* レヴィナスの「他者の顔」
 仏壇の横に、30年前の実家の法事の集合写真を置いてあり、度々みている。
40数人の参列の7割方が故人である。30年来の時々に、写真を見る習慣が、
私の生き方に大きな影響を与えていた。そこから、生き残っている親戚縁者も、
「散る桜」でしかないと、故人達が呼びかけてくるような。 
生きている不思議と意義の実感。亡き縁者の顔の背後に無限の存在を直観が、
死の不安を解消してくれる。遠くない日に私も阿弥陀の世界?に入っていく。
生れてきたからには死ななければならないのが世のならい。自分の内に取込め
ない「他者」の「顔」が、自分の周りを囲んだ壁の外に、自らを誘う。
 レヴィナスは、こう宣う〜
≪ 自分の解釈の中にすべてを取り込んで、自分中心の世界を創っても
イリヤ」の恐怖から逃れることが出来ない。彼にとってイリヤから抜け出す
カギは「他者」の「顔」。もし、他者の顔が、「汝、殺すなかれ』と訴えたら、
人間は理性からでなく、無条件で他者に倫理的な責任を負わざるをえなくなる。
人は自律などできないのである。他者とは自分の世界に取り込めない、その外側
にいる無限の存在です。その「顔」に責任を持つことで、わたしはイリヤの恐怖
が渦巻く私の世界から抜け出し、永遠に向かう。≫
▼ ここでいう「顔」とは、
<実体的な顔のことでなく、他者の他者性を 意味する概念>として捉えられる。
 お互いの顔は、他者を通した「無限」の広がりの入り口になる。キリスト、仏、
を通した教えを例えると理解しやすい。自分の世界に固執すると、私はイリヤ
から抜け出すことができない。その行き詰まった結果、自己崩壊に至る。
その挫折が、己の殻を打破る。留まると、そこに「世間様の壁」が、強硬に立ち
塞がってくる。で、ゾンビに! 他者の顔を見ることで、その背後にある永遠の
直観こそ、「イリヤ」の恐怖を和らげてくれる。生まれ生れ、死に死にていく!

・・・・・・
5348,高校生の娘に裏切られました 〜身の下相談
2015年11月05日(木)      
        ー身の下相談にお答えしますー上野千鶴子
 以下の質問に違和感を感じたのは回答者も同じ。しかし、何か切ない内容。
世間体の価値観を、そのまま受け容れて生きてきた毒が、この結果を生んだ
ことすら全く気づいてない「無知の涙」の典型である。こういう世間の価値観
を信じきっているのが、私の見立てで八割。いや九割もいるからゾッとする。
   ●質問: 高校生の娘に裏切られました 〜相談者主婦55歳
≪ 55歳の主婦です。
「知らない方が平穏だった」という事実が我が身に起こってしまいました。
4カ月ほど前に、高校3年生の娘が妊娠し、その後堕胎していたという重大な
秘密と裏切りを、娘の知人の母親から知らされたのです。
 何とうかつな、そして愚かで情けない母親でしょうか。今日の今日まで、
一切何も気づかずにいたのです。1歳年上のボーイフレンドの存在は知っていた
のですが。何より情けなく悲しいのは、ずっと娘が何ひとつ取り乱すことなく、
普通に毎日を送ってきたごとです。大それた事件を、どのように処理したのか、
おくびにも出さない態度にうしいものを感じます。罪悪感や自責の念は
ないのでしょうか。 また母親として何より悲しいのは、娘があちら側の人間
私がもっとも嫌っている、倫理的、道徳的に許されないことを行った側の人間
になってしまったということです。
 私自身の学歴に対する深いコンプレックスから娘に受験させ、失敗したこと、
私と夫が不仲であることなど、さまざまな原因が大きく影響したかもしれません。
現在の私は、母親としての自責の念と喪失感、そして娘への嫌悪感という気持ち
がせめぎ合つています。娘にはまだ問いつめていません。≫
アドバイスをお願いいたします。
   ●回答〜「ごめんね」から始めてください
 うーむ。この質問、何度読んでも不可思議ですね。あなたの娘さんに対する
