『こんな長寿に誰がした!』ひろさちや(著) 
    
   *‘人生100年’は本当にいいことか?

 曽野綾子の、<人生の良いとこ60歳まで>説を、50歳ごろに知り、「10年間を、
30年分に圧縮して生きた経験」を何度か、ここで書いてきた。 現在から考えて
みて、これが良かったと深く実感している。60歳を過ぎて、遣り残し感が少ない
ため、気持ちに余裕が持てる。会社清算に対しても、節目の時節到来と… 
迷いなく処理をすることになった。
 この年齢に自分が到達しようとは思ってなかったので、年々、変わりいく、
年齢の日々が、何とも新鮮である。
 「年寄りとは、自分より5歳年上をいう」という言葉がある。成るほど、私の
「5歳年上」は、77歳になるが、やはり75歳が分岐点で、止まることない老化を
実感する年齢のようだ。 私も、あと良いとこ2〜3年と実感はしている。
姉が二人、80歳に到達したが、見るからに厳しいそうだ。特に81歳が鬼門。
 100歳まで親が生きたとしたら、それも矍鑠としていたら、周りは?
   
《 ー内容紹介ー
人生100年」は、本当にいいことか? 延命治療を選ばざるを得ない医療の現実。
「治るはず」と、現実を受け入れられない患者と家族。経験を若い世代に伝えず、
権利の主張ばかり覚えたシニア世代。 誇るべき長寿とは違う形で超高齢化を
加速するこの国のありように、宗教思想家が鉄槌を下しつつ、本当に幸福な人生
の締めくくり方を提案する。
  ーカスタマー・レビューー
【 生きることは苦しい。老人は長生きしたことが幸せか。枯れることが大事。
 知識ではなく知恵。病気のとらえ方。そして減ることのない欲。こういった
永遠の真理がつづられています。所々で、キリスト教徒と仏教の智慧と心理は、
過去はパーソナルな形で時代を超えて伝達されていたのですが、このような形
での伝達が不可能となった今、著者はこの作業を自分の使命と考えているよう。
真理を指摘するのは簡単だが、実践することが難しい。実践できないまでも、
頭の片隅に置いておく。それくらいかな、凡人にできるのは。】

▼ はからずして、ここまで生きた実感は、「ここまで生きて、21世紀の実相の
 一部を垣間見ることが出来て本当に良かった。 年々の老化現象はあるが、
この激変の時代の一年一年の時代の重みを経験出来るだけで、充分、価値がある。」
人生、100歳までは?だが、やはり75歳辺りが死に時か! あと2年半ですか。
でも、あと5年は大丈夫そうだが、これだけは? そろそろ不調が出てきても
よさそうだが、今のところ何もない。いざとなると、沈みこむのだろうが…
紀州ドンファンという痴呆症老人を見るにつけ、死際の難しさを知らされた。
ここで、「死ねない病」について述べているが、最も恐ろしい病のようだ。
誰知れずに自分の死を申告し、清潔な環境の死の家に入居し、スッと死ねる施設
があれば… 自ら死ぬ権利があってしかるべきだが。健常状態で、せめて5年は!
2年半と変わらない? そう思って生活していると、毎日がエキサイティングに。
このまま医療制度が拡充されると、100歳まで死ねなというが… それこそ残酷。
程ほどに…
  
