* 遊びをせんと生まれけむ!
 人間の価値は、それぞれ重複するが、遊び、働き、学び、と分けて考えると
理解しやすい。何処に重きを置くかになる。それも時節により変化する。
幸福を目指すか、充実した人生を目指すかにより大きく左右される。世の中
には生れつき幸福な人がいる。波乱万丈としても、加山雄三は、その部類に
含まれる。その趣味がヨットであることは、よく知られている。
 そのヨットが全焼したというニュースが流れ、加山が涙を流した映像が映し
出されていた。 問題は、保険に入っていたかどうか。入ってないとしても、
80歳の年齢からして、そう遠くない旅立ちの未練が少なくなり、むしろ幸い、
穿った見方も出来る。

《 西伊豆町の港で、俳優で歌手の加山雄三が事実上のオーナーのプレジャー
 ボート「光進丸」が炎上した火災で、出火当日に船内でエアコンなどの点検が
行われていたことが2日、下田署への取材で分かった。同署は出火との関連の
有無を調べる。同署によると、船を管理する地元の船舶修繕会社の従業員が1日
午後1時ごろから約1 時間、船内で作業した。エアコンは、カビの発生を防ぐ
ため常時稼働しており、点検でも異常はなかったという。火災は1日午後に発生。
出火当時、船は無人でけが人はない… 》

「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぬ)れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動( ゆる)がるれ」

▼ このヨットは、27歳の時に自ら設計に加わり建造した中型クルーズ船「光進丸
の3代目。値段は4〜5億。趣味として、自ら設計に加わったヨットの航海は最高の
贅沢な遊びになる。幸福を絵に描いたような男の一人である。
 幸せな男としてと絞ると、は、植木等(タレント)、赤塚藤雄(漫画家)、
関野吉晴(探検家・人類学者・外科医)、数年前に亡くなった鳩山邦夫などが
あげられる。逆に野球一つに絞った長嶋茂雄のようなの幸せがある。 関野は、
アフリカからユーラシア大陸を経て、 広大な無人の新大陸(南北アメリカ大陸)
へと旅した。グレート・ジャニーなどの旅をするために医師になった冒険家。
加山雄三に似て趣味を貫徹するために職業を選択している。
 7年前に事業整理を決断したが、その時に思ったのが、このヨットのこと。
ホテルとヨットを類推して、<彼がヨットを失っても、設計段階から参加した
ヨットの創造の喜びと、航海を楽しんだ行蔵は酷似している。元は、そこで既に
取ってあることを当事者以外は知り得ない!> と、思っていた。 1〜2年も
しないうちに、彼も諦めがつく? まさか、その心の内を吐露するわけがない。
しかし、悔いは少ないはず。
 わたし個人として、遊びの切口では、9割方は満足しているが、まだまで遊び
足りなかったという悔いは少しかない。加山と比べようがないが、羨ましい限り!
 そこで… 「上を見れば、キリがない、下を見れば底がない、横をみれば
情けない!」の言葉が浮かぶが。これも元もと少ない。 人生、こんなもの!

・・・・・・
4401,フランクル ーつれづれに
2013年04月04日(木)
   * フランクル
 昨日、何気なく昼、NHK/Eテレをまわすと、≪フランクル“夜と霧”
−終−第4回「苦悩の先にこそ光がある」≫を放送していた。フランクル
著書は何冊か読できたが、いずれも大きな感銘を受けた。 
  ーNHKのブログによると、
【 フランクルは、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への
 案内役だと説いた。最終回では、フランクルの言葉に支えられながら生きて
きたという、姜尚中さんをスペシャルゲストとして招く。姜さんは「与えられた
運命を引き受け、それをバネにすることで成長が生まれる」と言う。先行きの
見えない不安が広がっている今、わたしたちは生きる希望をどのように見いだす
べきなのだろうか。「夜と霧」から考える。】とあった。
メモを取ってなかったので、少し文言は変わるが、
《 ◎ 成功、失敗は左右の水平軸に分けられるが、縦線の上に意味、
  下には絶望・苦悩を置いて縦横の立体で捉えるべき。
 ◎ 砂時計で上の砂が真ん中の細い管を通って落ちて、下に溜まる。
  上の部分が未来、細い管の部分が現在、下が過去になる。私たちは
  下の過去に重きをおかないが、苦悩などを含め必死に生きた管(現在)
  を過ごした過去は、充分に価値があり、その人そのものになる。 
 ◎ 苦悩とは、人間を成熟させて真実の自分を呼び覚まし、
  生きる意味を成就させるチャンスそのものになる。
 ◎ 人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している。》が印象的。
 フランクルといえばー自己超越のための3つの意味(価値)ーが、挙げられる。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。また、ー人生には発見されるべき価値や
  意味があるーとして
1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
3・人生の意味  (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) 
 の3つを上げている。フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の
連続である」という信念が一貫してある。よく遊び、よく学び、よく働くことだ。
それに私の考えを加えれば、喜怒哀楽を開放してやることだ。
・・・・・・・
3661, 9・11、9・15、それをしのぐか3・11
2011年04月04日(月)
 この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も
進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。地球温暖化の中で原子力
発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流
での惨事である。思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波
そして原発事故と放射能汚染」である。リーマンショックで既に日本経済は
崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、
3・11の衝撃で、日本の存続の根底を揺るがすだけでなく、地球規模の危機に
なってしまった。 10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、
それ以降、世界が変わっていった。そして2008年9月15日のリーマンショックは、
米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。今年から来年にかけて、
世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的
大惨事である。 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が
営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。それも66年前に
日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。20年前に経済
バブルがはじけ、右下がりが続いて、去年になて経済力を中国に抜かれ世界
第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も
起こっている。9・11、9・15、そして3・11の惨事である。これは9・11、
9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。
当然ながら国内は情報コントロールをされているが、日本人は無防備に、
そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、あとは自分の勘を頼る
しかない。そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。原発事故と
放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。その結果は? この国は大震災の日
をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。
被災民は、全国民!
