の強み
 三大宗教や、ギリシャ哲学にある共通した核となる美徳を探し出し、
 さらに、強みを引き出すとは面白い。 ーまずは、その辺りからー
《 広く影響力を持つ宗教および哲学の伝統(すなわち儒教道教、仏教、
 ヒンドゥー教ギリシャ哲学、ユダヤキリスト教イスラーム)に関する、
いくつかの『核となる美徳』が幅広く支持されていることが明らかになった。
具体的には「知恵、勇気、人間性、正義、節割、超越性という六つの美徳に関し、
 こうした伝統内でほぼ普遍的な認識と称賛があった。ビスワス・ディーナーは、
無文字文化のマサイ(ケニヤ)とイヌイット(北グリーンランド)がこれらと同様の
核となる美徳を認識、称賛していることを対象グループにおいて確認した。
 私たち研究チームは、普遍的に評価されている強みとしての徳性を、無原則
にではなく分類することが可能だという事実に励まされた。 ・・(略)
 ペンシルベニア大学のピーターソン教授や、セリグマン教授は、生き方の
原則(VIA :Values in Action)研究所で研究を行っています。
この研究所では、徳性や美徳について計測できるよう強みとしての徳性に
関するVIA分類法を開発し、徳性を抽象度の高い6つの美徳にまとめた24の
強みとして分類。 6種の美徳、24の強みとしての徳性を見ると・・
1.知恵: ? 創造性 ? 好奇心 ? 向学心 ? 柔軟性 ? 大局観
2.勇気: ? 真情(誠実さ) ? 勇敢さ ? 忍耐力 ? 熱意
3.人間性: ? 親切心 ? 愛情 ? 社会的知能
4.正義: ? 公平さ ? リーダーシップ ? チームワーク
5.節制: ? 寛容さ/慈悲心? 慎み深さ/謙虚さ ? 思慮深さ? 自己調整
6.超越性:? 審美眼㉑ 感謝㉒ 希望㉓ユーモア㉔ 宗教性/スピリチュアリティ
▼ キリストと釈迦をみると、この全てを兼備えている。そして、その教えは、
 上記の美徳の強み賞賛し、一歩でも理想像に近づくことを教えている。
とすると、幸福に近づくには熱心な自分の宗教を持つことが、必要ということ?
宗教心の強い人はポジティブであり、親切で、寛容である。問題は中庸かどうか!
・・・・・・
5767,「やさしさ」という技術 〜2
2016年12月29日(木)
       <「やさしさ」という技術>ステファン・アインホルン(著),
  * たったひとり健康に育った赤ん坊
 何処にいても、何となく気が合う人がいる。この文章を読んで気づいたのが、
両親のシッカリした愛情を人一倍注がれた人。女性に「やさしさ」の温みが
あればこそ、男は母親への愛情が変形し対象に向かう。逆に、好かない人は、
ベースとなる両親と自己愛の絶対量が少ない人。
 人生において結婚相手の選定が大問題になる。家庭内破たんを入れると、
9割は不和というから、大部分が不幸の条件下に生まれてきたことになる。
幼児期には温もりが必要である。
 以下の最悪の養護施設で「たったひとり健康に育った赤ん坊」の話がよい。 
≪1930年代に、ルネ・スピッツというオーストリア人医師が児童養護施設
訪問した。そこにはたくさんの子供がいたが、スタッフの数が足りておらず、
ほとんどの子供は誰にもかまわれていなかった。子供たちは身ぎれいで、
食べ物も与えられていたが、人との触れ合いに欠けていた。ほとんどの子供は
無感動で、発育も不十分だった。なかには、病名すらわからないまま衰弱して
死んでしまう子供もいたという。
 だがおどろくべきことに、子供たちのなかにひとりだけ、はつらつと順調に
成長している子がいた。スピッツは、この子の成育過程を研究することにした。
この施設では、子供たちが寝ている間に清掃スタッフが部屋の掃除をしていた。
夜中に施設内を観察していたスピッツは、ある光景を目撃する。清掃スタッフ
のひとりの女性が、掃除が終わるとかならず入口脇のベッドに寄って、二段
ベッドの下の段に寝ているその子を抱き上げては、抱きしめたりなでたりして
いたのだ。ほんの一瞬である。ただし毎晩。このベッドに寝ていたおかげで、
その子は順調に成長することができたのだ。
スピッツ児童養護施設の子供について、興味ぶかい研究報告書をいくつも
残している。それによると、愛情に満ちた人と接する機会のない子供は、最低限
しか成長できず、人から関心を払ってもらえた子供よりも寿命が短くなるという。
この説の信憑性には疑問が残らないでもないが、ここには真実がある。ただ目を
向けるだけでも、隣人に大きな影響を及ぼすことができるのだ。子供は成長し、
成熟して責任能力のある大人となるために、見守られて愛されなければならない。
食べ物と清潔な衣服だけでは不十分なのだ。
健全に成長するには、人から目をかけてもらうことが重要なのは、子供に限った
話ではない。大人も、人から見られないと心が弱っていく。精神分析の父
ジグムント・フロイトはこう語っている。
精神分析とは結局のところ、本質的に愛情を通じて治療することなのです」
さて、以下の状況を、あなたはいくつ経験したことがあるだろう?
