* 3・11から6年
 6年前の地震の瞬間を今でもリアルに憶えている。
NO2だったO氏と、会社を継続すべきか詰めた話し合いを終えて立ち上がった
瞬間、大きな横揺れが続いた。「これは何処か遠くのタダならぬ地震か?」と
TVをつけると、何か異様な速報が次々と現場から報じられていた。 ことも
あろうに、会社を閉じようかの時に… そして、NHKのアナウンサーが、
『東北地区の海岸線の皆様、その場から近くの高台から逃げてください!』の
絶叫のような呼掛け。新幹線は東北新幹線上越新幹線は全面ストップ。
 県内の被害はさほど無いようだ。自宅のある長岡へ帰るにはと、急遽、バス
乗場に行くと、普通通りに運行していた。17時過ぎたばかりで、サラリーマン
系の帰宅時間前もあり、空席があった。その時は、只ならぬ大地震だが、東北
のため、人口密度が低いので、大惨事には至らないだろうと… で、18時半
頃に家に帰ってTVを見ると、TVで「逃げろ逃げろ!」の声が甲高く聞こえていた。
 その時には、福島原子炉の深刻な惨事は、知らされてなかった。「そういえば、
学生時代の友人が、仙台の飛行場近くに終の棲家に決めて、ゴルフに釣りを
楽しんでいた」ことを思い出していた。そして… 
会社は、その日を境に25%の売上ダウン。一週間後に、迷うことなく
会社整理の決断をすることになる。その奇妙な偶然の一致に何か不思議な感覚
になっていた。6年間、長くもあり、短くもあった。中越地震、柏崎・刈羽地震
東北大地震の三つの立て続けのブラックスワンの到来。それ以前のバブル崩壊
2001年の9・11テロ、2008年の9・15リーマンショックの大激震を含めた一連。
「次々と続くブラックスワンの到来、これも有りですか」と、事業への未練は
一切無くなってしまった。面白かった手ごたえと、充実感があるのが救い!
 〜で、数年分の、同月同日の内容に続いていく〜 そういうこと!
・・・・・・
5474,閑話小題 〜昨日の早朝の夢
2016年03月11日(金)
   * 東北大震災から5年
 忘れもしない大震災から5年経つ。その時、会社整理の判断、決断についての
社内会議を終え、立上がった直後に大きな揺れがきた。それがスローで大きい。
これは並みの地震ではないとTVをみると、アナウンサーの絶叫が聞こえてきた。
『東北地区の沿岸の御住まいの方は、直ぐに逃げてください!』と。それでも、
千年に一度の大地震とは思わなかった。しかし時間が経つにつれて、尋常で
ないことに気づいた。新幹線が不通のため、新潟から長岡までバスで帰える
しかない。17時になれば通勤客がバスに殺到するから、直ぐに帰れば乗れると
判断しバス停に行ったら何とか乗れたが・・ その間に大津波が、東北沿岸部に
襲っていた。その騒動の最中の一週間後の18日に会社清算の決断するに至った。
 あとは会社抹消のための手順の実行にまっしぐら、大地震など他山の出来事で
しかなかった。それもこれも、今では懐かしい出来事でしかない。早かったのか、
遅かったのか。あれだけの震災も、そろそろ風化をしてきている。 
 私にとっても、事業清算を時を一にしてむかえた。それが重なったのも何かの
因縁だろう。私にとって、その重なりがあったことで、自分も震災者のような
気持ちがあった。そのせいにすることもできたが、明らかに、リーマンショック
が直接原因で、間接原因は、新潟駅前での過剰投資と、情報化による価格競争の
激化と、ビジネス客の日帰り圏に新潟県が入ったことである。 逆に言えば、
丁度よいタイミングに、リーマンショックと東北大震災がおきてくれたといえる。 
無念とか、悔しい、惜しいなどの気持ちが、殆どないのは、あまりに社会が激変
したため、これでは仕方がないと諦めがついている。

   * 一昨夜半の変わった夢
 今朝方、変な夢をみた。 創業したての頃、ある月刊雑誌に感銘し、
愛読者の会、「もっけいクラブ・新潟支部」の会を立ち上げた。そこに、
面白い男‘T’なる人物が顔を出していた。飲食関係の経営コンサルタント
だったが、時々、理屈に合わないことをいうが、それでも真っ当な部類?
