* アップする前に、全て消去
「何てこっちゃ〜!」。 昨日の朝方のこと、アップする直前に、チョッと
した勘違いで、書上げた文章全てを消去してしまった。17年半で3回目になる。 
このテーマの内容は止めておいた方が良いというサインと、自分を納得させる
しかない。こうなりゃ、意地でも何か書上げてポタリングに出かけようとしたが、
無理。で、違う書きかけのテーマに差替えて改めて今朝方、読むと、大幅な
修復が必要。 チャリダーに注意されるべくして注意されたのである。
  〜カットした昨日のテーマ内容そのままを、かいつまみ書くと〜
≪「前日の朝、信濃川の土手でのトラブルの話。長岡大橋を渡った西側の土手で、
 後ろから大声で、「道の真中を走るんじゃない!」と、怒鳴られた。みると、
本格的チャリダ―。7〜8mの土手で真中を走って何故悪いのか、数秒考えても
何故か分からない。ところが数百m先で、自転車を停めて、道端の金具を拾って
いたので、「何故、真中か悪いのか分からないので、その理由を教えて!」
と聞くと、激怒をして「この馬鹿野郎。何を言いやがる!」と。何々と、戦闘
態勢に入り、‘ベルトを抜いて殴りかかるイメージ!をもって睨むと、急に怖気
ついて、自転車を急発進して走り去っていった。体格は大柄のアスリート風。 
 その後、同じ場所を自転車を走らせて「何故、真中を走っていたか」を考えた。
整備された土手の自由道路で、正面からウォーキング、犬の散歩、チャリダ―が
テンデンに行きかうため、中央から少し左側を走りながら、その都度、左右に
ハンドルを切って寄せる。何も怒鳴られる筋合いがない。明らかにチャリダ―
の優越行為。まさか、何か言い返されると思っていなかったようだ。
 生きていればこそ、怒ることが出来る。喜怒哀楽で怒りが一番のエネルギー源。
怒れ怒れ、もっと怒ればよい。そして、その分、喜び、哀しみ、楽しめばよい。
おさえる必要などない。≫

▼ 上記を改めて読み直すと、誰も居ないからこそ左側に沿って走るのが道理。
 直に思いついたのが、ジムで12人定員でステップ台とストレッチマシーン
を交互にやる「イージーライン」というエアロ。終わる直前、マシーン台を
拭くのが礼儀。しかし、面倒なので肩にかけたタオルをマシーンに被せる。
ところが人によって、汗を拭いたタオルでも嫌がる人が当然いる。後の女性に
露骨に嫌な顔をされた。で、当然、私も…「怒りの処理…」 ?。
10年近く誰も居ないことをよいことに道路を傍若無人に走っていたということ?。
スポーツジム、近所でも誰とも目を合わさず、挨拶もしない態度。一番上のボタン
から掛け違えている。私も社会というより、まず「500m内の世間」に生きている。 
今さら、愛想も直せないし… 意識をして会釈でも始めますか。
 そう、誰も居ない時こそ、マナーの厳守ですか。
<人は人、我は我。されど仲良く>です、娑婆は! 
『偉そうに何を書いているかだ、この男! ったく!』自分でも嫌な野郎だ。
 
 で、新しい試み、これをアップする前に、一度、ポタリングに出てから、
帰った後に、新鮮な気持ちで、これを読返し、更に校正する必要があるようだ。
ハイ出発!
 
 一時間後 …で、帰ってきました。
日常の中の非日常を書くのが日記。生きていればこそ。毎日の非日常の中に、
日常に慣れてしまって気づかないことが隠されているということ。人それぞれが、
歪な日常を過ごしているが、第三者には見えるが、当人だけが気づかない。
それが娑婆といわれる由縁。ということに気づきました。
「そうだよな〜、歪だよな!」 あなたも。

