* “2・6・2の法則”
 パレートの法則と似ているが、
これは人間組織に焦点を当てている。
  •優秀な人が2割
 •普通の人が6割
•パッとしない人が2割 
▽ たしかにそうだ…。考えみるに、人間の本質の各要素にも言える。
 さらに、生き方の要素、‘遊び’‘学び’‘働き’の比率にも当てはめる
ことも出来る。その年代により、その比率は変化して当然。20代なら、遊びが
2割、学び6割、働き2割。還暦過ぎれば、遊び6割、学び2割、働き2割とか。
理屈など、どうでもたてられるが… 
――
   * “78対22の法則”
 世の中は、すべて78対22で成り立っていると言う法則。
 古くからユダヤ人の間で伝わる格言。
•空気中の成分は、窒素約78%、酸素・二酸化炭素等その他の気体が22%。
•22%の人が78%の売上をあげている。
•肺呼吸と皮膚呼吸の割合は78対22
•人間の体は、水分78%、その他22%
•地球の海の割合は78%に対して陸地が22%
▽ これもパレートの80:20の法則と、“2・6・2の法則”に似ている。
 “78対22”の比率に、自然界の何かがあるのか。
――
   * ハインリッヒの法則
1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、
その背景には300の異常が存在するというもの。
 重大な事故:1
 軽微な事故:29
 ヒヤリとするような事故:300
▽ 人生一般にも言える。逆に、成功や機会についてもいえる。博打や、事業
 の成功の背景には膨大な失敗がある。まずは量から入り、質を上げていく。
年齢のためか、軽微な事故や失敗について思い出す。その1つでも重大事故に
なっていたら!が、次々…と。とすると、重大事故は、必然だったのか。

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5702,自分のための人生 〜?
2016年10月25日(火)
   * 不安に感じるより、まずはやってみる
 20歳で、両親のような「創業」を決意、それ以来、その影に怯えながら、
何とか不安を乗りこえてきた。前向きに暗闇の未知の世界に向かって踏出す
恐怖心は、誰にもある。そこで、「その時は、その時!」の言葉に従い、
その都度、具体化をしなければならない。
 人は、失敗を恐れるあまり、新しいことに挑戦するのをやめてしまうが、
転がってしまえば、じぐざぐでも、前には進む。
「失敗と、成功の経験の積み重ねこそが、成長の土壌」になる。面白いことに、
ドン底にこそ、小さいチャンスの糸が見えてくる。それも準備があればこそ、
糸先が見える。 まずは、不安を乗越えて一歩踏出すこと。これは、事業でも、
秘異境旅行でも言えること。 
 人生は生きている最期までがプロセス。その時点時点で、選択した項目に
全力を出しきること自体が、節目を強くすることになる。『面白かった!』
の実感が、何もかも吹飛ばしてくれる。 畜群には、それが見えない。
 今ではネット・ゲームやマネジメント・ゲームがあるが、自分を博打の駒
にする醍醐味に到底及ばない。 いや、今では、その方が遥かに面白い?
 何れの石ころも、遠目でみれば、カタチと、大きさが大小の違う砂利。
としても、生きていくには砂利なりに前向きでなければ?