だった。 現在は、長年の飲酒過剰で糖尿病で入院していると、聞いていた。
夢の内容とは、自宅の近所の運動場のような所に、ストレッチのような
スローの運動を子供も含めた人が10人ぐらいでしていた。自分も参加したが、
これは中々良いが、スポーツジムに通っていることもあって、その一つと
みていた。 「誰かが背後で指導しているのでは?」と、周りをみると、
その‘T’なる人物が、顔色がツヤツヤして、そこに元気で立っていて、
携帯電話で仕事関係の話をしている。「確か、入院しているはずだが何故?」
と思ったが、一言二言会話を交わし、「私の家でお茶でも」と思いつつ、
自宅に帰りかけると、車で私を追い越していったところで目が覚めた。 
そこで、「もしかして、死んだのでは?」と、一瞬思ったが、私の勝手な
思い込みだろうと、次の瞬間、寝入ってしまった。 ところで、今朝方も
面白い夢を幾つかみたが、一番面白いのが思い出せない。

・・・・・・
5109,閑話小題 〜一ヶ月足らずで、4年ですか!
2015年03月11日(水)
   * あと一ヶ月で、4年になる!
 『咽喉過ぎれば熱さ忘れる!』だが、日々好日を心かけ過ごしている。
もう、債権機構からの弁護士への問合せもなくなり一年近くになる。
あと一年の5年が一つの目安。去年の今頃は、消費税の未払い分の件で、
弁護士事務所で国税の調査を受けたり、住友系債権回収機構から、郵貯
個人年金を数十万を差し押さえられたりしたが、その後は何も無し。
 この稀な経験のない人や、社会は、倒産=悪と勝手に決め付けるが、
この経験を通し分かったことは、何事も±の両面、いや多面があること。
病と同じで良質の内に先手を打つことで、悲惨な結果を避けることが出来る。
それには事業設計段階から、万一の備えを組み込んでおく必要があった。
 事業整理の目安を、資金繰りに追われる下ライン(中小企業の3分1)か、
装置産業もあるが)営業赤字に陥った段階を自主清算?と予め決めていた。
そしてリーマンショックから二年半、そのラインに触れた瞬間に決断。
そのため、準備段階を含めた45年間の事業人生で、資金繰りの苦労を
一切なしで終えることが出来た。一般債権、労務債権は、ほぼゼロ。
これらも一般常識からみて不思議のようだ。その上に、そのまま自宅に住んで、
何も変わらない状態が憶測の世間話をつくっている?のだろが、それを許す
ほど現実は甘くないのは周知のこと。何とか軟着陸だったが、15年の準備
期間と30年間の新潟駅前事業、合計45年間のエネルギー体(会社)を、
自ら潰すのは自殺に似ている。その苦悩、恐怖、痛さ、辛さが分かる筈がない。
それぞれが、そのレベルの価値感を講釈をするだけ・・ 得たもの失った
ものが多いが、その間、魂が被植民地化されてなかったことも事実。
 ニーチェが、『価値は、全てある観点から見たものに過ぎない。
確かな真理などというものはない。ただ、様々なパースペクティヴ
(=観点、見方)があるだけ』と述べている。 という、この論も、
私の枠内の価値の羅列で、身勝手な論法でしかない。日々、是、口実か。
でも、シリア性からすれば、この結末も悪くはなかった?  (>_<) おもろ!
 少し考えれば分かるだろうが、こんな面白い経験もない!
幼児の頃から子守唄代わりに聞いていた、何?を自分が現に経験している。
大体、その認識は教養と、両親の質に比例をして、洗脳された共同幻想のまま、
勝手に「決め打ち」をするが、それが鮮明に見えてくる。 カントの認識論に、
「対象に認識が従うのではなく、認識が対象を従える」が、そのまま、鮮明
に見えてくる。それも共同幻想の認識とくるから・・娑婆など、軽薄そのもの。
いや、軽薄は、私の方ですか!    (〃゚д゚〃) (*ノωノ)テッ
――――――
4744,閑話小題 ー3年前の日記より
2014年03月11日(火)
  * あれから三年経ったが
 3月11日といえば、東北大震災から三年になる。
10年日記帳には具体的な現象を記録しているので、振り返ってみる。
 震災と、倒産への、生々しい日々が書かれている。人生の大きな節目に、
こういうことが重なるのが不思議である! 忘れたいが、そうは言って
いられない。直視し、現在を見つめ直すしかない。それにしても、日本の
政治は明らかに変!
