< あいつ今何してる?  2018年5月23日(水) 19:00〜20:00
     特別編 名門高校の先生の記憶に刻まれた天才&奇才卒業生は今?>
  * 鬼才の今
 家内が録画をしたのを翌日に見たが冒頭の女性のケースからして驚いた。
親の「何で?という好奇心を徹底的に伸ばす」という教育方針。 子どもの
「何で?」の質問に対して、面倒くさいと思わずにとことん付き合う親の姿勢。
それ故に、友達から嫌われるが、それを徹して乗越え、異能になった姿が良い。
 私も社会科学が大好きで、それ故に、小さな世界に馴染み過ぎた人からは、
嫌われてきた。 <折角の人生、何やってるんだ>の自問自答が、
自分だけでなく、他者にも向いていた。問題は脳の質の問題になる。
私の場合、才能、基本が出来てないため、奇人・珍人の類… 。 
 彼女は、その後も、エリートコースを着実に歩んできた… 
「上を見上げればキリがない、下を見れば底がない… だが。
事例で取上げるだけの価値が充分にある人物のようだ。

 ◇内容1 
  【生徒】2000年卒の青木瑛佳さん
1.茨城県屈指の進学校江戸川学園取手高校…教師歴30年以上の超ベテラン
 教師が「こんな生徒出会ったことない!」
・「教師の上を行く天才」
・「常に廊下で人間観察して“あの子は成績が上がって来た"など同級生を分析」
・「質問が鋭すぎて教師が恐れていた」
・「当然のように東大に現役合格」など…天才と奇才を兼ね備えた学年No.1
  の秀才少女は一体今何をしているのか!
  【現在の仕事内容】
? 国立環境研究所の研究員
 環境省が行う10万人対象の国家プロジェクト「エコチル調査」に携わっている。
 エコチル調査は、化学物質等の環境要因が子どもの健康にどう影響するか、
 赤ちゃんがお母さんのお腹にいる時から13歳になるまで定期的に健康状態を
 確認し、明らかにする調査。
? 法政大学で心理学の講師(英語only)
? 子育て
  【進路】
江戸取(首席)⇒東大理2⇒東京大学大学院⇒コロンビア大学大学院⇒帰国後、
区役所等で働く⇒現在

▼ ネット検索によると、《優秀さから妬みからのイジメが半年間が続いた。
 彼女は勉強だけは絶対に負けないという強い気持ちでイジメを乗り越え難関校
全て合格し、通いやすい私立江戸川学園取手中学校に主席で入学した。この頃
から子供を研究したいと思いを抱いたという。そのキッカケについて公立中学の
ある女の子がいじめに遭い、不登校になってしまった。という話を聞き、自身も
いじめに遭っていたが不登校にならなかった違いについて理由を知りたくなって
しまったという。そのため人間関係などを観察し、その経験を職業にしたいと
考え東京大学理科二類を志望。しかし、心理学は本来は文科三類で学ぶので
真逆の進学を進んでいる。その理由を聞くと文系の友達ばかりになるのは面白く
なく、文系以外の人も観察したいと思い、理科二類に現役合格した。2年生まで
理系の人間を観察し、定員2名という文学部社会心理学課程へ進み、心理学を
本格的に研究開始した。そこで最先端の心理学を学ぶことを勧められコロンビア
大学大学院に進学した。》
 
 世の中は広いし、色いろの人生がある。「何故、何故、何故」の好奇心を追い
求める姿勢を上手く誘導して伸ばしていく親の能力を見逃すことが出来ない。
イチロウも、大谷も、ロジックを基本から鍛え上げていたようだ。
「何で、何で、何で?」と、トコトン追及する知的好奇心。これが人間の原点
ということか。これにスマートフォンタブレットの機能の果てない進化。
「親の因果が子に報い」のプラス・バージョン。親の資質から派生しないと…
 能力、履歴とかではなくて、何故何故の問いかけの秘儀そのままを追及した、
彼女の人生の一端を垣間見れたことに驚いてしまった。 そこには、
「虐め」の存在が。その怒りこそ、エネルギーの炉になっている。虐める方も、
親の不仲が原点にあり、彼女の場合は、その方面に。親の立場から原点を再構築
しなければならない。