 〜で、5年前の文章に続く 成るほど!
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4470, 最悪の結果に隠された、お宝は?
2013年06月12日(水)
   * この結果に意味があるとすると、それは何?
 「三羽の黒鳥(9・11テロ、リーマンショック、3、11震災)の到来で、
この結果に終ったのに何か意味(価値)があるか?」が、問いかけとして残る。
これまでの人生の節目で、最悪の状況こそチャンスが隠されていた。今回も下手
に切り抜けるより、早々に止めた方がベストだった。 この一連の三羽の黒鳥の
到来前に、日本は支配国アメリカによる意図的なバブル経済の生成と、崩壊が
あった。機を同じくソ連の崩壊と、中国の共産党支配化での資本主義経済の導入
で、世界を二分していた垣根が無くなった。更に欧州の経済統合による大混乱と、
アメリカの衰退が重なり、ここにきて一挙に混迷を深めている。 さて、私に
とっての今回の一連の隠されたベストの意味=価値は何だろう?の問いかけ。
《 森の生活からキレイサッパリと決別し、サバンナの生活というより、
 死に支度をすべし! そして、森の生活で、切り捨て目を背けてきたことに
対する再考。さらに、せっかく奇跡の星に人間として生まれたのだから、もっと
世界の広さと深さを知り、経験し、味わうこと 》が、結論。
「早々に隠遁生活に入り、老いと死に準備に本気に入れ」ということ。
 昨日の随想日記に書いたが、日本人男性の健康年齢(寝たきりや介護を受けず
日常生活ができる年齢)が70歳。死亡平均が79歳からして、9年の介護が必要。
80歳を過ぎなら分かるが平均としても、「70歳から10年間も、介護など誰かの
世話になる生活が待っている」とは思いもしなかった。「好きなことが出来る
のも、そう長くない」ことになる。9年間の不自由な介護状態なら長生きも
考えもの。 還暦を過ぎた辺りから生老病死の問題が、真正面からやってくる。
60歳までに、やりたい事をやり尽くした感があるので、焦りは少ないが、
甘くない近い将来が待っているのが現実である。そこで、「一日一日を、面白
おかしく生きる」しかない。また自分の「知識の球」「経験の球」の外側を少し
でも広げることだ。もっと人生の少なさに焦るべきは、身近な人の死をみれば
分かる。そういう年齢に入った自覚をより持つべきである。前期高齢者に入った
65歳が、森の樹上の生活も早々止めて、一度、森から離れ、世界を見直す時節。
「今さら、そんな小さな己の世界を広げてみたとて、何になる」というが、そう
としても、前向きに倒れた方が良い。知ること、行動すること、愛することを、
死ぬ瞬間まで少しでも広げることである。人生には多くの意味があって面白い!

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5567,閑話小題 〜魂の御馳走
2016年06月12日(日)
   * 魂へ御馳走を与えてますか
 TVを観ていると、【ご馳走をするからと誘われ連れていかれた先が美術館。
そこで、『芸術作品が、魂への御馳走』と言われて吃驚した】と粋な場面が。
 そこで私の魂への御馳走は何だったか考えてみた。幾つかの一つに、51回の
『海外ツアー』がある。資金的、時間的、精神的にも長年かけて、強硬な意思を
貫ぬかなければ不可能。心が折れそうな時、というより魂が衰弱した時、秘境、
異郷での大自然との邂逅や、立寄った美術館での名画との感動が魂への御馳走
になる。哲学の始祖であるソクラテスの、「人生の目的が魂の鍛錬」ならば、
大自然や、人類の歴史に残る芸術作品との触媒の感動で、自ら魂に滋養を与え
続けなければならなかった。40〜50歳代に年2回の秘境・異郷旅行の感動こそが、
魂の御馳走であった。魂の疲れが感動の滋養を必要としため、惹きつけられた
のである。親は子供に、幼児期から一流の芸術作品や音楽をシャワーのように、
浴びせ続ける義務がある。 聞くところによると、家内は10歳代半ばまで、
あらゆる習い事に通っていたという。幼少期に、こういうのに多く接触させて
おかないと、俗にいう、「世間人」になってしまう。 彼らは、噂話という
『毒団子』の餌で、魂をやられ、ゾンビになる。 幼児時期から少年期の頃、
父親は暇が出来ると、私を連れて古美術店に行き、茶道具や、仏像、絵画に
触れさせていたのも、一流品を幼児期から触れさせるためだったようだ。 
そのお陰か、逆に、『そういう物は、自分が所有をするのではなく、美術館で、
幅広く鑑賞し、多くの作者の魂と触れるべきで、何故にわざわざ買うのか?』
と思っていた。 感動、感激、歓喜、感謝は、人間の感情の最たる部類になる。
それは、所有をしなくても可能なこと。 大自然が数億、数千万年かけて作り
上げた景観に自ら近寄り、荘厳な世界に我を忘れ、感動するのが魂への最高の
御馳走。大都会の良さは、美術館や大ホールが多くあり、一流の芸術作品や、
演劇などに多く触れる機会が多くある。地方の良さは、自然の懐が深いこと。
 どちらも、それを感じ、受止める基礎がなくてはならないが。せっかく、
地球に生を受けたのだから、魂へ滋養を与え、鍛錬しなかれば生まれた甲斐が
ないではないか。余裕がない? ならTVを通して滋養は充分に取ればよい!

