『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著)
   * 輪廻転生を考える
 輪廻転生は如何だろう?『遺伝子学の論からすれば遺伝子が自ら生延びる為に
生物の身体を乗換えるという。 己の身体の中は、数知れない遺伝子から成り
立っており、己が消滅しても遺伝子は子供を通して次世代に受継がれる。
この身体は両親の結合で生まれ出てきた。宇宙開闢以来のたった一つの生命。
しかし、アナザーワンの一つ。輪廻転生は疑問だが、似た存在と、己と何が違う
というのか?」 しかし、父親の死をまじかにし、思いもしない霊体質を10数年、
持った経験がある。幽体離脱とか、幽霊らしき存在の実感とか… それもあって、
著者の『輪廻転生論』に共鳴するのだろう。面白いところでは、アフリカからの
帰路の飛行機内で似たような経験がある。疲れ切った中の夢で、自分の身体が
地面から浮遊していく。ハッとして地面に戻ろうとするが、機内の足元も消え、
空中をタダ独り、ふっ飛んでいる。その恐怖感は極限を超えていた。
 私より霊体質が遥かに大きい人の体験談、実感は、説得力がある。
これも、夢、霊感の言葉を切口にした‘内観’になる。
<内観ばかりしてないで、外観? をしてみたら> ていう貴方へ。
<外観しかできないアンタ、内観をしたら!>  野暮ですか?
  〜その辺りから〜
≪ 肉体で、現生にいることは確かに苦痛である。因果のサイクルから解脱
 しない限りわれわれはいつまでもこの世に生れてこなければならない。
この世は、神の国に入るための修行の場である。この修業の場で修行を怠れば、
永遠に神の国に入ることが許されず、魂までもこの世から消滅しかけない。
これ以上の不幸はどこにあろうか。肉体であろうと、魂であろうと、この宇宙
の何処かにあることは素晴らしいことである。肉体でいることがたとえ苦痛でも、
あの霊界に閉じこめられているよりましだ。果たしてどれくらの時間、霊界に
いたのだろう。… 
 神の国にいた者も選ばれたものでなければならないが、転生してくる者も
霊界の試験のパスをしてもう一度修行するためにこの世に、選ばれた者ばかり。
このように考えると、この現象界は魂を向上させるための場所であるともいえる。
われわれは過去世から因果を背負ってこの世に転生してきている。一日でも早く、
因果を帳消しにして神の国に入るべきである。その為に、神は善を与えている。
しかし、一方に善を試すために悪を与えている。
 輪廻転生のない唯物的な一回こっきりの人生なら神はわざわざ人間に善を
与えなかったはずだ。一回こっきりの人生なら好き勝手にしてエゴイステック
に生きればそれでいいはずだ。人間に理性があるのは人生が一回性でない証拠
である。たった一回で、人間は悟れないことを神は御存じだから、数多くの転生
を繰返す中で、善悪の何かを悟って、最終の人生で因果から解脱をして神の国
の住人になるのである。まことに気の遠くなる話だ。自分のことを考えると
怖ろしくなる。一体あと何度転生を迎えればぼくは因果のサイクルから抜出せる
のだろう。あの恐ろしい霊界に再び戻らなくてはならないのかと思うとぞっと
する。なぜぼくが霊界を恐ろしいかと思うかというと、現在の自分の本性を
よく知っているからである。なんともいやな自分である。こんな粗雑な罪深い
自我が霊魂になった時、霊界で体験するビジョンを想像しただけで、身の毛が
よだつ。『チベット死者の書』では、「汝は肉体を持っていないのだから、
たとえ身を切られようと恐れることはない」と諭している。
しかし、たとえ肉体がなくとも肉体感覚だけは残っているはずだ。よく夢の中で
体験する恐怖がある。あれに似た様なものだろう。いや、あれ以上に増幅されて
いるはずだ。人間は死ぬと天国か地獄に行くといわれる。天国も地獄も、その
人間の因果次第であり、全て想像が作るビジョンである。これはあくまで幻覚で
あるが、霊の世界ではすざましいリアリティを持っているはずだ。夢が幻想で
あるにもかかわらず強いリアリティを持っているように。… ≫

▼ 前準備を含めて50年以上の実務を終えて第二か、第三の人生を踏み出して
 7年間、心の底では輪廻転生を繰返していたような。因果応報のカエリ矢が、
次々と… これでも、後味の悪くなることは、極力、避けてきたが。
恐ろしい自分の言葉の刃が、自己被虐、自己嫌悪として向けられる。成るほど、
現生だけでは解決できないはずだ。 ヒトラースターリン毛沢東を考え合わ
せると分かるだろう。殺した数だけ、転生が必要である。生臭い彼らの魂が、今
でも漂っているとすると…。心に疚しいことは最小のはずだったが 娑婆娑婆!