・2011年3月09日(水):昨夜半、数時間、眠れず。 正午、轡田氏、
 事務所に来訪。2時まで。 事業断念に向け具体的になってきた。
 年齢からしても、こんなものか。終わりの始まりということ。
・3月10日(木):16時〜17時45分(会計事務所と弁護士事務所の共同
 センターの一室で)支配人、副支配人、会計事務所の担当Jさん、
 弁護士と、打ち合わせ。6月か、ゴールデンウィーク明けか、秋口か? 
・3月11日(金):14時から支配人と、前日の話合いの内容をチェック。
 決断は私がするが・・ その時に、14時46分に大きな揺れ。どうも、
 揺れ具合が、普通ではない。これは何処かで大地震が起きたはずと
 TVを入れると、東北で、過ってないほどの大地震と報じている。
 そのまま見ていると、とにかく海辺の人は非難するよう絶叫。
 新幹線は不通、17時過ぎに長岡に向け、バスで帰ることにした。
・3月12日(土):昨日の地震は、時間が経つにつれ、想像を絶する惨状。
 津波で多くの街が水没していく内容がリアル。昼は近くのイタ飯屋の
 サエゼリアで食事。
・3月13日(日):報道が、福島原発の崩壊に向いている。TVは全局、
 この震災関連。福島は、かなり危険な状況。 YouTubeをみると、
 さっそく、リアルな投稿が多く流されている。
・3月14日(月):新幹線が不通のため、車で新潟に向かう。高速道路に
 車がいやに多い。新潟回りで東北に向かっている。
 11時に福島原発の二つ目が爆発、かなり危険のようだ。
・3月15日(火):福島原発、3つ目が爆発、ますます危険になってきた。
 そういえば、学生時代の友人の奥野君が、仙台の海辺に終の棲家にして
 いるはず。東京の加藤君に電話をする。奥野君とは連絡取れず!
・3月16日(水):今日予定していた林さんとのコンサルト、この混乱で、
 中止。原発事故が、差合っての大問題。もしかしたら、金沢か、山陰
 あたりに避難? それより、会社のことがある。明日か、明後日に
 決断しないと!
・3月17日(木):前日は、車で自宅に。(新潟に16年間赴任していた
 大学時代の友人)東京の三崎君に電話を入れる。東京は、平静という。
 それより、明日にでも会社存続か、断念か、の決断である。
・3月18日(金):為替介入があって、79円ー>81・4円へ。大震災から、
 まる一週間になる。これで日本は新たな領域に入る。
 今日の、二人の役員との打合せで、事業断念を決定する。
 来週、弁護士と、その手続きに入る予定!
▼ 東北震災の中での、大きな節目。何か、いま一つ、現実感が無かった。
 しかし、動物的な感覚が、茹で蛙の自分を支配して、目の前の処理案件を
 淡々と一つずつこなしているのが見て取れる。 毎月、30年間、月次
 決算に来ていた会計事務所の担当が、「楽しんでいるように見える。
 不謹慎!」と、言われたが、この事態に現実感を持って動いては
 いられない。修羅場は修羅場で違う人格が現れ出る。ただ、後悔や、
 逡巡はしていられない。身近がまず、手のひらを返すのは当然だが・・
 あるのは、節目時の隠れた野生の感覚。 3月19日以降は、後日に
 書き出すが、この内容、自分でも、面白いのだから、第三者は、
 もっと面白い? 書き残す醍醐味か、変質者か? それでも大震災の
 ドサクサに、助けられた。
・・・・・・
2014/11/06
閑話小題 ー倒産は甘塩からい味がする

    * 倒産経験もまた、価値ある人生体験と捉えると
 『倒産は甘塩からい味がした!』をテーマとして書くと、こうなる。
≪ 時どき『闘病と、倒産体験ほど貴重な人生体験は他に無いのでは?』
という考えが頭によぎる。 倒産体験をプラス面で光をあてると、具体的な要素は
幾らでもある。私のケースは、自分で立ち上げた会社を潰したため、起承転結の
「結」が、それ。元もとの立ち位置がアウトサイダーのスタンスもあるが、何事もなく
無事に後に継がせれば中途半端な起承転々。そのどちらが良いか悪いかは、
受け止め方次第である。 事業内容の悪化に比例して辛らつに変わる銀行と、
身近の人たち。予め分っていても不快だが、時間が経つにつれ、これが面白く
思えてくるから不思議。更に、あれだけ沈んでいた気持ちも、二年、三年と
過ぎると、時間薬効果で元に戻ってくる。 その直前・直後の一ヶ月間は、身体と
気持ちが宙に浮いてように動いて、それが意外と痛面白いとさえ感じていた。 
30年来、月次決算に通っていた経理事務所の担当が、
『何か楽しんでいるようですが、自分の立場が分かってないようですね。』
と、言われてハッとしたが、実は、分かってないのは御当人。この感覚は当事者
しか知り得ないこと。何事でも、無我夢中に行動している時ほど面白いことはない。 
実際、こんな貴重体験は滅多に経験出来きないし、一度は味わうのも良よい!