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5202,「人生はドラマだ」の演繹論的アプローチ
2015年06月12日(金)
      〜『社会学〜フシギなくらい見えてくる!』現代位相研究所(著) 
   * ドラマトゥルギー
 哲学では、古来から人生を演劇に例えて、役割、演出、観客の目線から、
人生の意味を考えていた。それを社会学者が研究対象にしたのが以下である。
≪ 「人生はドラマだ」といわれることもあるが、まさにそのようなものとして
社会を研究した学者がいる。アメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマンである。
ゴフマンは、人々が日常生活の中で、まるで舞台俳優のように演技し、周囲に
与える印象に気を配りながら行動しているという観点から、そのさまざまな実践
を詳細に描き出そうとした。ゴフマンのこのアプローチを「ドラマトゥルギカル
アプローチ」(演劇論的アプローチ)という。
ゴフマンの指摘によれば、私たちは常に「会社員」「親」「教師」「患者」と
いった社会から与えられた役割を状況に応じて演じ(役割演技)、自分の与える
印象を管理している(印象管理)。しかしゴフマンは、人々がただ自分の都合を
よくするために印象管理を行なっているといいたかったわけではない。
ゴフマンは、印象管理が時に舞台の維持を、つまりその場の秩序を維持するため
にも行なわれている、という点に着目した。「この状況では誰がどういう役割を
果たすべきなのか」という「状況の定義」が参加者に共有され、それぞれが役割
演技を行なうことで初めて、日常生活が成り立つと考えたのである。
 たとえば教師が生徒の前で、自分のわからないことを巧妙に隠そうとしたとする。
もちろんこれは自分の体面を守るために行なわれていることでもあるだろうが、
その一方で「学校の授業」という状況を守るためにも行なわれている。
教師は生徒に勉強を教え、生徒は教師の授業を聞く。「学校の授業」は、「教師」
「生徒」という役割に基づいた一つの舞台であり、これが壊れてしまえば、
まさに学級崩壊になってしまいかねない。
しかし、人は一方的に与えられた役割を演じるばかりではない。役割から敢えて
距離をとり、そこに役割から離れた別の自分を示そうとする場合がある。これを
「役割距離」と呼ぶ。「学校をサボる」ことを考えてみるとわかりやすいだろう。
往々にしてそういう場合、学校をサボって何かしたいことがあるというよりも、
それによって「生徒」という役割から距離をとることが第1の目的だったりする。
ゴフマンは、ドラマトゥルギーという観点を通じて、日常生活がごく些細な
不具合で破綻する壊れ物であり、役割演技と役割距離との駆け引きによって成り
立つ動的なものであるということを示そうとしたのである。「人生はドラマだ」
という言葉の通り、この観点は一見当り前のように思えるかもしれないが、
「現実が事実としてどうであるか」ではなく、「人々にとって現実はどう成り
立っているか」に視点を転換させることによって、人々のコミュニケーシヨンの
あり方を研究するために重要な役割を果たしているのである。 ≫
▼ 「世間様」の人々も、それが現実という幻想なら、それに同調するのも、
 一つの在り方であり、役割ということになる。硬く、蛇蝎のように嫌うことも
ないのである。旅行の効用の一つに、日常から「役割距離」を置いて、自分を
改めて見つめる効用がある。「印象管理」も、目新しい言葉だが、「役割演技」
に、必要なこと。その名人が、かのクレオパトラ。自分の美貌をわきまえ、
それを際立たせる「印象管理」が、抜群だったという。創業の組織つくりが、
そうである。役割を想定して人材を集め、訓練を入れ、役割を実行させる。
会社整理も、この視点からすると興味深い演劇になる。軟着陸?だからいえる?

