* 終わった人 −3
 昨日のシネマ観賞は、『終わった人』。期待してなかった分、面白かった。   
評価は85点。 『終わった人』が、終われなくてジタバタする63歳男の物語。
屋内犬から屋外犬、そして野良犬への生き方にギア・ダウンしていくのは、
非常にエネルギーを要する。群れを性分としてきた人たちの、定年後の私生活に
戸惑うのは当然。しかし、その時節到来は当初から知りえたライフワークの要。
当然、出世コースから外れた時に、価値観の転向を図り、重心を趣味に移行する
か、新たなビジネスに切替えるべきであった。長期戦略が持てない故に、転籍
させられた意味が理解できなかった。 次の問題は、「終わった後」の人生設計
を自らたてれるか、実践コントロールが出来るかどうか。 群れの生活から、
個(孤立)の生活に徹し楽しめるかどうか。この物語は、群れ犬から、孤独犬、
野良老犬への転換の失敗物語。面白いといえば面白い。東大出のエリートの
首輪と、紐を引きづり露頭を迷う姿に、まずは連合いに嫌悪される。
 個々の定年後の準備が、どの程度かは知らないが、サラリーマン系には、
準備無しが多いみたい。月一に、何処かのスナックか、居酒屋に示し合せた
OB会が必ずあるという。こういう手合いの群れである。現実に溺れ、毒された
御犬様が、突然、一匹狼になって戸惑うのは…自然の理。 
深刻なのは「人生、如何に生きるべきか」の基礎知識部分不足と、小金の有無。
孤独・孤立レッスンの有無になる。群れたままも、また良し。それが彼らの
全世界のため、これはこれで。 〜何か自他ともに喧嘩を売ってるみたいだが。
  〜あらすじ 
≪ 定年後の人生のすごし方を考えさせられる小説である。
 主人公の田代は、大手銀行の子会社専務として63歳の定年をむかえた。
最終日のチャイムが鳴ると、花束と記念品の祝福を受けたあと、最後の日だけ
の黒塗りのハイヤーに乗りこみ、全社員に見送られながら会社を去った。
 定年退職したらのんびりすごしたい、という人もいる。しかし、田代は会社人生
に悔いが残っていた。彼は東大法学部を卒業し、日本を代表するメガバンクに入行。
39歳で最年少の支店長に抜擢され、その後も銀行で順調に出世してきたが、49歳の
ある日、子会社への出向を命ぜられた。「1〜2年で本部に戻ってやる!」と必死に
業績をあげたが、2年後、51歳のときに「転籍」を言われた。「転籍」とは、親会社
を退職して子会社の社員になることだ。これで本部にもどる可能性がゼロになった。
このまま社員30人の雑居ビルの子会社で会社人生を終わる、と考えたとき、ああ、
俺は「終わった人」なのだと、頭の中が冷たくなった。それから12年。田代は、
「俺は定年の日だけではなく、毎朝夕、黒塗りに送迎されるべき人間だった」との
思いが捨てられないまま定年の日を。経済的に余裕はあるものの、まったく心の
準備ができていない。しかも、身体はまだまだ元気で、時間だけはたっぷりある。
ここから主人公は、絵に描いたような定年退職者のコースを歩む。
まず、妻に旅行を提案して「そんなに長い旅行はつきあえない」と断られる。
(田代の妻は、43歳でヘアメイク専門学校に入り、今は活き活きとヘアサロン
ではたらいている) 歩数計をつけて公園を散歩するが、どうにも楽しめない。
かといって「ジジババが集まる場所」と勝手に思っている図書館やカルチャー
スクールに行くのはプライドが許さない。… ≫
 ―
▼ 以下の担任の先生の方が、遥かに深刻。魂の悲鳴である。親は親、子は子だよ! 
 20年ぐらい前に毎朝、土手で自転車に乗りながら、ブツブツ話す、20歳前後の変
な人がいた。後から自転車に乗りながら、聞こえよがしに、『俺は、じいちゃん、
ばあちゃんに潰された。畜生、俺の人生を返してほしい。何とかしてくれ!』と。
 このエリートコースを歩んだ主人公は、真逆で、40代後半まで順調だったが故
に深刻である。新潟駅前でビジネスホテルを30年間、経営をしていたが、二年に
一度あたり、自殺者が出る。当事者として、自殺原因が警察から知らされるが、
燃え尽き症候群の中年が… 人生は、私たちの全く知らない世界を、現に、見る
ことが出来る。現実に溺れた人たちは、悲惨である。
 
