* 大都会の同級会
 都会の同級会の良いところは、その出自を気にしないこと。
問題は、品性である。両方とも自信がないが、青春真只中だった頃の
懇親会は魂の故郷に帰ったようで気が休まる。階段を上がるにつれ、
「恒産あって恒心あり」が鮮明になっていく。 で、・・・?
 乾杯後それぞれが数分、近況を語るが、これが面白い。数年前から病気に
倒れる人が目立ち、話題は倒れた人の闘病話や、各人の持病の話が中心。
生活圏から離れているため具体的エピソードを、平気で話せる。数年前まで
は、仕事や、家庭内の実情、趣味、旅行などが中心だったが、今は、持病や、
会社移譲と、引退などに話題が移っている。古希の風景そのもの。そこで、
去年の話題になるが、ある男の内容が実感が籠っていて、印象に残っている。
《長男の嫁が東欧出身でソリが合わない。国柄が貧しいためか、人間性まで
貧しいのが鼻につく。特にお金に対しシビアで・・ 聞くところによると、
東南アジアでも、大地の豊かなタイや、商業が盛んなマレーシアは良いが、
フィリピン、インドネシアは貧土のため良くないと聞く。どうもこうもである》
と、憤懣やるかたない様子だった。 
 そこで思い出したのが、金沢の修行時代の能登出身の上司の話。
福井県能登半島の出身は人間性が良くない。石川県の山よりと、富山は
豪雪の融け水が、作物を豊富にもたらすため、人間性が豊か。自分が能登出身
のため、つくづく実感している!』 そういえば、有名神社は、山沿いの、
海に面したところが多い。山から流れ出た水が、大地に流れ出て、作物を豊か
にして、森林の養分を含んだ水が海に流れ出て、魚を呼び込み育てる。
そこには農水産が豊かにする循環がある。
 そういえば、新潟在住の人が、佐渡者を・・? ここで止めく。
地元を嫌って県外に出ても、佐渡に戻らず、新潟市内か長岡に住むという。
それにつけても、実業を新潟に、住居を長岡に分けて良かった。 
呼吸不全で肺炎になりそう。んったく! 長い岡から湧出る水が豊富で、
人間性豊かで、穏やかで、暖かいのは良いが。淀みにボウフラの群れが・・ 
ボウフラが存在すのは、元もと水が良いから。とすると住みやすい? 娑婆!
  〜で、以下に続いていく。
・・・・・・
5379,閑話小題 〜70歳の峠は
2015年12月06日(日)
   * 70歳の峠は、いずれも厳しい
 昨夜は、学生時代の同級会に出席してきた。6年前から毎年、欠かすことなく
上京しているが、地方にいるせいか、首都圏出身の中は、何かホッとする。
去年、一昨年辺りから、メンバーに異変がおき始めた。病と、死の問題である。
次々と、脳梗塞・脳溢血、糖尿、ガンなどで、手術や、寝たきりになったり、
亡くなったりの話ばかり。毎年、この会が終わって東京駅まで、タクシーで
同乗していた二人の一人が、去年の会の前日に倒れ、急遽、亡くなったと、
この会の幹事から一月ほど前に電話があった。『同級会の一ヵ月後の一月に、
二番の脳梗塞から危篤、その直後、心筋梗塞が併発しアッケなく亡くなった。
そして、S君がステージ4の膵臓ガンで、数ヶ月前に手術。この会には
出席出来るかどうか? 他に某君も亡くなった。そういう僕も、○○ガンで、
数日後、手術の予定だが、会には何とか出席のつもり!』と悲痛の声。
 で、この寒さで、悪化した腰痛をおして何とか、出席をしたが、幹事と、
S君は、痩せ細った身体でギリギリ、出席をしていた。そして、出席をした
16人の近況報告の多くが、病と死の瀬戸際の話が大部分。それぞれの70歳の
峠は、病の面からみて、そう甘くはない。特に欠席している脳梗塞で、半身
麻痺の二人や、まだ生々しい進行ガンの話は、冬景色そのもの。
 帰りの新幹線の時刻の都合で、中途退座をSさんと二人したが、入れ
替わりに、長男が経費を不正に着服をし逮捕された、話題の服部料理学院
の服部(染谷)さんが来たところで、直接、その経緯は聞けなかった。
 同級生の話によると、これは「ネット・テロ」で、事実が先にマスコミに
流され、手の打ちようが無かったと・・ ここにもネット社会の影がある。
 誰も、「個人のイメージを売りにしている料理学校で、何故、公表前に揉み
消す方策をしない?」と思うが。学校法人は私学補助金などを受けていること
もあり、経理監査が非常に厳しく、揉み消すなど論外!という。 
70歳の峠は、いずれも厳しい! それにしても、『魚久』の料理は美味い!
