* 老人の時節に、再び
 一昨日、同月同日分の文章をコピペのため振返ると、この文章に出会った。
これを読んだのは22年前、その6年後にテーマにしていた。 捨身で人生を
楽しんでいた56歳、この個人HPを開設し二年目に入っていた。壮年から、
老年に一歩、足を踏み入れた頃で、人生のハイライトの時節。
  その年の海外ツアーは、
【39】パタゴニア。ー002・12。
【38】スイス。ー2002・07。
【37】西アフりカ ーコート−ジボアール・ガーナ・ベナントーゴ ―02・03
その6年前の1996年には、
【22】 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) ―1996・06    
【21】エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)―・02に参加。 
当時、過剰気味かと思ったが、この感動の御蔭で、翌年、5年半のアルツハイマー
の母親を見送った後に、心というより‘魂のスイッチの切替’になった人生を
俯瞰させてくれた内容。
 現在、前期老齢者の半ばを超えた72歳。近未来に、彼女の状況と、心境が、
間違いなくやってくる。このテーマを書いて16年。一年、一年が、新たな老境
との出会いになる。何もかもが面白く、新鮮で、知らないことばかり。
 
・・・・・・・・・・
2002年08月02日(金)
475, ある老女の遺書−1

 この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま
写し書きしてみる。ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの
中から見つかった詩、書き置きです。
≪「何がわかっているのです! 看護婦さん、あなたは何をわかっているの? 
 さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして行動力も
緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。(努力して、やってみて
欲しいの!}とあなたが大声でいっても、そんな事少しも気にかけない様子で、
靴下や靴はいつもなくしたまま、何も逆らわず、何をしようというわけでなく、
長い一日を入浴と食事で埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんな
ふうにあなたは私のことを考えているの? もしそうなら、看護婦さん、目を
開いて、私を見つめてごらん。あなたのいうままに、あなたにしたがって食事
をし、私がじっと静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。
・私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
・十六の若い少女のときはウキウキし、すぐに愛する人に巡り会えることを夢み、
・やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると
約束した誓いの言葉。                 ー続く
――――
476,ある老女の遺書ー2
2002年08月03日(土)

・25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、
・30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
・40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、
・50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、
 もう一度私を愛する子供達と私は理解しあう。
・夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。
若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を、愛し合った日々を思う。

私は年老いた女。自然は残酷だ。
老年が私をおろかにみせる。
私の体から優雅さは打ち砕かれた。
活気はなくなり、かって熱く燃えた心も今は石のよう!
しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。

そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、
あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。

さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、
気難しい老女でない、‘私を知って!’
… …
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。
一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。
いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。


▼ < この古い身体の中に、若い少女は住み続けている。そして今も
  再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
 私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、あまりにも短い、
あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。>
 老人の深い悲しみ、怒り、心の悲鳴が聞こえてくるようだ。

442  子供叱るな、来た道じゃ
    年寄り笑うな 往く道じゃ

    来た道、往く道、一人道
    みんな来た道、往く道じゃ

    これから通る、今日の道
    通り直しのきかぬ道
    いまやらねば、いつ出来る
    わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中
443  八笑七敗(負けても笑える心を持つ事)
444  腹たたば 鏡を出して
    顔をみよ、鬼の姿が
    ただでみられる
445 僕は(+)(−)をはずして生きるという事を、
  若い時よりやっていたと思います。
  常識でいえば(−)と考えられる事も、
  体験の大きさでは(+)(−)も同じ。
 (+)3と(−)300なら、マイナスが損と思うが
 (+)(−)の符号をとれば…(日野啓三)  〜『事業百訓』より〜

