■
<なぜ日本人は世間と寝たがるのか: 空気を読む家族
佐藤 直樹 (著) >
* 「世間」の4つのルール
世間をまとめると、《細かいカースト制度にならった差別意識の状況下で、
中元・歳暮、旅行先の御土産、貰い物の御裾分けなどのやり取りの中で、個人
の顔をひた隠す。建前は平等原理を引合いに、法事や祝い事などは大安などを
引合いにして物事を進める極く普通の人たち》になる。これを否定すると、
日本社会では、非常に生きづらくなる半面、アウトサイダーに徹すれば、
それなりに生きていける。その代償として(大変な人)のレッテルをはられる。
それに惑わされたくなけらば、自分の事業を立上げて、その中で唯我独尊で
生きるしかない。ただ、事業が傾くと、ふくろ叩きにあう。元もと、その接点
を最小にしておけば、馬耳東風で受流すことが可能。 要するに「世間とは
寝なければよい」だけのこと。父親は、『カス』の一言で切捨て、全く、気に
しない風にしていた。他人とのラインを家族に引いていた明治男の典型。
〜その辺りの要約を抜粋〜
≪ 歴史学者の阿部勤也は、「世間」のルールには主要に4つあるとする。
☆贈与・互酬の関係(中元お歳暮などのお返し、)、
☆身分制(年齢にこだわる、英語ではブラザー・シスターであり、
兄・姉を区別しないし、相手が大統領でも二人称はユーだ)、
☆共通の時間意識(個人の時間意識が存在せず、人間平等意識で能力差を
認めない、皆一緒という同調圧力)、
☆呪術性(クリスマス、盆の墓参り、お払いなど、信心深くはあるが特定の
宗教を信じるわけではなく、根底にはアニミズムや自然宗教の類がある)
1 贈与・互酬の関係
お中元やお歳暮が良い例。
相手との関係や上下関係を考慮して内容に差をつけるのも特徴的です。西洋には
プレゼントの習慣はありますが、贈与や互酬を習慣として行うことはありません。
メールにしてもそうです、送った以上は相手もそれに返答しなければいけないと
いう暗黙のルールがあり、LINEだと「既読スルー」などと揶揄されて気疲れする
原因にもなっていますね。日本人にはこのように「こちらがこれだけのことを
したのだから、相応の返礼があって然るべき」という考え方を持っているようです。
2 身分制
憲法第14条で法の下の平等を謳っているにも関わらず、色々なカーストがまかり
通っているのが現状です。スクールカースト、学歴偏重、ママカースト、部落差別
などなど。表には出さなくとも、そのような差別意識が法律よりも強い影響力を
持っているのが日本の世間です。つまり憲法がタテマエになってしまっている。
西欧でももちろん差別はありますが、この場合は法的に「人権」を掲げて戦うこと
ができます。個人が厳然と存在して「法の下の平等」が根幹をなす社会だからです。
しかし、日本は世間が強烈な影響力を持っている。だから、実質差別があっても、
それを覆すのが難しいのです。
3 共通の時間意識
出る杭は打たれる、ということです。
極論を述べれば日本人に「個人」はいません、これは西欧から輸入されて強引
に訳した言葉であります。みんな同じ時間を共有している、だから一人だけ
違うことをするのは許されない、みんな同じであるべきだという思想ですね。
能力差を認めないのも特徴的です。誰かが努力の末に結果が出なかったとしても
「運が悪かった」として、決して「劣っていた」とは認めない。人間には本来、
能力や才能の差があるものです。しかし、日本ではそれを周りにひけらかしては
いけないという「人間平等主義」が支配的です。皮肉なものです、これほど
あからさまに「身分制」が渦巻く世間で、表面的に平等を謳うのですから。
これでは多くの人が良く分からなくなり、病んでいくのも頷けます。
4 呪術性
合理的根拠のないルールが多いです。
大安に結婚式を挙げ、引っ越しを避け、友引に葬儀を執り行うことをしません。
大きな建物を建築する際には土地の神様に祈りますし、地鎮祭もする。
日本は先進工業国の中でも、異様に多数の古いものを保存する唯一の国。
合理的に説明のつかない俗信・迷信の類を尊重するのです。法律ではこのように
決まっているから、というのは「社会」という概念が醸成された文化でのみ通用
することであり、世間のルールが世の中を支配する日本では通用しません。
法律よりも呪術が強い影響力を持っている。
西欧では、このような俗信迷信の類、呪術性をとうの昔に否定しています。
一神教と多神教の違いも大いに影響しているようです。日本独特のアニミズム
がこのような土壌を形成しているのでしょう。 ≫
――
▼ 一定量の経験と知識が人生には必要と最近、つくづく実感する。そこから、
知恵とか、新たな経験、知識が生まれ出る。 世間様から内実を隠し、目立つ
ことなく無難に人生を過ごすことが、生きやすいのが娑婆。そうこういうが、
世間にしろ、社会にしろ、理解していると思いこんでいる妄想がベースにある。
その妄想度合いの高いのが世間人ということ。誰もかれもが、妄想の分厚い
レンズを通して外界をみている自覚がないだけ。せめて自覚を持たないと!
