* 現実に溺れすぎて恋をしたことがない老人
『ちょっと、あの老人って、現実に溺れて一度も恋をしたことがなんだってさ』
 出所は忘れたが、いやに印象に残っている言葉。「夢のカルフォルニア」の
思い込みと、それが女性に向かう恋愛感情は似ている。それは端的な偏見? 
異性に対し、すり込んだ儚い想い。 〜いま思いつく『恋』の定義は〜
【性欲が対象を美化、昇華し、愛まで熟す前の心の状態。恋のまま終わることが
 望ましい。ついてモノは皆な同じ。愛とは、破れた幻想でも耐え容認すること】
恋から愛に、そして行く先は憎しみに?ったく人間は! 現実に溺れてしまうと、
幻想の心根を持ち続ける余裕がなくなる。「青年時代、若気の至りの大失態の
経験が無いほどの失敗はない」と、今東光の名言?がある。分からないでもない…  
若者に志が必要。「棒ほど願って針ほど叶う」。恋も対象に想いを抱いた幻想。
醒めてしまえば、『はい、それまでよ』としても、現実に溺れ、その機会を失い、
老いてから後悔するのも? 「後悔、後に立たず…」 ?チンモク。現実という
奴は如何に残酷か。現実に溺れ流されて行きつく先は何とも儚い漆黒の中。
せめて、若い女性に理想を見いだす恋心も、道しるべとして必要。 
<面白きなき世を面白く>で、手っとり早いのが恋愛ごっこ?「出来ちゃった婚
の結果、3組に1組が離婚をし、その半数以上が貧困母子家庭になる現実。としても、
現実に溺れてながらでも恋をすべし!が、結論。丁度よく文脈が以下に連なる…

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5460,遊びをせんと 〜? 遊びを哲学する 
2016年02月26日(金)
   * 「YOUは何しに地球に来たの」
TV番組に「YOUは何しに日本に. Why did you come 」(東京放送)がある。
  〜ネットで、この番組を検索すると、
【 前代未聞の空港アポなしインタビュー。一寸先は全く読めない新感覚
ドキュメントバラエティ!日本を訪れる外国人の目的は?観光?仕事?留学? 
 …そこで我々は外国人たちの日本への玄関口、空港で勝手にお出迎えして
直撃取材を敢行。前代未聞の空港アポなしインタビューをやりまくりました。
するとそこは…面白外国人の宝庫。一寸先は全く読めない新感覚ドキュメント
バラエティ! 】とあった。人生も考えてみれば、80年のツアーである。
 これを「YOUは何しに、人間に」に転換した問いには、一般的には、
『働いて金儲けするためやってきた』とは、答えない。その多くは
『面白いことをして、美しい絶景をみて、美味しい料理を食べ、色いろな人と
出会い、可能の限り楽しみたい』と、答えるだろう。それに人生を重ね合わると、
答えは自ずと出てくる。何で難しそうなことを!というが、大部分の人は、
漫然として、それが分からない。それぞれが目先の目的は持っているが、
「私たちは地球に何しに来ているのか?」と訊ねても、分かっていない。
 宇宙サイズからみたら、私たちは短期間で地球観光に、そう、輝く『光』を
見るためにやってきた。決して闇を見に来たのではない。世間原理主義者は、
何故か光より、自分を含めた身辺の闇に目がいき、光を見ようとしない。
とはいえ背景の闇も必要条件で、深ければ深いほど、光は輝く。
 井戸の蛙、井戸の外の世界を見れないが、満天の星空を見ることができる。
この蛙に、「YOUは何しに地球にきたの?」と問われたら、  (*´д`*)ハァ
「宇宙より、井戸の外の世界をいっぱい見てみたい」と、思うだろう。
そこには、蛇も、鳥もいて危険だらけでも、世界を知る価値は十分ある。
 ところで、私は「何しに人間として地球に来たの?」と、問われれば、
〔危険を乗越えて、地球上の大自然と、文化・文明、人間を可能な限り知り、
それに感動(同化)し、空(無)への機中、ああ良かったと思えるために来た〕
が答えになる。 捨身にならなければ、そう簡単に世界は広がらない。捨身に
なれなかった自分が、ここにいる。面白く、悲しい、極上で極悪の世界がある。
人生は、生まれて死ぬまでの綱渡りである。 
  後記) 偶然だが、以下にちょうど良く続く。この偶然は何? 
 私たちは、遊ぶためにやってきて、遊び疲れて、帰りの機中から、ちぎれる
ほど手を振って、「さらば」をしたいもの。それには、まだ、遊び足りない? 
いや、もう充分か? 忘れてならないのは、遊ぶだけ、学び、働くことだが。
 いずれにしても、機中で泣きながら帰っていくのが人生。 (╥_╥); ゥヮ

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5096,遊ぶこと ー人間であること −?