・・・・・・
5620,恋愛心理学 〜?恋愛論の最終章
2016年08月04日(木)
          『美人の正体』〜越智啓太著 
   * 恋愛論の最終章
 恋愛論、美人論は、なかなか面白いが、そろそろ最後にする。
「美人が何だ、それが如何した」といえば、それまでの話。しかし、綺麗で、
優しい女性は年齢に関係なく、やはり良い。清潔感と、緊迫感に、色気が
加わった一期一会の出会いの中で、何ともいえない輝きが生じる生身の美は
人生の花でもある。 特に20歳前半の一瞬の輝きは、美の極致を垣間見ること
が出来る。全国の美人を数多く見てきたが、地域ごとの個性の輝きがある。
特に金沢の加賀美人は、その趣からして美人の極致だった。世の中には、いる
のである。とはいえで、そうそう絶世の美人は存在しない・・ 
 若い女性の美は一時的輝きでしかない。それを知ってか知らずか、
男たちは、目が眩み一生を棒にふることになる。 新潟県は美人の産である。
これは、水と、米に、関係している。 全国的にみて、近くに大きな神社が
あるところに美人が多い。水、米が上質で、人の出入りが、淀みを少なくする。
 越後新潟でも、弥彦神社の近くは、昔から芸者の産地?と言われてきた。
細面の色白の美人である。
 ところで、森光子が最盛期の天地真理に、
「この輝きと美しさは、いつまでも続くものではないのよ」と諭したという。
「その時には、何のことか理解できなかった」と、往年になって語っていた、
のが印象的だった。 女性の美も生花と同じ一瞬の輝きでしかない。
それもこれも、幻想、幻覚の一つでしかない。大自然の美に感動させられるが、
女性の美は、そのミニ版というところ。
・・・・・・
3783, ユング ー16
2011年08月04日(木)
  * ユング心理学、3つの流れ ー � 発達派
 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係
【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍
 しているユング派の人たち。ロンドンというユング派とフロイト派の両方が
交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に近い考え方
を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の
重要性を強調」している。その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきた
かが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を持っているという
考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコントロールに関して、
非常に重要になる。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は大人に
なってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、
「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、この人にも
良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格に
なってしまう。
 ー発達派の治療態度ー
 治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移
取り扱うことを主な作業とするのも発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で
相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親・養育者)との関係を、
治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、
両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。これと逆に、
治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移
「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。そこに、
集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の
 成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されて
しまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って
