「リア充」という聞きなれない言葉を耳にして、それ何?と、検索すると、
最近、ネット上で流行りだした言葉。一言でいえば、「現実が充実しない
コンプレックス症候群」の心理状態の意味の説明で使う。私のスケジュール
をこなすのを傍でみると「リア充」の患者?自問自答してみると、そうでもない。
 何かの会で、忙しそうな風で、『昨日は、△▽、一昨日は○◎、明日は××
の予定で時間が足りないほど忙しい。で貴方たち、普段何してるの?』と宣う。
「私はすることが多いけど、あなた方は家に引き籠ってるようだけど」が、
言外に見え隠れ。リア充症候群かどうか?は不明だが。「そんなの断って、
本でも読んでたら?」という見方もあることに気づいてない。それぞれ生き方
が、あるから、それも良いのだろうが。この、付き合いに忙殺されていることを
幸せに思う人に対し、「それにつけても、私って何?」と、落ち込む人もいる。
 家内も週に5日は、病院y,次々とがかかってくる電話応じ何処かにお出かけ、
残り2日は家事に専念する「リア充」そのもの。けっこう多い内向きの友人に、
「何で外に出ないの? 外出が週一から二日。お金も暇も学歴もあるのに?」
と宣う。「貴女が行動的で、知人・友人が普通だよ」と言うと、不思議そうな
顔。 それに対し私は、早朝のミニ・チャリと、スポーツジムと、週一の
シネマ館のみだが、私は内向きのリア充のため? 「リア充コンプレックス」
はない。TVとPC、シネマとSJ通いがあればよい。
  〜その辺りから 
≪ 少し前に、こんな文章がTwitterで話題になったのを知っているでしょうか。
 中学生「小学生の頃は良かった」。 高校生「中学の頃は良かった」。
 大学生「高校の頃は良かった」。社会人「学生の頃は良かった」。
 退職後「働いてた頃は良かった」。 いい加減気づけよ、今が一番楽しい事に。
―私たちはしばしば過去の自分と今の自分を比較し、「あの頃は楽しかった…」
なんて言いがち。でもよく考えれば、その時その時が一番楽しいってことでは?
 
そんなことを気づかせてくれる素敵な文章ですね。近頃私たちは、この
「その時その時を楽しむ」という意識を忘れがちです。ではなぜ、この感覚が
薄れてきてしまっているのでしょうか。「昔は良かった…」となげくだけなら
ともかく、今の自分の日々がなんとなく充実していないかのように感じてしまう。
これは単なる懐古主義や、思い出補正という言葉では片付けられません。
では本当の原因はなんなのか。それはずばり“リア充”です。
 
もうすっかり定着しつつある“リア充”という言葉。このなんともあいまいな
「リアルが充実している人」という言葉を聞いた時、私たちはどんな人物を思い
浮かべるでしょう。交友関係が広くて、素敵な恋人もいて、日々何かに打ち
込んでいて人生をエンジョイしている…なんてイメージが思い浮かぶと思います。

ではこのリア充という言葉を使うのはどんな時か。
「あの子はリア充だからいいよねー」「私はリア充じゃないから…」
私たちがこの“リア充”について言及する時、多くの場合リア充と自分自身とを
比較するような文脈で使っていませんか? 逆に「私こそがリア充だ!」と声高
に主張するような人はいないですよね。
私たちが日常を省みるとき、自分よりワンランク上の存在=リア充を勝手に
想定してしまっているのではないでしょうか。
「仕事はやりがいもあるし楽しい…けれど、恋人ないからリア充じゃない」
 ・・(略)
この“リア充”は、他人とは限りません。過去の自分と現在の自分を比べ、
「あの頃は楽しかった…」と感じてしまうこともあるはず。過去の思い出を
懐かしむということは、もちろん悪いことではありません。しかし思い出に引き
ずられるあまり、今の自分の幸せを見失ってしまうのは悲しいことですよね。
 
他人に捕らわれず、自分の日常を受け入れ、日々楽しむ。それこそが真の
リア充の姿ではないでしょうか。そうした気持ちこそが新しい出会いを受け
入れることにつながり、そうすれば、愛情やパートナーにも恵まれ、結果的に
いわゆる「リア充」になることができるのです。
表面的なリア充を手放すことこそが、真のリア充につながる。
一見難しいけれど、簡単なこと。ぜひがんばってみてください! ≫
――
▼ 去年、家内に、『TV、PC、スポーツジム通いの平凡の日々に、飽きない?』
 というから、『現役時代は、圧倒的なプレッシャーがあった。現在の生活も
慣れば、それなりに面白い。差引同じぐらい!』と応えていた。親戚の法事で
「昔は良かった」とボヤク80歳半ばの人、現実に溺れて川を渡れないで、
リア充コンプレックスに取りつかれたゾンビ。 周りを見渡せば死屍累々に
思えるが。 これも私のリア充の目線か? 