2015年02月26日(木)
         〜「人間であること」時実利彦著
 ある本に、44年前に読んだ『人間であること』が紹介されていた。早速、
倉庫内の書棚で探し出し目を通しているが、当時、読書録をつけてなかったため、
印象に残ったページの折り目と、傍線の箇所と、少しの書込みしか、当時の記憶
はなかった。要約をノートに記録しておく必要性に気づかなかったのが青年期の
最大のミスで。そこで14年前から、随想日記で、公開し記録として残すこと
にし現在に至っている。 それ以前の20年間、2ヶ月に一度、社内報に
『事業百訓』として書いたのがあるが。『人間であること』を改め読み直すと、
考えさせられる内容。44年の経験が、その意味を理解する裏づけになったため
である。 当時、こんな格調の高い?本を読んでいたと我ながら感心するが、
真に理解していたかというと、疑問である。 ここではページ順でなく、
印象に残っている部分からランダムに選んでみる。まずはー遊ぶことーより。
  * 遊ぶこと ーA
   〜まずは、要約から〜
≪ オランダの分明史家のホイジンガーは、私たちの人間のあらゆる文明は
 遊びから始まったみてとり、‘ホモ・ルーデンス’(遊ぶ人)という書物を
書いている。彼の論旨には全面的に賛成できないとしても、「人間のある姿」と
一つの側面を捉えている。赤ん坊は赤ん坊なりに、子供は子供なりに、大人は
大人なりに、遊びを楽しんでいる。遊びは、動物も遊んでいる。日本猿の子供も
よく遊ぶが、7〜8歳でピタリと遊びを止める。しかし、人間だけは、遊びを
止めない。この答えは、脳の本質を、その仕組みに即すると出てくる。
 遊びを四つの異なる精神によって演出されている。
四つの遊びにはそれぞれ異質で、その存在意義がある。
・第一の遊びは模倣するという心にかきたてられた行動である。動物の脳は、
生まれた時、殆ど成熟しているが、未成熟な部分が模倣行動(遊び)で成熟、
発達する。よく遊ぶ動物はサルであるが、大人になると遊ばなくなる。
 しかし人間は大人になっても遊ぶ。それは人間だけが遊びを必要とする前頭
連合野を発達させているからである。私たち人間は、第二、第三、第四、と
 あの手この手で遊びをやている。・・・ つづく  ≫
▼ 第一は模倣、第二は憂さ晴らし、第三は勝負ごと、第四は創造である。
 それらは次回になるが、私の母が、『仕事も、勉強も、何事も、遊びに
なるまで打ち込むこと』と教えてくれたが、第二、第三は、馬鹿でも出来るが、
問題は第四。これは人間だけが出来る遊びという。この随想日記も、
14年の時間の結果、遊びになっている。     〜つづく 
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4731,閑話小題 ー結婚生活は、忍耐、努力、諦め!
2014年02月26日(水)
  * 結婚生活は、忍耐、努力、諦め!
 朝日新聞の土曜版に、美輪明宏の人生相談‘悩みのるつぼ’があるが、
これが面白い!先週は、結婚歴33年の57歳男性の「妻に振り回されて
いるのですが・・」の相談。
《・質問 <私はマイペースの行動して個人の時間を大事にしているが、
 妻は何時も他人のことを気にし、何か不安があると、口にし、私に共感を
 求めます。総合的に私は、その妻に振り回されています。> に対して、
・答は <いい歳をして何もわかってない。男女は精神的にも、生理的にも
 違っていて考え方が根本的に違うもの。結婚生活とは、忍耐、努力、諦め
 以外のなにものでもない。これが、その正体であり、本質。現在、日本の
 若者たちの間で「シェアハウス」が流行している。言わば共同下宿で、
 一人で生活するのが経済的、精神的に難しかったりする若者が暮らす。
 他人を必要としない時には、離れた部屋にいて、人の息づかいを感じたい時
 には、共有スペースに出ていって話をしたりする。結婚とは、そういうもの
 では? 還暦過ぎて、家に一緒にいるケースが多くなると、この姿勢が
 必要になる。妻を亡くしたことをシュミレーションしてみて、そのプラス
 マイナスを考えれば、自ずと答えが出るはず。妻のマイナスだけを見ずに、
 プラスもを考えて、感謝をしてみれば!> 》と、ギレがよい。
  家に入って3年近くになるが、互いに我が強いため大変だが。その間に、
 40年以上の結婚生活で至った結論が、上記の「シェアハウスと思えばよい!」 
 この三年間では、互いの居間の滞在時間を半々にすること。私がいる時間帯は、
 家内は食事の支度など家事をして、私が書斎で読書とパソコンや、寝室で
 ドラマなどを見る時間帯は、家内が居間と、棲み分けている。 
 就寝時間も私が20時過ぎ、家内が0時。起床時間は私が冬場4時半、
 夏場が4時。家内は7時過ぎ。結婚以来だが、互いに自分のスケジュールを
 淡々とこなすが、2〜3ヶ月に一度は恒例の喧嘩になるが、数日で元に戻る。
 そこに自然と「忍耐、努力、諦め」が滲み出る。色いろ見てきて「独り暮しの
 厳しさ」が分かるため、まず我慢、忍耐!だから、互いに違ったライフワーク
 と、共通の趣味が必要。定年期を向えた日本中の団塊世代が、家庭内では、
 忍耐、努力、諦めの鍛錬の諍いが生じている。私のように、立場が180度も
 逆転した者にとっては、この実感が強い!         