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5193,半隠遁五箇条
2015年06月03日(水)
               『人生、しょせん気晴らし』中島義道
   * 半隠遁五箇条
≪ 自分のしたくないことは一切せず、世間から半分だけ降りることにしよう。
俗世間からすべて降り切ることは、山ごもりでもしない限り無理なのだから、
妥協案として「半分」だけ人生を降りることにしようと決心、五十歳を潮時に
‘半隠遁生活五箇条’なるものを宣言した。
  1.「清貧の思想」にあらず 
  2. 趣味を追求するなかれ 
  3.不快を避ける 
  4.無理しても快適を得る
  5.金に執着しない、 とした。
・『人は誰も、もうじき死んでしまい、永遠の無が訪れるのだから、何をしても
 虚しいだけである。何をしても、何を成しても、どうせみんな死んでゆく・・』
・『生きることに意味など無い。ただ偶然と偶然が重なっただけで生まれた宇宙の
 中のちっぽけな地球も、いずれ消滅して跡形もなく消滅する。それだけのこと。
 すべては移ろい変わってゆく。永遠なるものなど一切ない。
 その一瞬の永遠の中で、人は生き、必ず死んでゆく。意味などない・・』 ≫
▼ 私と同じ年齢の著者は、半隠遁だが、何度も書いているが、51歳時に、
 似たような?『還暦までに、その後の30年分を生ききってしまう』という、
 逆の選択をし、実行した』 そして、4年前から隠遁生活者。だから、後悔
 の念は少なく、ただ淡々と、今日一日、無事平穏に過ごせればと生きている。 
 現状というより、目標を書くとすると、
   <隠遁生活五箇状> 
1、不快は、あって当然と割り切るー不快の3倍の快を求める
2、辰濃和男著『ぼんやりの時間』 の、「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」。 
  ?、「闇」―蛍と星とダークマターをみつめ ?、「独」―独りでいること   
  ?、「閑」―逆茂木に囲まれて   ?、「怠」―怠け猿のように  
  ?、「懶」―心に余白を持つ    〜を意識して、世界に浸かる
3、その中でも、新しい知識、感動、感謝を貪欲に求め続ける
4、想定死亡年齢を75歳とする。その淵から、一日、一日をみつめ、味わう
5、具体的な死に準備を、一つ一つ実行する 
 まだまだ娑婆ッケがあるが、現実は変な壁が低くなったためか、現実が
面白くて、少年のように好奇心で一杯である。壁が高すぎたのだろう。
それと14年間、随想日記を書き続けてきた蓄積効果と、新たなネットと、
デジタル世界の恩恵もある。 表立っては隠遁だが、内側は真逆のような。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」というところ。これもまた、気晴らし!

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5923,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜3
2017年06月03日(土)
  * 武澤信一教授
 遠くの席に、武澤ゼミの武澤信一教授の姿が見えたので、
 隣席に座って、思い切って一方的に話しかけてみた。
≪ 先生が亡くなられて20年近くになります。
 武澤ゼミの一年間の思い出は、 何もかもが新鮮でした。
・八王子のゼミ・センターでの泊りがけのセミナー。
NECのコンピュータ工場訪問。
・出光の造船工場の作業現場での組織を一望する体験。
・自由課題の「卒論」に四苦八苦した経験。
・一年に及ぶ、ケース・スタディの討論会。
 様々な企業内トラブルのケースの現象を一次とすると、その背景に、
二次、三次の構造と背景を洞察し、対策を立てる手法を、一年間かけて
学んだことは、何によりも変え難い経験になりました。仏教語で、それを
「真・仮」とも言いますよね。現象を「仮」、二次的構造を「真」と。 
ゼミを終えて部屋から出たとき、目のまえが黄色に見えていました。
人事管理は、それほど、重い仕事ということですよね。
 地頭で考えぬく訓練は、戦場の真中で出来ても、なかなか出来ること
ではありません。創業は、正に、その都度、目の前に現れた困難に対し、
その背景にある構造を直感し、手持ちの材料を組み立て変えて、新たな価値
を作り上げることでした。としても、ドン・キホーテのような、己の姿を
思い出すたびに、赤面しています。先生が亡くなられ、その後、暫く出席
していた奥様が亡くなられた現在も、年に一回、ゼミ出身のメンバーが経営
する赤坂見附のフランス料理店で、数十人が集まって、生前のまま「偲ぶ会」
に変わって今でも開かれています。
ホテルを開業後、一度、新潟の何かの学会のおりに、泊まっていただき、
古町で語りあかしたことが、今でもハッキリと憶えています。≫