 ここのマグロの刺身と、サワラの糟漬けが、特に絶品。

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2010年12月07日
大学の同級会
   * 大学の同級会
 大学の同期会が学校の事務局主催で10年に一回ずつ行われている。
20,30,40周年の会には出席した。(10周年の会は、会そのものが
行われていなかった)その都度、二次会、三次会と盛り上がり、色いろな
人生を垣間見る。4百人、3百人と、参加者は少しずつ減っていくが、
出席者のメンバーは、ホボ同じである。教養課程の1・2年の同級会は
首都圏在住の人たちで開かれていたが、去年から誘われるようになった。
迷ったが、往復の汽車賃は二次会、三次会の飲み代と割り切れば、様々な
世界を見れるのもよいと出席した。他の用件と重ねれば、隔年ぐらいの参加
は良いだろう。あまり会合には参加をしないが、学校関係だけは第一優先し
出席してきた。進学する都度出会う人の地域が広くなる。
 小、中学、高校、大学と、出会う人の出身地が広がっていくのが面白い。
幼稚園は駅前の商店主の子供の世界。小学校は駅前から、その範囲が10倍の
テリトリーになり、中学校は商店主の子が主だったのが、先生やサラリーマン
の子供、そして越境入学がいた。 高校は中越地区に広がり、大学は全国区。
その都度、自分の過去の世界が小さくなる。そして、就職・・ だから、
同級会は、その年齢の自分に出会うようで、何とも感慨がある。
それにしても数奇の人生がある。

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5014,幸福優位7つの法則 −5
2014年12月06日(土)
            【幸福優位7つの法則】ショーン・エイカー著
 * 法則4:再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
 人生で何事も思うようになることはありえない。 人は「うまくいったか」
「失敗したか」のどちらか二択で物事を捉えがちだが、ここに「第3の道」が
隠されているケースが多い。その為には、節目を自らつくり、強く打たなければ
ならない。予定挫折である。そこには、「失敗した後に学んで強くなり、最後に
上手くいく再起する力」が出てくる。心理学では「心的外傷後の成長」と呼ぶ。
多くのベンチャー投資家は、ビジネスで大失敗した人物しかマネージャーとして
雇わない。マイケル・ジョーダンは高校時には控え選手だった。
「私は何度も何度も挫折した。それがいまの成功をもたらした」と。 
第三の道は見えにくく、近視眼的に物事を見がちになるが、長期的な立ち
位置を客観的に認識する知識が必要になる。
≪ ◎ 第三のの道を見つけること
人間の脳は、勤勉な地図製作者のように、頭の中の地図をしょつちゅう訂正して
作り直している。複雑で変転するこの世界で、そうやって私たちをナビゲート
してくれている。 こういう能力は、何千年もの変化の過程を経て人の脳に
組み込まれた。人類は生存のため、環境の物理的な地図を作り、食料や
パートナーを得るための戦略を立て、それぞれの行動がどんな結果を
もたらすかをプランする必要があった。(略)・・何かを決断するときには、
このようなマッピングが頭の中で必ず行われる。このマップには「現在地」
(現状)が出発点として示され、そこからいろいろな道が放射線状に出ている。
道の数は決断の複雑さによって異なり、その瞬間の思考の明晰さによっても
違う。最良の決断ができるのは、明解でクリエイティブな思考により、可能な
道すべて把握し、それらの道がどこに続くかを正確に予想できたときである。
しかし、ストレスを受けているとき、窮地にあるときには、多くの人が一番
重要な道を見落としてしまう。それは、上方に向かう道。 危機や逆境から
延びる道は3つある。
1つは、いまいる場所をぐるぐる回る道。ネガティブなできごとは変化を
生まないため、いつのまにか出発点に戻ってきてしまう。