・・・・・・
4768,ぼんやりの時間 ー2
2014年04月04日(金)
     * 「ぼんやり」礼讃    『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著) 
 受験期に「ぼんやり」していたら、一生を棒にふることになるし、弱肉強食の
世界では生きていけない。逆に、ひたすら人生を戦いにくれるのも、問題が残る。
時代が世界的大不況に入って、ひと握りの人たち以外は、決して物質的に豊かに
なれない時代。だからこそ大部分の者にとっては、「のんびり」生きる方が良い。 
ここで、リタイアーを向かえた人は、思い切って舵を変えなければならない。
これまで否定的だった「のんびり」こそ礼讃するに値する時節到来ということ。
 ーその辺りから
《 ・・なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。
 小さな公園のベンチでもいい。コーヒー店でもいい。鎮守の杜の木洩れ日の
なかでもいい。外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。とにかく、ぼんやり
を体験してみること、まずはそこから始めたい。一番いいのは風の吹き抜ける
静かな場所に坐り、背を伸ばし、肩の力を抜いてみることだろう。
深呼吸をする。坐っていても、立っていても、深呼吸のやり方は変わらない。
深呼吸は息を吐くことに重きをおく。吐いて、吐いて、さらに吐く。細く長く
吐ききるまで吐く。あなたのからだはまだまだ硬い。ゆったりした気分になり、
さらに肩の力を抜いてみる。下腹たんでんの丹田を意識する。
 深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、あなたにとって快い状態に
なればしめたものだ。ときには、静寂が皮膚にしみこむのを体感することが
できるかもしれない。静寂のなかでぼんやりするとの気持ちよさを味わう
ことができれば、それは至福への道の一歩になる。近所に、緑のゆたかな
大きな公園があれば、なおさらいい。そういうところは、きっとあなたの好き
な木が何本かあるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間をもちたい。
「ぼんやり」という言葉と「貴い」という言葉は、ふつうあまり結びつかない。
しかし串田は、それを手品師のように鮮やかに結びつけている。
その結びつけ方があまりにも鮮やかで、あまりにも自然なので、私はすんなり
と合点した。よく考えてみれば「ぼんやり」と「貴い」を結びつけるのは、
相当の力技かもしれない。串田の数々の文章を読み、それらはみな、長い黙想の
なかで湧き水のように流れでてきたもの、という感じを私はもっている・・ 》
▼ ヤフーのブログに、現在、ネットで拾ったフィジーの写真を載せている。 
 地域柄、何ごともおおらか。挨拶がハワイの『アロハ』のように『ポレポレ』。
こんちは、さよなら、ありがとうなど、全て、この一言で済む。大柄で、スロー
テンポで、陽気で、こころ優しくぼんやりしている。先進国が優れている!が、
戯言と、直ぐに教えてくれる。自然の豊かさと思いやりが人間の貴品をつくる。
3月半ばの15時からポタリングを再開した。途中で5分ほど信濃川の土手で
休憩しているが、早速、10分間に延長、「ぼんやり」してみたが、なるほど、
気分は良い。が、5分過ぎると、そわそわ、その後の5分が長く感じた。
今度は、バスタオルを持って、ベンチで延び延び寝てみたい。信濃川の土手で
春うららの中の転寝は、気持ちが良い。他人様の転寝を見ていたが、自分に
置き換える知恵が全く無かっただけ。 スポーツジムのマッサージルームで毎日、
20分間、ボッケっとしているが、確かにリラックスする。生きているうち、
元気なうち、ぼんやりできるうち、である。 最後は、痴呆症でぼんやり?
