<「生きづらさからの脱却」岸見一郎著>
   * アリストテレスの「原因論
      〜「質料因」「形相因」と、「起動因」
 社会や、物事の原因を簡明に読み解くに、解りやすい事例である。
≪ アリストテレスは、彫刻を例に原因を、次の4つに分類している。
・まず、青銅、大理石、粘土などがなければ兆候は出来ない。この場合、
 これらは、彫刻の「質料因」(何からできているか)である。
・次に、「形相因」(何であるか)。彫刻が何を現しているかということ。
 彫刻家は像を刻むに時に、何をつくろうかというイメージを持っている。
・原因の三つめは「起動因」(動がそこから始まる始現)である。
 父親が子供の始原であるように、彫刻家が彫刻の起動因である。
・さらにアリストテレスは、これらの他に、「目的因」(何のために成立
 したか)を考える。彫刻家が、彫刻を望まない限り、彫刻は存在しない。≫
 ―
   * アドラーの「原因」論
 〜 感情も脳も、感動さえ使う、極意とは 〜
≪ アドラーも、行動について「なぜ」と問う時、「原因」という言葉を使う。
アドラーは「なぜ」という問いによって、行動の「目的」を答えとして期待して
いる。「どこから」でなく、「どこへ」を問うのである。アドラーの「原因」は、
プラトンアリストテレスのいう4つの原因のうちの「目的因」である。…
アドラーは、他の原因は目的に従属していると考えた。
  ―使用の心理学―
 …またアドラー心理学は「所有(何が与えられているか)の心理学」でなく、
「所有(与えられたものをどう使うか)の心理学」である。人が置かれている
状況がそのまま人のありかたを決定するのではない。
『大切なのは、何が与えられているかでなく、与えられたものを如何使うか』
 … アドラーは、アリストテレス原因論にプラスして「目的」を加えた。
目的論とは、「善」を目指し、それを目的にしているという観点から行動や
症状などを理解することである。 脳を例えると、私と脳は別物であり、私が
脳を使うのであって、脳が私を使うのではない。脳は大事ではあるが、人が行動
する時、それによって目標を決める起源ではなく、脳が心を支配するわけでない。
【善を実現する目的のため、脳を使う。】のである。
  ―感情を使う―
感情もまた、我々を支配するのではなく、感情をある目的のため使うのである。
感情は意志の力によって左右する。交通事故で車をぶつけられた時に、男は
美人と意地悪そうな相手では全く対応が違ってくる。感情なぞ使い方で如何様に
良くも悪くもなる。ヒトラーは大衆煽動に怒りの力を利用した。怒りは、隠れた
エネルギーとして直接的になる。

▼「感情を使う」の論を考えていると、「感動をつかう」の言葉が類推された。
秘・異郷ツアーの旅先で、何度も何度も感動体験をする。その結果、脳に蓄積
された精神面でのデ・トックス(体内に溜まった有害な毒物を排出させること)
で、心というより、魂の解放を実感する。「感動を使う」こと、そのものになる。
早朝の一時間のミニ・チャリも、小さな感動の旅になる。目的は、デ・トックス
の「善」の自己実現。このブログの書き込みも一種のデ・トックスになっている。
 で、<感情も脳も、感動さえ使う、極意とは?> 
自分の足と脳と、おカネを使って極限?の感動を求めること! そうでしょ!

 追: 全くの偶然になるが、去年の同月同日にアドラーを書いていた!
・・・・・・
5720,嫌われる勇気~人は変われる
2016年11月12日(土)       
         『嫌われる勇気〜自己啓発の源流「アドラー」の教え』
   * 人は変われる
 都会では目立たない「個人主義」を地方で貫けば、「大変な人」として
忌み嫌われる。「郷に入っては郷に従え」だが、どうしても露見するのが
地方の生きづらさ。これは、そのまま欧米社会と日本社会に、スライドする。
 それでも、31年間、職住分離だったためファジーだった。この二人の
対話、青年と哲人ともども、現在の日々の自己対話に近い。
 更にいえば、これを20歳から続けてきたことになる。
普通の生き方では、世間に押しつぶされたIT(こいつ)になる。  
   
  〜まずは、Amazonの「紹介内容」より
≪・フロイトユングと並び「心理学の三大心理学」と称されるアドラー
 再評価されている。それは、トラウマに象徴される“原因論”の心理学とは
一線を画す“目的論”を唱えたものだ。過去も世界も変えることはできないが、
「自分は変わることができる」とするコペルニクス的転回の心理学を知ることで、
対人関係の悩みも解消されるかも。

アドラーの心理学を、青年と哲人の対話という形式でまとめた本書では、
「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに迫る。
「人は変われる」「世界はシンプルである」とする哲人に対し、青年は懐疑的だ。
なぜなら青年は学歴や容姿の劣等感があり、過剰に人の視線が気になってしまう
悩みを抱えているため、哲人の主張が絵空事に聞こえてしまうのだ。
しかし、世界を複雑にしているのは青年自身の主観なのだと哲人は言う。
過去に「トラウマ」という「原因」を見つけて物語的に分析するのがフロイト
心理学だが、アドラー心理学はトラウマ(過去)を明確に否定し、
「いま」の「目的」で考えることを基本としている。

