* つれづれに、自虐的独り言!
 リタイアから7年、この淡々とした日々の生きる目的とは何だろうかと、
改めて考えてみた。 何度か、その類いの書籍の感想文の中で考えてきた。
 「自分の人生を鳥瞰して余白を埋めること」
 「活き活き活きること」
 「日々を楽しむこと」等々である。 
具体的目安は、
・食事と晩酌が美味いと思うか、
・ジムに進んで行きたいと思うか、
・TVの映画やドラマ、ドキュメントを面白いかどうか、
・随想日記を前向きに書いているか、になる。
 どれも一応、合格になるが… 

家内に『周りを見渡して、気の毒、可哀そうと具体的に思う人っている?』
と突然、聞かれた。当人の周辺に多く居るらしい。女人社会では人生の内側
がまる見えのようだ。私にとって 世間にドップリ染まった岩間の小さな様々
な生き様が気の毒。 私もそうだが、足腰が弱るにつれ引籠りがちになるが、
どうも極端な内向きの生き様の人が多いらしい。 人間関係を見ると、
色いろなサークルに属し、その触媒から、多く要素が垣間見れるようだ。 
 で、次の質問…
家内:『具体的に気の毒に思える人って、どんな人?』と… 突っ込み。
 考えてもいなかったが、すかさず出てきた言葉が、
私:『そうね、節目をつくれず、何気なく生きている人。例えば pi.pi.pi!』
家内:『その世界しか知らないから、それはそれで良いんじゃないの。』
私:『聞かれたから答えただけ。だけど、嫌な奴と思ってるだろうね。
  孤独、孤立に慣れてないからね。それが悪いこととさえ思ってるからね。
  だから全否定されてると思うんだ。話が詰まらないもん。日常にドップリ
  浸かって。そういう現在の私がそうか。でも、ネットサーフィンで外界を
  飛び回ってるよ。』
家内: 『カウチポテトそのもんじゃない。お金は最小で済むけどね。』
私: 『あんたのように、年に10回も、上京する人も少ないよ。それから
  したら気の毒な人になるよ。ケッセラセラ!で、楽観的過ぎるよ。
家内: 私まで布団被って、寝室や書斎に籠っていたらどうなるの。
  これで丁度いいのよ。私は遊ぶ人、あんたはお留守番。私の家にタダ同然に
  置いてもらってるんでしょ。手取り??万の家賃の居候じゃないの。
私: 『     』

ってな具合で。あと一月足らずで、早朝のミニチャリが始まる。そこで溜まった
毒ガスを新鮮な空気で洗浄する。12月から3ヶ月、毒がかなり蓄積をしている。

・・・・・・
5468,人生で最も大切な技術 ー26 退屈と孤独を越えて
2016年03月05日(土)
   * 退屈と孤独を越えて
 退屈とは、何ら楽しみを見つけ出すことの出来ない状態で、楽しみの準備が
出来てない状態をいう。身辺を見ていると、本当に多い。楽しみは、10年、20年、
40年かけての準備を要する。それがないから退屈になる。目先の気晴らしと、
楽しみとは、似て非なるもの。 
≪ 退屈は、気晴らしを唯一の頼りとする人が避けることのできない宿命である。
 その人は、人生を一つの大きな娯楽と捉えるが、見世物が終わった瞬間に惨め
になる。退屈は、時間に価値を見出さない人の罹る疾患である。
 反対に、時間には計り知れないほど大切な価値があることを理解する人は、
日常的な活動や外からのさまざまな刺激からの、わずかの休憩時間を余すこと
なく活用し、どの瞬間にも備わっている、芳しく澄んだ音色を味わう。
その人は、退屈の意味も味も知らず、精神的に枯渇することがない。
 孤独にも同じことが言える。米国人の15%が、週に一度は強度の孤独感を
経験している、という報告がある。人間関係または世の中との接触を断つ人は、
エゴの幻想に陥り、群集の中で孤独を感じる。あらゆる事象には相互依存性が
あることを理解する人は、決して孤独に陥らない。 
 隠遁者を例にしよう。たった一人で過ごすにもかかわらず、宇宙のすべてと
調和し、一致していると感じることができるのである。
 注意力が散漫で集中できない人にとって、時間は、混乱した心に入り込む
物憂げな環境音楽のようなもので、まったく無為無益なものになる。
このタイプをセネカは次のように表現している。その人は、長く生きたのでは
なく、長く存在したに過ぎない。航海に出た途端に嵐に遭遇し、あらゆる方角
から絶え間なく吹きつける強風に翻弄され、同じ誹をぐるぐると回鄭している
状態を、長期航海と言えるだろうか。そのような人生は、航海ではなしに運命
による翻弄と呼ぶに相応しい」。≫
  * 楽観論の真の意味
≪楽観論には非常に深い次元がある。すなわち、人間の置かれた状況の如何
 を 問わず、あらゆる人間には変革への可能性があり、それを現実化できる。
その次元を指している。他ならぬこの可能性が、生きることに意味を与えて
