[読書日記・映画感想]

            「老人の壁 :養老孟司 , 南 伸坊 (著) 」
   * 生まれ変わる快感!
 人生とは、「生まれ変わる快感」が突き動かしている、という切口で振り返え
みると、納得する。
・21歳の7月の30日の欧州旅行で、の固定観念の壁が崩れてしまった。
「世界は広く、深い」という実感。あの時に、生まれ変わっていた。
・翌年、武澤ゼミで、ケーススタディで、現象の中にある真理を科学的に解明
 する訓練を一年間受けた。当時のわたしにとってベストの経験であった。
・いま流行りのオープンハウスに近い25人の寮生活。他者の私生活と内面そのま
 まが現われ出る中での、互いの葛藤の経験も生まれ代わりの一つ。
・それから51回の秘異郷を中心とした旅行も、その都度、「生まれ変わって
 帰ってきた」。ロッキー山脈を遠望して、「何、これ! ここは地球?
 これを見ないで死ぬと死なないとは天と地の差。それにしても!」と…  
 40、50歳代に、このような感動を数多く出来たのは、「生まれ変わる快感」
 の味を知ったため。このブログの記述と公開も、日々、生まれ変わるため。
  〜その辺りから抜粋〜
≪(南)真面目な人は、お手本通りにやろうとする、そうするとうまくいかない
  ことがストレスになったりする。いわゆる評価じゃないものが見えてくれば、
  やっている途中も、やっていること自体が楽しい。そういう、自分が楽しむ
  方向を見つけられればいいですね。
(養老)自分が知らなかったところに行き着けば、自分が変わり、世界が突然、
  変わってしまう。「それまでのわたしは、そのことを知らなかった」という
  発見です。世界は広くて、そんなことはたくさんある。それを覚えると、
  年を取らない。だってそうでしょ? しょっちゅう生れ変わってんだもの。
(南)世間で言われる正解というものがあると思うから、つい後ろの解答ページ
  をみてしまう。それをやると、もう楽しくなくなる。僕は「わかった嬉しい」
  と思っていたけど、今までと違う人になることが嬉しいんですね。
(養老)虫なんかしょっつう見ていると「ええ?こんなふうになっているよ!」
  と仰天する。病みつきになって、やめられない。1人でいて、ほっておかれ
  ても何も気にならない。 …
(養老)本当は、勉強や学問ってそういうもので、自分が知らなかったことに、
  気づくという、それだけでなんです。そういう楽しみを持たない人が増えた
  としたら気の毒ですよね。今の親や教師に真面目な人が多いから、その快感
  を教えられる人が少ないんじゃないですか。
(南)それまでちゃんとした答えだけでやってきた人が先生になってしまうと、
  それは教えられないですね。正しい答えじゃなくて、わかった!ってときの
  快感ですもんね。
(養老)案外、古典なんかにちゃんとあって、ゲーテも「死んで生まれ変われ」
  などと書いています。前の自分がいなくなって、新しい自分になるという
  ことです。確かに近代生活の中できちんと生きていたら、そういう楽しみは
  妨害される可能性がかなりたかまる。学んだり発見する喜びは内面にあって
  他者の評価によらないし、それが人を若々しくしたり幸福にするというのは、
  当り前のことなんでしょうけど。 ≫

▼ 書き続けていると、そして、同月同時の過去文を読返していると、当時の
 己と、現在、読返し、時間をおいた自己対話が「自分」ということに気付く
ことになる。そこに年々、生まれ変わっている「自分」が見て取れる。知らない
人からみたら、今でも内面は激しく変わっているのだから、「大変な人」だが、
それが至極当然のこと。穴倉も、岩場の外の、内海も、外海も、大して変わりは
しないとはいえ… 少々、危険でも、外海も出ればこそ、何らしか、想像を
絶した世界が広がっている。 

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5683, 豊洲市場とオリンピック問題の共通項とは
2016年10月06日(木)
   * 豊洲市場とオリンピック工事の陰から見え隠れするのは
 豊洲市場設計事務所の交代と、盛り土をせず空洞を設けた変更に、
ゼネコン・シンジケートの策謀を感じとったのは、私だけではないはず。
それに東京オリンピックが当初見積もりの4倍に増加というから、空いた
口が閉まらない。ゼネコンと、都庁職員と、政治家が、阿吽の呼吸で仕掛けた
構造汚職の一端と思われる現象である。 これは設計変更が誰の利益になるか
をみれば自明のこと。これが全国各地の公共工事で横行していると推察される。
  〜ネット検索で「盛り土問題」で調べた結果、明確な内容があった。
<(Q)・移転の延期や盛り土の問題が出た経緯は?