 事業も、秘異境旅行も、その都度、不安を乗越えた一歩から始まる。
≪P・200 未知のものを避けているとき、自分のその行為に気づく
 ことが大切だ。その瞬間に自分自身に言い聞かせてみよう。
「人生、必ずしもいつも、自分の行き先がわかっていなくてもかまわない」と。
<型にはまっている>と気づくことが、それを変えていく第一歩である。
 少し冒険をして、型にはまったやり方から抜け出してみよう。
何の予約もせず、地図も持たないで、行き当たりばったりの休暇を過ごすのも
いい。何が起こっても、自分を信頼して事の処理に当たるのだ。
たとえば、新しい仕事の面接を受けてみる。あるいは、「よくわからない」
「理解できない」と言って、これまで避けてきたような人と話してみる。
 自分の偏見を疑問視してみると、そのために自分が何の進歩もなく、
おもしろ味のない人間であることが、すぐにわかる。
自分とは違うタイプの人に多く会えば会うほど、今まで自分がどれほど損を
してきたか、自分の恐怖心がどれほど愚かだったか、よくわかるだろう。
これを見抜くことができれば、未知の世界は避けるべきものではなく、
むしろどんどん探索すべき場所になるだろう。・・ (中略)
覚えておいていただきたい。人間にかかわることは全て、自分と無縁でない。
自分にその気があれば、何にでもなれる。このことをしっかり心に刻み込んで
おき、安全で逃避的な行為に陥ったら、思い出そう。
失敗を恐れる気持ちは、往々にして、他人の反対や嘲笑に対する恐怖心。
 他人には他人の考えがあってけっこう、自分とは関係ない。このように、
自分の行為を他人の言葉ではなく、自分自身の言葉で評価しよう。
自分の能力は優劣で決まるのではなく、ただ他人とは違うというだけである。
            < 『自分のための人生』〜6章 > より ≫ 
▼ 人間は「習慣」で動く生き物。それを利用して、一日の行動スケジュール
 の質量を、数ランク上げれば、それが第二の天性として身についていく。
 新しい時節に新しいことを始めるには充分の準備が必要となる。そして、
 いざ踏み出し繰返すと、思いのほか、スムーズに動き出す。
  畜群をネット辞書で検索すると
【「畜群」- 意味(独)【Herde】「ヘールデ」
 「超人」を理想とするニーチェが指摘した 集団から突出することを恐れる
 人間の特徴。 囲われた群れから孤立することを嫌い、欲望を抑えて、
 利他的に努める性質...】とある。所詮は、何れも石ころは石ころ、砂利で
 しかないが、それを自覚出来ているかどうか? 出来ていれば、石群から
 離れ、急流に身を置き、面白可笑しく転げまわるだろうに。畜群でしかない
 自分の石(人生)小ささを、日々、面白がっているに過ぎないが。
  ところで、畜群の人生、何が悪い? 「和して同ぜず」でなく、
 「和して同じる」のが悪いからか。付和雷同が一番悪い。良しとするのが、
 「畜群」ということか。ネット世界には「ネット畜群」なる生き物もいるが。

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5337,本当に、数字は「ウソ」をつかないのか?
2015年10月25日(日)
              〜『考える練習』 保坂和志
  * 一面だけの情報なら、それは正確とは言えない
 マスコミの報道は、ニュースという短期間の視聴者の関心を惹きつけるのが
仕事のため、どうしてもオーバーな報道をしたがる、そこに、大きな誤差が出る。
現在問題になっている、2cmの杭の段差問題が、それである。哲学書を読み
続けていると、こういうニュースの欺瞞性が見えてくる。たまたま、図書館で
見つけた、以下の内容が、正に、それを言いあてている。〜その辺りから抜粋〜
≪ 消費税を上げなくてはダメだという理由に、年金問題がある。
 年金は何十年か前は8人で1人を養っていたのが、いまは3人で1人を支える
「騎馬戦状態」だと言われている。 それも2050年頃には1人で1人を支える
「肩車状態」になるという。だから税収を確保しなきゃいけないというんだけど、
でもそれは年金だけを見たときの話でしょう。たとえば70年代は、家族を考えて
みた場合、専業主婦のいる家庭に子ともが1人か2人だったわけだから、1人の
働き手が最低2人養っていた。いまは共稼ぎで子ども1人のところも多いじゃない? 