くれるのである。人生はほとんど価値がない、と考えるのが究極の悲観論で、
逆境であれ歓喜の時であれ、一瞬一瞬が宝であることを理解するのが究極の
楽観論である。両者の違いは、単なるニュアンスの違いではなく、物事の見方
が根本的に違うという点が強調されるべきだろう。人間がどちらの見方をする
ようになるかは、心に平和をもたらし、それを強めることができる充足感を
自分の中に見出しているかどうか、で決まるのである。≫
▼ 一瞬一瞬が宝ということは、歓喜の瞬間こそお宝ということ。感動は、
 人を変える力がある。その蓄積は、決して減ることがなく、歓喜を呼寄せる
力を持つ。
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4738,<つまずき>の事典 〜   ー6
2014年03月05日(水)
  * 据え膳食わなねど高楊枝の後悔と・・ 
               <つまずき>の事典>中村邦生編著
人生の黄昏時になると、若い時の愚行と共に、
絶好の機会でありながら、犯さなかった愚行の悔い?が交差する。
  ーここで紹介している内容からー
《「男が最も悔やむ愚行は、絶好の機会でありながら犯さなかった愚行です。」
                    ヘレン・ローランド『男への案内』
ヘレン・ローランドは、アメリカのジャーナリスト・作家・主に若い女性への
愛と結婚をめぐるユーモラスで、皮肉な寸言を得意とした。例えば、「結婚前、
男はあなたの言ったことを夜中あれこれ考えて眠らずにいるが、結婚後はあなた
の話がまだ終わらないうちに眠ってしまうものなんです」といったように。
 o(・`ω´-+) --☆Wink…o(;-_-;)oドキドキ♪ _+)(/_;) 
 引用の警句「絶好の機会でありながら・・」を読んで、忸怩たる思いが込み
上げてこない男はいないだろう。もちろんこの種の「愚かさ」は、特に男だけに
限られたものではないが。しかしこれはやはり男のもの。つまり「悔やむ」
という未練の引きずり方のだらしなさにおいて、男独自のものである。
そもそも「絶好の機会」などというものからして、常に後になってみなければ
気づかないようにできている「機会」なのだ。》  (“o(>ω<)o”))オシイー!! 
▼「あの時、もし、愚行をしてしまったら、どうだったか」を考えると、
 やはり留まる理由があったから。逆に「愚行の失敗の結果が現在の自分」
と思うと、これまた複雑な心境である。「踏みとどまって良かったのか、踏み
とどまらずに云々・・」などを考えることが、引きずっている男の哀しさ。
結婚を考えると、解りやすい! 男は強力な下半身のエネルギーによる愚行で
結婚相手の判断を狂わせ、一生かかって後悔する。その結果が世の男たちの、
 姿だが。「若気のいたりの愚行が無いのが一番の愚行、若気のいたり!」と、
今東光が身の下相談で言っていたが。
「いい女、いい男」は、「いい女、いい男に見えるため、思えるだけ!」
というのが解らず、家庭内離婚を含め、大部分が一生かかって後悔する。
人生の大部分が愚行で成立している。「絶好の機会」は「絶体的危機」だった。

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5833,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −3
2017年03月05日(日)
   * 現在も驚愕の日々が続く 〜ドローンで空撮
 昨年の秋に東京の葛飾に住む一回り年上のカメラマニアの従兄から、
「4kTVと、ビデオカメラが如何に素晴らしいか」を教えてもらい、寝室の
6年半使用のTVを少し早めに買換えた。当然、さほど余裕がない立場の身、
家内からの激しいバッシングを受けることに相成った。 従兄が語った
「私は進行ガンで老老介護の日々。生まれるのが10年早かった。ドローンに
8kカメラをつけて、名所の自然を空中から撮ってみたかった!」という悲鳴
に近い口惜しさが直に伝わっていた。そこで一月かけて、4kTVとは如何なる
ものか、家電店を10回近く見て回った。特に「ソニーの‘ブラビア’は別次元
の世界に誘う。4kだが実際は8kに近いしろもの」という殺し文句を数人の担当者
から聞くことができた。 人間の視覚を遥かに超えた4k・8kの画面は、現地
で見るより数倍に視覚能力を持つ。 TV検索によるネットサーフィンで昨日、
行きついたのが、
<ハネムーンに400日! BBCも取り上げた日本人夫婦の仰天新婚生活>の映像。
 そういえば、去年の暮れに話題になりワイドショーで取上げていた。
  〜ネット検索によると〜
【 「一生分の夫婦の話題づくりをしよう」
 そんな一言から、ある夫婦の壮大な旅路が始まった。関西国際空港から飛び