・あなたは知人と食事をしている。相手の身の上話に、あなたは興味ぶかく耳を
 傾けていたが、相手は食事が終わるまであなたの話を何も聞いてこなかった。
・あなたは知人に自分の身の上話をしていた。話の途中で一息つくと、相手は
「私にも同じような経験があるわ」と、自分の話を始めたが、その話はちっとも
「同じよう」ではなかった。
・知人と話をしているあいだじゅう、相手はずっと明後日のほうを見ていて、
 明らかに他のことを考えているようだった。
・廊下で知人とすれちがって挨拶をしたが、相手は目を合わせてくれなかった。
 どうだろう。どれひとつとして経験したことがない人はいないのでは? ≫
――
▼ 学生時代から、これまで多くのピンからキリの人と出会ってきた。
 進学するにつれて、知性だけでなく、表向きだけではない愛情に満ちた人の
割合が多くなる。人間は触媒の質によって変化する。良い人には良い人が、
良くない人には、それなりの。キリの人は、兎にも角にも他人の話を聞かない。
 6年前の会社清算時に、悪い意味での、それなりの人たちが、「それなり」に
変身して石を投げてきた。成るほど、そういうことか?と、心の芯から「それ」
を感じた。それとは、「い・や・し・さ」である。 人生に満たされないと、
こうなるのだと。当然、誰もがもっている、心のドブ池。 問題は、その質量。
 先の逸話に、次の物語を加えると。<そこで最たる不幸の子供が、隣の年下の
子に、その鬱憤を毎日ぶつけていた。結果、二人とも、手の付けられない子供に
なっていた。しかし、もっと酷いのは、虐めらていた子の隣で息を殺していた子>
・・・・・
4305, 野生の思考 ー2
2012年12月29日(土)
   * 野生と創造
 一般的に、ありものの使いまわしで、急場をしのぐのは自然のなりわい。 
ストローは分かりやすい事例として、それをパッチワークに見たのである。 
世界は生き残りをかけた弱肉強食の戦いの場に化してきたが、食べられない
ためには理屈なしに、手持ちのありものを強さに集中し強者にならなければ
食べられる。強くある事が修羅場の中で必要になる。現在の日本は、まさに、
その場に立たされており、ここに至って一億総白痴と自嘲していられない。 
原始の人類は、ありものの使いまわしで急場をしのぎ進化してきた。それが野生。 
創業も同じである。手持ちの経験と資金で、自分に何が出来るのだろうかを考え
抜いて自己能力の限界の設定をする。この手持ちで立ち向かえるのは、これ!
と思い定めたら、次は不足している要素を一つずつプラスしていく。その時は、
一種の気違い状態である。 自分の思い込みに、手持ちの全てを集中する。 
まず目先の急場を乗り越えていくしかない。一つ間違えれば、舟板一枚下は地獄。
そこから火事場の馬鹿力、野生の力が出てくる。 目的を定め、手持ちの材料に、
外の材料を加えていく過程で魂が入って新たな命が生まれていく、それが創造。 
こんな大げさなことでなくても、身近な例がある。急用か何かで夕飯の買出しが
出来なかった時に、冷蔵庫の残り物で夕飯を作るのと同じである。
知恵は土壇場か、逆に緊迫状態の弛緩から湧き出る。創造で一番必要なことは、
上機嫌であること。創業者は、明るい人が多い。未来に対し楽観的に急場を
しのいできたからだ。その精神状態が、知恵を生みやすくする。中村天風
「積極一貫」である。 周到な準備の上に、前向きな明るが新しいものを生み
出すようだ。ありあわせで難局に立ち向かって、まずは急場をしのいでいく、
そのうちに、それがノウハウ化していく。これが進化につながっていく。
取りいれるべきだったのは、ゆとり教育でなく、野生化を推し進める激しい
競争を推し進める教育だった。 現在の中国、韓国人は、日本人より遥かに
野生的なのは、厳しい競争社会だから。  娑婆!
・・・・・・
5402,グローバリズムという病 ー?
2015年12月29日(火)
           『グローバリズムという病』平川克美
  * グローバリズムに対する純朴な問いかけ ーA
 この著書で取上げていた2012年のリオデジャネイロで「地球サミット2012」
でのウルグアイのムカヒ大統領の演説が世界に衝撃を与えた。『裸の王様』
の素朴な子供の問いのような内容が真実をついている。ネット検索で、その
全文を二回に分けて抜粋する。冷戦が終わり東西の壁が崩れ、地球環境が
大きく変化した上に、今度はアフリカ、中近東の壁が大きく崩れ、避難民が
大挙して欧州に流入を始った。気候変動で、アフリカ・中近東が干ばつになり、
水不足問題からくる貧困が間接原因。 〜全文を二回に分け紹介する!〜
≪ 質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を
インド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。息するための酸素が
どれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、
・西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70〜80億人ができるほどの
原料がこの地球にあるのでしょうか? 可能ですか? 
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
・なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなく
この無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済が
マーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで
原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
・私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしている
のではないでしょうか?
・このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を
良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? 
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものでは
ありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機では
ありません、政治的な危機問題なのです。
・現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれて
いません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目前を
過ぎてしまいます。命より高価なものは存在しません。
・ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフ
スタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの
世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの
前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、
できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ
電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない
社会にいるのです! そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので
作ってはいけないのです。
・人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければ
ならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれ
無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導か
なければなりません。石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。≫    〜つづく
ーー
▼誰も素朴に思っている問題を、最貧民国の大統領がアッサリと、
「世界の後進国が先進国なったとしたら、地球環境が維持できるのですか?」
と言ってのけた。先日までパリで開かれていた(COP21)で、先進国と新興国
すべてが参加する温室効果ガス排出量削減のための新たな枠組みである
「パリ協定」が採択されたが、近未来の大きな問題である。
そうこう考えると、グローバリズムは大きな問題を孕んでいる。 TPPも然り!