・・そういうこと。
・・・・・・・・
5439,人生で最も大切な技術 ー?
2016年02月05日(金)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* 憎しみ
5年前の節目から、この方、聞こえよがしの言葉を多く投げつけられた。
これも帰り矢かと凝視すると、その憎悪は共同幻想で作られた魔物に誘発
された当人自身の猛毒。周りまわって本人への返り矢になっている。2〜3年
以内に8〜9割の確率で、本人か、連れ合いにネガティブな事態が起きている。
不幸な人間の性で、共同幻想の媒体を通して当人自身に猛毒が発するため。
で、残りの1〜2割は? 聞こえてこないだけ! と思えば心が晴れる。
自分の人生、境遇の不遇の憎しみの毒、その血の投げかけの対象探しに
目を凝らし、何時の間に「鬼の形相」の「ネガティブ3、ポジティブ1」
のマイナーに陥ってしまった人の憎しみは、何とも? 〜その辺りから〜
≪ 憎しみは、心の猛毒である・・あらゆる大量殺数、あらゆる人間の尊厳
に対する攻撃の駆動力となる。誰かに打たれたら、本能的に打ち返す。
それ故に人間社会は、正義の御旗の元に、文化度に応じたさまざまなレベルで、
報復権を構成員に与えている。通常の場合、寛容、赦し、攻撃者の状況に対する
理解などは、任意の選択と解釈される。犯罪者は自分の憎しみの犠牲者である、
と考えることは滅多にない。 復讐願望とは、基本的に、攻撃者が攻撃する
ときと同じ感情に由来している、ということを理解するのは稀だろう。
一人の憎しみが他者の憎しみを生じさせる限り、敵意、恨み、報復そして
苦しみの悪循環は永遠に断ち切れない。「憎しみに対して憎しみをもって
報いる限り、憎しみは消えることはない」は、釈迦の教えである。したがって、
流れ続ける思考から憎しみの感情を排除することが、幸福の旅への決定的な
第一歩となる。
ネガティブな怒りは憎しみの芽生える前兆。この怒りは、衝動に従い、他者
の幸せを一切省みず、セルフの要求を遮る者を誰かれなく乱暴に追い払おうと
する。この怒りは、セルフが脅かされるときに感じる敵意、あるいは、セルフ
が傷つき、軽蔑され、無視されたときに感じる恨み、等の形で表れる。
悪意は、憎しみより暴力的ではないものの、相当に油断がならないものだし、
同じくらい破滅的である。悪意は、直接または遠まわしなやり方で、誰かに
害を加えようとする願望と行為であり、煽られると憎しみに変わることもある。
憎しみは、対象の欠点を誇張し、美徳を無視する。アーロン・ベックはこう
表現している。「認識と思考が偏る、万力のように心をぎゅうぎゅうと締め
つけ、実際上または想像上の脅威に反応する。この堅固な枠が心を牢獄にし、
我々を煩わせる憎しみと暴力の主な原因となる」。
心が恨みと憎悪にどっぷり漬かると、幻想の中に閉じこもり、自分が
何にも満足できない原因がすべて心の外側にあると確信する。 人間は、
不当に扱われている、脅かされている、といった認識を持つと、個人または
集団のネガティブな側面にのみ焦点を当てるようになる。・・≫
▼ 5年前、直ぐに反応してきた共通点が、「人生に充実感」が持てないと
思しき人々。「幸福な人には、幸福なことが擦り寄ってくる」の真逆の人達。
それが見て取れるため、平然としていられる。嫌うから嫌われるのは分かって
はいるが卑しいのは・・ そういう人を父は「下衆」と、割切っていたが。
ポイントは、閑静の「閑」の塀を、時間をかけ自分(木)の周囲にめぐらし、
内側を綺麗にしておくこと。 泥棒がいても、門は出入自由に。〜で、以下に〜
・・・・・・
5075,強みを生かす
2015年02月05日(木)
* 強み生かす ー無駄な努力はダメ―
ドラッカーのマネジメントの法則に「自分の強み生かす」がある。
この「強みを生かす」について、ネットで簡潔にまとめてあった。
≪ 卓越した仕事を生き生きしている人がいる。彼は単に有能な働き者
ではない。自らの強みを知り、自らの属する場所を得た人がゆえと、いう。
誰でも、自らの強みはについてはよくわかっていると思っている。だが、
たいてい間違っている。気づいているのは、せいぜい弱み。それさえ間違って
ることが多い。しかし何ごとかをなし遂げるのは、強みによってである。
弱みによって何かをおこなうことはできない。どうすれば自らの強みを知る
ことができるか。ドラッカーは、フィードバック分析しかないと言う。
ドラッカー自身が五十年以上続けてきた方法だ。方法は簡単。まず何かを
することを決めたら、「自分はそれに何を期待するか」を記録しておく。