(A)・築地市場豊洲市場への移転は、当初11月7日に予定されていました。
 小池知事は、市場の敷地内の水質調査の結果が出ていないことなどを理由に、
「安全性の確認を最優先に行う必要がある」として、先月31日、移転の延期
を表明しました。そのうえで、水質調査の結果が出る来年1月以降、改めて
移転時期を判断することにしていたさなかに、盛り土が敷地全体では行われて
いなかったことが発覚した。 それまで東京都は、およそ40ヘクタールある
豊洲市場の敷地全体で行われたと説明していました。地下2メートルまでの土壌
をすべて取り除いたうえで、きれいな土で埋め戻し、さらに盛り土を重ねること
で高さ4.5メートルの、きれいな土の層を造成したとしていたんです。
ところが、実際には建物の地下は盛り土をせず、空洞を設けていました。
安全対策の要といえる盛り土がなかった、都民・国民に安全性をアピールする
ため行ってきた説明が事実と違っていた。このことから特に、万全な対策を
信じて移転を決めた市場関係者は裏切られた思いを強めています。
(Q)・なぜ専門家会議の提言に反して、盛り土が行われなかったのですか?
(A)東京都の調査によりますと、土壌汚染対策を担当した都の技術系の職員
たちは、「今後、豊洲市場で新たに土壌汚染が確認された場合、重機などを入れ
対策をとるためのスペースを確保する必要がある」などとして、建物の地下には
盛り土をせずに空洞を設けたと説明しているということです。
(Q)・なぜ盛り土がないと問題なんですか?
(A)・絶対に盛り土がないと問題というわけではありません。
土壌汚染対策法の運用指針では、汚染された土壌は厚さ10センチを超える
コンクリートで覆うことを基準として定めています。豊洲市場の場合、それぞれ
建物の1階の床は厚さ35センチほどのコンクリートで覆われています。
このため東京都は対策自体は行われていると説明しています。対策のしかたには、
さまざまな方法があるというわけです。・・・ >
▼ ゼネコンに有利な?設計変更が、近代国家の首都で堂々と行われていた
 とは驚き? 前の二代の知事だったら、表立たなかった可能性が強いし、
今回の知事選で他の知事だったら、同じだろう。とすると、内部告発が多く
リークされて当然。構造汚職で政財界が根こそぎ大混乱が起きる可能性がある。
ブラジルと何か似ている。 だから、首相が早期解散論をチラツカセ始めた。
アベノミックスの象徴が『東京オリンピック』。それは、公明正大に構造汚職
罷り通る世界である。 国家破綻への下り坂とは、こういうもの? 
 太平洋戦争は、とっくに終わったのに、復活景気が終わったのに、復活に
従事した政治家の二代目が、親のコピー政策を繰返すしか策がないとは! 