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4096、私は完全な本 "日本フル自殺 'ー2を作った
2012年6月12日(火)
  * 21の文明の「種」と、現在残っている7+3の「種」
 この冒頭の文明の記述が、現時点の文明の立ち位置を知るによい。
5大文明の起源だけでは現代を捉えるに無理がある。情報化社会の到来が、
この文明の地域割り、民族割り、国家割りを、根こそぎ変え、現在は大断層
の真只中にある。中学校の教科書では5〜6千年前に五大文明が生まれ、
その延長上の文明が現在に至っているとある。学生時代にトインビーを知り、
文明の発展史の解釈に驚いたことを憶えている。 ーこの本の冒頭から
【 われわれの知っている最古の文明の出現は、現代から六千年以上さかのぼる
 ことはできない。しかし、この六千年の歳月の間に、ミノス、シュメル、
マヤ、インド、シナ、シりア、ヒッタイト、バビロニァ、アンデス、メキシコ、
カタン、エジプト、ヒンズー、イラン、アラビア、ヘレニック、西欧、正教
キリスト教、極東など、二十一の文明の「種」が発生し、成長し、あるものは
やがて没落し、消滅していった。二十世紀の現在なおこの地球上に生き残って
いる文明の「種」は、西欧文明、近東における正教キリスト教世界の本体、
ロシアにおける正教キりスト教世界の分枝、イスラム社会、ヒンズー社会、
シナにおける極東社会の本体、日本における極東社会の分枝、の七つの「種」
と、ポリネシアエスキモー、遊牧民の三つの「種」の発育停止文明であると
トインビーは分類している。 過去六干年間におけるこの二十一の文明の「種」
の栄枯盛衰の歴史のドラマとその比較研究は、文明の発生、成長、挫折、解体
の原因やその一般的パターンについて、われわれになんらかの示唆を与えて
くれるものなのか。そしてまたこの歴史の教訓は、現代文明の進路選択、
日本社会の進路選択にもなんらかの寄与をしてくれるものなのであろうか。
こうしてわれわれは、特に文明の没落過程の共同研究に着手したのであった。】
▼ 中年期を終え老年期に差し掛かると、哲学、歴史に、より興味が増す。
 人生を振り返ると、そこに人類の歴史と重ねてみたくなる。シナが極東社会の
本体なら、日本は極東社会の分枝の中の己を歴史的位置から逆照射して、個々の
卑小さを確認することで、砂利同士の大きさや、変形の比較を気にしない心理
作用に効果的である。人生を実際に60数年間、生きてみて思う5千年の実感は、
  学生時代のそれとは全く違うもの。この情報化は人類のあり方を根本から
変えている。悲観的にも楽観的にもなるが・・・面白い!
 
・・・・・・
5932,閑話小題 〜人生、「あいうえお」が重要
2017年06月12日(月)
        <「人間の目利き」 曽野綾子吉村作治
          〜アラブから学ぶ「人生の読み手」になる方法〜
   * 人生、「あいうえお」が重要
 人生でも、事業でも振り返えみると、岐路には「想定」を遥かに超えた
ブラック・スワン(経済恐慌、歴史的テロ、自然災害…)が舞い降りて、
それが人生を変えていた。そして、最後は、当人にとっての「己の死」。
宇宙の、世界の中の微小の存在であるなら、当然のことだが、その小ささ、
狭さの認識が全くと言ってよいほどない。「想定外」という言葉こそ、己の
卑小さを露わにする。 アラブから、欧州に「アラブ難民」が大挙して流入
しているが、以下のアラブの「アッラー」の神への信心が大きく影響している。
 〜「あいうえお」の人生訓が考えさせられる〜
≪・吉村: 日本人は心配性なんです。こうなったら、そうなったら、
 どう しようと、自分の考えの幅の狭いのを知らないで想定する。
だから、その幅を出たら「想定外だ、しようがない」と思うわけ。
アラブ人からしたら、想定すること自体が、自分の運命に対して、神様に
対して失礼なんです。全てが自分の力より大きな力で動いていると思うと
想定など出来ない。想定があるから想定外があるんで、想定しなくては
想定外はない。「無知の知」みたいだけれど。
・曽野:もとは何もない民だから。食べ物も水さえない。 吉村さん、なにも
ないところで生きていけないとしたらどうします。他人の物を盗むか、殺して
奪うか。あと一つ、自分が死ぬというのがある。しかしイスラムは自殺を禁じ
ている。と言っても、イスラムでは自殺すると復活できないから、自然死です。
・吉村:人生、「あいうえお」が重要なんです。「あ」は〈愛〉。「い」は〈意志〉。
「う」は〈運命〉、「え」は〈縁〉、「お」は〈恩〉です。この「あいうえお」
を大事にしていれば、悪くない運命を過ごせます。≫