とは、今でこそ言えること。一日一日を区切って、一期一会と割切って乗越える
しかなかったが・・ 「この人、こう受け止めている」が、過って、様々なケースで
自分も受止めていたので、それが分かる。 ボケ役の落語家が震える声で
「バカ野郎〜、その程度か、御前さん!」と思っている自分が、そこにいる。
これも、万一のセフティネットがあったため言えることだが、敗者は敗者、
「日々、是、口実!」になる。「事前、事後とでは、これまでも違っていた」
というのが実感。「開き直り」か。 ≫ 
▼ これを冷静に?読み返すと、こう思って日々を過ごさないと精神の安定を
保てなかったが、冷静な自分がいたことも確か。 それでも大波の中、思わず
水を飲んで、窒息しそうになっていた? 『何事も、最善と思えば最善に、
最悪と思えば最悪になるから、こう捉えていた方がよい』ということか。
これは、大病、大事故にも言換えが可能? 
 少し話が変わるが、実兄が7〜8年前に倒産した時のこと、居酒屋で、慰めで、
彼の親しい友人の実名をあげて『大病で死ぬわけでなし、決して最悪の事態では
ないよ。Oさんは、無事に会社整理をしたが、実は末期肺ガンかもしれない。
これは最悪の事態でないよ!現に生きていられることに感謝をした方が良いよ』
と、慰めたが、その2年後に、本当にOさんが肺ガンになって入退院を繰返して
いるという。この年齢になると、内なる黒鳥がいつ舞い降りてきても不思議でない。
 まだまだ、当時の森の中での夢をみる。 ・・当然のことだが。
・・・・・・
4377, 「世間」の捨て方  ー1
2013年03月11日(月)
           ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
 創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。
起業だけでなく、何かをなすということは、社会、世間に距離が出来てしまう。 
社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる
上から目線が強くなる。この経済の大津波に押し流されても平然?として
いられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異
だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。
 社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
そのための考え方を 語り尽くす本。】  ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと
 思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。無意識の
うちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。子どもの
ころから、わたしたちは「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」
と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」
に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
 よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」
が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか?場合によって違っています。とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格
になってしまいます。だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。だいたい優等生というのは、
相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。
いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。
でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」では
なしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。
いまの時代をそのように読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代
の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。
ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの
 現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の意見を出し合い円座で議論する訓練。
プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、
更に議論する。よい経験をしたものである。そして社会に出てみると、それぞれ
の具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立上げには理想的経験。
で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。それを選択した
のが、私なのだから。東北震災の被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、
絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!
・・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)                  
* 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2 「宇宙は本当にひとつなのか」村山斉著    
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論量子力学
 を1つにした新しい理論が必要だ。その最有力候補の超ひも理論のよれば、
 まだ未完成だが、膨大な宇宙が存在するという結果が出てしまう。
 これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが
見ることのできる三次元空間以外にも別の方向があるというものでした。
しかし多元宇宙は、その前提が大きく変わります。宇宙自身が一つではなく
たくさんあるという考え方が多元宇宙です。多元宇宙というアイデアの一つの
例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在するというものが
考えられます。これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのではないか
ということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、全体から
見ればひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に
私たちが実際に見ることのできる空間と同じような三次元空間がいくつもある
ことにすぎないのです。実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、
別の三次元空間に影響が出ます。例えば私たちの宇宙が図の「宇宙」とします。
「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や物質とぶつかったり反応したりする
ことはできません。しかし三次元方向で近くに来ると重力では引き合います。
もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 
 ヒモ理論が10次元の異次元宇宙の可能性を説いている。この本でも述べて
いるが、「人間原理」という、カント哲学風の「宇宙を認識するから
宇宙は存在する」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)
だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を
持つべきなのだ 田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも
減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖の
あたりから 発する霧だ早くもそのことに 気づいたらしい 小さな二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。
この畔で水面にうつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ
佇んでいる静粛が永遠に通じる。

   * 3・11から6年
 6年前の地震の瞬間を今でもリアルに憶えている。
NO2だったO氏と、会社を継続すべきか詰めた話し合いを終えて立ち上がった
瞬間、大きな横揺れが続いた。「これは何処か遠くのタダならぬ地震か?」と
TVをつけると、何か異様な速報が次々と現場から報じられていた。 ことも
あろうに、会社を閉じようかの時に… そして、NHKのアナウンサーが、
『東北地区の海岸線の皆様、その場から近くの高台から逃げてください!』の
絶叫のような呼掛け。新幹線は東北新幹線上越新幹線は全面ストップ。
 県内の被害はさほど無いようだ。自宅のある長岡へ帰るにはと、急遽、バス
乗場に行くと、普通通りに運行していた。17時過ぎたばかりで、サラリーマン
系の帰宅時間前もあり、空席があった。その時は、只ならぬ大地震だが、東北
のため、人口密度が低いので、大惨事には至らないだろうと… で、18時半
頃に家に帰ってTVを見ると、TVで「逃げろ逃げろ!」の声が甲高く聞こえていた。
 その時には、福島原子炉の深刻な惨事は、知らされてなかった。「そういえば、
学生時代の友人が、仙台の飛行場近くに終の棲家に決めて、ゴルフに釣りを
楽しんでいた」ことを思い出していた。そして… 
 そして会社は、その日を境に25%の売上ダウン。一週間後に、迷うことなく
会社整理の決断をすることになる。その奇妙な偶然の一致に何か不思議な感覚
になっていた。6年間、長くもあり、短くもあった。中越地震、柏崎・刈羽地震
東北大地震の三つの立て続けのブラックスワンの到来。それ以前のバブル崩壊
2001年の9・11テロ、2008年の9・15リーマンショックの大激震を含めた一連。
「次々と続くブラックスワンの到来、これも有りですか」と、事業への未練は
一切無くなってしまった。面白かった手ごたえと、充実感があるのが救い!
 〜で、数年分の、同月同日の内容に続いていく〜 そういうこと!
・・・・・・
5474,閑話小題 〜昨日の早朝の夢
2016年03月11日(金)
   * 東北大震災から5年
 忘れもしない大震災から5年経つ。その時、会社整理の判断、決断についての
社内会議を終え、立上がった直後に大きな揺れがきた。それがスローで大きい。
これは並みの地震ではないとTVをみると、アナウンサーの絶叫が聞こえてきた。
『東北地区の沿岸の御住まいの方は、直ぐに逃げてください!』と。それでも、
千年に一度の大地震とは思わなかった。しかし時間が経つにつれて、尋常で
ないことに気づいた。新幹線が不通のため、新潟から長岡までバスで帰える
しかない。17時になれば通勤客がバスに殺到するから、直ぐに帰れば乗れると
判断しバス停に行ったら何とか乗れたが・・ その間に大津波が、東北沿岸部に
襲っていた。その騒動の最中の一週間後の18日に会社清算の決断するに至った。
 あとは会社抹消のための手順の実行にまっしぐら、大地震など他山の出来事で
しかなかった。それもこれも、今では懐かしい出来事でしかない。早かったのか、
遅かったのか。あれだけの震災も、そろそろ風化をしてきている。 
 私にとっても、事業清算を時を一にしてむかえた。それが重なったのも何かの
因縁だろう。私にとって、その重なりがあったことで、自分も震災者のような
気持ちがあった。そのせいにすることもできたが、明らかに、リーマンショック
が直接原因で、間接原因は、新潟駅前での過剰投資と、情報化による価格競争の
激化と、ビジネス客の日帰り圏に新潟県が入ったことである。 逆に言えば、
丁度よいタイミングに、リーマンショックと東北大震災がおきてくれたといえる。 
無念とか、悔しい、惜しいなどの気持ちが、殆どないのは、あまりに社会が激変
したため、これでは仕方がないと諦めがついている。

   * 一昨夜半の変わった夢
 今朝方、変な夢をみた。 創業したての頃、ある月刊雑誌に感銘し、
愛読者の会、「もっけいクラブ・新潟支部」の会を立ち上げた。そこに、
面白い男‘T’なる人物が顔を出していた。飲食関係の経営コンサルタント
だったが、時々、理屈に合わないことをいうが、それでも真っ当な部類?