・・・・・・
5863,在宅医療の現実 〜こんなはずじゃなかった
2017年04月04日(火)
  * こんなはずじゃなかった〜医師・早川一光
多くの死を見送り、在宅医療を患者の立場になって推し進めてきた老医師が、
いざ自ら癌になり、在宅医療の患者になった時、出てきた言葉だからこそ重い。
去年、近くの従兄が亡くなったが、家人の挨拶で、『最期の入院をした時に、
家で死にたいと強く言われたが、出来なかったのが心残り!』と語っていた。
 しかし、在宅医療にも限界がある上に、死を目の前にした恐怖と苦痛緩和
のための設備は、病院の方が良い。その判断は本人より、医師に委ねられても?
その難しい問いかけを、真正面から取り上げている。
♦ まずは、京都新聞で2016年1月から週に1度連載された、早川一光さんの
 聞き書き「こんなはずじゃなかった」より。 (2016年5月26日放送)
≪ 地域医療のパイオニアとして知られ、NHK連続ドラマのモデルにも
 なった老医師が、がんになりました。自宅で、自らが作り上げた手厚い
在宅医療、在宅介護に支えられながら、医師は、「こんなはずじゃなかった」
と語り、それを名にした新聞連載を始めました。医師の名は、早川一光、92歳。
 戦後、京都市西陣で住民立の堀川病院を作り、「在宅医療」という言葉も制度
もなかった時期に積極的に地域に出る活動を展開。「西陣の路地は病院の廊下や」
を合言葉に、病院を出ても安心して医療を受けられる体制を整えました。
「わらじ医者」の愛称で親しまれる老医師が、自ら患者になり、死を見つめた時、
現在の医療や介護について何を感じ、何を伝えようとしているのでしょうか?
「こんなはずじゃなかった」とは何を指しているのか?
 番組は、自宅のリビングに置かれたベッドで一日の大半を過ごしつつ発信を
続ける早川医師の暮らしを描き、未来に向けたメッセージを聞き取ります。≫
♦ 次は、NHKスペシャルのHPより
≪ 医師 早川一光さん 人生のしめくくりを支える“在宅医療”の草分け
 3年前から自宅で療養生活に 口から出たのは「こんなはずじゃなかった」
自らの死を見つめる医師 医療の未来に向けたメッセージ。
 ただ命を長くするだけで人は幸せになるだろうか?
1950年 京都 西陣の人がお金を出し合って作った診療所。所長は当時26歳の
早川一光さん 。目指したのは「在宅医療」と「訪問看護」精力的に続けた
活動はやがて国の制度に取り入れられた。早川さんはいま93歳
「俺は何をしてきたんやろう。今が天国かと思うと、かえって地獄じゃないか」
「早川先生が死ぬのを怖がってる姿はものすごく意味があると思います」
と看取りを託す根津医師。
「人を看取る時、医師にはなにができるのか?」と、ベッドの中から問い続ける
現在、自宅で亡くなる人の割合は全国で1割ほど。
【心に残った言葉は?】に、 「生きて、生きて、生きとってや。

▼ そう遠くない近将来に、私にも間違いなく直面する問題。
「出来ることなら 自宅で」という思いは誰にでもあるのだろうが… 
この番組を見て、これでキッパリ、病院で死ぬと思い定めることが出来た。 
その後は、早川医師、持ち直し?現在も御存命のようだ。 当人と在宅医療
医師、そして老妻と語る言葉の一言一言が非常に重く響いてくる。 老いれば
老いるほど、心の奥から沸き上がってくる「こんなはずじゃなかった」の思い。
「私の人生、こんなものか」なら、まだしも。 特に私には? いや、万人か!
・・・・・・
5133,知の逆転 〜?