 
・・・・・・
5372,楽しむことを人生の目標に 〜?
2015年11月29日(日)
 今だから言えることだが、あの会社清算?倒産?騒ぎの時、意外と冷静に
一つ一つを見極めている自分が、もう一人、間違いなくいた。30年来、月次監査
で長岡から新潟の事務所に来ていた税理事務所の担当が、あきれた顔をして、
『楽しんでますね!現在、何が起きて、何をしているか分かってないのでは?』
と苦言。幾つかの修羅場を経験してきた感覚が本人には理解できないだけ。
心の奥は、『こんな経験は二度とない。とにかく、冷静に処理し、この現象を
インプットするしかない』と、本能に従うしかない。万一の場合の備えがあれば
こそ、いえることだが・・ いざ修羅場に立ち、その視線から見えてくる現象は、
リアルだが、滑稽でさえある。だから、楽しむことは、そう生易しいことでない。
≪ ・楽しまずして何の人生ぞや。 〜吉川英治(日本の小説家/1892〜1962)
・幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。食えはするが、ごちそうには
  ならない。無駄なもの、無用なもの、余計なもの、多すぎるもの、
  何の役にも立たないもの、それがわしは好きだ。〜ヴィクトル・ユーゴー
        (フランスのロマン主義の詩人、小説家/1802〜1885)≫
・幸せを数えたら、あなたはすぐ幸せになれる。
         〜ショーペンハウアー(ドイツの哲学者/1788〜1860)
・この人生は生きる価値があると言えるだろう。
  なぜなら、人生は自分で作るものであるからだ。
 This life is worth living, we can say, since it is what we make it.
  〜ウィリアム・ジェームズ(米国の哲学者、心理学者 /1842〜1910)
・汝の幸せは、他人の幸せによってつくれ。
  〜ヴォルテール(フランスの哲学者、作家、文学者、歴史家/1694〜1778)
・他人のために暮らすのはもうたくさんだ。せめてこのわずかな余生を、
  みずからのために生きようではないか。
  〜モンテーニュ(フランスの哲学者、モラリスト /1533〜1592)
・幸福な人生を阻む大敵は外にあるのではなく、内にある。
  すなわち、あなたの心の中に潜んでいる。
  〜ウィリアム・ジェームズ(米国の哲学者、心理学者 /1842〜1910)
・「幸福を必要としないこと、それがおまえたちの幸福だ」と、神は言った。
 〜セネカローマ帝国の政治家、哲学者、詩人 /紀元前1頃〜紀元後65)
・幸福には、明日という日はありません。昨日という日もありません。
  幸福は、過去のことを記憶してもいなければ、将来のことも考えません。
  幸福には、現在があるだけです。今日という日ではなく、ただいまの
  この瞬間があるだけです。〜ツルゲーネフ(ロシアの小説家/1818〜1883)
・人間がこの世に存在するのは、金持ちになるためではなく、幸福になるため。
  〜スタンダール(フランスの小説家『赤と黒』著者 / 1783〜1842)
▼ 幸福の状態は、生きている限り避けることの出来ないマイナスに対して
 3倍のプラスが必要。出来たら9倍というが、探し、習慣化をすれば可能。
老いて思い出すことは、自然に任せておけば、マイナスばかり湧き出てくる。
それは意図的に変えることは可能である。それより、いま現在を楽しむことが、
プラス感情を育ててくれる。だから、積極的に楽しみを探さなければならない。
今では、TV・パソコンという優れものがあり、手じかに、楽しむことが
出来る。楽しむには、少々の金と、知識と、時間と、知恵と、幸せ脳が必要
である。幸せ脳とは、感動、感激、感謝できる能力。

・・・・・・
5007,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜3