・何年もひきこもっている人が「両親に虐待を受けたから社会に適合できない」と
主張していたとしたら、親は子育てが間違っていたのかと思い悩み、腫れ物に触る
ように子どもを丁重に扱うようになる。これは、自らのトラウマを武器に相手(親)
の注目を集め、支配しようとする働きかけなのだ。ただし、家にひきこもっている
限り自尊心は守られるが、一歩外に出ると誰からも注目されない凡庸な「私」に
なってしまう。ひきこもりの状態に不満もあれば不幸も感じているが、自尊心を
傷つけられることはもっと嫌なこと。これを避けようとする「目的」が、過去の
トラウマに理由付けしているのだ。

・過去の経験が人格形成に及ぼす影響がゼロだというわけではない。
ただし、過去の経験が必ずしも人格を決定するわけでもないのだ。
経験をいかに解釈するかが自らを決定する、というのがアドラー心理学の考え方。
過去を変えることはできない。しかし、経験に対する意味づけや解釈は更新する
ことができる。これが「人は変われる」とするアドラー心理学の前提となっている。

・青年はひねくれた性格であることや自意識過剰という短所ばかりが目につき、
自分のことを好きになれない。これに対し、哲人は「他者との関係のなかで
傷つかないこと」が「目的」となっているため、対人関係に踏み込まない理由
付けとして、自分の短所ばかりに目を向けていると言うのだ。

・孤独や劣等感を感じるのも他者あってこそのものであり、
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とアドラーは断言した。
そして、対人関係の軸に「競争」がある限り、人は悩みから逃れることは
できないとする。「競争」で考えると、他者が敵のように映り、世界が危険な
場所のように感じられてくるからだ。「競争」から解放されることができれば、
他者が「仲間」だと感じられるようになり、世界の見え方は安心できる居場所
へと変わってくるのだという。≫

――
▼ これを平易の問いかけに転換すると、こうなる。
『そこで、まだ、何やってるの! 群れてないで、人のことばかり
  気にしないで、もう少し自分のことを考えたら!』
『何で本を読まないの? 一歩、外に出ないの? 今を遊ばないの?
 果てしない世界の深さと広さを知ろうとしないの? それも今!』
『何で、愚痴ばかり言っている内向きな老人のマイナスから学ばないの?』
 
せっかく与えられた地球上で、何もしないで、何も知らないで、卑近な
物事に拘り、気付いた時には先がないのが人生。あくまで比較の問題だが。
・・・・・・
6087、閑話小題 〜 「日の名残りに」 (2)―つれづれに
2017年11月12日(日)
   * 51歳の誓い
 人生を変える切掛けになった、カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んだ
51歳の時節に、「還暦までの9年間に80歳までの大よそ30年分を圧縮して生きる」
と決心し、実践した。そこで「具体的に、どのように生きたか」を思い返した。
・まずは、捨身で! 目先に面白そうと思えば、迷うことなく決断。常識的な人
 や会合と一線を画す。何故か、その頃、近しくしていた友人・知人が、亡く
 なるか、転勤などで遠ざかっていった。
・その頃、拡大戦略の教えのペガサス・クラブから脱会。拡大路線の見直しに
 入っていた。
・また、意識の重心をパソコンとネット世界に移動することに決心した。
 まず、取引先のパソコンに詳しい人を紹介してもらい、個人HPの開設のための
 基礎の教えを乞うことに。その数年後に自宅近所にパソコン教室がオープン。
 早速、通うことに。その数ヶ月後に、このブログを開設することになる。
・40歳代の10年間に合計10数回、2年に3回?近く、海外ツアーに参加していたが、
 2年で5回近く?にアップ。結局、50歳代では20数回、行くことに、 40,50歳代
で40回、年に2回近くの割合になった。それも秘境・異郷の難易 を数ランク アップ。
・母親の介護の5年半で、子供たち二人が巣立っていった。

死に物狂いで、目先の面白そうなチャンスには躊躇することなく挑むことに。
少し迷うと曽野綾子女史の言葉、<人生の良いところは還暦まで、今を楽しめ」
のキーワードを想い浮べ実行していた。毎日が面白く、楽しく、精一杯の日々。
そしてハッピー還暦を向かえることに。
☆ そういえば、1994年のケニアツアーの同行者の一人が、『父親の介護を
 終え、念願のケニアにきた。万感の想いだ』と涙を浮かべてキリマンジェロ
を見ていた。イスラエルでは60歳の女性が目を血ばらし『2000万の退職金の全て
を毎月のツアーで使い切る予定。働きづめの人生を取り返すの!』と宣っていた。
アフリカ・中近東の一人参加には、深い人生を背負い、思い詰めて来る人が多い。
人生、生きているうち、動けるうち、気力があるうち、笑えるうち、泣けるうち!
追)日々是口実か、結局は自慢話ですか!それも似たようなことを何度も何度も。
 でもね、何度言いたいのが、「楽しんだもの勝ちさ、人生は」。
<エッ、楽しそうに思えない?> <薄汚れているからね、日常に、誰の眼も。> 
 …これを「日々是口実」という。 