▼ <ところで、この宇宙船内とは、何なんでしょうか>という先生の問い
 かけに、<何なんでしょうか〜>と、赤面する私。父親と、武澤先生が、
私の陰として、「馬鹿なお前は、ひたすら、挑戦と、変化と、己の無知との
闘いを続けるしかと、凝視しているような。で、独り、早朝に、こんな
瞑想をしている。
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4461, 99・9%は仮説、ですか〜 −3
2013年06月03日(月)
    「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫
  * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」
という根源的問いかけになる。しかし、自分の思い込みに気づかない限り、
それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した
思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考え
ようがない。とはいえ、その事実、真実も、思い込みとすると、その立つ場が
なくなる。  ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー
≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。
 逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、思いこみでものを
いいます。では、天才でないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた
仮説をはがせばよいのでしょう ・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある
仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。
われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になり
たっている。「裸の事実」などない。データーを集める場合も、やっぱり
その仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈
するわけです。ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な
世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエータを目撃しても、
「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の
良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。でも本人には意図的に事実を捻じ
曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られている
ことに気づかない。天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついて
いる仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる仮説に
触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、
あらゆる仮説に触れることで、知的な「免疫力」をつけろ、ということ。
たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や
共産国家の「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・ 
「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」ですが、できるだけみなさん
の仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫
▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。
 気づくようでは、思い込みではないからだ。20数年前のバブルと、崩壊と、
その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の
崩壊は絶対にない」という土地神話、この仮説が前提にあった。
それが仮説=思い込みということに気づかなかった。だから突然、それが
崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、
身に沁みていたことは、「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。
舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、
万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的
にしておくこと。それさえさえあれば、如何なる事態にも対応できる。
現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」という
のが幼心から、あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が
見えているから。それも私の仮説でしかない。
・・・・・・
5558,閑話小題 〜サプリメント効果
2016年06月03日(金)
  * サプリメント効果
サントリーサプリメント、『ノコギリヤシ』。5千円のものが、一万人
 無料という広告文につられてネット注文をし、飲みはじめてから一ヶ月。
効果は2〜3週間後に出るという文面どうりに、効果が出てきた。これまで、
夜半に8割かたはトイレに起きていたのが、今では三日に一度に減っている。
 それに、肌に水気が増えて滑々してきた。 他に、サントリーの別広告で、
セサミンEX』の格安広告を見て注文し、先のものと共に飲んでいる。
・10年前には様様なサプリメントを飲んでいたが、今では、冬季の生姜湯と、
飲むヨーグルトと、水分補給用のビタミンC入り飲料だけ。 ところが、
年々、体力の衰えを感じてきたこともあって、再チャレンジすることにした。
・これを飲み始めて、身体の方が、待ってましたという感覚。還暦から10年、
明らかに足腰の衰えが顕著。これだけの即効からして、無料提供をするわけだ。
50年来の腰痛と、パソコンの前に一日4時間も座っているためか、前屈みの姿勢
になりがちだが、姿勢も少し良くなったようだ。問題は価格。そこで、格安の
ノコギリヤシサプリメントがないかとネット検索をすると、あるある。
老いた老いたと身体の不調を愚痴るより、対策を探した方が良い。それより、
節酒が先決だが! 持病の腰痛、栄養バランスの悪さも要因だったのかも。
「老いたら子に従え」でなく、「老いたら、サプリメントバランスに従え」か。
・・・・・・
4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7
2012年6月3日(日)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦 (著)
 * 中年と老年の境目          
「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、
サバンナが老年と捉えることができる。私の場合、60歳を大きな目安にして
50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を
整理倒産、年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 
ことがことだっただけ、ハッキリしている。
≪ 【人生の総決算】
 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に
囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての人生の総決算といった
性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ
象徴的なものであろうと、あまりにも下らなかったり安っぽく情けなくなって
しまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎ
たくなってしまう。歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。
少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、経験に