2014年11月29日(土)              
        『人は死ぬとき何を後悔するのか 』小野寺時夫(著)
   * あるレビューより
 ーまずは、アマゾンのレビューを要約するとー
≪ 日本のガン治療の疑問を述べている。著者はあくまでも高度の進行がんに
 おいては手術・抗がん剤治療、免疫療法をするのではなく痛み・苦しみを
和らげながら静かに看取る方を良しとしている。タイトルの「何を後悔するのか」
はまさしく「効果の無い、苦痛を伴う無駄なガン治療は後悔えをする」に
他ならない。著者も57歳のときに喉頭がんを経験。妻が劇症の白血病を発症
すると休職して介護に専念。気力体力の限界まで精魂を傾けられたことは
大きな心のやすらぎである一方、死の直前、呼吸困難で苦しませ、穏やかに
逝かせてやれなかったことへの悔恨にさいなまれていた。どの言葉の一つ一つ
が説得力に満ちていて、実践的な「死に方準備ケーススタディ集」でもある。
・がんは大急ぎで治療する必要がないのです
・死は生の延長上の遠い淵にあるのではない。人は“死にまとわれながら
生きている不安定な存在
・死に直面すると、金、権力、名誉のある人の方が、不安、怒り、落ち込みが
 強いそれまで力のあったものが、死には全く役立たなくなるから
・生前に本当によく尽くし合っていなければ死ぬときによい介護を受けられない
 死ぬときに奥さんのいじめが気にかかる人は、恥を忍んで奥さんに詫びるか、
 今からでも懸命に尽くす姿を見せるなどの対策を講じておくのが安全
・唯一確実なボケ予防策は「高齢でも女性に関心を持ち続け、行動すること」
・死ぬ時に至って自分の生き方を他人と比較するのは全く無意味
・高齢になってもよく歩いている人ほど「コロリ死」が多い
ホスピスの入院患者で、何かに没頭して楽しめる人はとても幸せな人
・死を迎える部屋は個室がお勧め
・「鎮静(麻酔などで苦痛を抑え入眠状態にする。続けると数日で死に至る)」
 は、早めに医師に願っておく。それもひとつの死生観。死の準備は本来、
 病状に応じたオーダーメードであるべき
・日本は多くの人が「自分の望まない死に方」をしている国
・孤独感が原因の激痛がある
・「低カロリー、低たんぱく質」でゆるやかに最期へ向かう… ≫
▼ この要約を読み返すたび、どれもこれも更に深く心に染みる。近い将来、
 恐ろしい現実が間違いなく待っている。恐ろしいが、覚悟はしてないと。
心の拠りどころは、50歳代の10年間で、30年分を圧縮し過ごしたこと。
さらに、このブログに行蔵や、思いや、青春時代の日記などを書き残したこと
が心強い。この奇跡のような私の生。ビッグバン以来、ここまで続いている、
この「私」という存在。それを満足し生きてきただけでも、充分に元を取れた
感がする。この文章を書いていて気づいたことが、後悔の逆は、感謝、感激、
感動、満足、ということ。老いの『俺たちに明日はない』の日々を楽しめるか
どうか、だが。
・・・・・・
4640, 閑話小題 〜都知事の狼狽
2013年11月29日(金)
  * 「徳洲会」資金提供問題で、都知事の狼狽
ーまずネット記事よりー《 猪瀬直樹知事が大手医療法人「徳洲会」から
5,000万円を受け取っていた問題で、猪瀬知事は、会見でも、個人的な借金だと
する点を強調している。さらに現金受け取りの前の和食店での面会についても
明かした。猪瀬知事は「借用証 徳田 毅殿 (去年)11月20日5千万円也、僕の
住所とサインです」(その借用書は最近作ったものでは?)の質問に「それは誤解。
これは、間違いなく原本」と述べた。》 
 この一連の会見の内容からして、明らかに逮捕に準じる資金提供。
検察も逮捕をするしかない?だろう。政治家としての叩き上げではないため、
都知事の場合と違ったトップの立場の身の処し方が出来なかった。マスコミ
上がりの正直さが、そのまま表立ってかシドロモドロ。言い訳するほど、
自分の立場を悪くする。政治世界は一寸先は闇。これで逃げ切ることは難しい! 