立った2人は400日をかけて地球を一周、48か国を巡った。2人は自分たちのこと
を「ハネムーントラベラー」と呼ぶ。400日間の世界一周旅行は彼らにとっての
新婚旅行だったのだ。新婚旅行で世界一周というのもユニークだが、彼らの旅
にはもうひとつ独特な試みがあった。行く先々でドローンを飛ばし、世界各地の
名所の空撮映像をSNSで公開していたのだ。これをイギリスの国営テレビ局BBC
報じたことによって、2人はいちやく有名人になった。千貴さんがネット上に
アップした一連の動画の合計再生数はいまや1000万回を超えるという。
400日間もの旅路は夫婦に何をもたらしたのか、そして夫婦を旅にいざなった
ものは何だったのか。2016年8月に日本に戻った。新たな生活を営み始めた2人に
話を聞いた。<ドローンから撮影した絶景はこちら> 】
▼ 従兄も、これを見たのだろうが、写真マニアなら実に無念のはず。
 私が50年かけて51回、合計延べ500日間、予算が3500万円。 
この二人は、予算500万で、400日。家賃3万円のアパートに暮らし、徹底した
節約生活を送り、2年でこの大金を貯めたという。それにドローンに4kビデオ。
何とも羨ましい限り。プログラマ―のため、仕事で路頭に迷うことがないという。
2人の行先の多くが重なる… 毎日、真昼間から寝室に籠り、異世界に入り込む
のも、変といえば変だが、それでも精神は異世界で羽ばたいている。
 〜で、再び、文脈が、去年の同月同日の内容に続く。
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5103,悪夢の21世紀 ー7
2015年03月05日(木)
    * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜�
   ー価値は、すべての観点から見たものに過ぎないー
 「価値」を、一つの点に修練される「遠近法」の、それぞれの立ち位置
 の観点でしかない、というのも面白い! 今まで「価値」の意味の解釈で、
 最も合点がいく。情報化で、それぞれが違った立居地から情報の受発信が
 出来るため、それが逆にニヒリズムを起因する。 
(13) ≪ 誰もが、広い意味で、何かの「専門家」になってしまっていて、
 特定の論点にしか関心を持てなくなってしまった。それぞれの観点を総合
 することが出来ないのである。かくて、我々の世界像は、巨大なピカソ状の
 壁画のようなもので、そこには統一もなければ、まともな論争も生じない。
 全てがちぐはぐだ。それこそ、ニヒリズムの特質で、ニーチェも言うように、
 ニヒリズムとは、統一も、目的も、真理も失われた状態である。≫
(14)≪『ではどうすればよいのか。このニヒリズムの時代には、残念ながら
 容易に答えなど見つけられるすべもないのです。ニーチェは、価値は、全て
 ある観点から見たものに過ぎない、といいました。確かな真理などという
 ものはない。ただ、様々なパースペクティヴ(= 観点、見方)があるだけだ、
 というのです。われわれは、結局、特定のある「パースペクティヴ」から
 見ているに過ぎない、というわけです。その意味では、誰もがある特定の
 専門家もどきにならざるを得ません。それはそうでしょう。そのことが悪い
 わけでもないのです。・・ 「パースペクティヴ」といったときには、
 すでにおぼろげながら、ある遠近法が忍び込んでいるのではないでしょうか。
 ある特定の観点、という自覚そのものが、おぼろげながら遠近法を想定して
 いるのではないでしょうか。少なくとも、様々な「パースペクティヴ」が
 バラバラになっては困るのです。それらの観点が文字通り、ひとつの点に
 収斂してくれなければ困るのです。・・この遠近法の収束点を与えるものは、
 やなり、我々の構想力以外には無い。この構想力は、決してグローバルな
 市場競争や大衆化した民主主義や新しい技術革新の延長上に置かれるもの
 ではありません。それらは、世界を一層混沌へと落し込むでしょう。』≫
(15)≪『そうではなく、われわれが、われわれの歴史的経験と文化を確認
 しつつ、しかも日常の常識(コモン・センス)に立ち返って将来の社会像や、
 よき生というものを構想する力というほかないでしょう。それは決して
 専門主義からは出てこないものなのです。一種の総合力と構想力なのです。≫
▼ ニヒリズムでは、世界は救われない。やはり総合力、構成力が必要である。
 民主主義、自由主義が正しいと信じてきて、今さら何を信じろ!というのか。
長くとも、10年先に生きているかどうかと、考えると虚無になるが、せっかく
地球に奇跡的に生を受けたのだから、知る限りの知識と経験を貪欲に求めて
やろう、と生きるべきだが。