治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。
(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 
両親との関係から、現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚
させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。
・・・・・・
5255,ルサンチンマン  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月04日(火)
               〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦
   * ルサンチマン
 ニーチェといえばルサンチマンである。ユダヤ教は、男と強者のための宗教
に対し、キリスト教は、女と奴隷などの被支配者の弱者を愛する教えだった。
支配者にとって、弱者の宗教ほど、支配するため都合の良い教えはなく、
中世から近代にかけて、欧州がアフリカ、南米などを世界進出する際、
キリスト教の普及が有効に働いた。 ーその辺りを抜粋ー
≪ モラルもまた遠近法的な見方から生まれた価値解釈とニーチェは考える。
 道徳、モラルというものは、誰か特定の人々が定めて広めたものだ。
古代君主道徳と奴隷道徳においては、しばしば暴力によってその地を占めた
支配者やその所属の人々だ。彼らは貴族と自称した。支配者や貴族たちは自分
たちを中心にして善悪を定めた。つまり、自分たちの気質や行為を「善」とし、
そこから遠ざかっている行為を「悪」とした。これはもちろん遠近法的な思考
から生まれたものだ。貴族のような力を持った者たち、いわゆる強者から生まれた
道徳を、ニーチェは「君主道徳」とした。ちなみに、現代では辞典に採用される
ようになったこのドイツ語は「主人のモラル」とも「支配者のモラル」と訳すこと
ができる。それと対立する支配される側の者たち、いわゆる弱者たちから生まれた
道徳、キリスト教道徳に代表されるようなものを「奴隷道徳」と名づけた。
こちらの原文のドイツ語は文字通りに「奴隷のモラル」と訳せる。 ところで、
こういう名称からくる印象によって現代のわたしたちは二ーチェは差別主義者
のように思えるかもしれない。しかしニーチェは、どんな道徳にしても遠近法的
な思考から生まれたものだということを述べているのだ。つまり、どちらも真の
道徳だというわけではない。それどころか、真の道徳というものなどなく、
あるのは何を自分たちの道徳にするかという遠近法的解釈だけ。
 道徳はその時代の文化、その土地の文化から生まれ、それゆえ多様だからだ。
この地での悪とみなされる行為が、別の地では悪ではないことは往々にしてある。
たとえば、古代においては人間を殺して神への供え物とする風習の地があった。
これは悪習ではなく、宗教上の道徳的義務でもあったのだ。
  ールサンチマン
どんな道徳も当時の遠近法的思考から生れたものだとニーチェは認識しながらも、
やはりキリスト教道徳に対しては嫌悪感を見せている。なぜならば、キリスト教
道徳は恨みから発したものだからというのだ。この恨みはルサンチマンと呼ばれる。
強烈なやっかみ、屈折した逆恨みのニュアンスを含ませるためにルサンチマン
いう語を使ったのだ。 モラルなど最初からなくて、あるのは何を自分たちの
道徳とするかという遠近法的解釈だけなのだ。
 ニーチェは、キリスト教道徳の生まれた紀元の時代の人間関係にこの道徳の
発生の原因を見た。つまり、ローマ帝国が地中海を中心にヨーロッパのほぼ全域
から北アフリカまでを支配していた頃である。当時、ユダヤ教徒は支配される側の
民族の神だった。ユダヤ教徒の右派はローマ帝国に対して三回も戦争をしたが、
戦闘技術にたけたローマ兵にかなうわけもなかった。≫
▼ ニーチェは、何も考えないキリスト教を妄信している穏やかな平民を、まず
槍玉にあげた。恨みから発したルサンチマンを「支配者のモラル」として徹底的
に否定。そして神にかえ、「超人」を置いた。キリスト教社会では、否定されて
当然である。これこそ、ニーチェの真髄である。
・・・・・・
5985,閑話小題 〜最後の講義・5 ー石黒浩:対談
2017年08月04日(金)
        〜多摩大学客員教授・本荘修二:特別対談
   * 夢を言い訳にするな
 過去を、特に若い時節を振返ると、「夢の実現」のため、世界を小さく
閉ざしてきたようだ。それ故に得たことと、失ったこと、機会ロスをした
ことが頭の中をよぎる。『お前、何をしてきたのか?』と。まずは読書から
して、限定してきたようだ。
<よく見れば薺(ナズナ)花咲く垣根かな> の芭蕉の句のとおり、小さな
 世界が無限に存在していた。しかし…
まさか、夢のマイナス面を、ズバリ指摘するのも、新鮮である。
「夢ツリー」を心に鮮明に持ってこそ知りえたこと、出来たことがある。
 