2つ目の道は、さらに悪い結果へつながる道。悪いことが起き後に、そこから
更に悪い状態になっていく。 こういう道があるために、人は事態に立ち
向かったり、難題に桃戦したりすることを逃れる。
3つ目に、私が「第三の道」と呼ぶ道がある。これは失敗や挫折から始まり、
人をより強くし、困難のさなかにこの道を見つけるのは易しいことではない。
経済不況でもその他の危機でも、そういうときに作られる脳の地図は
不完全なことが多いし、皮肉なことに、ポジティブで生産的な道が一番
見えにくくなっているからだ。無力感や絶望に覆われていると、そういう直が
存在することすら信じられない。 だから探そうともしない。しかしこれこそ、
ぜひとも探さぶければならない道である。そこで、「第三の道」を発見できるか
どうか、挫折に打ちのめされるか、そこから立ち上がれるかを、分けられる。
挫折を「成長の機会」ととらえられる人が、その成長を実現できる、
ということを多くの研究結果が示している。逆に、挫折を「この世の終わり」
ととらえるなら、その通りになる。 ≫
▼ 私の経験でも、節目で「第三の道」が現れ出てきた。
思いもよらないチャンスが、そこにあった。 それが運命を変えてくれた。
三年前の節目の「第三の道」とは何だろう。 足元を見直し、内省をより深く
すべきということ? 日々を味わう? 実際、自然の成り行きで、そうして
いるが・・ 今さら第三の道でもないか! 「死の淵に立ってこそ分かること、
後悔することを、今、経験しろ」ということか。 日々を楽しみ、味わって
過ごせば、第三の道を歩くことになるが。
・・・・・・
4647, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪 ー2
2013年12月06日(金)
* 「考えないこと」こそ罪 ー2
 人間が考えないのは、「馬鹿の壁」に取り囲まれているからである。
 その「バカの壁とは何か?」をネット検索すると・・・
《「養老 孟司の『バカの壁』を解りやすく説明してください」の問いに対し、
「人間は、外界からの刺激を感知する際に、その刺激に対してX(エックス)
という変数をかけている。例えば私たちは、自分が大好きな歌を聞くときには、
「その歌」×「限りなく大きなX」に導かれる値を刺激として受止めています。
一方、まったく興味のない歌を聞くときは、「その歌」×「限りなく0に近いX」
から導かれる値を刺激として受け止めています。そのため、前者の刺激が非常に
大きく、その人に対して多大な影響を持つのに対し、後者の刺激は「空気」
のような存在です(レストランの有線放送が良い例)。「バカの壁」とは、
こうした「外界からの刺激に対する無意識の判別」を指す言葉だと理解します。
もし全ての刺激に「大きな変数」をかけてしまうと、その結果頭に入ってくる
刺激に対応しきれなくなるため、刺激の必要不必要を判別するこの機能は非常
に重要です。それは外界の刺激に対する「目隠し、壁」としても働いている。》
▼ バカの壁は決してマイナスだけでない。問題は、自分のそれを意識できるか
 どうか。人間である限り誰もが考えている。問題は、より広く、より深く掘り
下げて考えようとしないこと。現在、アベノミクスのミニバブルが起きつつある。
15〜6年前のデフレ直前1990年代半ばに似ている。その後に2001年の9・11テロ、
2008年のリーマンショック、そして、2011年の東北大震災が起こった。
現在の私の立ち位置の高台からは津波(恐慌)の本体が見えるが、眼下の海辺
近くの街中で、宴会で酔い遊んだり、仕事をしている人は、次の大津波
見えない。それを察知するに、自頭で考えるか、情報に対する己の勘しかない。
そこで、近い将来の犠牲者達が、高台に避難した人を不思議そうに見ている。 
笑っているのもいる。ところで、『そういうアンタ、考えているの?』と
言われると、『ウ〜ン!』になる。石原慎太郎がつくりあげた尖閣列島
国境問題。下手をすると戦争だが、今の日本には、これで良い。目先に迫った