愛情を感じることができません。「母親として何より悲しい」のは、
まず何よりも「娘にこれほど信頼されていなかったこと」ではないのですか。
 あなたはそのことにうすうす気づいていながら、それを認めるのがあまりに
怖くて、すべての原因を娘に転嫁することで娘をますますあちら側に追い
やってはいませんか。高校3年生の少女が望まぬ妊娠をし、それを親にも相談
できず、「取り乱すことなく、普通に毎日を送る」ために、どれほどの努力を
したことでしょう。娘さんの「おくびにも出さない態度」には、どんなことが
あっても母親には知らられまい、という固い意志が見て取れます。
なぜなら母親が自分を叱責し、非難することがわかっているから。
 これまでの人生で最大の危機というべき事態に、つらさを分かち合って
自分の味方になってくれるという期待がこれっぽっちも持てないから。
そしてそういう期待が持てないことがはっきりわかるような親子関係が
すでに長期にわたって続いているから。「裏切り」とは信頼があってのもの。
あなたのいう「裏切り」は、娘が自分の思うようにならなかったことに
対する無念と怒りです。
 あなたの質問の文章は、以上のわたしの解釈をすべて裏付けるものばかり。
出だしが象徴的ですね、「知らない方が平穏だった」のなら、娘が援助交際
をしようが食べ吐きをしようが、「知らない」まま、娘に「よい子板面」を
かぶっていてほしかったのでしょうか。そして娘さんがその期待どおりに
ふるまったのでしょう。娘さんは望まぬ妊娠と中絶で、すでに十分に傷ついて
います。その娘を『あちら側』に追いやっているのは他ならぬあなたでしょう。
とはいえ、あなた自分にも非があるかもしれない、とかすかに感じてもいます。
自分の支配欲、世間体、夫との不仲など、あなた自身がウソで固めた生活を
していることが、娘にも影響しているのではないかと。最後の問いが救いです。
「私の気持ちの持ち方、娘への接し方へのアドバイス」を求めているのなら、
娘さんを「問いつめて」はいけません。代わりに、「あなたが困っている
ときに助けてあげられなくてごめんね」というところから始めてください。
あなたがこれからでも娘さんとの関係を築きたいと、ほんとうに思うなら。≫
▼ 「入れたもの?は、出さなければならない」という変な諺があるが、
 堕胎の選択を本人はしたが、それをアチラ側の人と判断している母親が
末恐ろしい。娘にとって母親の影響は、あまりに大きい。私の嫌う世間体の
世界しか知らない結果が、これ。家族内には、多かれ少なかれ、問題がある。
それは世間教という得体の知れないマインドコントロールがなされている。
それは毒にも薬にもなる劇薬が含まれている。問題はそのことをを知って
いるかどうか。この文面からして、相当の世間人に、理解できるだろうか。
九割の世間教の信者こそ、あちら側の人たち。その人たちからみれば、
それを冷笑している??は、ソッチの人。「世間教徒、金融系に多い」よ!
 世間教で凝り固まったコテコテの『ドライフラワー』といえば、誰(笑)
・・・・・・
4983,暴走する世間 −1
2014年11月05日(水)
    〜暴走する「世間」―世間のオキテを解析する〜佐藤 直樹 (著)
  ーまずは、アマゾンの解説から
< 日本社会の見えないオキテ、それが「世間」である。事件が起きマスコミ
 で報道されるたびに「犯人」にたいして極端なバッシングが起きるのも、
「空気を読め!」という無言のプレッシャーが生じるのも、携帯を使ったいじめ
が起きるのも、「世間」という同調圧力のなせるわざ。「お世話さまです」
「おかげさまで」といった物言いにさりげなく顔をのぞかせ、いじめ・うつ病
・自殺の引き金にもなる「世間」。バブル崩壊以降とみに暴走しはじめた
「世間」の危ない構造にメスを入れる長編評論> ~~
~~森林(現役)の生活からサバンナ(御隠居)へ、住居を移動したことで、
見えていた世界が様変わりをした。社会から、世間への移動?それとも、逆? 