   ー夢は持ってはいけませんー
<本荘> 本日は、石黒さんと一緒に「夢を実現させる力」というテーマで、
話を進めます。みなさんの中で、石黒さんが書かれた「アンドロイドは人間に
なれるか」という本を読んだ人はいますか?これを読んだ人は、夢を実現させる
力を分かっていると思います。 ちなみに僕は夢を持ったことがありません。
<石黒> 僕も同じで、いつも学生にも「夢は持っちゃいけない」と言っています。
早めに夢を持ってしまうと、幅広い事柄について勉強しない言い訳として夢を
使ってしまうので、夢は持たない方がいいと言っています。自分の能力はどん
どん拡張していくはずなのに、夢によって潰されてしまう感じがします。

<本荘>
夢の実現という例として、セリエAに所属するサッカーの本田圭佑選手が、
さいころの文集に書いた夢がかなったということで大人たちが過剰に美化して
いましたが、私は違うのではないかと。夢は育みつくるもので、どんどん変化
して当たり前なのです
<石黒> 夢を持つことでうまくいく人もいるかもしれませんが、確率的には
ほとんど意味がありません。夢を1つしか持てないと、やらないことの言い訳
に使われてしまいます。私は、夢を持つなら100万個くらい持てと言っています。

――
▼ 20歳で、「創業を目指す」と、一匹狼としての生き方を決心した瞬間から、
 周囲が全く変わってみえるようになった。時代背景もあったが、日々の何も
かもが新鮮で、面白く、明るく輝きを増していた。
 しかし、背後から黒い得体のしれない影が覆うようになっていた。
いま考えてみると、内なるエネルギー、そう両親の期待?だった。「夢ツリー」
があればこそ、人生を豊かにしてくれたが、せっかく地球ツアーの機会を与え
られたのに、小さなツリーに縛られて、それ以外に、大したことが出来なかった
人生を眼前に突き出され、狼狽えるのが大方の人生? いや違うか。
 今さら、「夢ツリー」は、視野教唆で、マイナスといわれても… 
最期は充実感の手ごたえがあったかどうか。これもそれも、夢幻でしかないか。
 夢ツリーに、行蔵としての、電飾や人形とか、おもちゃを吊るして楽しむのも
楽しいもの。ただし、部屋の一角に収めて置き、時々、独りで眺めること。
・・・・・・
4890,閑話小題 −人型ロボットの現在と未来 〜2
2014年08月04日(月)
   * 自分のアンドロイドを講演会場に!
 自分のアンドロイドをつくる着想が非常に面白い!分身そのものである。
奇妙な感覚ではないか?そのアンドロイドの目(カメラ)から映る周辺の景色と、
人々との交流の感覚はどんなだろうか? ーその箇所のコピーからー
≪ 私は、自身をモデルにした瓜二つのアンドロイドを海外での講演にしばしば
 使っています。数年前にはアンドロイドに自らを合わせようと、私は美容整形
も試みました。アンドロイドを講演会場に送り込み、聴衆から質問を受けるとき
だけ、インターネットを介して遠隔操作で私が答えます。最近では、私よりも
アンドロイドへの講演依頼のほうが多いくらいです。私が直接出向くと、ホテル
代やら飛行機代がかかるので高くつくんです(笑)。 人間国宝桂米朝師匠の
アンドロイドも作りました。見た目はもちろん、身振り手振りまで師匠そっくり
で、落語を演じさせると非常に迫力があります。このアンドロイドによって
初めて、無形文化財有形文化財になったと言えるでしょう(笑)。
将来は多くの人がアンドロイドを所有して、自分の分身として活用する日がくる
かもしれません。 人間は、機械にあらゆる行為を代行させたいという欲求を
詩っています。たとえば、食洗機、掃除ロボットなどは家事を代行してくれます。
このような機械は今後も発展を続け、肉体労働をますます減らしてくれる。
しかし、いくら技術が進歩しても、機械には代行できない何かが残る。
それこそが人間らしさの源泉ではないか。私がアンドロイドを作るのは、
人間の人間たるゆえんに迫りたいからです。 私は抱き枕型通信ロポット
「バグビー」も作っています。携帯電話をクッションに入れ、本体を抱きしめ
ながら会話をすると、相手の存在がより近くに感じられます。・・・≫
▼ この下書きの後にTVを見ると、将来のロボットの姿を研究者が実物を
 目の前にして解説していた。ゴミ箱が、ユラユラと歩いて人の傍にいく。
あるいはゴミと判定した傍による。それを見た人は、ゴミを入れたくなる
ゴミ箱ロボット。あとは、手だけ付いていて散歩を一緒にしてくれるロボット
も面白い。ただ合理的ではなく癒し系のところがミソ。玩具とは癒しの要素が
多いから、玩具メーカーにとって、ロボット系玩具は宝の山だろう。
メガネ型PCや、チョッキ型PCや、帽子型PCなど着装式情報端末も、ある意味、
ロボットと捉えることが出来る。これらが進化していくと、思いもよらない
端末が現れ出てくる。
・・・・・
4523, 生きる悪知恵  ー2
2013年08月04日(日)
   「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 * 働いて金稼げ、子つくれ、いい嘘つけ、枠を外せ!