――――
「45」ギリシャ                    2007
「44」北イタリア                   2006・
「43北ケニア                     2005・08
「42」オーストリア                  2004・08
「41」アイスランド                 ー2003・10
「40」アラスカ                    2003・07
「39」パタゴニア                  ー2002・12
「38」スイス                    ー2002・07
「37」西アフりカーコート−ジボアール・ガーナ・ベナントーゴ /02・03
「36」ベトナム                   ー2001・11
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ          ー2001・06
「34」メキシコ                     2001・01
「33]モッロコ                    ー2000・11 
「32」パキスタン・中国                ー2000・06     
「31」シリア・ヨルダン・レバノン            2000・04  
「30」ノルウエー                   ー1999・12 
「29」ケニア                     ー     ・08   
「28」イスラエル                   ー    ・04     
「27」ネパール                      1999 ・02
「26」北インド                    −1998・10   
「25」 北スペイン                    1998・07  
「24」タンザニア・ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原) 1997・12  
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)        1996・06    
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)     ・02   
「20]南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)1995・10   
「19」ニュージイランド(クウーンズタウン・ミルフォードサウン)ー ・05    
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)・  ー   ・02?
「17」ケニヤ(ナクル湖・       )         1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              1992・11
「14」スペイン1周の旅(アンダルシア・アルハンブラ・闘牛) 1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅              ー ・05
「12」香港クルージング                 1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)    ー・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅    1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)          1988.09    
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス           ー  ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅              1987・08 

・・・・・・
2016/06/29
60歳までに、人生を前倒しをしていて!

 70歳を過ぎた現在、「60歳までに人生を前倒しをしていて良かった!」と、
つくづくと思うことしばしば。以下にコピーしたの13年前の文章を読返すと、
1年後に中越地震、その3年後に刈羽柏崎沖地震、4年後の2008年に、リーマン
ショック、更に8年後に東北大震災が、たて続いた。その結果、私も、まさかの
事業整理に至った。 作家の曽野綾子が、「人生の良いところは、60歳まで」
といっていたが、体力も考慮すると、成るほど正しいと実感する。 
 以下の内容を書いて13年間、友人、知人、親族が次々と倒れ、亡くなった。
病に倒れて発する共通の言葉は、「まさか、自分が! これから、ノンビリ
するつもりだったのに!」である。 死に直面した時の恐ろしさと動揺は、
「人生に、やり残した無念」があるため。 とすると、老後の残務整理は、
それを探し、潰していくこと。そうこう考えると、【して失敗した後悔より、
しなかった後悔の方が遥かに大きい】ことになる。 どうだろう?
「してしまった後悔1に対して、しなかった後悔が3」ではないか。
 30年分を10年に圧縮して生きた50歳代は、充実感があって実に面白かった。
60歳代の最大のイベントが、会社整理だったが、3・11もあって、未練も後悔も、
最小になっていた。両親の晩年に同居していたこともあって、「その都度、
計画的に楽しんでおくべし」という、人生の何たるかを、後姿から学んでいた。
この教えを学んで実行していたのは大きい。10年前と、13年前に書いてある
文章を読返してみると、計画通りに、遊び、楽しむ必要性を知っていた。
その時々に、真面目?に学び、楽しみ、遊んでおけ、ということ。
 辛いことも多かったが・・ それも楽しみの内。
――――
2003/06/16
50歳の頃ー1
  −60歳までの人生
 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。
丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の
損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという
自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米の
ギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら
息子と日本酒を飲みながらふと思った、「自分の人生の元は充分にとった」と。
 その時に考えたのは、
曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳
までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」と。
・海外旅行をそれまでに50回行くことー不景気で無理か?
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようと。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。
その時、母の行き方を見ていたこともあり、まだ解っていないと思っていた。
本当に良いのは60歳からというのを母から教わっていたが、しかし
「60歳以降の前倒しにする決心』は良いと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人から人生の秘訣を
教えてもらった。「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にし、
そこまでに人生のすべてを燃焼し尽くした。その一つに日本を全てを家内と
娘と3人で回り尽くした。しかし死ななかった。その後は世界にチャレンジを
始めて、ほぼ全てをまわり尽して現在もこうして生きている。短命の家系の
前提がなかったら人生をここまで味わいつくせなかった!」。 深い人生の示唆
であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた
直後であったから、尚のこと心に響いた。あと2年半で、その60歳である。
「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きる
ことができるのではないだろうか。そして、それまで経験をしたことのない
分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に
飛び出せるのではないかと考えている。
 最近、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどで
アフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。
この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。