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5318, そもそも教養とは何だろう
2015年10月06日(火)
            〜『世界の哲学・思想』小須賀健著より
  * もっともっと本を読んでおけば良かった
 学生時代の卒業まじかに、「もっと読書量をこなしておくべきだった!」と
気づいたが時が既に遅し、ノイローゼ気味になり留年さえ考えた。しかし、
まず一度社会に出てから考えることにし、その代わり、一日2〜3時間の読書を
自分に課すと決心、それが現在まで40数年続いている。それが学生時代の一番
の収穫だった。 今から振返って、学生時代の砂場には数知れない経験が
詰まっていた。 〜哲学入門的な本の冒頭に以下の内容があった〜
≪ なぜ私たちは、一人前の大人になってから「もう少しまじめに学校の勉強
 をやっておけばよかった…」と反省したりするのでしょうか。 じっさいに
学校にいたときには、「こんな勉強がなんの役に立つのかさっぱりわからず、
まじめにやる気になどなれなかった」という人が(私も含め)ほとんどでしょう。
 では、大人になってから、もう少しまじめにやっておけばと反省するのは、
社会に出て勉強の必要性が身にしみてわかったからなのでしょうか。
どうもそのようには思えません。どんな職業であれ、「自分の仕事に学校の
勉強が役立った」と確信した、などという話はあまり聞いたことがありません。
義務教育で学ぶ勉強が実社会で役に立つはずだ、という思いこみがまったく
幻想であることは、みんな分かっています。社会で要求されるのは、効率よく
仕事をこなすこと、あるいは無駄なく目の前の課題を片づけていくこと。
こうした日々を送っていると、逆に学校時代における学習という行為が、
そのような効率や目的から自由であったことが理解できるはずです。
 古代ギリシアの人々は、人口の二倍にもおよぶ奴隷に基本的な生産労働を
行なわせることで、少なからぬ時間的余裕を謳歌していました。
ただ、彼らはこの余暇の時間を、漫然と過ごしていたわけではありません。
こうした時間を使って、自分を磨く、あるいは教養を高めるといった活動に
励んでいたのです。この「余暇」をギリシア語で「スコレー」といいますが、
この語が英語のスクールの語源であることはなかなか示唆的です。
 おそらく、もともと学ぶという行為は、生産性とか利便性といった功利目的
からは隔絶されたものだったのです。今私たちが、学校時代を振りかえって
ちゃんとやっておけばよかったのにと後悔を覚えるとき、そこでイメージされて
いる勉強もおそらくそのようなもの、つまり功利性とは無縁に過ごせた時間
への郷愁なのではないでしょうか。
 しかし、じつさいの学校における教育はどうでしょう。学校は、社会とは
区別される領域でありながらも、社会への通路でもあるために、社会一般の
価値観がその中に侵入してしまいます。そのため勉強するのはいい大学に入る
ため、あるいは楽な人生を送るためといった功利的な発想がすでに蔓延して
います。私たちが外から夢想するほど、学校での勉強はうらやましいものでは
ありません。たぶん学生のころにもっとちゃんとしていればよかったと振り
かえって後悔する人は、仮に今それが可能になったとしても、同じことを
繰りかえして漫然とときを過ごすだけでしょう。そのときにできなかった人は
今もできないままなのです。それなら振りかえるのはやめて、今からしたい
ように勉強すればいいのです。逆に後悔しても、そのときは勉強できるような
余裕も環境ももてなかったという人もおられるでしょう。そういった人たちも
含めて、何かの役に立つとか、なにかのためにやるとかといった一切の功利性
から離れて、学問(ここでは哲学に限定ざれますが)と向きあってみたいと
思われる方に、すこしでも参考になればと思って書いたのが、この本です。≫
▼ リタイア後から、私レベルだが、読書の質が少しだがアップした感がする。
 学生時代に読んだ本で、社会に出てから自分を支えてくれたのは、効率とか、
創造工学とかいう内容のものより、何かに迷い、吹っ切るために、孫子や、
諸子百家、聖書、仏教書、漱石、鴎外、川端全集などが、面白く没頭して
読んだ本だった。 確かに、ドラッガーの『集中、得手に帆を張れ、内部より
市場に焦点を!』などの知識も、役にたったが・・ で、このザマ。 
 何にも社会経験のない純真なまっさらな時節に、何も捉われることなく
読んだ本こそ、独り彷徨う中で、強い指標になっていた。「逆境に根を、
順境に枝を張れ」というが、その栄養分の元は実体験と培った知識である。
人生の晩秋に枝の葉は枯れても、枝として残る。この年齢で、たわわな
葉っぱを求め、枝を張ることしか知らない人を無知の人という。 
要するに、あのケモノの臭いの強い『世間人』。
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2050年の世界 ー15  
2014年10月06日(月)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   第十章 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか ーのまとめ
・世界的な高齢化によって、年金と健康医療費の増大は、国家財政にとって
 大きな負担になる。
社会保障費の増大は、防衛費や教育費など国家にとって欠くべからざる
 分野の予算を圧迫してきている。
・先進国のみならず、新興国もインドを除いては、社会保障費の増大に
 ともなう国家財政の悪化の懸念がある。
・しかし、そうした国家財政の悪化は、改革によって防ぐことができるもの。
・年金については、雇用期間の延長、あるいは、富裕層には選択的に
 支払わないなどの措置がすでにとられつつある。
・健康医療費については、オランダのように、貧困層や弱者には、政府が
 援助をし、そうではない部分で、民間の医療保険に市場を開放するなど
 して、費用削減の効果をすでにあげている。
・ベビーブーム世代の年金の受取額は一人ひとりは大幅に減ることになる。
 しかし、それで、一回きりの費用増大のショックをやわらげることが可能。
開発途上国では、将来の高齢化を見こして余裕のあるうちに、年金の賦課
 方式から積立方式への転換が比較的容易に行なわれるだろうし、そうした
 措置をした国家は、将来に備えることができる。
・政府借入金の急増の余地を残すために債務を低く保つ、戦略的な財政備蓄の
 確保の必要性がある。未来の国庫は、例えば気候変動に伴う極端な気象現象
 による災害に備えての自然災害税など、多数の財源を持つことを要求される。
▼ この問題が、日本の将来の最大のネックになる。富裕層と、有能な若者は、
 日本を見限り移住するだろう。問題は、少子化と高齢化である。そして、
一部の富裕層が富を独占する歪な社会が、世の中を不安定化する。40年でなく、
あと10年もしないうちに、国家財政の破綻と、非常事態宣言が行われる
ことになる。それが、数年先かも知れないのである。
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 4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力
2012年10月06日(土)
  * ライオンの魂       「異郷日記」西江雅之
 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく
惹きつけられるものばかり。アフリカでは、今でも魔術が信じられている
ところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つー
≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで
 生活をしていた頃のこと。村人の話によると、雄のライオンのなかには、
死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の
姿勢を保っている状態では、ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に
吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。
ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間に
ライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは弾丸並みであった。
そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。
まことしやかに話すというのではない。本気で語っているのである。
東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。
それを家に置いておいたり、携帯していたりすれば、戦争に行っても
弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・
などなど、如何なる災害からも身を護ってくれると信じられている。
ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。
直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それは
どうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで結石のようになった
もののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって
近所の人にそのことを話したら、なんということか、その後の何日か、
わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを
手に入れた途端に、それまでは一度もなかった害の恐しさを経験する
ことになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める
人心を惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫
▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、
 購入して所有したことがあったが、何故か不幸が続いて気持ちが悪くなり、
売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に
残っている。私の高校の知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を
撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。
それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、
信じないかだけである。現在、「神は妄想である」という遺伝学者の本を
読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、
信じる者は救われるか! 逆か?
・・・・・・
3846,‘よい写真を撮る’コツは ?
2011年10月06日(木)
 海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。
それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。私もスナップ写真を中心
に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになった
のが、デジカメで写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで
済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。
 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、
自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。写すというより、
その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」
と、指示された目線で撮るとよい。その為には対象の景色に、まず感動し、
その感動をカメラに収める気持ちが必要である。また小さな花をアップにし、
その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場
の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から
構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 
その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。
だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると比較的良いのが撮れる。
それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信荒木経惟
女性などの撮影現場をTVでみたが、徹底的に相手をリラックスさせ、
その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること
自体を忘れさせてしまう。動物も人間も見られると緊張する生き物。 
電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。
人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、
撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。今まで、デジカメは
少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、
構えて良い写真を撮ろうと、構図の選択に構えが出てしまうからである。 
対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想。
その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。
何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。
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3481, ライフログのすすめ
2010年10月06日(水)
  ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する!     
                 ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)
 ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー
人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、
そして普段は気にかけない自分の位置情報や生体情報まで、人生の「すべて」
をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。
仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャル
な分身に人生を語らせることも可能だ。いいことずくめの「ライフログ」の
時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター
科学の重鎮が、その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。
ビル・ゲイツ
▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席
 研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている70歳を超たゴードン・
ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として
利用することの可能性や実現方法を語っている。 PCの性能やストレージの
容量が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」をほぼ
保存していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。10年近く
前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、書きっぱなしだった読書感や、
毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、ほぼ
休むことなく続けてきた。ネタ探しを含めると、一日2〜3時間は要る。 
で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も
ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。
五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで生きようと考え
実行した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。
まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば私にとって黄金の習慣になる、
と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」
と思い知った。10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、
ある時点に到達してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも深さも
違っている。当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも
事実である。 「ライフログ化」というコンセプトのブログや商品も出てくる
はず。特にタブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。 
私も10年のキャリアがあるから、経験を生かせる筈だが。
面倒か!夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝の8時の顔写真でも、毎日
デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、それもライフログの一つになる。
高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に毎日、仕事、私生活を
木目細かく書き続けてきたという。