だった。 現在は、長年の飲酒過剰で糖尿病で入院していると、聞いていた。
夢の内容とは、自宅の近所の運動場のような所に、ストレッチのような
スローの運動を子供も含めた人が10人ぐらいでしていた。自分も参加したが、
これは中々良いが、スポーツジムに通っていることもあって、その一つと
みていた。 「誰かが背後で指導しているのでは?」と、周りをみると、
その‘T’なる人物が、顔色がツヤツヤして、そこに元気で立っていて、
携帯電話で仕事関係の話をしている。「確か、入院しているはずだが何故?」
と思ったが、一言二言会話を交わし、「私の家でお茶でも」と思いつつ、
自宅に帰りかけると、車で私を追い越していったところで目が覚めた。 
そこで、「もしかして、死んだのでは?」と、一瞬思ったが、私の勝手な
思い込みだろうと、次の瞬間、寝入ってしまった。 ところで、今朝方も
面白い夢を幾つかみたが、一番面白いのが思い出せない。

・・・・・・
5109,閑話小題 〜一ヶ月足らずで、4年ですか!
2015年03月11日(水)
   * あと一ヶ月で、4年になる!
 『咽喉過ぎれば熱さ忘れる!』だが、日々好日を心かけ過ごしている。
もう、債権機構からの弁護士への問合せもなくなり一年近くになる。
あと一年の5年が一つの目安。去年の今頃は、消費税の未払い分の件で、
弁護士事務所で国税の調査を受けたり、住友系債権回収機構から、郵貯
個人年金を数十万を差し押さえられたりしたが、その後は何も無し。
 この稀な経験のない人や、社会は、倒産=悪と勝手に決め付けるが、
この経験を通し分かったことは、何事も±の両面、いや多面があること。
病と同じで良質の内に先手を打つことで、悲惨な結果を避けることが出来る。
それには事業設計段階から、万一の備えを組み込んでおく必要があった。
 事業整理の目安を、資金繰りに追われる下ライン(中小企業の3分1)か、
装置産業もあるが)営業赤字に陥った段階を自主清算?と予め決めていた。
そしてリーマンショックから二年半、そのラインに触れた瞬間に決断。
そのため、準備段階を含めた45年間の事業人生で、資金繰りの苦労を
一切なしで終えることが出来た。一般債権、労務債権は、ほぼゼロ。
これらも一般常識からみて不思議のようだ。その上に、そのまま自宅に住んで、
何も変わらない状態が憶測の世間話をつくっている?のだろが、それを許す
ほど現実は甘くないのは周知のこと。何とか軟着陸だったが、15年の準備
期間と30年間の新潟駅前事業、合計45年間のエネルギー体(会社)を、
自ら潰すのは自殺に似ている。その苦悩、恐怖、痛さ、辛さが分かる筈がない。
それぞれが、そのレベルの価値感を講釈をするだけ・・ 得たもの失った
ものが多いが、その間、魂が被植民地化されてなかったことも事実。
 ニーチェが、『価値は、全てある観点から見たものに過ぎない。
確かな真理などというものはない。ただ、様々なパースペクティヴ
(=観点、見方)があるだけ』と述べている。 という、この論も、
私の枠内の価値の羅列で、身勝手な論法でしかない。日々、是、口実か。
でも、シリア性からすれば、この結末も悪くはなかった?  (>_<) おもろ!
 少し考えれば分かるだろうが、こんな面白い経験もない!
幼児の頃から子守唄代わりに聞いていた、何?を自分が現に経験している。
大体、その認識は教養と、両親の質に比例をして、洗脳された共同幻想のまま、
勝手に「決め打ち」をするが、それが鮮明に見えてくる。 カントの認識論に、
「対象に認識が従うのではなく、認識が対象を従える」が、そのまま、鮮明
に見えてくる。それも共同幻想の認識とくるから・・娑婆など、軽薄そのもの。
いや、軽薄は、私の方ですか!    (〃゚д゚〃) (*ノωノ)テッ
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4744,閑話小題 ー3年前の日記より
2014年03月11日(火)
  * あれから三年経ったが
 3月11日といえば、東北大震災から三年になる。
10年日記帳には具体的な現象を記録しているので、振り返ってみる。
 震災と、倒産への、生々しい日々が書かれている。人生の大きな節目に、
こういうことが重なるのが不思議である! 忘れたいが、そうは言って
いられない。直視し、現在を見つめ直すしかない。それにしても、日本の
政治は明らかに変!