そして九ヵ月〜一年後に、自分が期待した内容と実際の結果とを比較。
フィードバック分析により、強みを生かすために行うべきことが明かになる。
?成果を生み出す強みに集中する
?誰にでも学べる技能や知識は身に付ける
?専門馬鹿にならない
?成果を挙げるうえで邪魔になっている悪癖は仕事ぶりは直す
?人への対し方、礼儀はわきまえる
?苦手の分野の仕事は引き受けない
?努力しても並にしかなれないことはしない
―(プロフェッショナルの条件』)≫
▼ ポジティブ思考は、ただ楽観的だけでなく、己の強みを生かすことで、
ものごとをプラスに発展させる。幸せは、己の得意分野を生かしている
状態とすると納得できる。「得手に帆を揚げ」、フィードバックをする。
御隠居生活の強みは、「好きなことだけをして、嫌なことをしないで済むこと」
で、因業になっていくが、それで良い。まずは周囲に迷惑をかけないことだ。
・・・・・・
4710,閑話小題 ー遺体の生ゴミ化
2014年02月05日(水)
* 献体という死体処理 ー日経新聞2011〜「上手な逝き方」嵐山光三郎ー
現在、遺体の生ゴミ化が問題になっている。20年以上前だが、姉の一人が、
「私が死んだら、自分の遺体を大学病院に献体する手続きをとった。
葬式は無しだから悪しからず」と宣言。何か呆気にとられた思いだった。
75歳で健在だが、その後、撤回したかどうかは分からない。
当時、思い切った決断だったのだろうが、時代は、大きく変わったようだ。
先日、借りてきた随想集に最近の献体事情があった。
《 いま、大学病院への献体が増えて、病院が困っているという。
献体は医学生が解剖実習に利用するものだが、解剖したあと、遺族に連絡
すると「お骨はいりません」といって引きとりにこない。献体という名の遺体
処理である。斎場でも「遺骨はいりません」という遺族が増え、火葬場が
合同の収納施設へ入れる。遺体は生ゴミ化した。墓場も火葬場も足りない。
東京では夢の島へ散骨する計画が申し込まれている。海への散骨、樹木葬は
骨をパウダーにする。骨壷に骨をいっぱいつめるのは時代おくれだ。
高齢化社会で死亡者が増えると火葬場の能力を超えた遺体数となり、遺体を
保存する冷凍庫も足りない。さあ、どうするか。この半年間で五回の葬儀へ
行ったが、火葬場でお経もあげずにすます直葬が二回あった。火葬のみの
遺体処理である。ただ、棺の中には花が埋められ、遺体の顔には美しい化粧が
ほどこされている。大村さん(関西学院大学教授、僧侶)は、いまの死に化粧は
アメリカ流儀のエンバーミングで、ベトナム戦争で死んだ兵士をドライアイス
に詰めて本圃へ帰すころから流行した。死人を生きている人のように化粧する
エンバーマーという職業かある。真宗では死体を化粧をせずに、頭を剃り、
遺体から色も欲もみな抜け出して、この世の未練をすべて捨て浄土へ行かせる。
生きているような化粧をしたら、この世への執着が残る。 大村さんに
そういわれると、たしかにそうで、「はよ向うへ行きなさい」
と成仏させるために、エンバーミングなんてしない。・・・》
▼ ネットで遺体の日本人感を調べると、以下のような考え方に出会った。
【精神と肉体の混同、未分離の日本人の死生観が最も露骨に出る。
冬山で遭難死しても、キリスト教なら「霊は去っている。遺体自体はそっと
その場に眠らせておけばいい」・・というのが日本人には「罰当たり」になる。
精神、霊と肉体、遺体との混同、未分離の考えが習俗の建前となるとき、
極度の遺体自体の重視となる。】
葬式は、遺体を火葬にする前の家族による当人を見送る儀式。
一神教の場合、天国の神のみもとへ召されるが、無神教に近い日本人は、
それぞれの心の中で生きるという思いがある。そのため、焼かれる直前まで、
生ゴミと分かっていても美しい姿であることが、必要になる。
結局、残るのは写真と言葉と三代残る?資産だけ。
・・・・・・
4343,閑話小題 ーテレビの現状と未来
2013年02月05日(火)
先週金曜日のNHK・60周年記念「テレビの未来」について千人アンケートを
しながらパネラーが討論する番組が面白かった。NHK以外の各局のディレクター
も参加していたが、内容は冒頭からシビア。「現在のテレビはツマラナイ、
面白くない」と、街頭インタビューが辛口のものばかり。その上にTVを持たない
人や、不満の多さに各局のディレクターは言葉を失っていた。
無くて困るものの第一がパソコンで47%、携帯が24%で、テレビが22%
には驚いた。これではテレビがパソコンに凌駕された結果になる。 私の場合、