危機が、ピンとこないようだ。「考えない」のはの罪であり、罰になる。
最初の余波で浚われた罰を受けた私が言うのだから、間違いない。
・・・・・・
4282, 閑話小題 ー人生、面白くなければ
2012年12月06日(木)
  * 人生は面白くなければ生きる価値がない
 レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる、フィリップ・マーロウの 
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」
の言葉をもじった、「人生は明るくなければ生きていけない、でも面白く
なければ生きる価値がない」の言葉を、ある本でみつけた。高杉晋作都都逸
「おもしろき  こともなき世を  おもしろく」に、相通じていている。
この年齢になり、世相も心も暗くなりがちになると、一日一日を如何に面白く
時間を過ごすかが課題になる。その辺は、長年かけて鍛え上げてあるが。
ただ明るく面白ければいい、のではない。人生を貫く信念がなければならない。
  * 書斎の楽しみ !
 去年の春以来、書斎に一日4〜5時間はいる。この随想日記の下書きや、
読書、そしてネット・サーフィンが主。他には、日記や、音楽を聴いたり・・
早朝2時間、午前中2時間、夕方1時間。 この三本柱の時間帯と、寝室に
7時間、スポーツジムに2時間。居間に6〜7時間。早朝のミニ・サイクリング
1時間(冬季を除く)。他には風呂とか、図書館など数時間になる。この判で
押したようなアカデミック?な生活をしていると、孤独な孤高のゾーンに奥深く
入ることが時おりある。ポタリング信濃川の土手や橋を引きチャリをしている
時にも、そのゾーンがやってくる。だから続くのである。特に書斎では思いも
よらない過去の思い出、思わぬ気付きが奥深くから湧き出ることがある。読書も
然り、書き手の世界に入り込み、その琴線に触れる時、このゾーンに入り込む。 
雑念を超えた時空の世界である。 作家とか芸術家は、その世界を広く深く
持っていて、そのゾーンから何かが伝わってくるのだろう。魂という言葉が
あるが、このゾーンと繋がった心の状態をいうのではなかろうか。
・・・・・・
2011年12月06日(火)
3907, ルソーの孤独
 2009年12月1日の随想日記「人生に関する小題」の中で、
現在の私を予感させる文章があった。
≪【 わたしは地上でたった一人になってしまった「孤独な散歩者の夢想」は、
 64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。
「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後「八、九、十」がメモの
ような文章が続く。冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になった。 
人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで人間仲間から追い出されて
しまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこの
わたしは、いったい何者か」と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から
放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。】
私の周辺の倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだ。多くの取引先、
部下を路頭に迷わせ、自分の存在の卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を独りする。 
自分は何者なのか? ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、
これ(私)!である。≫