・2011年3月09日(水):昨夜半、数時間、眠れず。 正午、轡田氏、
 事務所に来訪。2時まで。 事業断念に向け具体的になってきた。
 年齢からしても、こんなものか。終わりの始まりということ。
・3月10日(木):16時〜17時45分(会計事務所と弁護士事務所の共同
 センターの一室で)支配人、副支配人、会計事務所の担当Jさん、
 弁護士と、打ち合わせ。6月か、ゴールデンウィーク明けか、秋口か? 
・3月11日(金):14時から支配人と、前日の話合いの内容をチェック。
 決断は私がするが・・ その時に、14時46分に大きな揺れ。どうも、
 揺れ具合が、普通ではない。これは何処かで大地震が起きたはずと
 TVを入れると、東北で、過ってないほどの大地震と報じている。
 そのまま見ていると、とにかく海辺の人は非難するよう絶叫。
 新幹線は不通、17時過ぎに長岡に向け、バスで帰ることにした。
・3月12日(土):昨日の地震は、時間が経つにつれ、想像を絶する惨状。
 津波で多くの街が水没していく内容がリアル。昼は近くのイタ飯屋の
 サエゼリアで食事。
・3月13日(日):報道が、福島原発の崩壊に向いている。TVは全局、
 この震災関連。福島は、かなり危険な状況。 YouTubeをみると、
 さっそく、リアルな投稿が多く流されている。
・3月14日(月):新幹線が不通のため、車で新潟に向かう。高速道路に
 車がいやに多い。新潟回りで東北に向かっている。
 11時に福島原発の二つ目が爆発、かなり危険のようだ。
・3月15日(火):福島原発、3つ目が爆発、ますます危険になってきた。
 そういえば、学生時代の友人の奥野君が、仙台の海辺に終の棲家にして
 いるはず。東京の加藤君に電話をする。奥野君とは連絡取れず!
・3月16日(水):今日予定していた林さんとのコンサルト、この混乱で、
 中止。原発事故が、差合っての大問題。もしかしたら、金沢か、山陰
 あたりに避難? それより、会社のことがある。明日か、明後日に
 決断しないと!
・3月17日(木):前日は、車で自宅に。(新潟に16年間赴任していた
 大学時代の友人)東京の三崎君に電話を入れる。東京は、平静という。
 それより、明日にでも会社存続か、断念か、の決断である。
・3月18日(金):為替介入があって、79円ー>81・4円へ。大震災から、
 まる一週間になる。これで日本は新たな領域に入る。
 今日の、二人の役員との打合せで、事業断念を決定する。
 来週、弁護士と、その手続きに入る予定!
▼ 東北震災の中での、大きな節目。何か、いま一つ、現実感が無かった。
 しかし、動物的な感覚が、茹で蛙の自分を支配して、目の前の処理案件を
 淡々と一つずつこなしているのが見て取れる。 毎月、30年間、月次
 決算に来ていた会計事務所の担当が、「楽しんでいるように見える。
 不謹慎!」と、言われたが、この事態に現実感を持って動いては
 いられない。修羅場は修羅場で違う人格が現れ出る。ただ、後悔や、
 逡巡はしていられない。身近がまず、手のひらを返すのは当然だが・・
 あるのは、節目時の隠れた野生の感覚。 3月19日以降は、後日に
 書き出すが、この内容、自分でも、面白いのだから、第三者は、
 もっと面白い? 書き残す醍醐味か、変質者か? それでも大震災の
 ドサクサに、助けられた。
・・・・・・
2014/11/06
閑話小題 ー倒産は甘塩からい味がする

    * 倒産経験もまた、価値ある人生体験と捉えると
 『倒産は甘塩からい味がした!』をテーマとして書くと、こうなる。
≪ 時どき『闘病と、倒産体験ほど貴重な人生体験は他に無いのでは?』
という考えが頭によぎる。 倒産体験をプラス面で光をあてると、具体的な要素は
幾らでもある。私のケースは、自分で立ち上げた会社を潰したため、起承転結の
「結」が、それ。元もとの立ち位置がアウトサイダーのスタンスもあるが、何事もなく
無事に後に継がせれば中途半端な起承転々。そのどちらが良いか悪いかは、
受け止め方次第である。 事業内容の悪化に比例して辛らつに変わる銀行と、
身近の人たち。予め分っていても不快だが、時間が経つにつれ、これが面白く
思えてくるから不思議。更に、あれだけ沈んでいた気持ちも、二年、三年と
過ぎると、時間薬効果で元に戻ってくる。 その直前・直後の一ヶ月間は、身体と
気持ちが宙に浮いてように動いて、それが意外と痛面白いとさえ感じていた。 
30年来、月次決算に通っていた経理事務所の担当が、
『何か楽しんでいるようですが、自分の立場が分かってないようですね。』
と、言われてハッとしたが、実は、分かってないのは御当人。この感覚は当事者
しか知り得ないこと。何事でも、無我夢中に行動している時ほど面白いことはない。 
実際、こんな貴重体験は滅多に経験出来きないし、一度は味わうのも良よい!