▼ 「あいうえお」も、それを生かせるかどうか。逆照射でみると、その
 意味が浮かび上がる。
・「愛」、特に両親からの愛の少ない人。
・「意志」、意志薄弱の人。
・「運命」、節目で、大きく流されていく人。
・「縁」、因縁を生かせない人。因と縁を結合できない人。
・〈恩」、恩義からほど遠い人。
 何か誰かの顔が浮かび上がっているが、自分のことでもある?
想定外の対処は、長年の準備があるかどうか。まずは、日頃からの知識と、
先立つ「お金(資金)」。そして「健康」。そして人とのつながり。とすると、
「あいうえお」に行きつく。今思いついたのが、「たちつてと」の教訓。
「た」が、飯の基盤の「田」。
「ち」が「知恵・知識」。
「つ」が、「ツテ
「と」が、「とき」。何ごとも時間が大元。 
言葉の遊びだが、一理ある?

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4837,「事業人生を決心して45年」の語り直しー13
2014年06月12日(木)
   * センチュリー・ベーカリー
 千城台ビルの一角でオープンさせた養老乃滝1122号店も、色いろあって一年も
経つと落ち着いてきたが、石油ショックの影響でテナントは一軒も埋まらない。
それなら、再び自ら新たな店のオープンと、何が新しい商売がないかと探しあて
たのが、焼きたてベーカリー。日経新聞の記事に『東レ系の商社・蝶理
冷凍生地を主にした焼きたてのベーカリーのフランチャイズを本格展開』。
名前はセンチュリー・ベーカリー。再び、怖いもの知らずで、何とかやれる!と、
取り込むことにした。早朝、4時に起床。一時間以上先の東十条店に数ヶ月、
研修をした後に、開店になった。居酒屋、ベーカリーなど業種は違っても、
立ち上げ手順は同じ。それでも二年前での、ビルの立上げが重なってないだけ、
居酒屋のオープンより遥かに楽だったが、しかし、開店前後のパニックは同じ。 
店一軒の立上げは、全身全霊で、持っている全精力を叩きつけるしかない。
産みの七転八倒の苦しみは何ごとも同じ?その都度、地獄。今度は居酒屋と
違って、家内がバックアップをしてくれ、本部の担当と同郷もあって呼吸が
合って、何とか乗越えた。とはいえ、冷凍生地のパンだけでは、店内の商品構成
が成り立たないため、粉からミキサーで練り上げ、発酵させ、焼き上げる。
パン職人が一ヶ月ほど泊まり込みで手伝いにきていてくれたが、早朝4時前に
起床、パンの仕込みを開始! 全てを自分一人がする重労働である。
しかし焼鳥屋の開店からみれば、楽。まず、店を賑わさなければならないため、
牛乳の1・8Lパックを、原価の10円安の売価で、売りに出し、表立っては繁盛店
だが、その実情は採算すれすれ。それを知らない姉夫婦が、それを見て焦った
ことを見てとった。そして、実兄に対する既存社員と組んだ嫌がらせがピークに
達し、実兄とトラブルが起きていた。兄からは怒りの電話が連日続くが、二店の
運営で手一杯。それをチャンスと見ていたのは分かっていた。その話合いに、
早朝の3時に起床をし、仕込みと焼き上げを終えて、開店を家内に頼み、帰省を
していた。ノンビリしている家内でさえ、「姉夫婦は基本がなってない!」
という始末。(当の本人が一番なってない?) 私の視点も、真逆の環境の
6年間を過ごしてきたため、呆れ返って『何を姑息なことを、やってるんだ!』
である。しかし、二人の周到に計算された手順の御家騒動の序曲。 
 その極限の状況の中で、思いもよらない底知れぬ力、得体の知れない力が、
己を支配し勝手に動き出していた。極限を超えると、そこに原始的、動物的な、
得体の知れない力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力より、戦場の馬鹿力? 
これは極限では出ない! 極限を遥かに超えた場面でしか、この力は出ない。
そのためには断崖に立つしかない。それも捨て身で。小心な私など、その上に、
怒り主体の喜怒哀楽をエネルギー源にした狂人に徹するしかなかった!
この辺りから、創業の感覚が身に付いてきた。事業は常時戦場で闘い続けること。
一日を、48時間のつもりで、働き詰めなければならないこと。それが出来ない
なら、その下で、働くしかない。 しかし、時間の経過とともに、何時の間に
忘れるのが、人間の常。何時の間に、あの茹で蛙に自分?が・・