子どもが2人いても共稼ぎ家庭なら1人で1人を養うことになるし、一人っ子なら
0・5人しか養ってない。うちなんかは、子とも0だ。猫はいるけと。
 そこに年金が肩車状態になったって、1人増えるだけじゃん。それならいけない
はずはない。だからここには考え方の誘導があるんだよ。誘導があると、みんな
その流れの中でしか考えなくなってしまう。いちばんわかりやすいのは、労働
人ロの割合だと思う。全人口に対して労働人口の割合が増えてることだけは
間違いないんだよ。それなのにお金が足りないというのは、一人ひとりの給料が
安いからでしょう。大企業が消費税に賛成している理由は、正社員を減らして
正規雇用を増やして賃金をもっと減らしたいからと思うんだよ。だから、
消費税増税はいまの人件費削減の流れの後押しになる、ということなんじゃ
ないかと思う。情報を一部分だけ出して、いかにも根拠があるかのように統計
を見せて、「数字はウソをつかない」とかって言っても、一面だけの情報なら、
それは正確とは言えないよね。タバコの発ガン率とか、メタボの人が脳卒中
になる確率とか、運動不足の何とか率とかって.いろいろ出てくるじゃない。
これをしている人はそれが15%上がる、30%上がるってさ。でも、もともと
そういう症状になる人が全体の何%いるかまで出ていない限り、何%増えようが
減ろうが、説得力はないはずだよ。この店で宝くじを買えば当たる率が30%
上がるっていったてじゃあ買おうって人はいないよね。宝くじなんてもともと
当たらないんだから。タバコを吸ったら肺ガンになる確率が30%上がりますよと
言われても、一生のうちに肺ガンになる確率が5%だとしたら、それが30%増え
ようがたいしたことはない。まあ数字自身は「ウソ」をついてはいないのかも
しれないけど。気が利かないだけで。じゃあ、それは厚生年金で、国民年金
話と混同してる?そうかもしれないけど、国民年金と厚生年金の一体化とかも
言ってるんだからいいんだよ。≫
▼ 自頭で考える訓練をしておかないと、マスコミの、世間の好い加減な
垂流し情報をそのままを信じ込んでしまい溝沼のボウフラに陥る危険がある。
9割以上が、上記のような情報のため、一線を画さなければならない。
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4972,閑話小題 ーツアーゲームの醍醐味 〜�
2014年10月25日(土)
  * ツアーゲームの醍醐味
 ツアーは、ツアーゲームという方が、その本質をついている。
  ーネット辞書によると、
≪ ツアーとは、基本的にはパンフレットやインターネットサイトなどで
 宣伝して旅行者を募集し、旅行代理店で旅行契約を締結し代金の収受を行う。
行程表に従った団体行動で集合場所から解散場所まで全行程に添乗員が同行する
形態が基本であるが、1990年代からは添乗員が同行せずに所定の往復の交通と
宿泊(に加えオプショナルツアー)で構成されるフリープランが台頭し、
旅行者のニーズに合わせて選択できる。
 :利点として
・添乗員が同行するパッケージツアーでは、現地での不安感が少ない。
・比較的多くの観光名所を観光バスなどで短時間に効率よく周遊出来る。
・現地の情報の事前収集がされているので、参加者は、情報収集のエネルギー
 が少なくて済む。
・団体料金が適用されるため、自由旅行や手配旅行より旅行費用が割安な
 ケースが多い。
・旅行業者は3つの責任(旅程管理責任、旅程保証責任、特別保障責任)
 を負うため、手配旅行に比べて安心。
 :欠点としては
・観光ルートが時系列で細かく設定されており、せわしなく感じる場合がある。
 また、自由時間が少ないため観光内容に物足りなさを感じることもある。
・行動の大半を他の参加者と共にするため、煩わしく感じる場合がある。
・近年、格安航空券やホテル代の割引が個人客にも開放されており、自由旅行
 や手配旅行の方が安くなることも少なくない。特に1人参加で1人部屋追加
 料金を支払う場合はかなり高くつく。また、辺境地をチャーター便や
 貸切バスで周遊するツアーも高額になりやすい。
・土産物店や免税店に何回も立ち寄らされることがある。現地での観光を
 放棄する方法もあるが、ツアーによっては認めないものもある