以前、こんなことを書いていた。 そこの「サイコ」ちゃん、聞いてる?
――――
2006/05/26
つれづれにー俺に人生は無かった!
 湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと先日の新聞に載っていた。18年前
に中学校の担任の定年祝いを兼ねた同級会を泊り込みで開いた老舗料理旅館。
40歳代前半の同級会が一番良いと聞いていたが、なるほど普段出たことのない
東京に住んでいた面々が5~6名出席をした。総勢25人、丁度総勢の半分が
出席をした。社会的にも、家庭的にも人生のピーク時で大いに盛り上がった。
その東京の在住のうち3人が、7~8年前に癌で亡くなってしまった。
 その時、担任の先生が翌日の長岡のスナックで、
「自分の人生は無かった!」と深刻な顔をして言われた。
(以前にも書いたが)一番寂しい言葉である。
「両親が現在も90歳近くて矍鑠としていて、全てを支配されていた人生。
俺の人生は無かった。本当に辛い!」と。
 60歳直後の鬱病は人生で一番キツイとは聞いていた。そういえば、
亡き義父が鬱病になりかけたのを助けたことがあったが、60歳になると歪み?
が出てくるようだ。私のように元々歪んでいる?と歪みようがないが…
 還暦になってみて、なるほど色いろの問題がシワ寄せに重なるものと思い
知ったが、欝などはほど遠い状態である。 この10年、我武者羅に生きてきた。
綱渡りで生きてきたから‘そう’いう悩みに、ただ驚いてしまった。
――
2013/08/16
閑話小題 ―悲しい酒!
何回か書いたが、先年に亡くなった中学校の担任の先生が
 定年退職時の同級会の二次会での対話。
《「堀井よ、俺の悩みを聞いてくれ! 俺には俺の人生が無かった。
  両親とも教師で、当たり前のように教員になった。現在、両親とも90歳
 近くでカクシャクとしているが、定年をむかえた今でも監視されているよう
で生涯を通して自立できなかった。何時も自問自答で『私自身の人生は無かった
のでは?』が付いてまわり現在に至った。 あるのは二人への憎しみだけ。
この苦しみは並大抵でない・・ 》
 初老性鬱症の典型事例。 赤ら顔をして、一人合点で自分の成功物語を信じて
疑わない「あの方たち」こそ、「つまらない人」。自分の姿が見えてないため。
欝になるには、それなりの多くの原因がある。 先生にとって両親は、「影」。
人生には、それぞれの現象、節目がある。それは、多面体であり、光の当て方で、
白にも黒にも、黄金にも変わりうる。中学の担任は、初老性鬱症もあって、
影両親の価値の刷り込み 牢獄の捉われに、気付いただけ。両親の過剰な愛の
牢獄から逃れるためには、自分で作り上げたライフワークを持つべきであった。
その世界は、その加熱から自身を守ってくれる。 そのことに気づく教養の蓄積
が足りなかっただけ。 それでも、気づいただけでも、良かった。 少くとも、
群て慰め合っている「あれらより」遥かにまし。 先生の両親への憎しみは、
ポンティーと、その師のフッサールがいう <考えないでしまったこと>が問題。
自分の人生の節目での選択、それも極限での選択が無かったが故の苦しみである。
避けて通っていたのである。ある意味で、万人が抱えている深刻、かつ根源的
悩みになる。それすら分からず紋付袴の紋章を競っている、それも人生だが。
 「つまらん男、それは私」と、つくづく実感している。 が、日々が、面白い!
――――
2016/08/18
終わった人 −1
         <『終わった人内館牧子(著)>
 これは、アマゾンのHPで見つけた本。リタイアをした身にとって、
終わった人』の内容は、身にしみる。団塊の世代が、この数年で大量に
職場から押し出され、『終わった人』になっている。 まだ終わってない、
その端にいる人ほど一歩先に終わった人に言い放ちたい言葉でもある。
還暦ならいざ知らず、古希も過ぎれば、何をいわれても馬耳東風。
まだ若いと思っているのは自分だけ。老兵は、ただ黙って去るのみ。
恵まれたサラリーマンほど、節目の切替が難しい。
  〜アマゾンの内容説明より〜
≪ 銀行の出世コースから子会社に出向させられ、定年を迎えた田代壮介。
 仕事一筋だった彼は途方に暮れる。妻は旅行などに乗り気ではない。
図書館通いや体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。
職探しをしてみると、立派な職歴が邪魔をしてうまくいかない。
妻や娘は「恋でもしたら」とけしかけるが、気になる女性がいたところで、
思い通りになるものでもない。惑い、あがき続ける田代に安息は訪れるのか?
  〜アマゾンのビュアーの声より〜
《 何と云っても、タイトルが秀逸。長い人生、生物的には最期の時まで
「終わり」はないはずだが、「社会的には」確かに終わった人は年々増えて
いるし、殆ど全ての人間は(自分も含め)そうなることを改めて教えられ、
身に沁みた。「散り際千金」「散る桜残る桜も散る桜」(2頁)と考える田代
壮介、49歳で子会社に出向、51歳で転籍、63歳のとき年収1,300万円で退職
(あと二年働けたが、そうすると6割近く下がる)、保有資産は現金で
約1億3,600万円(275〜6頁)の「卒婚」(358頁)物語。
(しかし、こんなに恵まれたサラリーマンなんて、そうそういないでしょう)
★ 卒婚とは 離婚との違いとしては、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚
という形を持続しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむ、という前向き
な選択肢。 必ずしも別居ではなく、同居しながら卒婚というスタイルも有りうる。
  〜印象に残った箇所〜
「もし、私が田代さんのお部屋に泊まれば、あとは別れるか、愛人になるか、
 結婚するかしかありません。男と女になれば、十年も二十年ももつ関係が、
 半年や一年で終わります」              (217頁)
「あんなにきれいな人だもの、今に誰かと結婚してトシは捨てられるわよ」
                           (239頁)
「恋? お前も情けないものと比べるね。あんなものは十代でも二十代でも、
 生きてるついでにするものだよ」           (252頁)
「「先が短いのだから、好きなように生きろ」ということなのだ。嫌いな人
 とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、
 何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きな
 ように生きればいい。・・ これは先が短い人間の特権であり、実に幸せな
 ことではないか」                  (287頁)
「今後、介護やあなたの世話をする気はない。
 でも、離婚という形は取りませんから」       (292頁)
「将来を嘱望された男ほど、美人の誉が高かった女ほど、
 同窓会に来ないというのはよくわかる」       (314頁)。
「思い出と戦っても勝てねンだよッ」  (319頁)
「思い出と戦っても勝てない。「勝負」とは「今」と戦うことだ」(333頁)
「僕が笑うと、久里も笑った。きれいだった」     (366頁)。
▼ 産業廃棄物の典型的な人物描写である。第一の人生をソツなく卒業すると、
 こうなるのだろう。学生時代の友人が、いまだに、関連会社の社長に、
しがみ付いている。曰く、『何もすることがない事が恐ろしい!』と。
それも良い人生かも知れない。 『日々、是、口実』よりも? 
終わった人」ならまだしも、「いらない人」になっていく私? 
で更に、内館は、『必要のない人』という本を書いている。 ったく!