 
・・・・・・
2001/12/19
[70] 夢についてー2
 「何か欲しい!とか、どこかに行きたい」といかいう夢と、夜見る夢との
共通点が非常に多い。トイレを探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいき
たい状況である。 次の夢は不思議な不思議な夢だ。‘母とか父が死んだ後も
自分のなかに生きている!’というが、私にとって、夢の中で、実際生きている。
痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が
私の中で事実生きているのだ。 ↓に以前書いた文章をコピーしてきます;。
――
H0511
妙な夢―(?)
・ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。
ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
・また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!
直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていた
と思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
・こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と
音がする。しかし夢ではなかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ
現象があるそうです。 2001/07/02
――
2001/12/19
[69] 夢について−1
 夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。
年に一〜二回熊に追われている夢を見る。熊に追われて二階‐三階の部屋に
逃げるが、どこまでも追いかけてくる。そこで目がさめるという内容である。
熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。誰も?経験する
夢のようだが。 一度凄い夢を見た。
 以下、10年以上前に社内報に書いた文章をコピー。
ーー
霊的体験‐                 
平成4年 7月
 二十年近く前になるが、父の死後の四九日まで何度か不思議な体験をした。
死後一週間後位か妙な夢。私自身が父の気持になり “死にたくない。もっと
生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢。
 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身で、実感できたのである。 父が‘なんだ自分はこうして生きているでは
ないか’という内的実感。夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった
という不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからない。
 その二〜三日後の夢も強烈な夢(?)。何やしら強烈な恐怖感が覆ってきた。
その時、父のベットで寝ていたが、思わず“おやじ助けて!”と言った瞬間、
廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が足をひっぱられた瞬間、ベットに
しがみついた。 その時、隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事が多くある…。 
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。                                      2001/06/30
ーー
2003/04/25
不思議-シンクロニシテー
・以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で
不思議なことがおこることが多い。不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回
はある。先日も葬式から帰った後に散歩にでると、過去15年以上を散歩をして
いるコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。
 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時のこと。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、その下
を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論
はじめてである。 
・前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前、近くの分家にあたる従兄が自死
した時のある現象である。納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が
舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになっていた。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。
天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、納棺の時間が偶然に
一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。
こういう現象を、ユングが「意味ある偶然の一致」といっている。
・涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。
それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。自然に囲まれた地方に
おきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない!
――
H0511妙な夢―(?)  
・ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとする
が半睡眠状態で身体が動かない! 起きよう起きようとしているうちにスーッと
身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周しても
どってきて布団に入る。ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
・また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい
と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?
何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
・こんな事もあった。これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音が。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、夢ではない。
当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。
――
H0511妙な夢―(?)  
秋葉原ワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、何かの気配に横を見ると
女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕を抓ったが痛い。 これは面白いと、
じっくりとみた。 全体が白光色の黒髪の27-8才位の、のっぺらした美人。別に
恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に、
会社の人にその話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!”
といわれ、はじめてゾーッと。
・またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、
ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断。
あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
・その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという。
これも乗ったら危険と直観し去けた夢。あれに乗ったらどんな景色がみえた
のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な実感があった。