いずれにしても、ますます、独善になっていく自分がいる。 世間的強制力に
アタフタするのは、やはり個人が確立してないため。
 実は社会も、世間も共同幻想でしかない。そう思えば楽だが、それが比較的
楽に出来るのが御隠居の身分。 ーその辺りからー
≪ 社会も個人もいない「世間」のなかで、「世間」的強制力をともなって、
 個人に責任を押しつける「自己責任」や「心理主義」が強調された場合、
「世間」はますます住みにくくなる。しかし「世間」は、日本人であれば、
生まれたときから取り囲まれ、あるものと親から教えられ、そのなかで生きて
きたから、それを意識的に取りだすのがとてつもなくむずかしい。 
これに加えて、「世間」は具体的なものではなく、ある種の共同幻想、つまり
人々のアタマに宿る観念である。人によって「世間」は広かったり、狭かったり
するが、それは「世間」とは関係そのもののことであって、本質的には人間の
アタマに宿る共同幻想だだから。共同幻想とは、複数の人間に宿す観念である。
厳密にいえば二人の間だけでは、共同幻想とはいえない。たとえば恋愛関係
などのように、二人の対になる関係においては、世間は存在しない。
この二人の関係を、思想家の吉本隆明さんにならって「対幻想」とよんで
おくことにする。
 「世間」は三人称的な関係で、三人以上の人間が共同して生みだす幻想。
なぜかといえば、「世間のオキテ」といったようなルールや規範が存在する
ためには三人以上の人間を必要とするからだ。「世間」は幻想であるから、
ないと思えば、ない。「世間のオキテ」も、ないと思えば、ない。げんに外国
で生まれ、日本に住んでまだ間がない外国人には、「世間」も「世間のオキテ」
も間違いなく、ない。だから原則として外国人は、「世間」には入っていない。
かなり長く日本に住んでいる外国人でも、日本の「世間」のなかに入ることが
できるのは、まれである。外国人が「日本人はとっても親切だ」というのは、
かれらがはじめから「世間」に入っておらず、そもそも「世間」の外にいる
「お客さん」であるから、親切にされるにすぎないのだ。 問題なのは、
「世間」が具体的なものではなく、共同幻想であるがゆえに、それを否定
するのが相当にむずかしいということである。具体的なものなら、捨てるか、
近づかないようにすればいいが、共同幻想は観念そのもののことだから、
そうはゆかない。簡単に捨てることができないし、そのなかで生活している
以上、近づかないでいるわけにもゆかない。だからこそ、「世間」の存在は
なかなか意識化できないのだ。しかし、これを意識化する方法がある。
それが、「世間学的エポケー」である。・・・≫
▼「あの老人、一度も恋をしたことが無いんだって!現実に溺れすぎて」
 という強烈な言葉がある。共同幻想の前の「対幻想」の幻想である。
その共同幻想も、何も考えもせず、ただ、成り行きで染められた幻想で
しかない。Uターンで地元に帰った時に感じたのが、城下町という特殊の世界。
専門が社会学だったことと、10年間の外界経験から、これが特殊ということ
が分かっていた。で、アウトサイダーに徹し、そして、事業場を新潟にした。
これが「世間学的エポケー」これも事業設計、人生設計の一つ。
予め世間を特殊世界と割切って捨てれば、これほど楽なことはない。一般的
には御隠居になって気づくが、気づかないままが殆ど!あのゾンビの群れ。
・・・・・・・
4616, 君は1万円札を破れるか? ー4
2013年11月05日(火)
  ー君は1万円札を破れるか? 
     〜お金の洗脳を解くと収入が倍増するー 苫米地英人 (著)ー
   * 年収は人の価値判断の基準になるのか?
 森の生活(経済社会)から退いて、サバンナ(隠居生活)に出て
気づいたことは、これまで、「人の判断基準に、手持ちの資産と、年収を
価値基準にしていたこと」である。資本主義社会の洗脳である。
格差社会」「勝ち組・負け組」の言葉の背景に資本主義社会の価値観がある。
それも一線を退けば、その比重は低くなる。お金を気にしないで済む収入と、
蓄財が幾らかあれば、それ以上は皆、同じ。森の生活では、稼ぎが、その人の
価値と錯覚をしてしまいがちになる。他人との比較で、その額の差が人間の価値
と錯覚をしてしまう。「お金には絶対的価値がある」「お金はすべてのモノの
価値を規定する物差し」という洗脳が長年かけされ、それを疑おうともしない。
お金で、自分の労働や価値を規定され、振り回されている状態は、宗教に洗脳
された信者と同じ。 著者は、ここで、現代社会における「価値」を
「物理空間における価値」と「情報空間における価値」と分ける。
物理空間とは、体で触れることができるモノの世界。情報空間とは、脳や心の中
に存在する様々な概念が作る空間。米を例にとると、タイ米と魚沼コシヒカリ
その価格差は10倍近いが、物理的な味と栄養は、せいぜい二倍?