▼ この文章を書いた二年前から、倒産を決断するまで売上下降が続くとは
 夢にも思わなかった。そしてトドメが東北大震災。税理事務所の30年来の担当
Jさんが、「初めは気が張っているが半年も過ぎれば、ジワジワとボディーブロー
として効いてきますよ」と忠告してくれた。地方の大方の会社に、この大不況が
直撃していることも事実。 大津波の前兆の波が、特に敏感な立ち位置の当方に
先に直撃したが、本体の波が来るのは今年から来年にかけて。
(但しG20が時間稼ぎをして来年に先送り)どのようにシュミレーションを
しても、本体の津波がやってくれば海岸線に近い三次産業、輸出関連産業は、
致命的大打撃を被る。ところが津波に一番危ない会社ほど、大津波に気づかず
高台に逃げていく人を嘲笑う? ルソーの孤独感は、独り死に直面した時に
誰もが経験することになる。ネット上にブログを10年間書き続け、墓としての
思いを入れ続けてきたので、ルソーの孤独感は無い。しかし、この10年間に
多くの友人知人が亡くなっている。亡くなる直前に、ルソーのような絶望的な
孤独感にさい悩されたはず。  このルソーの孤独は、虚無という真っただ中
に漂う私が、壊れていく恐怖が伴う。談志も死を前に強がりを言っていたが・・
  ・・・・・・・
3542, 価値観の中心の書き換え −4
 2010年12月06日(月)
  * そもそも「成功」とは何ぞや?
ーここで成功とは、そもそも何かという著者の論理が、言いえて妙である。
  ーまずは、その辺より
【 大金持ちになりたいかと訊かれれば、ほとんどの人間が手を挙げる
 だろうが、だからといって、なにがなんでも絶対になりたいとか、人生の
目標の一番に「成功」(大金持ちになること)を掲げて生きていきたいわけでは
ないのである。成功本を書く著者たちは、人生の最大価値を「成功」に置いて
いるようである。つまり金を儲ける「仕組み」を作ったら、あとは
「こっちの水は甘いそ」とかいいながら、左うちわで遊んで暮らすというのが
理想の生活だと考えている。人間を金持ちとそれ以外に二分し、金持ちだけが
「自由人」で、それ以外は「不自由人」だ、などと幼稚なことをいって恥じる
そぶりすらない。もしめでたく「成功」したとしても、それは全のなかの一つの
要素に過ぎない。ところがかれらはそれが人生のすべてで、それがなければ人生
ではない、みたいに考えているらしい。「成功」が人生の最上位に立っている。
かれらにとってすべての価値判断が金を持っているかいないか、だけのように
見える。頭のなかにはつねに、いかにして金を儲けるかというだけのようだ。
「自由」であるほずなのに、「不自由」なのかもしれない。有り余るほど金が
あるのなら、本なんか書かないで隠遁していればいいのに、やほり「名」が
欲しいのだろう。けれどかれらには金はあるかもしれないが、どう転んでも
「名誉」だけは手に入らない。「プライド」もない。・・
 人生で大事なことは「過程」そのもの。それが目標を[[実現していく過程」
であろうとなかろうと、目標が「実現」しようとしまいと「過程」がそれ自体
が大事である。それらの「成功」という言葉が馴染みにくいと思っていたら、
全部アメリカ人の好きな、大げさかつ幼稚な言葉であるサクセスやグレートや
ドリームの受け入れだったからではないか。】
ーまずは、彼の批判している成功は、衰退し右肩下がりの時代背景からみた
成功に対する目線でもある。高度成長期では大方の人からは受け入れられない
見方である。現在は、多くは成功は無理。ならば、それぞれが自分の価値を
見出し、追求していくプロセスを大事にするしかない。情報化で価値の多様化
が進んでいる現在、何をするにも、それぞれスキルが必要である。
人生に今さら成功も失敗もない?いや、ある? 人生を旅に喩えると、やはり
良った旅と、良くない旅がある。旅の準備を充分してきたか、災難を無難に
乗り越えられるか、その知識は必要。成功とは良かったと思える旅になる。 
良かった思えば、良い旅になる。でも、良くない? 修行が足りないのでは。