2020年まで安泰と思っていただろうに。
それとも、石原慎太郎の知恵で難局を何とか乗りるか? 
   * ストーブリーグが面白い
 落合の中日のGMの就任で、ストーブリーグが俄然、面白くなってきた。
巨人の小笠原が中日に、逆に中日の井端が巨人に移籍。他に、広島からFA
宣言した大竹寛投手(30)が、巨人への移籍を表明した。更に、有力選手
2〜3人が移籍してくるだろうから、これで来年の巨人の独走がみえてきた。
その巨人を他球団が叩き潰し、原監督を引きずり物語が面白そうだ。
 ーネットの記事からー
《 落合GMは井端は「戦力外の選手には金額提示はしない」と、来季の構想外
 ではなかったことを強調。そのうえで「彼に対してはそれなりのものを例年
払ってきた。故障でメスも入れたし、億以上を出すリスクを球団が背負えるか、
という判断」と、年俸大幅ダウンの提示を説明した。球団は井端に対し、野球
協約に定める年俸の減額制限を大幅に上回る今季年俸1億9000万円から
1億6000万円減の3000万円を提示したとみられる。
▼ 小笠原が3000万、井端は4500万と大幅ダウンという。厳しいものだが、
 それでも井端の方が、お買い得? 原監督は、優勝をしていれば今期で辞め時
だった。早く言えば飽きてしまった!ということ。 江川監督、ヘッド兼任の
バッテリーコーチに桑田、GMに野村元監督あたりが面白そうだが! 
更に「巨人は27日、西武から国内FAを宣言した片岡治大内野手(30)と
都内のホテルで初交渉」というニュースで報じていた。
・・・・・・
4275, この非常事態に、万一の備えがあるの? −4
2012年11月29日(木)
   * 長岡冬景色 ーある同級生の死
 昨日の朝、高校の同級生から電話が入った。20年以上、毎年開かれていた
同級会のメンバーの1人が一昨日の夜、自殺をしたという。近郊の町で家業を
継いでいる人で、明るくサッパリとした性格で皆から好かれるタイプ。
本人が居るかどうかで、同級会の明るさが違うほど。その男が自殺とは、一瞬
耳を疑い、息を呑んでしまった。「この非常事態に、万一の備えがあるの?」を、
今月の15日に、ここで書いた。その前日の地元紙に、
* 同級生の老舗会社の倒産記事が出ていた。20年前に工場が
 火災で全焼、しかし保険で建替えて、無借金経営と聞いていた。
* その翌週には、計算サンターの社長をしている会社が、TVと新聞に大々的
 に、「不正に雇用調整給付金を受給。それも内部告発により調査の結果。不正分
を全額返済のため、刑事告訴はしないが、悪質なため発表した。」と報じられた。
全国ニュースにならなかったのが不幸中の幸いだが、銀行系もあり処分は
厳しいと推察される。
* そして今週は、彼の自殺である。 親戚や近所の自殺は身近であるが、
 同級生は初めて。まさか、このテーマで書いた警告が、そのまま、ごく身近で
直ぐにたて続けて現われ出るとは。3人とも傍からみれば、これ以上の堅実経営
はないかと思われた会社。そのため、ことさら驚きは大きい。それにしても
自殺とは、よほどのことがあったのだろう。同級会のメンバー内の話としては、
去年春に私が先ぶれに破綻。そして、この11月にたて続きに3人が、続いた。 
以前から、「2012年問題(時代の断層の年)」が言われてきたが、
今のところ何も起きていない。しかし極身近から、このように生々しく
起こるとは思いもしなかった。 恐慌の大波は根こそぎ、全てを破壊していく。
これが地方の特殊要因でなく、世界、日本レベルの大波の地方の一現象でしかない
ところが恐ろしい。まだ経済の大津波(恐慌)の本体は外海、到達は来年辺り? 