 (土産物店等が旅行会社と契約してマージンを旅行会社に払っている)≫
▼ 以上だが、一般的にツアー旅行は、フリープラン派と、パッケージ派に
 分かれる。49回のツアー経験から、フリープランでの現地代理店との直接
交渉のパックは、旅行代理店の裏づけがないため、現地の ガイドの好い加減な
扱いが多い。少し窮屈でも、私はパック旅行にしている。アフリカとか南米
専門の弱小旅行代理店は、(何度かの経験からみて)やめた方がよい。
マニュアルと、チェックリストが皆無のため、添乗員の劣悪な扱いを受ける
ケースが何度かあった。代理店は、それぞれ客層を絞っている。その時々で、
代理店の浮き沈みが激しい業界である。JTB日本旅行、近畿ツーリスト、
HIS、阪急旅行社の順に重心が移動している。自分は何を旅行で求めるかで、
その相手先を決めるが、私の場合、値段と行き先の内容になる。
 ツアーゲームは、私にとって最高の遊びであり、別腹の多くの体験と感動
が詰まっている。それぞれのツアーの延長が、TVやブログで見るなどしながら、
今も続いている。その度、新たな経験がある。
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4605, 閑話小題 ー今回は、い〜かな
2013年10月25日(金)
   * 「今回は、い〜かな!」
 一昨日の夜、家内のところに、柏崎の中学同級会の誘いの電話が入った。
その後、家内が言うに、「去年、出席したばかりなので、今年はい〜かな、
とヤンワリと断った」と。そこで、当意即妙に「せっかくだから、『い』
を付けたら!」と言うと、「何のこと?」と、のたまう。「『い』をつければ、
いかないー行かない」だろうと教えても、何かボーとしている。そして暫くして
「あっ、そっか!」 それで、本人は笑ったが、ジョークに鈍い御人は、
こういう言葉の彩の面白さに反応しない。 以前、何処かの居酒屋で、
店主が「今日は、真イカしか、ありません」に、「ま、いいか」と駄洒落を
飛ばしたが、全く反応をしなかった。同席の三人はお愛想笑いをしてくれて、
何とか場は持ったが・・ ま、いいか! 「今回は、い〜かな!」は、巧い
断り方。営業のプロなら、「じゃあ、次回は必ずお願いしますね!」というか。
   * ぽっくりシューズ
 子供の頃、女の子が、ぽっくり下駄を履いていた。ウィキペディアのよると、
『ぽっくり下駄は、日本の町方の子女の履き物。舞妓や半玉、花魁や太夫につく
「かむろ」の履き物でもあり、七五三のお祝い履きにも使われる。』とある。 
 新しい自転車を購入して一ヶ月経つが、一時停車の時、足のツマ先が地面に
ギリギリ。スポーツ自転車の停車の時、サドルの前に腰を出し、女またぎで
両脚をつくのが通例。(そこまでサドルを上げておく)だが、緊急停止の場合、
短身もあり、2〜3センチ足りない。日が経つにつれ、その下り方に慣れては
きたが、やはり不安で、厚底シューズを検索で調べ、アマゾンから購入した。
送料込で3900円。早速、送られてきた現物は、何と、ぽっくり下駄にそっくり、
ウォーキングをスムースにする健康シューズ。つま先の厚さは、普通のシューズ
と変わらないし、踵部分が削られ、中央が膨らんでいる。失敗かなと思いつつ、
履いてみたが、何とか停車時に安定してつき、一応は、合格。
 その後、いつもの通り大手大橋を15分ほどヒキチャリウォーキングをしたが、
姿勢を正して歩かないと不安定になる。 足元が三分の一しか接しないため、
姿勢が良くするしかない。まだ慣れてないため疲れが残るがウォーキングに最適。 
自転車以外は珍妙な型のため、普段は履けない。踵から脚を踏み込み前に重心
移動すると、楕円形のため勢いつき身体が移動しやすい。よく考えたものだが、
自宅の2Fへの階段で、後ろに重心をかけ、げ落ちそうになった。
・・・・・・
4230,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー5
2012年10月25日(木)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  * 特産品を混ぜ合わせて偶然生まれたマヨネーズ