根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者と
なっていくものと思いたい。 にもかかわらず、老いの訪れを待っていたか
のようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。
もともとの性格だとか生き方が、老いを迎えるに当たって問い直されるのだ
といった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。
暴走老人という言葉が流行り、それは老いがあるまじき暴力的で非常識で
自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚な
チンピラのような暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人で
あることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に
居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。
それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が「人生には、奇妙に
歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じ
ようとしているのではないか、と思われるような一時期がある。このような
時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、
むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きい
のではないか。 老年を迎えるということは、あらためて運命のサイコロを
振ることを強いられるということではないのか。 ≫
▼ 心当たりのある考えさせられる一節。太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、
 45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、バブル崩壊からの
「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。
私の人生は日本国家の縮図である。リスク管理をしていたので、生活は何とか
なっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。
肉体的衰えが、精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって
半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい!
・・・・・・
4828,「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
2014年06月03日(火)
  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり
何かの質問をする。逆質問は一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  ー
            359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ
 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。
初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初の
頃は感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に
問いかけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時
大声で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、
繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さ
を互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識
つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、
はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく
過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的
とする。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を
見る。ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で
一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。この訓練を通して、
自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、
自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、
初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に、会社は強くあらねば!
ということを。人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー
 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し
行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。
すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。
つまり「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した
行動を柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙い。
一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
 実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。
・・・・・・
3721, ジャズについて −13
2011年06月03日(金)
   * 現代ジャズの新しい動きは?  ー「音楽の本」三枝成彰著より
 ー ジャズのロック化ー 「フュージョン」はこうして生まれた
【 ディキシーランド・スクイルから発し、フリー・スタイルにいたった
 ジャズは、その後、マイルスの前述したアルバム「ピッチェズ・ブリュー」
が予感させたとおり、ロックや他のジャンルと融合・拡散していくことになる。
その結果、レコードショップの棚には「フュージョン」という新しい分類も
できた。フュージョンとは、一言でいえば、ジャズのロック化を進めたもので、
ロックはもとより、ソウルやラテンなど、他の音楽のエッセンスを吸収した音楽。
だが、七〇年代以降のジャズは、もはや五〇〜六〇年代にそうであったようには、
のちに影響を及ぼす斬新なスタイルを生み出す勢いを失ったといっていいだろう。 
なお、八〇〜九〇年代にかけてジャズの周辺で起こったことで、いくらか注自
すべき点もある。ロンドンのクラブに端を発した、踊るためのジャズの再発堀の
動きである。 クラブのDJが特に注目したのが、六〇〜七〇年代のジャズ。
レコードを素材のとして扱うクラブのDJの腕は、ジャズだろうがソウルだろうが
ラテンだろうが、自分が選ぶ曲がフロアの客を気持ちよく踊らせることがで
きるかどうかにかかっている。もともとジャズのルーツが、「踊るための音楽」
だったことを思い起こせぱ、これは面白い現象といえるのではないだろうか。 
もちろんクラシック音楽でも古典派やロマン派がいまなお愛されているように、
ハード・パップを中心としてジャズは聴かれているし、過去のスタイルに回帰して
いるジャズマンもいる。その意味では、ジャズは現在もこれからも生き続ける
音楽といえるだろう。 】

▼ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポプュラー音楽の一種で、
誕生から時間を経て、ロックンロールを略してロックと呼ばれるようになった。
黒人音楽のリズム&ブルースと白人音楽のカントリー&ウエスタンが、異種混合
して出来たもの。そのロックと、ジャズが混合してフュージョンが生まれた。
アメリカ社会の混合が、そのまま音楽で象徴的に現れ出てきた。
それだけ、アメリカ社会は複雑怪奇ということになる。
それが、そのままフュージョンとなったといえる。