3900, 精神力ーその偉大な力  ー1
2011年11月29日(火)
  * 「精神力ーその偉大な力」 ダン・カスター著
 学生時代の卒業間近から27歳までの修行時代から事業創業期の精神は緊張と
不安の極限にあった。あまりに突き当たった壁が厚く、自己確立が曖昧だった
内面は粉々になりかけていた。しかし、それを表立てることは許されない節目時。 
傷つき荒れ狂った気持ちを自分で何とか立て直さなければ、絶壁の谷底に転がり
落ちる綱渡りの日々。その中で、狂わないようにバランスをとらなければ
ならない上に、自分を奮いたっていなければならない。その日々の中で、
学生時代の終わりの頃に読んだ、このブリストルの「精神力を活かす」と、
ダン・カスター著「精神力、その偉大な力」が心の支えになっていた。
そこには色の違う傍線が幾つも引かれている。経験を重ねるうちに、この手の
本は安物の精神主義の本でしかないと疑問を持つようになっていた。40年
経った現在再び、読み返しているが、決して安物の精神論の本でないことが
分かり安心をした。マーフィーの成功法則の下地になっていると思われる。 
特に「精神力ーその偉大な力」は、先がさっぱり見えない

 不安感と挫折感の中で、何度も何度も読み返したことが懐かしい。
節目時に読んだ本は、節目時の自分の心でもある。 40年の年月は長い!
そこで失ったものと得たものが私自身。一月程前に、信濃川の大手大橋を
歩いていたとき、地球の芯からの声が聞こえてきたことを書いた。
自分の独り言であるのは敢えて言うまでもないが、魂の芯から出ていること
は違いない。時どき、その声と対話をしたり、中心点に気持ちを収集して、
その蓋を開けるイメージを持つ。そして、そこからエネルギーが心に溢れ出て
くる感覚を持つ。また、その蓋の向う側に無限の宇宙の時空をイメージする。 
気持ちが弱った時など非常に有効に働く。その下地が早朝の散歩の途中にして
いた呼吸法。気持ちを地球の中心点まで到達するイメージを持ち、中心点を
擬人化して挨拶したり会話をしていた下地があった。
 散歩をポタリングに変え、しばらく、その呼吸法をしてなかった。
ところが、サイクリングの途中にウォーキングを取り入れて大手大橋を
‘引きチャリ’をしていた時、脳の底から独り言で話していた擬人化した
イメージの声が聞こえてきたのである。
 一月前の随想日記に同じことが書いてある。その芯と声が、
この「精神力」と同じである。心の底のエネルギの源泉を探し出し元気を
創造しろということ。次回から、少し書き出してみるが、過去を振り返り
ながら心の源泉の湯に浸かっている気分か。精神を哲学するのも、面白い。
精神=信念=「絶対言明」+エネルギー。意志に似ているが、少し違う。
意志の哲学といえばショーペンハウアー。その影響を受けたのがニーチェ
・・・・・・・
3535, つれづれに ー 閑話小題
2010年11月29日(月)
  * 自分の初めの感じたことを信じなさい!