・・・・・・
6004,幸せの確率   −3
2017年08月23日(水)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
              アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著)
   * 高い貯蓄率、ただその一言につきる
 『アーリーリタイアにとって必要なのは、高い貯蓄率、ただその一言につきる』
早期のリタイアだけでなく、誰にとっても、幸せの確率を高めるには、貯蓄率が
高いほど良いはず。ここで、著者は、トマ・ピケティ著『21世紀の資本』を引き
合いに出して、「富める者はますます富み、そうでない人たちとの格差が開いて
いく一方であろう」というのを‘r>g’という不等式で表している。夢も希望
もなく、恐ろしい限りである。 私が何とか、会社清算を軟着陸で終えることが
出来たのは、家内への給与と、厚生年金積立てがあればこそ。40年近くになれば、
チリも積もれば小さな山になる。それは両親の方針で、中小企業の知恵でもある。
 (Amazonの内容紹介)
≪  r>g
「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、
 恣意的で持続不可能な格差を生み出す」
 格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何に
よって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか?
18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって、これらの
重要問題を解き明かす。格差をめぐる議論に大変革をもたらしつつある、
世界的ベストセラー。
 〜本文より〜
・「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、
 長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている…格差の根底にある
仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組
に基づいたものでもある」
・「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に
 顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に
戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」
・ 「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何
ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率
「r」が経済成長率「g」を上回る可能性も高まる」
・「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え
 始める時期はとうに来ているのだ」
・「あらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、
 真剣な興味を抱くべきだと思える…数字との取り組みを拒絶したところで、
 それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ」 ≫

▼ 「恒産あって、恒心あり」である。ピケティのいう、今後、世界の成長率
 が1〜2%しか望めないなら、「若いうちから意識的に蓄財をして、さっさと
‘r’の側になってしまえば、後半の人生を幸せに過ごすことが可能になる。
「第二の人生など、さほと大切?」「25%近くの預金も惨め」「若いうちに、
楽しめるだけ楽しんでおかないと…」 という常識的な考えもあるが、人生を
全体を、二分する考えも必要では。仏教的な考えでは、「八正道」の道があって
欲望をコントロールする。 しかし、欧米的考え方には、幸せの状態、
「プラス3〜6に、マイナス1」にすべくプラスを追及する。問題は人生観。
著者は、医者になり、独立をして成功。創業利益も背景にある。〜つづく

・・・・・・
5639,女はギャップ  〜?
2016年08月23日(火)
           <「女はギャップ」名越康文 (著)>
   * 男の鎧とは
 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で
どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、
臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、
不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。
 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。
「女から見るとブサイクなアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人
がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服のセンスが
よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ
ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。
男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち
がモテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、
美人系の2割が、何事にも積極的で、青春を謳歌していたようだ。
 (内容紹介)
「彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。
この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす
「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も
必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。
▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。
・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。
・女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。
臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」
が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。
「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、
気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニ、ファーストフードの
店員のマニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感が
あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。

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3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に
よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。
真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の
経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、
まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、
それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して
いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる
感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な
特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は
その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという
ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは
「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の
泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な
世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない
あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる
ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を
問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして
退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を
逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる
事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ
ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの
共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、
世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、
物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの
人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が
見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない
ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、
人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、
17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、
芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて
いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ
と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、
なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、
私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に
何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも
重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない
ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう
からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定することを
ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ
ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、
あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、
この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。
大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。
 ・・・・・・・
3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、
決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも
恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした
ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年
近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれた
のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが
できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、
小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく
できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争ベトナム戦争、中国の
文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、日本の高度成長、バブルと、崩壊、
そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。
それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化の
破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。
特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの
右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い
時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。
それにしても知らないことが多すぎる。
 ・・・・・・・
3062,階級社会だと! −2
2009年08月23日(日)
 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。
その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊の
プロセスを身近で何人か見てきた。その崩壊は人間性の崩壊になる。
階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が
無くなれば階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 
時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。イギリスは階級制度
のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように
受け入れるシステムになっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値
の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、家柄より学歴を優先する
社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 
 (字数制限のためカット 2011年8月23日)
・・・・・・・・・
2697, 散歩について
 2008年08月23日(土)
散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば
毎朝、豪雨でない限り歩いている。もう25年ほどになる。年々少しずつだが
歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。 日本人の歩行は、
この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では
6000歩弱に、車通勤では、4000歩も歩かない。江戸時代には日本には
散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いていたから、
敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は
歩いていたという。西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前
を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。氷川清話には、散歩の話がところ
どころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が
生活の中に散歩を取り入れているのを見て、心身の健康の効用を看破した。
私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けて
いくのがわかる。それと、脳の活動が活発になるのも分かる。これを続けて
いると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の
せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など
出ようがない。最近はiPodでアルファー波のタップリ入った音楽を聴く習慣も
取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識
しないですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら
歩いたのは、脳が活性化するためである。散歩を健康のためとか、考えるため、
というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、
スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った
年配の人が散歩をしている。道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに
話しかけている。 (字数制限のためカット 2012年8月23日)