あるかなしか。「美味しい」という感じ方はそれぞれ違い、何倍美味しいとの
数字化は不可能。タイ米と魚沼コシヒカリと表示されなければ、値段の差だけ
の価値を感じることはできない。ブランドものはバーチャルバリュー
が、その価値を高めている。年収も財産も同じで、ある金額以上になると大して
変わらない? いや2千万と、2百万の年収では生活の快適さは違う?
貧すれば鈍するし、豊かさには幸運の機会を多く集まる。年収が多いに越した
ことはない。貧しさは、人間性を卑屈にする。問題は、年収が「絶対的」では
ない、ということ。タイ米なら、タイ米にあう調理をすればよい。
考え方である。「資本主義社会の洗脳」の自分を一度突き放し、冷笑し、
卑屈にも、のぼせ上がらないこと。所詮は、娑婆のこと。それを自覚し、
超越するために、ライフワークを持つこと、それが教養につながる。 
多趣味か、一つの趣味を深く追求するかと、年収が多少の差とを類推すれば、
理解しやすい。= 偶然、7年前に、同じようなテーマの読書日記があった。
〜〜〜
2073, 金は人を幸せにするか?
2006年12月06日(水)
           才八∋ウ_〆(∀`●)
 お金に関しては、何度か書いてきたが・・
先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
 毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、
その内容が紹介されていたが、なかなかよい。建前でいえば、
「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。
 質問そのものがナンセンス」が正論である。
しかし本音のところ、 「金は何でも買うこともできる自由の塊、何で
そんな建前をいうのか? そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」
と、陰の声がささやく。
「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、最後は不幸のどん底
投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
 これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。
倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、
間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」ということだけは断言できる。
幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。
 私の持論は、「金で8割の幸せは買えるが、あとの2割は金で買えない。
その2割こそ一番大切なことである。しかし8割は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。
それは金では確かに買えない部分もあるが、しかし金=自由であるから、
やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。 理屈として、
「買えるものは買えるし、買えないものは買えない。買えるものは金があれば
こそ買える。金が無ければ‘買えない’範囲が広くなる。そのぶん自由度が
狭くなる。自由は人間にとって非常に大きい幸福の要素である。
自由度を大きくするには、より多く金が有ればよい。生存レベルで必死の人
にとって、{生活手段としての資金の確保から解放されることが幸せである}
のは当然のことであり、お金は資金確保からの解放を意味する。
生存レベルの資金確保の束縛から解放された人は逆に、 幸福感が
「生活資金確保の段階」からアップスケールしているのだから、身近な世界の
人との比較や、違うレベルの欲望の達成の幸福感でなくては、幸せなれなくなる。
 金が無くなって「お金だけが人生ではないお金は決して人を幸せにはしない」
と、言うに丁度よい言葉の羅列にはなるが。
・・・・・・
4241, 閑話小題 ーある居酒屋で
2012年11月05日(月)
    * 再び不景気の話
 先日、TVで成田のホテル事情を放送していた。値段とサービス競争で
少ない客の獲得競争が激烈化している、という。日航ホテルがツイン・ダブル
で一人3千円からと、打ち出していた。もちろん飛行場までは無料のシャトル
バスが出ている。「訳あり客室」と名うって限定数だが、実は何の問題のない