・・・・
4364, 嘘と真実 −3  
2013年02月26日(火)            
    ー『「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著』よりー
 嘘といえば、超能力と霊媒である。少しは本物もあるのだろが、99%は
タネがある。所詮は、思い込みでしかない。世の中の現象、嘘と真実が丁度よい
塩梅で混合している。営業活動は9割方は、これを知り尽くしたもの。絶対量と
質を持ったものが、知らないものへ都合良く誘導する。政治など、まさにこれ。
  * サイキックマフィア
≪ 50年前の1961年の頃、世界心霊主義者協会の理事で、世界で最も
 金を取る霊媒師の一人だったラマー・キーンは、全米各地で交霊会を催し、
神秘体験を求める人たちの前で霊視能力や念動作用、心霊療法などさまざまな
奇跡を演じてみせる。スター霊媒ともなれば湯水のごとくカネが流れ込み、
王侯貴族のような豪邸に暮し、美女をはべらせ最高級のレストランで食事をし、
一流のナイトクラブで札束をばら撒く夢のような生活が待っている。
彼がほかの霊媒とちがっていたのは、虚飾の生活に倦んで正直な生活に戻ろう
と思い直したことだ。彼は『サイキックマフィア』(太田出版)という本を書き、
‘幽霊ビジネス’のカラクリを暴露した。交霊会では、さまざまな"奇跡"が
演じられる。物体移動の実演も、そのひとつで、こんな感じだ。
会場から指名され壇上に上げられた男に、霊媒が訊く。「免許証をなくされたん
じゃない」怪訴そうな顔で、男は反論する。「そんなはずはないよ。免許証は
いつも財布に入れていたんだ」 「だったら、確認されたらどうですか?」
男が財布を開けると免許証はどこにもない。「お捜し物はこれですか?」
霊媒は、胸ポケットから男の免許証を取り出してみせる。もう少し手の込んだ
ものがある。交霊会で、年配の女性に霊媒が尋ねる。「最近、大切なものを
無くされたのではないですか?」そして、それを出してみせる。何ということは
ない。スリを雇って予め抜き取っていた。交霊会前に、広告などで参加者を募る。
霊媒は、その中から適当な人を選んで、人を雇って花を届けさせ、家の中の様子
をうかがい、情報を取る。そして、あたかも霊感があたったように、
その詳細を全員の前でいう。 ≫
▼ 要は事前に情報をとっていて、手品のように効果的に使えばよいだけ。
 どんな社会にも、神秘体験に惹かれる人たちがいて、‘本物の神秘体験’
を求めてオカルト世界を放浪する。そんな彼らのために、‘超能力’を演じ、
効率的に搾取する仕掛けができている。そしてサイキックマフィアが、
そういう連中の情報を互いに流している。キーンが、活躍したのは1960年代。
あれから半世紀が過ぎ、科学は進歩してが、そのテクニックは更に進歩した。
手品師が、こぞって霊媒師に変身していった。
・・・・・・
3989, カーネーション
2012年02月26日(日)
 朝の連ドラ「カーネーション」、初めから見続けてきたが、なかなか面白い。
デザイナーのコシノ三姉妹の母親と実家の商家を題材にしたドラマ。初めの
触れ込みは、「NHKの朝ドラで、一番がらの悪いヒロイン役」だった。これを
見るにつけ、私が育った実家が思い出される。このドラマの数十倍の濃さと
激しいドラマがあった。父が亡くなった後の私の代も次々と問題が起きていた。 
商家の家族には、あらゆる問題が全て現れ出る。この連ドラには、ヒロインの
三姉妹の母親の業が、赤裸々に表現されている。和装店から洋装店への業種
の転換と、親娘の商売上などの葛藤などの実話が背景にあるため非常にリアル。
また主役のタレントも役に憑依したような熱演。ヒロインの思い込みの強さと、
目の前の障害に身体ごとぶつかっていく姿は、私の20歳、30歳の頃の姿を
見ているようである。あの赤裸々の柄の悪さ?は、時代の変化に対応するに
自然に出てくる姿。 時代は商売に関係なく先に動いていく。その変化対応に
捨て身で取り掛からないと難しい。その辺を、このドラマは上手に脚色。 
 実在のコシノ三姉妹の子供の頃からの取っ組み合いの喧嘩も、リアル。 
私が事業を始め気づいたことは、事業に家族や親戚を入れないのが鉄則。 
事業は極限の限界の連続。そこで相打ちになる。コシノ三姉妹は、そのことに
気づいていたようだ。三姉妹の母親の子育ては、殆ど祖母が担っていた。 