 高校時代の夜食に、冷めたご飯をバターで焼いて、それにマヨネーズと
塩をかけて食べていた。それが、お新香と食べると、やけに美味しかった。
マヨネーズが生まれるに、やはり歴史があったのである。
≪ 日本人に人気の高い調味料の一つ、マヨネーズ。何にでもマヨネーズを
 かけて食べる「マヨラー」という人もいるくらいだ。その起源をたどると、
18世紀まではマヨネーズというソースは存在しなかことが判明している。
マヨネーズが誕生したのは、イギリス海軍の拠点だったメノルカ島の小さな
港町・マオンにフランス軍が攻撃を仕掛けたことがきっかけだ。
フランス軍を率いていたリシュリュー公爵は、終わりの見えない戦いの合間を
縫って、マオンの街角を訪れた。城塞付近の前線では激しい戦闘が行なわれて
いたが、一歩街に入ればそこは平和な田舎町。リシュリューはひとときの安らぎ
を求めたのか、目についた一軒の料理屋に立ち寄った。戸惑う料理人に、
リシュリューは「何かうまいものを食わせてくれ」と注文。
料理人は肉を焼きながら、マオンの特産品であるオリーブオイルとレモン、
ワィンビネガーを使ったソースを作りはじめた。しかし、これだけで公爵が
満足するか不安に思った料理人は、少しでも料理をグレードアップさせたい
との思いから、島の名物・メノルカ鶏の卵をそのソースに加えた。 
マヨネーズがこの世に誕生した瞬間である。そのおいしさに驚いたリシュリュー
がレシピを持ち帰り、マオンのソースという意味の「マオンネーズ」として
マランスに伝え、やがてこれがマヨネーズと呼ばれるようになった。 ≫
▼ マヨネーズといえば、キューピーマヨネーズで、他のマヨネーズは、
 不味く感じて当分の間は舌が受けつけなかった。これとケチャップも、
冷や飯と一緒に炒めて食べていた。チャンハンの具なしというもの。
 ・・・・・・・
3865, 嘘みたいな本当の話 ー3
2011年10月25日(火) 
 * 財布    「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 
10歳のときから、いままでの28年間に8回財布を落としました。そのうち6回は
誰かが拾ってくれて、返ってきました。日本はよい国だと思う。 東京都 マキ
  * 傘
 ある雨の日、両親は車で買い物に出た。しかしなかなか帰ってこない。
聞けば、帰り道にパス停で、濡れながらバスを待つサラリーマンと目が合った
のだという。そして、かわいそうだったので「よかったら入ってください」と
声をかけ、自宅まで送り届けてきたそうだ。こんな東京でそんなことしている人
見たことないよ、と私は呆れた。 翌日、私はバイトに出かけた。
地下鉄を降りると、外はゲリラ豪雨。傘はない。濡れるのはいやだけど、
バイトに遅れるわけにもいかない。覚悟を決めて人混みのなかを走りかけた
とき、背後から声をかけられた。 「よかったら入ってください」
見知らぬ若い女性は、小さな折り畳み傘の右半分に私を入れて、
バイト先まで走ってくれた。ー東京都 佳恵
 〜〜
 再び、私の体験談だが、30年近く前の話。家内の実家が建材店をしており、
年に一回、取引先を招待して倉庫で、展示会をしていた。そこには古物商、
ラーメン屋など20軒ほどが軒をつらねていた。その古道具屋の仏像の中に、
20センチ位の大きさの象牙阿弥陀仏が目に入った。値段を聞くと45万円。 
買う気がないので冷やかしで、「25万円なら買うけど・・」というと、
ケンモホロロに断られた。そこの娘婿とは知らなかったようだ。
で、そんなことをスッカリ忘れてしまった2週間後に、25万円の請求書
とともに、その仏像が直送されてきた。何気なく、その仏像の台座の下を
みると、何と、私の家内の「恵子」という名が刻まれていた。もちろん新しく
刻まれたものでない。 それが仏像師のものか、それを造らせた人の名か、
亡くなった娘?のものかは分からない。 そこには、たまたま知人がいたが、
私よりも驚いて、「私の直感だが、直ぐに寺に納めたほうがよい」と、顔を
青ざめて忠言してくれた。仏像は精巧に彫ってあり、数珠の玉まで細かく
見えるほど。中越地震のおり、その数珠が破損してしまったが、これも因縁。 
今も仏間にあるが、家内は一切、「お金が勿体無いだけ」と、興味なし!