2015年04月04日(土)
   「知の逆転」〜ジャレド・ダイアモンド , ノーム・チョムスキー&他
 * まずは概要から
                〜 内容(アマゾンより)
< 「二重らせん」構造を解明したワトソン、「普遍文法」を提唱し言語学
革命をもたらしたチョムスキー…限りなく真実を追い求め、学問の常識を逆転
させた叡智6人。彼らはいま、人類の未来をどう予見しているのか。
「科学に何ができる?」「人工知能の可能性は?」「情報社会のゆくえは?」
 ―現代最高の知性が最も知りたいテーマについて語る興奮の書。>
  〜ビュアーの書込みが、概要を簡潔に言い表している。
《 本書は、元NHKのディレクターのサイエンスライターによる、知の巨人たち
への質の高いインタビュー集だが、ピックアップされた知の巨人たちが豪華。 
・名著『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド
生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起したノーム・チョムスキー
・映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス
人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー
・アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、
・DNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞のジェームズ・ワトソン。
 インタビュー集なので、個々の情報はそれほど深くはないが、それでも、
知の巨人たちによるこの世界の解釈には、何度もうならされました。・・(略)
 文学も音楽も芸術も、思い込みと想像と誤解に支えられてきたけれど、
たくさんの情報がそれぞれ本来の姿をよく映し出すようになると、思い込みと
想像と誤解が減った分、それらの世界が必要以上に大きく見えることもなく
なってしまった。中東紛争はじめ、インターネットを通して世界中の様々な
人間の生きざまを目のあたりにすると、この生は仮のもの、この世にあるもの
全ては悲しいものという、『方丈記』の意識が、時代精神となってくる。
いきおい深いかかわりを避け、食べるものも着るものも住む処も、そして人に
さえ、こだわりを持つことを避けるようになる。生物として自分をアピールする
ために、他の人間と少しは違っていたいけれど、こだわるほどの、つきつめる
ほどのことはない、とー。潤沢な情報は、かくしてロマンを奪い去りつつある。
唯一ロマンが残っているとすれば、それは人と人・人と物・人と雰囲気との
ケミストリー、波長と言ってもいいかもしれない。波長が合うかどうか、人は
まだほとんど制御できないものだから。人生は出会いが全てかもしれない。
人や動物や物との出会い、色彩音楽や一文との出会い。この世で生きるのは難儀
だが、わずかでも強く心に残る出会いがあれば、それでけっこうやっていける。》
▼ インタビュアーの質問が、鋭く、その返答そのままが、読者にとって
 理解しやすい。特に私が知りたかった、「情報社会のゆくえは?」は、面白い。
学問の常識を逆転させた彼らの視線は、私の常識を根こそぎ破壊してくれる。
この年齢での常識の破壊こそが日々を面白くする! 我が内なる常識の壁。
「あとがき」の6人に対する評がよい。 「ダイヤモンドは静謐にして鋭い室内楽
チョムスキーは鮮明にして華やかなオペラ序曲、サックスはカラフルで心地よい
ジャズ、ミンスキーは一つのテーマにクールに焦点を当てたソナタ、レイトンは
ドキドキするほど生きのいいロック、そしてワトソンはサイエンスを基にした
コンチェルト、といった感じでしょう。」  私には書けない言い得て妙の評。

・・・・・・
5498,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜?
2016年04月04日(月)
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7〜8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7〜8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、
追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、
人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく
・・・・・・
4027, シングルイン、31年間の総括 ー7
2012年04月04日(水)
   * デフレの直撃
 ホテル物件は直ぐに相場の半値八掛で買い手が現れ、ホテル名をそのまま
引き継ぎたいというので快諾した。せめて名前が残れば有難いこと。結果と
してはオーナーのリストラ。 ある人が、「ホテルの買い手がいるんですか?」
と聞いてきたので、「‘やれる’と、‘やれると思う’は別物」と答えた。 
「この30年の数字と経験から無借金でプラマイゼロ」と思っても、「やれる!」
と思う人が現に出てきた。三年間持ちこたえるかが目安だが、道路買収の時期
が問題。無借金なら、面白い?私なら絶対に手がけない。これも「私の思い」。 
経営環境が厳しくなると長所にも想えた4棟分割が合理化の妨げになっていた。 
分かれている長所は、在庫過剰になった時に棟ごとの業態変更が可能。
現に長期滞在型への業態変更と、二棟の1F部分のテナント化は思惑どうり。
しかし棟が分かれ中途半端の規模は、総人件費の削減と、諸経費削減に不利に
なっていた。 デフレも、資産デフレの直撃が大きい。土地の相場が、30年前
の3分の一以下、土地購入値の3〜4分の一は、厳しい。インフレであれば、
半分も返せば8割以上返済したようなもの。今回の資産暴落は、返済総額より
遥かに実質借入が増加の結果となった。この物件を半値八掛で買った新しい
事業者が更に絞り込んだコストで、既存のホテルに対抗するために更に価格を
下げて、市場に挑んでくれば、一段のデフレが進む。資産も半値八掛で資産
デフレの材料になる上に、価格の下げ圧力になる。デフレスパイラルである。
しかし光熱費は原油高で二倍、人件費も高騰、金利高なら、スタグフレーション
になりざるを得ない。 恐ろしい限りである。何度も書いているが、本当に
恐ろしいのは,その後のハイパーインフレ。これが恐慌の本体である。
その境目が、今年になる。