部屋。最近は格安運賃で早朝出発の客が多いので、格安価格を打ち出すしか
ないようだ。そのホテル内にはローソンがあり、お客の殆どが、そこで弁当を
買っている。中国・韓国からの客も激減で死活問題。新潟駅前も厳しかったが、
成田は、そんなものではなさそう。リゾートホテルや温泉街など酷いようだが、
潰れないのは銀行が潰せないため。年の瀬に向かって厳しさが直に伝わる。
ナショナルが二年で1兆5千億の赤字を計上したと報道にあった。
粉飾などしないのがナショナルの良さだが、スマートフォンと、タブレット
PCに、テレビ、デジカメ、パソコン、電話、書籍、ナビなどが集約され
格安になれば、会社の土台から揺らいで当然。その上に韓国のサム寸や、
中国の家電がシンプルな格安商品を売り出し攻勢をかけている。世界ブランド
のナショナル、シャープ、ソニーなどが、会社存続も危ぶまれるなど
数年前までは考えられなかった。 
   * その上に不景気の話
 日経新聞に ≪ 【ソニーパナソニック、シャープ】3社の5年前
の2007年前半の時価総額16兆円が、2兆円にまで激減、逆に韓国の
サムスンは14兆円まで増えている≫と報じていた。今や産業全体が衰退
しており、好調を維持している産業が衰退する事態になりつつある。
それにしてもナショナルが2年で1兆5千億の赤字で、20年分の利益
総額分をとばしたというから酷いもの。株価は暴落でストップ安。
シャープも4000億以上の赤字決算・・ リーマンショック地震の後の、
日本版大津波の一つの現象。近未来の株式の大暴落より先に、こういう形の
現象が現れてきた。家内がイオン内にあるスポーツジムに通っているが、
「とにかく、変!」と、価格の底抜けが異常と、いう、主婦なら分かっている
ことだが。経済に疎い家内が、ことあるごとに、「会社を早々、たたんで
本当に良かった。中小や個人など、やっていけないのが私でも分かる!」と、
いう。先日、久々に殿町で定例の飲み会。何れの店の客の入りは良くない。
十数年ぶりに入った居酒屋、客の入りの割りに、注文した料理が出てこない。
主がイライラしてのがカウンター内から直に伝わってくる。
母親とパートのような二人の動きが変。二軒目のスナックで何気なく連れが、
「以前いた奥さんが居ない」と話していると、隣の客が、「どうも別れた
ようで、二人は母親と姉さん。以前より度々、奥さんを叱責していたが、
あまりに酷い怒りかただった」という。不景気と嫁姑の関係で、居たたまれ
なくなったようだ。 客商売の苦労は、売り上げが良ければ、それだけで
解消するが、逆だと相打ち。駅前のチェーンに客は取られるし、この不景気、
飲屋街の居酒屋など直撃している。 何か切ない話だが、これが現実。
 ・・・・・・
3876、閑話小題
2011年11月05日(土)
  * 五ヶ月前の「次の首相」は誰か?の予測は
文芸春秋−7月号」を図書館で借りてきたが、そこで68人の識者が次の首相
を予測していた。その中で、9、7,6票と、石破、安部、小沢の順であった。 
野田を予測していたのが政治学者の伊藤敦夫だけ。彼は野田を「安定感」と
「バランス感覚」に優れていて、他の候補と比べて、「理」に走る‘民主党臭さ」
がなく、「論破」のタイプではなく、「説得」で物事を進めていくのが、他党
との信頼関係を築く上で、最適であるとしている。その頃でも、安部とか
小沢一郎とかの名を上げている識者が多かったのに驚いてしまう。 
野田は、就任してニヶ月だが、今のところ安定した政治運営をしている。 
これを読んでみて、識者の予測のいい加減なことに驚いてしまう。現在の日本
は大震災から僅かな時間しか経っておらず、まだまだ非常事態の最中。 
まだ実務的能力が優れているのか見極めがつかないが、兎に角、1〜2年で
終わらない政権であって欲しいもの。時代の変化は激しい!
  * 最近、ちなみに感じること
 一年ほど前に、林秀彦著の「9.11・考えない・日本人」の読書日記を
書いていた。この春に大きな人生の節目を経験し、その後も、色いろ考えさせ
られることが多くあった。そのプロセスの中で見えてくるのは、この書のとおり、
「大部分の人は全く考えないということ」である。という私も、考えが足ら
なかったので、この結末を迎えてしまった。偉そうなことは言えた立場でない。 
考えるとは、目的、目標に向かう時、最短距離と、不足しているものを探す
プロセス。他にも、目的が無くとも、楽しいと思えることを探すことも、
考えることになる。 林秀彦は、アメリカの戦後占領政策の一環として、
日本人に考えさせない教育をしてきた。
(字数制限のためカット 2015年11月05日)