「未来型のTV」を買い替えて二年半になるが、見るのは殆どが録画したものか、
再放送のもの。「テレビが面白くなくなった」「無くても困らない」という
街頭での意見が多いが、私は逆で、「スマートテレビ」に買換えて、バカ
みたいだが、俄然に面白くなった。地デジの全番組を30時間分を自動的に
録画してしまう。ゴールデンタイム19時から24時までを設定すると、
6日間分の全チャンネルが自動的に録画される。それを週間のテレビ欄をみて、
面白そうな順に見る。2〜3日に一本の割合で面白いのが必ずある。
設定無しだと、全地デジの30時間分が自動録画され、時間が過ぎたものは
自動的に消去される。これに面白そうなBSの旅番組やWoWoWを録画しておけば
見切れないぐらいの面白い番組がストックされる。どんどん録画をし、どんどん
除去する。だから「面白くない番組がない」というのは、面白い番組を見逃して
いることに彼らは気づいていないだけ。 実際、テレビに嵌るのは良くないのは
分かるが、面白いものは面白い。その上に、パソコンでも、TVでも、Youtubeなど
の投稿録画を見ることが出来る・・ ネットゲームを知らない人と気ままに
遊びたくなってきた。 で、再びパソコン教室に通う時期が来たようだ。
居間では横にiPadを置き、TVドラマの合間にネット・サーフィンかゲーム。
ますます馬鹿になっている。 大馬鹿ならよいが、中馬鹿のようだから、
どうもこうも! 最近の話題はTVの内容が多いか。
・・・・・・
3968, 民主主義への疑問 ー2
2012年02月05日(日)
* 明治元年の五箇条の御誓文 「民主主義とは何なのか」長谷川三千子著
【 たとえば自国が経済危機に陥っているからといって、若者たちがデモをし、
店や車を壊して為ばれるという海外ニュースを、われわれはよく目にする。
愚かしいかぎりの行動であるが、民主主義イデオロギーに即していえば、彼らは
正しいふるまいをしているのである。指導者に対する不信と敵意を破壊的な
行動によって示すのは、近代民主主義の出発点をかざるフランス革命以来の
偉大なる伝統だからである。民主主義が本質的にかかえ込んでいるこうした
愚しさを克服して、かくも厄介な民主主義をなんとかうまく使いこなす方法は
ないものだろうか? 考えてみれば、「国民の、国民による」政治という形
それ自体は、活気にみちた健康的な国家をっくり上げてゆくうえで不可欠な
ものともいえる。国民自身が意欲を失い、やる気をなくした国家に、
「国民のための政治」が実現するはずはない。・・明治元年の五箇条の
御誓文には、そのエッセンスともいうべきものが簡明に表現さきじている。
一、広ク会議ヲ興シ万機公論二決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛二経編ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民二至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ随習ヲ破リ天地ノ公道二基クヘシ
一、智識ヲ世界二求メ大二皇基ヲ振起スヘシ
ここでまず注目すべきところは第二条である。
この「経論」という言葉は、もともとは政治を指して使われる言葉であったが、
ここではむしろ経済活動に重点を置いて使われている。つまり指導者も国民も、
すべて心を合わせて、政治・経済の活動に積極的にかかわろう、ということ。
あたり前の呼びかけとも思える。政治であれ経済であれその他何であれ、上も
下も心を一つに合わせておこなわなければ、よい仕事はできないのである。
しかし今みてきたとおり、この「上下心ヲ一ニシテ」ということは、まさに
民主主義が捨ててしまった心構えである。その意味で、実はこれは極めて
根本的な民主主義批判ともなっている。】
▼ 日本の近代の始まりの明治元年に立ち返り日本の誇りを取り戻すことが必要。
一条の「公論」の心構えこそ、この非常時に求められること。相手の論を叩き
潰すのでなく、危機を乗り越えるための論でなくては。目標が明確であれば、
公論が可能になる。声をだして、何度も読んでみたが、なる程、そのとおり。
現在の日本は壊滅状態、これを第二の敗戦とみるなら、近代日本の精神を、
この御誓文として新たな第一歩とすべき、という著者の論も納得する。
・・・・・・
3603, 閑話小題
2011年02月05日(土)
* ほんの5年前までは
5〜6年前までは、「自分の生活は中の中」と答えた人が53パーセント、
中の下が27パー、合計八割が中流と思っていた。現在はどうだろう?