――――
2018年06月02日
終わった人 −2
   * 終われない群像
 一昨日の朝、NHKTVに内館牧子が出演して、映画の『終わった人』について
感想を述べていた。昨日、行ったシネマで、その映画の予告を流していた。
まあ、シリアスで内容は濃い。
 〜内容は二年前に、この随想日記で取上げているが…
【東大法学部卒で大手銀行に勤め、役員レースの手前で出向に出されて定年を
迎えた男が主人公。仕事一筋で生きてきて、終わりを迎えた男のあがく姿を…】

▼ 今さらだが、私自身、27歳で事業を立ち上げ、40年近く、自由気まま?に
 生きてきた。会社清算とはいえ倒産は倒産。万一を考え、シェルターを用意
していた為、最悪の事態を避けることが出来たとしても、「終わった人」。
 で何が悪い!と、自分に尻をめくってみても、何の不具合も利点もないし、
ただ、それだけ。 一般的に「終わった人」は定年になる。 

「自由ほど、不自由はない」をドップリと味わうしかのが宮勤めの性。
じゃあ、如何すれば良かったか? それを認識するしかないのである。現実は!
  内舘は、戸惑う彼らについて、
《まず「終わった人」を認めなくては! 東大出とか、一時はエリート社員
 だったとかを、過去と認めて、再出発しなければならないのに、その逆を
求めている人達。同級会に久々に参加して、美人も不美人も、秀才、鈍才も
横一線になった姿を見て、このテーマを思いついた。》という。
 
 終われない人たちの物語だが、居酒屋、スナックには、その哀れなが一群が
スーツにグリーンか、赤いネクタイをして、過っての仲間の噂話に花を咲かせる。
要するにゾンビの一群。 世間人のなれの果ての哀しき地獄絵。自分の多くが、
重なるから、シリアスに見えるためだが。 二年前の感想文を読返してみて、
成るほどと… 最後の最後は、いや、最期の最期は、自分一人である。
 昨日書いたパタゴニアの初老の言葉、夜這いする御婆さんを取上げ、
「寂しいのよ!」の言葉が、再び過ってきた。こんなもんだよ、世間とは!
と薄ら笑っていられないだろう。

 ホームレスは、普段は寝っ転がってはいない。只管、歩いているという。
――
自問自答: これまで歩いてきた? エッ小走りで? どこに? 忘れた? 
何を? 自分さ。 自分って何さ? そうか、私の、いやアナタの自分は世間様
だもんな。それがどうした。だって、他の世界を知らないからね。それで良いの!
それが全世界だからね。 薄っぺらと自覚しているの? 知るわけないでしょう。
ゾンビは互いに対話、いや会話が出来ないの。だから生きていけるじゃないか?
知ったふりして、知らないのが仲間だもの。 成るほど、終われないはずだ!
◉ 熊、寅: おい! ワシらをおいて自問自答するなよ。出番がないじゃないか。
 大家: お前らが相手に出来る相手じゃないよ。この時ぞと、何を言いだすか?