 夏の終わりごろにニューカレドニアに行った時の話。 ホテル内の土産店で
若い女性二人が土産物で迷っているところ、60歳代半ばの日本人男性が話し
かけていた。「自分の初めの感覚を信じなさい!」と。「私に、そんなことを
言ったら『アフォか、御前は!』と思うが、若い女性なら良いか?」と内語を
頭の中で呟いていた。 その言葉は、正しくもあり、間違いでもある。
これは経験からいえること。経験の浅い人になら、自分の感覚を信じて、
まず決断をし、その結果をフィードバックする方が、躊躇して何もしないより
良い、ということになる。それを信じて軽い気持ちで判断をして大失敗を数限り
経験してきた私にとって、そんなことは若い女性にしか言えないこと。
その人に何か怪しげなバナナ的雰囲気を漂わせていたが。同じ言葉でも、
受止め方は年齢、知識・経験の質量で変化する。
  * 尖閣ビデオYoutubeが注目される
 もう古い話になったが、海保のビデオ流出事件でYoutubeが注目を浴びてきた。
Youtubeは10分の制限があるが、個々人が撮影したビデオを自由に投稿できる。
僅か5年前に若い二人の米国人によってつくらたサイトで、一年後にGoogle
2000億円で売却された。日本にも、その翌年2007年に上陸、瞬く間に普及した。
一日20億回のアクセスがあり、このサイトから世界的に有名になる人が続出。
数ヶ月前から面白そうなものを私のブログに貼り付けている。過って見たことが
ない面白い映像が次々と見つかる。TV番組でも、世界の面白映像として毎週
紹介する番組が既に出来ているが、その多くは見たもの。 面白いビデオの右側
に関連したビデオの写真が貼り付けられ、アクセス数が書かれているので、
関連したビデオにネットサーフィンできる。そこで、思いもよらない世界を
垣間見るケースが多くなる。コスプレ、ラップ、ペットなど、知らなかった
世界を知ることが可能である。ところで、あのビデオについて石原慎太郎
売国奴の治世者が、英雄的行為をした人を国辱罪で訴えるという奇妙な現象
が起きている」と発言。言い得てるが、それが東京都知事ときている。
訴えると脅され、「チャンと受けてたって証言をする」といったら、何も
言わなくなったとか。 面白いと笑ってられないのが、この国の現状。
・・・・・・・・
3160, ドバイが債務不履行
 2009年11月29日(日)
 アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。
数年前にドバイの発展する様子をNHKスペシャルで放送したが、
石油で得た資金で競って超高層ビルを中心とした新都市の様相には驚いた。
 世界のクレーンの3割が、そこで動いているという信じがたいことも
報じていた。大金持ちの若い御婦人が高級ショップで「もう、買うのに
飽きてしまった、ツマラナイ!」と云々。
( 字数制限の関係でカット 2011年11月29日 )
・・・・・・
2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4
 2008年11月29日(土)
【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ
「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、
 話すよりも聞くことを重視したから」
ユダヤの諺
「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」
「噂はかならず三人の人を殺す。噂をばらまく人、疑問を抱かずに
 噂話を聞く人、そして噂の対称になった人」「美徳と称するものは、 
 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」
ユダヤの諺
「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、
 一度発した言葉を取り返すことはできない」ーユダヤの言葉
「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三に
 それを自分の中に吸収し、最後は人に教えてみることだ」
  ソロモン・カビロール  (字数制限のためカット09年11月29日)
・・・・・・・・
2007年11月29日(木)
 2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより
「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する
 22人の内容が驚く内容の連続である。死刑の立ち会いの詳細、実際に
拷問にあった本人の手記、臨終のこととか。死に関しては、日常の中では、
誰もが見てみないふりをする。しかし書き手が言葉として書き連ねると、
それ自体が物語になるだけの深みを持つ。この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。
<おばあちゃん>  金子光晴
『若葉』のおばあちゃんは もう二十年近くもねてゐる。 すべり台のやうな
傾斜のベッドに 首にギプスをして上むいたまま。はじめはふしぎそうだったが 
いまでは、おばあちゃんときくと すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。
なんにもできないおばあちゃんを  どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく 
サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 
香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる
そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』
の手をとって教へてやりたいと。ダンディズムのおばあちゃんは 若い日
身につけた宝石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。できるならば、
老いの醜さや、病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもいでに
のこすまいと。おばあちゃんのねむっている眼頭に じんわりと涙がわき 
枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。
ーー
ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、
聞いたことがある。偶然に去年、老いを取上げていた!