中流といえば350万〜650万、上流に近いのが700万以上あたりか。
2005年に下流社会という言葉が流行語になって格差社会を象徴する言葉になった。
この時の下流は、食うや食わずの状態ではなく、中の下くらいに位置する人を
対象にした言葉だったが、この数年では下の人を対象にするようになっている。
貧困に「相対的貧困率」という数字がある。平均世帯所得の半分以下の世帯数が、
全世帯に占める割合をいうが、1984年〜1994年の7〜8パーセントが、2000年には
一挙に倍近い15パーに増えてしまった。 最近では、20パーを遥かに超えて
いるのだろう。 下流とは、ウィキペディアによると
≪2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値
(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象。これは、単身者
では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、
4人世帯では254万円に相当する。≫
リーマンショック以来、この数字は急激に悪化しているから、2割は貧困層。
ところで、世界の相対的貧困率は、いくらだろうか? 感覚的にみて、
日本の半分以下だろう。とすると、10年、20年かけフラット化していく
プロセスに入ったということか。
* 百円ショップの楽しみ
2〜3ヶ月に一度は百円ショップに行っている。新潟では昼休みの運動に歩いて
10分ほどの駅南の「セリア」に。通勤の帰りには元ダイエーが撤退したあとの
越後交通ビルの2Fに「ダイソー」がある。一回に千円程度を買うのが楽しみ。
殆どが衝動買いだが、外れは2割位?。 鞄の中と、机の周りは百円ショップの
商品で溢れている。ノート、電子機器などを入れる袋もの、小物を一時的に置く
カゴ、などなど。 数日前に買ったのが、自転車のカバー。電動アシスト自転車
を千円位のカバーをかけていたが、強風で何処かに飛んでしまっていた。
そこで、HCで買おうとしたら、家内が曰く「百円ショップで、一度見てから
にしたら!」といわれ先日、セリアに行ったら、材質は落ちるが、留め金付の
ものがあった。百円ショップの商品は機能だけに絞ってあって百円に押し込んで
ある考え方は非常に良い。
・・・・・・
2010年02月05日(金)
* 狂ってしまった猿
ニューヨークのブロンクス動物園のアフリカゾーンに近い大型類人猿舎に
「鏡の間」という場所があり、そこに立つと当人の姿が、鉄柵越しの鏡に映る。
その看板に「The most dangerous animal in the world.」と書いてある。
世界で最も危険な動物が「人間」とは痛烈な皮肉である。「象」「ライオン」
などの野獣とは比較にならないほど危険な動物が、生存を賭けた人間世界形成。
鏡の下には、「24時間ごとに19万万匹の割合で増えているこの動物は、
他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物です。この動物は、今では地上の
動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れました」と付記されていた。
(字数の関係でカット2012年2月05日)
・・・・・・
2863, アメリカ発 世界自動車危機 −2
2009年02月05日(木)
この番組で、電気自動車を取り上げていたが、脱化石燃料の流れ加速しそうだ。
自動車の心臓部分はガソリン・エンジンだが、それが電気モーターに変わると、
これまでの自動車の概念が変る。
・「自動車が電気商品になってしまう」のである。 現在一台あたり
3万点の部品が、2万点で済むという。
・前部のエンジン・スペースが、大幅に減ってしまうのである。
(字数の関係でカット2009年2月05日)