 今東光の身の上相談のように歯に衣をきせない回答がよい。ー
アマゾンのレビューに
【昔読んだ山本直樹のマンガに「悩み事は自分の目の前にある壁に描かれた、
ただの絵の窓。押しても引いてもびくともしない。でも、振り向いてみると
その先には開け放たれた窓がある。振り向きさえすればいいのだ。回答の数々は
その「振り向き方」。ちょっと思いつかない方向から答えが飛んでくるような
感覚すら覚えますが、全ての質問を冷静に分析し、かなり真面目に、しかも
的確に答えています。意外ですが、現実的に実行できる解決策ばかりです。】
というのがあった・・・  もう一つは、【相談から「問題の本質」を発見し、
「問題を設定し直し」て、それが正鵠を射ているのに感心した。
「悩んでいる人」というのは「悩み方」からして間違っていることが多い。
サイバラはその「悩み方」をいっぺん解体し再構築します。その結果、説得力
があり、かつ実行可能な解決策が提示されている。ちょっとした名人芸です。】 
これも分かりやすい。学生時代の人事管理の武澤ゼミのケース・スタディによる
問題解決法と同じ。何事も、自分一人の知識と経験で考えても限界がある。
問題を把握し、考え続ければ、思いもよらない解決法があることを知っておく
べきである。ー目についたものを書き写しただけでも、
これだけある
・就職できない。            →横入りしろ。
・向いてない部署に異動になった。   →仕事のインナーマッスルを鍛えろ。
・妻の飯がマズい。         →焼いてポン酢をかければ何でもうまし。
・義母から「早く子供を」という圧力が。 →そのうち死ぬから放っておけ。
・妻子ある人との関係をやめるべきか。 →バックアップ(3チンポ)の用意を。
・元彼と結婚した友達を祝福できない。  →敵は己の中にあり。
・空気が読めない。         →空気読めなくても許される人間になれ。
・隣に騒音おばさんが。         →外に働きに出れば一石二鳥。
・部下が使えません。      →使い方が悪い。人と思うな、ネジだと思え。 
・苦手な英語が社内で必須になりました。→フィリピンパブへ通って
                     彼女を作って楽しく覚えろ。
・一言多い性格を直したい。       →関西に引っ越せば解決。
・浮気を疑う妻に      →携帯を見たあんたが悪い。勝手に携帯見てる
                    時点で夫婦終わってるだろ。
▼「働いて金稼げ、子供作れ、いい嘘つけ、自分を顧みろ」の範囲だが、
 それでも説得力がある。次回から幾つかを取り上げる。
・・・・・・
4148、男性不遇社会へ
2012年08月04日(土)
 団塊世代が定年をむかえ、会社から家庭中心の生活に入りつつある。
しかし、そこに妻という海千山千の難敵が控えている。そして丁度良い捌け口
の対象として鬼婆化して団塊粗大ゴミに襲いかかってくる。 団塊粗大ゴミの
妻たちも、女社会では、目のつく嫌われ者として君臨しているから、陰湿な闘い
の勇者として力は蓄えている。ところが、その団塊ジュニアの男も、厳しい立場
にある。対象になる女性の7割近くが結婚相手に年収400万以上を求めて
いるが、それを満たすのは僅かに25%しか存在してない。そこに45%の
絶対的開きがある。そのため未婚の男女が増えている。去年の男性の自殺率
は女性の二倍。3万数千のうち、二万以上が男である。 女性は9割以上が、
「今度生まれてくるときも女が良い」という。先日も中学の同期会があったが
元気が良いのは女性だけ、男は片隅で大人しい。家内と私の関係を見ていても、
同じ流れ。色いろあって自宅は家内名義になった途端に・・連日、サンドバック
代り。外国人の目からみて、中年女性連れがデパートやレストランに多く
見かけるのに驚くという。旦那が会社で必死に働いている間に、長年かけて
TVやネットで文化的教養が蓄積され、コンサートホールや、世界的名画の
展覧会などに大挙してオバサンが押し寄せる。
そこに添え物のように連れてきてもらっているのが亭主という図式。
家内を見ていて気づいたが、自分の行先に合わせて相手を選別している。
行動パターンは単独行動が基本。年に一度は、4日間乗り放題の特別割引を使い、
4日連続の日帰りの東京通いである。曰く、「ツアーと思えばよい。単独行動は
気ままでよい。問題は一人でランチがとれるかどうか。これを身に付ければ東京
は面白さが数倍になる」とか。世界中を旅行した蓄積は、そんなことは朝飯前。 
要はオバサン化いや、オバアサン化したということ。とにもかくにも、男と違い、
消耗していない。「国滅びても山河あり」というが、国が衰ると女が表立ってくる。
リーマンと東北大震災で、明らかに世界も日本も激変の嵐になってしまった。
その背景には、情報化社会の本格的到来がある。激変現象の一つが、女の優位
社会の到来がある。子供の頃から、姉が4人もいて鍛えられていた素養が、
ここで活きてくるのか? ったく。

たったこれだけの文章の中に人生の全てを言い尽くしている。
これは詩である、人生を言い尽くした。
必ず誰も思う道だ。