とは、今でこそ言えること。一日一日を区切って、一期一会と割切って乗越える
しかなかったが・・ 「この人、こう受け止めている」が、過って、様々なケースで
自分も受止めていたので、それが分かる。 ボケ役の落語家が震える声で
「バカ野郎〜、その程度か、御前さん!」と思っている自分が、そこにいる。
これも、万一のセフティネットがあったため言えることだが、敗者は敗者、
「日々、是、口実!」になる。「事前、事後とでは、これまでも違っていた」
というのが実感。「開き直り」か。 ≫ 
▼ これを冷静に?読み返すと、こう思って日々を過ごさないと精神の安定を
保てなかったが、冷静な自分がいたことも確か。 それでも大波の中、思わず
水を飲んで、窒息しそうになっていた? 『何事も、最善と思えば最善に、
最悪と思えば最悪になるから、こう捉えていた方がよい』ということか。
これは、大病、大事故にも言換えが可能? 
 少し話が変わるが、実兄が7〜8年前に倒産した時のこと、居酒屋で、慰めで、
彼の親しい友人の実名をあげて『大病で死ぬわけでなし、決して最悪の事態では
ないよ。Oさんは、無事に会社整理をしたが、実は末期肺ガンかもしれない。
これは最悪の事態でないよ!現に生きていられることに感謝をした方が良いよ』
と、慰めたが、その2年後に、本当にOさんが肺ガンになって入退院を繰返して
いるという。この年齢になると、内なる黒鳥がいつ舞い降りてきても不思議でない。
 まだまだ、当時の森の中での夢をみる。 ・・当然のことだが。
・・・・・・
4377, 「世間」の捨て方  ー1
2013年03月11日(月)
           ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
 創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。
起業だけでなく、何かをなすということは、社会、世間に距離が出来てしまう。 
社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる
上から目線が強くなる。この経済の大津波に押し流されても平然?として
いられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異
だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。
 社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
そのための考え方を 語り尽くす本。】  ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと
 思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。無意識の
うちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。子どもの
ころから、わたしたちは「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」
と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」
に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
 よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」
が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか?場合によって違っています。とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格
になってしまいます。だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。だいたい優等生というのは、
相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。
いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。
でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」では
なしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。
いまの時代をそのように読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代
の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。
ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの
 現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の意見を出し合い円座で議論する訓練。
プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、
更に議論する。よい経験をしたものである。そして社会に出てみると、それぞれ
の具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立上げには理想的経験。
で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。それを選択した
のが、私なのだから。東北震災の被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、
絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!
・・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)                  
* 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2 「宇宙は本当にひとつなのか」村山斉著    
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論量子力学
 を1つにした新しい理論が必要だ。その最有力候補の超ひも理論のよれば、
 まだ未完成だが、膨大な宇宙が存在するという結果が出てしまう。
 これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが
見ることのできる三次元空間以外にも別の方向があるというものでした。
しかし多元宇宙は、その前提が大きく変わります。宇宙自身が一つではなく
たくさんあるという考え方が多元宇宙です。多元宇宙というアイデアの一つの
例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在するというものが
考えられます。これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのではないか
ということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、全体から
見ればひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に
私たちが実際に見ることのできる空間と同じような三次元空間がいくつもある
ことにすぎないのです。実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、
別の三次元空間に影響が出ます。例えば私たちの宇宙が図の「宇宙」とします。
「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や物質とぶつかったり反応したりする
ことはできません。しかし三次元方向で近くに来ると重力では引き合います。
もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 
 ヒモ理論が10次元の異次元宇宙の可能性を説いている。この本でも述べて
いるが、「人間原理」という、カント哲学風の「宇宙を認識するから
宇宙は存在する」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)
だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を
持つべきなのだ 田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも
減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖の
あたりから 発する霧だ早くもそのことに 気づいたらしい 小さな二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。
この畔で水面にうつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ
佇んでいる静粛が永遠に通じる。