浮き役としてのオバアサンの役割が、そこにある。人類の進化にオバアサンの
存在の役割があったという説がある。経験の知恵伝達をオバアサンを通して、
子孫に教えを伝える役割である。その役割を、とぼけたオバアサン二代が、
巧妙に果たしている。 それぞれが主体的に生きてこそ人生ということか。 
いずれにしても同じことだが・・・
 ・・・・・・・
3624, 自己の探究 ー1
2011年02月26日(土)
 「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
   ーアマゾンの内容
 悩む人にも、悩まない人にも。偉大な思想家たちの思索をたどりながら、
他者や世界と繋がる自己発見への旅。モンテーニュら偉大な思想家たちの
思索を辿りながら、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのより
よい関係の構築を模索する。
ーー
哲学史から、世界との関係より、自分自身との関係を重視した思想家たち、
ソクラテスモンテーニュパスカル、アミエルなど、を取り上げている。
「自己」の哲学的意味を知りたい人が、その思想家を見つけるための
「カタログ」でもある。どのページを開いて、4〜5行を読むと自己に
対する意味が自己完結しているように書いてあるのが良い。 
≪ 自己への問いは、いわば、われわれに課せられてくる問いなのである。
 日常に亀裂がはいり、自己の存在そのものがひとつの問題であることに
気づかされる時が、われわれに訪れるのである。ひとたびこの問題に遭遇
すると、自己は一種の棘となってわれわれを苦しめることにもなる。

        • しかし、その歩みを通じて、自己がどのような存在であり、自己として

生きることがいかなることかが少しずつ見えてくるであろう。自己への旅は、
われわれが自己の多様な側面を解きあかしていく思考の経験であり、
自分との対話や反省の試みを介して自己を掘りさげていく経験である。 ≫
≪ 自己探究という冒険には、終わりがない。それというのも、自己は不断に
 変化することをやめないからであり、自己を探究する視線にも変化が伴うから。 
それゆえ、この冒険は、変化するものをめざす視線と、それ自身が変化する視線
とが交錯するなかでくりひろげられる絶え間ない自問自答の過程である。 
そこでは、見えていなかった側面が見えてくる、自分に疑いなく見えていたと
思っていた側面が疑わしくなる、自分の見方の狭さ、窮屈さが見えてくる、
もうひとつ先を読む見方が自分に求められてくる、というようにして自分を
軸にした思考がくりかえされる。この思考は・柔軟性を欠けば、こり固まって
偏狭な自閉的世界へと入り込んでしまうのかもしれない。 ≫
▼ 60歳を過ぎてから、自分では見えていたと思っていた側面が疑わしく
 なってきた。 老化とは偏狭な自閉的世界に入るプロセスでも。最近、
自分の中に以前から下町などで見た歪んだ顔の老人の姿が合せ鏡になってきた。 
自分の老いを見つめることも自己探究。
・・・・・・・
3259, 世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる
 2010年02月26日(金)
  *蒟蒻問答
八五郎。昔の伝で上州は安中で蒟蒻屋を営む六兵衛を頼ってやって来た。 
六兵衛さん曰く「丁度村の寺に住職が居なくて困っていた所だから、そこの
住職になれ」と勧められた八五郎、気楽に過ごしていたが、ある日、諸国の
僧侶が問答をしたいとやって来たから、大変。当時は、問答をして負けた方が、
寺を明け渡して出て行かなくてはならない決まりがある。八五郎は、仕方なく、
その日は住職は留守だとして旅の僧を引き取らせますが、また来ると言われ、
困った八五郎六兵衛に相談、六兵衛は自分が住職になって適当に追い返すと
言うので八五郎は代わってもらう。次の日、早速旅の僧がやってくると、
住職になりすました六兵衛。 僧の前に座ったきり口をきかない。
旅の僧は住職が無言の行をしているのだと勝手に思い込んで、身振り手振りで
問答をしようする。自分の胸の前に、指で小さな丸を作って前に突き出すと、
住職に成りすました六兵衛、若い僧を睨み付け、両手を大きく動かして円を書く。
(字数制限のためカット 2012年2月26日)